わたしも大好きであります、信長さん。
日本って、聖徳太子の「17条憲法」以来、
「和をもって貴しと為す」社会であって、
あんまり「英雄」を生み出さない風土のような気がするのですが
そういう歴史風土の中で、一陣の爽風を送り込み、
これからその「負の側面」が全面的に出てくるに違いないと思われた
その瞬間に地上から、みごとに消え去ってしまった、
中世を徹底的に破壊するその段階までの役割を果たして
「是非もなし」という端的なことばを遺して
まことにあっという間に、本能寺の炎とともに消え去った。
その散り際の鮮やかさでも、日本人の心象に大きく刻印されているのでしょう。
で、かれを偲ぶモニュメントはほとんど残っていない。
秀吉が、家康が、これでもかとばかりにいろいろなモニュメントを遺しているのに
まったく対照的に、信長を偲ぶよすがはほとんどない。
そんななかで、伝説の「安土城」が発掘調査され、
徐々にその全貌が明らかになってきた、というニュースに
折に触れて接する度、ぜひにも見に行きたい、と思い続けていた。
しかし、なぜか、機会はほとんど訪れることはなかったのであります。
この1月にそんな念願がようやくにして叶いました。
写真が再現しつつある安土城址であります。
琵琶湖湖南、安土山の山頂に築かれた天守に向かって
この石段を登っていったのだと言われています。
途中に、伝秀吉邸などの家臣団屋敷も展開していたそうです。
琵琶湖湖南の地は、東海道・東山道・北国街道などが合流して
京都に向かう、その道を扼するように建てられている。
かれの時代には、琵琶湖自体にも接岸していたのではないかと推定される。
陸上交通・水上交通でのまさに要衝の地。
かれの段階の「統一国家」にとって、象徴的な位置だったのだと思います。
まぁ、英雄を想起させるようななにも残ってはいないけれど、
なにごとかの途上に倒れたかれらしさの、ほんのいくばくか、
空気を感じさせていただいただけでも、
歴史好き、信長好きのある部分を満足させられた気が致しました。