三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

JIA東北支部の震災復興への長き戦い

2016年02月29日 05時59分06秒 | Weblog


日本建築家協会とは、かなり長いお付き合い。
住宅雑誌を発行し始めてすぐに、建築家の仕事を誌面で紹介した。
住宅雑誌としてジャーナリズム精神の一片は持っていたいと思う中で
建築家たちの職能団体としてのこの会を知って以来。
なんというか、建築というジャンルに於いて
その建てられる建築がどうであるかについて、
よりよきものになるよう研鑽し、対話し続ける場と受け止めた。
北海道が出自の雑誌として、日本建築家協会北海道支部のみなさんと
さまざまに交流し、議論し合ってきたと思います。
そういったなかから、「北のくらしデザインします」という
建築家住宅特集を地域特別雑誌として2年に1度の割合で刊行し続けた。
それはもちろん、組織としての日本建築家協会とは無関係に
個別建築家のみなさんと共同して出版し続けてきたのですが、
多くの建築家が参加している団体として、
大きな結びつきを持ち続けてきたと思います。
わたしどもの雑誌が東北でも出版するようになってからは、
東北支部のみなさんとも,中核的に交流し続けてきました。
東北支部が主催する「東北住宅大賞」についても、当初はわたし自身も
審査員の席に連ねさせられたりもしていました。
まぁそちらの方については、やがて辞退させていただきましたが、
大いに意見交換や北海道建築視察のアテンドなど、
積極的に関わらせていただいてきた次第です。

そういった活動ですが、
5年前の東日本大震災勃発以来、東北支部のみなさんとは
それこそさまざまに協同する関係で活動に関わってきました。
震災勃発当初の「応急危険度判定」が始まったころから、
広域地域の巨大な建築的喪失という現実に、職能人としての
使命感に燃えて活動し続ける姿に、リスペクトを感じています。
その人間として自然な、地域に生きる職能人としての活動は、
未曾有の混乱の中で、羅針盤のような存在でもあったと思います。
やはり「戦い」であったし、いまもあり続けていると思います。
震災から復興に向けて、地域の団体として継続的に
よりよきコミュニティと建築の復興をめざして開催し続けている
「みやぎボイス」が、きのうも仙台メディアテークで開催されていました。
地域の再生、社会の復元、建築の復興、
テーマは実にさまざまだけれど、こういった場をつくり、
語り合いを継続し続ける力は、まことに貴重だと思います。
北海道から参加された建築家の方が言っていましたが、
こうした活動は、地域に生きる建築家集団としてきわめてまっとうで、
ややまぶしくも感じられると言うこと。
他地域の人間にとっても、巨大な刺激を与えていると思います。


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江戸の貞山堀、平成の防潮堤

2016年02月28日 06時20分27秒 | Weblog


きのうで2日間の「復興建築ツアー」は終了しました。
長大な宮城県沿岸部を南北に分けて、
2日間巡ってきた次第です。
震災津波からの復興、現在進行形はどんなものであるのか、
いろいろな場所で、いろいろな思いを抱かせられました。
東日本大震災という、わたしたち、戦後を生きてきた人間にとって
未曾有の大災害、それもわたし自身もさまざまな関わりを持った
日本人の歴史的民族経験の中で、
それがいったいどのようなことに結実していくのか、
見届けて、かくあるようにかくなったと、それを次の世代に
伝えていく役割が、きっとあるのだと思います。
きのうツアーの終わり頃、ある設計者からのコトバとして、
住宅設計にあたって、被災者と対話した様子が語られていました。
「わたしたち住宅設計の仕事では、いつも施主さんが夢を膨らませて
どんな家になるんだろう、と前向きに未来のかたちを感じるけれど
巨大な喪失後に、再度家づくりに向き合わざるをえない状況で、
多くの人から発せられる、希望とは遠い心理に違和感を持つ」
というお話しを聞きました。
未知への希望ではなく、やむを得ず向き合わねばならない未来。
そういった状況の中で、巨大な喪失から徐々に立ち上がってきて
今の状況が現実になってきている。

今回の視察の最後は長大な防潮堤でした。
三陸沿岸部から、広大な仙台平野、さらに福島県まで連なる
まるで現代の万里の長城とでも言えるような無言構造物。
1兆4000億円の巨費を使い、人々の視線から海が消えることになる。
千年に一度の大災害を、しかしわたしたちは目のあたりにしてしまった。
こういった建造物を作り出す力も,わたしたちの社会は
持ってしまっている以上、創り出すしか無いのかも知れない。
一方で、江戸から明治に掛けて延々と開削され続けてきた
伊達政宗以来の「貞山堀」もこの地域では目に馴染んできた土木事跡。
貞山堀は、岩手県北上盆地・宮城県仙台平野・福島県中通りの
広大な河川交通・物流に供するものであったが、
仙南平野においては、江戸時代初期の新田開発における
灌漑用水路の排水路としての機能も重要だったとされる。
このふたつの巨大土木工事が、遙かな後世にいたって、
そのどちらに知性と品格を感じることになるのか、と不安を持ちながら
現実は、どんどんと進んでいくことになるのだと思います。
結局、人間はそのできることに真摯に向き合っていくしかない。

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女川 2016冬・新たな「街並み」景観

2016年02月27日 06時05分42秒 | Weblog


きのうはJIA東北支部・宮城地域会主催の
「復興建築ツアー」に参加しました。
2日間の日程で、宮城県地域の現在状況をウォッチするツアーです。
JIAのメンバーは、国や地域の自治体のスタンスとも違って、
地域住民の目線で、いまの復興状況に関わっているので
適度に客観的であり全体状況は比較的に把握しやすい。
そんな思いで参加してきた次第であります。

きのうは仙台駅を出発して、石巻、女川、北上の3箇所を見学。
宮城県北部地域の現状視察で、きょうは南部の平野地帯という日程です。
総勢50名超の参加と言うことで、バスでの移動。
東日本大震災の被災はまことに広大な地域に一気に押し寄せた危難だったので、
5年を経たいまでも、その全体像を一気に把握することはむずかしい。
きのう1日、バスで見学できた地域はわずかに3箇所。
それもバスで駆け足で巡るのですから、
やはり気の遠くなるような被災であり、復興プロセスも長く時間がかかる。
「復興建築ツアー」なので、そういったなかでも象徴的に
建築プロセスが明瞭になって来たのが女川の「新市街地地域」。
広大な全的津波被災地域に、仙石線の最終駅舎が建設され、
その施設には2階に公営温泉施設「ゆぽっぽ」も併設されています。
そこから海岸に向かって「プロムナード」がまっすぐに伸びて、
その遊歩道に沿って、あらたなテナント型商店街「シーパルピア女川」が展開し、
その中心的施設として「女川町まちなか交流館」などが配置されている。



計画図などは上の写真のようなもので、
まずは、中核的なあらたな「街」の姿が見えてきた状況です。
はじめて目にすると、まるで横浜の海岸地域の倉庫街を
ちょっと想像させられるような景観が展開しています。
ゆったりとした道幅の遊歩道は煉瓦が敷き込まれた道風の仕上げで、
均整の取れた三角屋根のヒューマンスケール感もあって、
やさしい雰囲気が意図されているように感じられました。
悪くはないデザインの街が突序のように出現したといったところですが、
そういったものに息吹を吹き込んでいくのは、やはり街の人たち。



女川で獲れるさんまを模したパンが売られていたので、
どんなものかと食してみた。
ほのかにさんまの風合いが感じられていました。
これから仙石線最終駅として、多くの人々をこの街に惹き付けていくのは
こういった地道な努力の積み重ねになっていくのでしょう。
多くの問題も山積していますが、日本社会の中で
他のどこでもない女川の「らしさ」を新たに創り出していくことが
すこしずつ始まろうとしていました。



それにしても、写真にある高台の医療施設から、
全的潰滅状況を見ていたころをはるかに思い出していました。
時間がかかりつつも、あたらしいことは、やがて起こっていくし、
起こしていかなければならないのだと、
明るいような,切ないような、そんな不思議な気分に浸っておりました。
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日本町家 1,5階と2階のやさしさ・威圧感

2016年02月26日 05時58分15秒 | Weblog


先週の出張では、白川郷などを訪問しましたが、
大好きな高山の町家建築群もあわせて見てきました。
高山の町家建築は、奈良や京都の寺社建築や街並みを
飛騨国としての王朝政府への一種の「税金」である建築技術者の派遣が
「飛騨の匠」として日本中に知れ渡った故事の痕跡とされます。
山地ばかりの飛騨国は、木材供給地ではあったにせよ、
農地可能な河川流域面積は少なく、貧しい国だったのでしょう。
しかし、いかに木材産地とは言え、その木材の出荷には
大きな河川もなく、たいへんな輸送困難が伴ったことでしょう。
そうした、いわば出稼ぎに派遣されて帰って来た大工たちが
その技術力に加えて、都で洗練された建築デザインを身につけ
それを自分たちの国の都市建築に活かした結果だとされています。
そういうなかでなぜ、大型木造建築の「技術力」がこの飛騨で高まったのか、
いろいろな想像が沸き上がってきます。
三内丸山に代表される縄文以来の大口径材の木組み技術が
気候寒冷化によって中部山岳地帯まで南下し
この地周辺にも残る縄文遺跡群を合わせて考えると、
そのようにこの地域に集積積層してきた技術資産であるのか。
あるいは、ひょっとして気候条件が厳しい北海道が、
木造住宅技術の高断熱高気密化の最先端地域になったことと
アナロジーされるような古代における事態だったのか。

そんな雑感を抱きながら、街歩きしてみたのですが、
今回は、建築家・丸谷真男さんからうかがった、
町家の階高について、比較しながら見ていました。
いわゆる日本の町家建築では、通りに面した階高は1,5階相当に
低く抑えられて街並みが構成されているということ。
通りに面した部分は2階がぐっと低くなっているのですね。



こんなふうに通りに面した2階は座った高さでの利用が
一般的に考えられていた。
で、一方、最近建てられた町家には2枚目の写真のように
総2階建てという建物も多い。
で、街並み景観としてみるとやはりそのアンバランスに気付かされる。
1枚目の写真のようなきれいな統一感が、ところどころで断絶している。
このあたり、街並み協定というものがそこまで想定していなかったのか、
立地利用として、そこまでの制限ができなかったのか、
大きな疑問を持ってみていました。
住宅のプロポーションを考えるときに、
高さというのは、それなりの1階面積の大きさがなければ、
2階建て以上の建築では、どうしてもズングリムックリした形になって
美しいプロポーションにはなリにくいという説も聞いています。
少なくとも総2階よりは、一部2階の方が、屋根構成で調整して
美しさも演出できるということだそうです。
そんな風に考えると、町家の1,5階建てという民族的知恵は
なんと卓越した叡智であるのかと気付かされます。
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日本・花鳥風月 感受力の揺りかご

2016年02月25日 05時56分17秒 | Weblog


写真は、日本画家・山口逢春さんの葉山の自邸アトリエ。
住宅というのは、人間の感受性のための空間を
創り出す営為という側面があります。
そういうなかで民族的に、わたしたちには「数寄屋」文化というものがある。
たぶん、このような住文化は他国には希薄。
ヒマラヤが創り出す偏西風と日本海の水蒸気が雨雪となって
この列島に降り注ぎ、かつ南北に長い国土であることから、
豊かな植生を育んでくれている風土にわたしたちは恵まれている。
四季変化が世界中でももっとも明瞭であり、
自然と人間の応答において、独自の感受性を育んできたのかも知れない。
数寄屋というのは、そういった感受性の表象なのだと思う次第。
こうした数寄屋文化を現代生活に適合させた住宅建築を
建築家・吉田五十八さんは手掛けてきた。
皇居宮殿の襖屏風絵に作品を遺す山口逢春さんとは学友関係だったとのこと。
北海道では、こういった近代数寄屋というものとは、
なかなかめぐり会うことができません。
まずは、その存在と語り合うような体験が必要だと思い、
まるで美術との出会いのように見学して来た次第です。
この画家のアトリエには、1枚ガラスの大開口が開けられている。
それは自然のうつろいを全身で感受しようとする意志の表象。
北海道では自然とのこのように穏やかな対話関係は、約半年は成立しない。
花鳥風月を愛でる感性は、北海道ではまず、
建築の進化の格闘がなければ実現し得なかった。
いま、ようやく北海道でもこんなふうな大開口を開けても
室内気候をコントロール可能になってきた。
そこで、どんな「感受性の進化」が日本人に可能なのか、
今度はそういったことが試されていくのでしょうか。



きのうのZEH論について、多くの方に読んでいただけたようです。
これまで国の施策について、疑問に感じている方が多いことを
強く実感させられた次第です。
一方で、日経ビジネスでは日本の住宅の資産価値が
なぜ世界標準と違って、投資価値として半減以下になり続けているか、
ドイツの住宅事情と比較して、考察されていました。
本来、国の住宅施策とは、国民のくらしの質の向上、
資産価値を永らえていくための方策であるべきだと思います。
そうした「骨太」の国富についての管理論が語られるべきであり、
小手先の設備機器に国民の目を向けさせるべき状況ではない。

本日は早朝に仙台に向けて出張であります。
震災後5年を迎えての現状をJIAのみなさんと見学し情報共有したいと思います。
また、ご報告致しますので,よろしくお願いします。




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日本式ZEH 否定はしないが不条理では?

2016年02月24日 05時42分43秒 | Weblog
不条理、というコトバがある。
Macのなかにある「辞書」を開いて見ると
① 筋が通らないこと。道理が立たないこと。また,そのさま。
② 〘哲〙〔フランス absurdité 〕実存主義の用語。
人生の、非合理で無意味な状況を示す語としてカミュによって用いられた。
・・・というように記されている。

わたしのブログで、鎌田紀彦ー前真之対論について
そのひとつのテーマとしてわたしが書いたたのがZEH論だったのですが、
その後、多くのみなさんから反響をいただきました。
国際的なゼロエネハウスについての動きが、地球温暖化対策のこともあって
最近になって、きわめて大きくダイナミックになってきている。
日本の経産省も、この方向で大きく舵を切ろうとしてきている。
東大・前先生の講演や、国の施策に関わっている複数の方からの情報では
諸外国がどちらかといえば、ZEH READY、
ようするに太陽光発電などの自然エネルギー活用型機器の
搭載「義務化」を前提とはせずに、駆体の性能で「準備」しておきましょう、
という住宅性能誘導施策を標準的に行ってきているのに対して、
日本では、誘導策というよりも、まず太陽光発電などの設備の
事実上の「義務化」が推進されてきている。
それがきわめて速いピッチで、十分な国民的議論を経ないで
国の補助金などの住宅施策に反映されてきている現実がある。

寒冷地に住む人間として
家の暖かさには「基本的人権」的なこだわりがある。
無暖房にはムダな部分も多く、コスト負担も割りにはあわない。
地球環境問題に危機感はあるけれど、原理主義にはなり得ない。
住宅は個人が自己責任原則で手に入れる資産。
それにあたって、国家が消費税まで取っていながら、
権力的立場から公共的な資産であると、あれこれ言ってくるのは
どうもというスタンスが民の側のホンネなのではないか。
家中の使用エネルギーを太陽光発電でキャンセルするという考え方について、
それは「暖かい家」のための技術開発努力が、
違う目的のためのものに利用され、それがある意味「強制」されてきていると
多くの方が感じているのだと思います。
このあたりの「不条理感」が大きいのではないか?
民が自主的に取り組んできたことが、ある日、違う目的と利用機器で
強制されてくるという部分に不条理感が強いのだと。

いろいろなみなさんの声を聞いて
このZEHをめぐってのモヤモヤ感が、ようやく少し前に進んだように
そんなふうに感じられてきております。
ただ、この動きは経産省と国交省の間でも温度差があるとされている。
国としての住宅施策はまだ、現在進行形なのだと思います。
そういった意味でも、民の側で論議するというのは
きわめて有意義なのではないかと思います。

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白川郷・神田家にて囲炉裏になごむ

2016年02月23日 05時58分02秒 | Weblog


1週間の出張から帰還して、
あれこれの整理整頓作業に1日没頭してようやく落ち着きました(笑)。
出張中にはどうしても、整理は作業しにくい。
で、整理整頓が終わって、ようやくはじめて前向きな作業に移行できる。
今週末にも、仙台への出張が待っているので、
その間で、執筆などの案出作業を片付けなければ、であります。
ブログの方では、この2日間、ZEHを話題にしてきて、
この問題への注目度、問題意識の高まりが肌に感じられました。
大いに掘り下げていきたいと思っています。

さて、そういったメカメカ系のZEHテーマを書いていると
一方で、やっぱり人間、反対の方の癒やしにこころが向かうもの。
ということで、足を伸ばしてきた白川郷であります。
白川郷を訪れたのは2度目でしたが、
前回は確か,2年ほど前。ところが今回は様子が様変わりしていて、
日本全国と同じく、チャイニーズのみなさんが大挙来訪されていました。
いや、言葉を交わしたのは中国ではなく、東南アジア系のみなさん。
団体が主流の中国の人たちとは違って、グループ単位のような人が多い。
声を掛けやすいヘレンドリーさが感じられて、二言三言、
笑顔を交わしながらの会話が楽しい。
で、前回はいろいろな民家を見学することがメインでしたが、
今回は、すこしじっくりと1軒の住宅で過ごさせてもらいました。
この「神田家」さんは、ここで生活もされているので、
夕方3時頃には、小学生とおぼしき子どもさんも「ただいま~」と帰ってくる。
その家庭的ないごこちが無性に楽しくて、
ついつい根が生えてしまって、腰を落ち着けていました。
やっぱりこうした民家では、囲炉裏端がいちばんの特等席。
囲炉裏枠の木に湯飲みを乗っけながら、
麦焦がしの茶を楽しませていただきました。
豪勢な広葉樹の薪をくべていただき、その遠赤外線的な燃焼が
目にも、肌にもここちよく輻射してくる。
こうした「暖房」では、基本的にいぶす煙が暖気の主体。
人によっては、この煙のニオイがきらいという人もいるのだとか。
取材らしく、説明役の奥さんからあれこれの様子を聞きました。
白川郷では、自在鉤はほとんどないのだそうです。
それは貧しさの故だ、ということでしたが、
たしか身分制社会での生活具制限制度だったように記憶しています。
立派な五徳、湯沸かしの鉄瓶などは、骨太で合理的しつらい。
ほぼまる2時間ほども滞在させていただいて、
すっかり煙のニオイがカラダに染みついたのですが、
燻煙のこの香りは、民族的な郷愁でもある。
家の癒やしにはやはりこういった装置の力が大きいと思いました。


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メカメカZEHへの多様な意見表出

2016年02月22日 06時49分39秒 | Weblog
さて、一昨日の濃い取材を終えて
そのデータをさっそく、いろいろに整理整頓をはじめております。
で、なんといっても岐阜県恵那への出張でしたので
可能な限りで、その周辺も見学日程に入れておりました。
駆け足でしたが、あちこち住宅雑誌編集長としての目で
取材見学して来た次第であります。好奇心が強い方なので(笑)。
そこから、ようやくきのう夜に札幌に帰還いたしました。
ということなので、きのう1日は移動に費やしていたところ、
ブログ・Facebook投稿への反響がさまざまに寄せられていました。

さすがに鎌田先生・前先生の発言への反響は大きいものがある。
わたしのブログでは、わたしの興味の割合に応じて
ZEHのことをひとつの大きな視点にしてまとめてみた次第ですが、
それこそ堰を切ったように多様なご意見がうかがえました。
そういったご意見の中に、「メカメカZEH」というネーミングが印象的。

「多少断熱性能が悪くても太陽光発電パネルやコージェネを採用すると
容易に基準をクリアしてしまう今の基準には「?」を感じています。
設備ありき、の基本姿勢を変える必要があるのでは。」
「イニシャルエネルギーコストも含めてZEHの評価をすればよい。
大変難しい作業ですが、建築材料のエネルギーコストからみた
公的評価基準がないとフェアな評価ができないのでは。」
「寒いZEHとは(~_~;)」
「設備開発側から家の空調負荷を考えれば高断熱高気密は必修な条件、
結果的に寒さや暑さを感じる箇所のない住宅。最小のエネルギーで
ZEを実現するのが技術屋の仕事」
「ZEHは外皮性能が基本です。UA値をとにかく、突き詰めて、
そのうえで、省エネ設備があると認識しています。
太陽光をたくさん載せたメカ的なZEHは寒いと思います。」
「エネルギーを10GJ減らす為の躯体にかかるコストと、
10GJ創る為の設備のコストとの比較。寒い地域と暖かい地域では
考え方が違ってくるのでしょうね。」
「都内で木造三階建て、屋根も小さくビル影などの影響。
更に道路づけ次第で、太陽光発電に向かない場合も多々ある。
太陽光で調整(キャンセル)にならない。
メカメカZEHは目指さないとの考え方に賛成。
まるでメーカーの姿が透けて見える政策には抵抗を感じます。
本当に住んでる人々にとって快適な住宅を、提供したいです。」

どうやら、行政主導のいろいろな動きというか独走に対して
民間・工務店の立場側からは必ずしも、同意ではない。
みなさんのご意見は、それぞれにすばらしく、
今後の方向性を考える上で、非常に貴重なご意見と承りました。
大変ありがとうございました。
また、整理整頓して情報をお届けしたいと思います。

<写真は前先生のプレゼンより>
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日本式ZEHへの危惧/鎌田紀彦・前真之対論

2016年02月21日 05時58分26秒 | Weblog
さてきのうは、取材長旅の締めくくり、
岐阜県恵那市での表題セミナーの取材でありました。
主催は本州の新住協の中核的存在の金子建築工業・金子さん。
この鎌田紀彦・前真之対論は、昨年に北海道で第1回が行われて
それがきっかけになって、本州地区でも実現させようと努力された次第。
わたしどもでは、おふたりに誌面で連載企画お願いもしていることで
その対論の進展を期待している立場であります。
そういうことなので、継続的にこの対論は取材させていただいて、
今後、いろいろに誌面での発表を行っていきたいと考えています。

きのうの取材では、
鎌田先生から、ZEHへの言及があり、
「ゼロエネハウスって、一般ユーザー的には最上位概念として
いちばん性能がいいように感じられますよね?」
という参加者への問いかけがありました。
おお、と内心が反応させられた瞬間でありました。
日本でのZEHは、とにかく太陽光発電でのエネルギー相殺、キャンセルが
その考え方の前提条件にされていて、
それも暖房と給湯のエネルギー相当分のみ
キャンセルできればいいとされている。
その太陽光発電も10K以内まででゼロエネとみなす、ということで、
そのモノサシを当てはめると、次世代基準相当程度で
温暖地域では容易にZEHが「実現」できてしまうことになる。
「そんな基準であっていいのか」という問いかけであります。
これまで営々と積み上げてきた「高断熱高気密」の家づくりの
あたかもその上の概念であるかのようにして、ゼロエネハウスが
位置づけられつつある現状への強い危機感が感じられました。
北海道が努力してきた「暖かい家」よりも
なんちゃってZEHが、上位概念とされる危機感。
これはわたし自身も強く懸念を抱き続けてきた部分。
また、前先生からは、アメリカのZEH住宅概念が日本のものへの
対置的なものとして論及されて



「ZERO energy READY HOME」~太陽光発電や蓄電池は
どんどん改良が進むからそれらが技術発展してコストがこなれた段階で
採用すればいい。その前にその設備が最小限でも
ちゃんと機能できる家を今、建てるべきである、
という考え方の紹介がありました。
このような日本型ZEHのいびつさについてのお二人の考え方に
大きく同意させられた次第であります。
わたし個人的にも、「寒いZEH住宅」というものが建つのではないかと
大いに危惧している次第であります。
こういった声が上げられたことには、大いに意味があると思います。

今後、この「対論」の様子は
その深まっていく様子を、いろいろな形で
発表していきたいと考えています。よろしくお願いします。








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おだやかな芸術者の終の棲家_2

2016年02月20日 05時32分45秒 | Weblog
きのうの続きです。
最近だんだんと、死まで含めた生き方を考えるようになってきた。
写真は、皇居宮殿の襖屏風絵を描いた山口逢春さんの
葉山の終の棲家の1室です。
以下、美術館HPよりの引用。

山口蓬春記念館は、山口蓬春が昭和23年(1948)から
亡くなる昭和46年(1971)までを過ごした邸宅であり、
既存の木造2階建て家屋を自邸として購入後に画室をはじめとした
増改築を建築家・吉田五十八が手がけました。
現在の建物は、その構造から昭和初期に建てられたと考えられ、
蓬春は、昭和23年(1948)に五十八の助言もあり、
当時売りに出されていたこの建物をドイツ製カメラ「ライカ」一式を
売却することで手に入れました。その後も五十八によって増改築が行われ、
昭和28年(1953)の画室の増築のほか、
昭和32年の母屋の一部増改築などが行われています。

置かれた椅子の佇まいに、
まるでそこに山口逢春さんの視線がそのままあるように感じられた。
椅子って、こんな「空間表現」が可能なのかと
驚くような思いを持ってしまった次第です。
これは一種の美術表現であるかもしれません。
吉田五十八さんの設計によって建てられた自邸は
いま、美術館としてそのまま公開されているのですが、
そのなかでも、この室はとりわけ感慨の深い演出構成がされている。
手前側には、吉田五十八さんの設計イメージ通りなのか、
座卓は艶消しの表面仕上げだけれど、モダンを感じさせるもの。
そして和室側はやや光を制御した空間であるのに、
その先の縁空間には、庭の眺望、さらに太平洋の海が広がっている。
「そこに住む、魅力の発見・最大化」そのままの光景。
そこに置かれた椅子は、この建物が
ある芸術者の「数寄」のために、精魂込められたものであることを
まことにわかりやすく伝えてくれています。
自邸がそのまま作品美術館になっているという意味合いが
まっすぐに伝わってくる思い。
芸術者としての、山口逢春さんと吉田五十八さんが
コラボレートした「環境芸術」のように思われます。
建築と芸術の両方を楽しむような体験ですね。




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