日本建築家協会とは、かなり長いお付き合い。
住宅雑誌を発行し始めてすぐに、建築家の仕事を誌面で紹介した。
住宅雑誌としてジャーナリズム精神の一片は持っていたいと思う中で
建築家たちの職能団体としてのこの会を知って以来。
なんというか、建築というジャンルに於いて
その建てられる建築がどうであるかについて、
よりよきものになるよう研鑽し、対話し続ける場と受け止めた。
北海道が出自の雑誌として、日本建築家協会北海道支部のみなさんと
さまざまに交流し、議論し合ってきたと思います。
そういったなかから、「北のくらしデザインします」という
建築家住宅特集を地域特別雑誌として2年に1度の割合で刊行し続けた。
それはもちろん、組織としての日本建築家協会とは無関係に
個別建築家のみなさんと共同して出版し続けてきたのですが、
多くの建築家が参加している団体として、
大きな結びつきを持ち続けてきたと思います。
わたしどもの雑誌が東北でも出版するようになってからは、
東北支部のみなさんとも,中核的に交流し続けてきました。
東北支部が主催する「東北住宅大賞」についても、当初はわたし自身も
審査員の席に連ねさせられたりもしていました。
まぁそちらの方については、やがて辞退させていただきましたが、
大いに意見交換や北海道建築視察のアテンドなど、
積極的に関わらせていただいてきた次第です。
そういった活動ですが、
5年前の東日本大震災勃発以来、東北支部のみなさんとは
それこそさまざまに協同する関係で活動に関わってきました。
震災勃発当初の「応急危険度判定」が始まったころから、
広域地域の巨大な建築的喪失という現実に、職能人としての
使命感に燃えて活動し続ける姿に、リスペクトを感じています。
その人間として自然な、地域に生きる職能人としての活動は、
未曾有の混乱の中で、羅針盤のような存在でもあったと思います。
やはり「戦い」であったし、いまもあり続けていると思います。
震災から復興に向けて、地域の団体として継続的に
よりよきコミュニティと建築の復興をめざして開催し続けている
「みやぎボイス」が、きのうも仙台メディアテークで開催されていました。
地域の再生、社会の復元、建築の復興、
テーマは実にさまざまだけれど、こういった場をつくり、
語り合いを継続し続ける力は、まことに貴重だと思います。
北海道から参加された建築家の方が言っていましたが、
こうした活動は、地域に生きる建築家集団としてきわめてまっとうで、
ややまぶしくも感じられると言うこと。
他地域の人間にとっても、巨大な刺激を与えていると思います。