三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

戦後の雑誌文化

2008年09月30日 06時46分00秒 | Weblog



写真はある旧家で陳列されていた戦後すぐのころの雑誌群。
教育に熱心だった家と言うことで、こうした「文献」に対する
「大切にする」という心が感じられます。
ものに対する貴重感が多くの人に共有されていた様子が伺われます。
考えてみれば、戦争という「統制社会」の反動で
自由な出版というものに対する無意識な飢餓感が前提にあって、
そうした心理から、子どものマンガ雑誌まで大切に保存していたのでしょう。
わたしなどもこうした雰囲気の中に育った経験を持っているので、
こうした時代の雰囲気は、肌に記憶として残っています。

最近の全国雑誌や書籍の状況を見ていると、
隔世の感があるのですが、
こういう時代の「情報」は、本当に貴重だったと思います。
マンガの中のヒーローは、月に一度しか出会えないからこそ、
その情報の価値観はすごく高かった。
飢餓感があるからこそ、心の中に吸い込まれていく部分の大きさは比較にならないレベル。
そういう意味では、戦後のこういう社会的な存在感は
どんなものでも再生不可能なものなのだと思います。
プロ野球でも王選手や長島選手という存在は、
もう誰も、その存在感を超えるようなことはないのでしょう。

なぜか、少年雑誌には「別冊付録」という単行本的なマンガがついていました。
それが本誌にバンドル(っていう英語も、ここから知った)されていた。
なので、分厚くて、手にとって感じる「豪華感」が実感させられた。
流通的には、かさばって難しい部分があったと思いますが、
少年雑誌というもののマーケットの重要性が、
そういう困難を克服させたのでしょうね。
当時は、団塊の世代がこういう年齢層だったわけで、
マーケティング的にも、まさに時代の核心的ゾーンだったのだと思います。

っていうようなことですが、
単純に、少年雑誌のあれこれは、記憶の深い部分を直撃します。
いま見てみると、印刷も古くさくて、
コテコテな感じなんですが、
子どもの記憶脳には強烈なイメージを叩き込んでいますね(笑)。
しばし、時間が止まってしまった次第でした。



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古代北方世界に生きた人びと~フォーラム

2008年09月29日 07時35分07秒 | Weblog



きのうは日ハムも気になっていたのですが、
やはりこちらのフォーラムに行って参りました。
先日もご紹介した「古代北方世界に生きた人びと」展フォーラムです。
会場に着くなり、先日ブログで紹介したUさんから
「さっそくブログに書かれていましたね!」って、声を掛けられました。
「ギョエ~、なんで知っているの?」
「検索で調べていたら、一番上に出ていましたよ(笑)」
っていうようなことで、すっかりタジタジ。
「どうせなら、もっと、宣伝になるようにドンドンお願いしますよ(笑)」ということ。
それに「マイナーな話題」と言っていたカミさんの言葉も頭にある様子・・・。
なんか、変な展開になって参りましたが(笑)、
まぁ、わたしとしても本意ですので、多いに宣伝になったらいいと考えています。

展示については、考古年代から奥州藤原政権・山丹交易まで、
考古的な資料から、歴史文献資料までの
北方日本の歴史の流れが理解できる画期的な内容だと思います。
フォーラムの開始に当たってのあいさつで
日本の歴史には、中央政権としてのヤマト政権の歴史の他に、
北東北・北海道を主舞台とする北方世界の歴史と、
沖縄を主舞台とする南方世界の歴史の3つの流れがあり、
それらの複層的な結果として、現代があるという意見が示されていました。
まさにその通りで、「内向きの単一民族」という狭小な世界観の
辞めた大臣には本当に多いに勉強して欲しいと思います。

フォーラムは、古代北方世界探訪・律令国家と北方世界さらに、
古代北方世界の物流・交易、
安倍清原平泉藤原氏と北方世界、という4つの発表がありました。
それぞれに興味深い内容で、時間が足りないというのが率直な実感。
東北歴史博物館・佐藤さんの発表では、
南東北の多賀城の研究からの最新情報も聞くことができました。
大崎平野では、ミニ万里の長城的な遺構の発掘も見られるということ。
平泉以北の世界が、古代の世界で異国として認識されていた
さまざまな例証が語られていました。
檫文文化の世界を、考古的な発見資料から生き生きと伝えてくれたのが
「物流交易」の発表。
石狩低地帯、というまさに札幌もそこに含まれる地域が
奈良平安期にどのような実情の世界であったのか、
具体的なイメージも得るきっかけを与えてくれた気がします。

さらに、歴史文献に記載された安倍・清原・藤原についての
弘前大学・斉藤先生の発表はまさに刮目すべき内容でした。
氏の、岩波書店「平泉~よみがえる中世都市」は愛読書でもあるのですが、
発表ではむしろ、自著の内容を塗り替えたいという発言もありました。
平泉都市について京都との連関性が色濃く提起されていましたが、
きのうの発表では、その後の調査活動で、
宗教施設の作られようなどを検証しながら、
きわめて独立的な性格が強い、という側面が強調されていました。

フォーラム終了後、展示を見ながら、
発表者のみなさんといろいろな質問などができまして、
こういう試みも大変ユニークだと思いました。
本当は先生に名刺交換などもさせていただきたいと思っていたのですが、
あまりにも多くの質問者が殺到していて、断念。
フォーラム冒頭のあいさつで
「こんなに多くの参加をいただいて・・・」ということでしたが、
こうした催しでは珍しいほどの「盛り上がり」がみられたのではないかと思います。
そこそこ若い年代の方も多く、
わたしの「超マイナー」な興味も、同好のみなさん、
そこそこ数が多いのかも知れない、という期待を抱かせてくれました(笑)。
カミさんにも、しっかり報告したいと思います(笑)。ではでは。
<写真は開拓記念館に行く途中出会ったリス・・・ですが残念、写っていませんでした(涙)>


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熱闘最高潮プロ野球

2008年09月28日 07時40分41秒 | Weblog

きのうのゲームでパリーグでは、2位から4位までが
なんと、1ゲーム差以内という大混戦!
西武だけが1抜けで、それ以外のクライマックスシリーズ出場権
っていうか、開催権を巡っての戦いが盛り上げっています。
野球は全国ネットテレビ的には視聴率が難しいコンテンツになっているようですが、
現実には、野球の動員はむしろ上がってきている。
視聴率という物差しにほとんど意味がなくなってきていることを表している象徴であって、
野球というコンテンツが魅力がない、というのではないと思います。

さて、ことしのわが日ハムの試合ぶりですが、
まぁ、一進一退というか、流れに乗りきれないというか、
大型連勝というのがなくて、一方で大型連敗もそれほどない、
っていうような戦いぶりでした。
ダルビッシュと、稲葉という軸になる選手の抜けた時期のマイナスが大きく響いた、
っていうようなことだと思います。
この2人の存在感というのが、他のチームの代表選手よりも大きかった。
西武でいえば、ホームラン王の中村君などが選ばれなかったし、
オリックスからは誰も選ばれなかった、という要素が大きかったと思います。
まぁ、そういうなかで最後の最後に来ての大混戦が演出されている結果になっているのでしょう。
きょう日曜日の札幌ドームは札止めの満員予想ということ。
あしたの札幌最終戦も、興行的には大成功のようです。
ギリギリの局面まで、手に汗握る熱闘を楽しみたいと思います。
もし、2位になれたら、一気に昨年の中日のようになるケースもあり得ます。
結局、短期決戦になってくると、絶対的なエースの存在が光ってくる。
ダルビッシュの運と実力が最後の決め手になってくるかも知れません。
いつもダルビッシュが連敗をストップしてくれたことが、
最後の局面で生きてきていると思います。
そして、最後まで、ダルビッシュを無理使いしないで
きょうではなく、ローテーション通り、明日月曜登板にしたという決断が、
さて、どう出るのか、

指揮官って、難しいですよね。
投手の選択というのが、決定的な部分なのだろうと思いますが、
そういう意味では、ダルビッシュを大事に使ってシーズンを通して力量を発揮させた手腕は
梨田さん、褒められていいと思います。
結局、大局的に勝利を掴まなければいけないので、
こういう基本戦略の部分こそが大切だと思われます。
まぁ、外野ファンは、つねに路頭に迷いつつ、ああだこうだ、心配しまくるのですが(笑)。
今シーズンの、わがチームの運命が決定する最終局面です。
頑張って欲しい! 北海道日本ハムファイターズ!




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気候と歴史

2008年09月27日 07時57分04秒 | Weblog



写真は、北海道開拓記念館正面に展示されていたパネルより。
開拓記念館の研究グループが発表した
シャクシャインの戦いの周辺環境研究を表示したものから、
その一部分を抜き出したものなのです。

この研究発表は学術的にも認められたそうですが、
ようするにアイヌの反乱と気候変動による寒冷条件との因果関係を研究したもの。
「古気候研究」という考え方から、歴史事実の背景を探っているのですね。
年平均気温の上下によって人間生活が左右されるのは、
わたしたちも日常的に感じている事柄。
そういう視点を、歴史研究にも適用してみる見方なんですね。
同館に勤務されているUさんのお話しのなかにも
たとえば、平安期の京都地方と北海道東北地域の気温について
むしろ、京都のほうが比較的に寒冷で、
そのために十二単というような服装が普及したことや、
北方産物の「あざらしの毛皮」などが珍重された背景が説明されていました。

そのような見方を重ねてみれば、
この時代の北方交易の重要度というものがよりわかりやすい。
そういう背景が、坂上田村麻呂の東北侵略戦争を引き起こした動機ともいえる。
そこから、前九年後三年、さらに奥州藤原政権の樹立、
頼朝の奥州への執念深い侵略戦争、さらには生き延びた安倍氏一族による
北条氏との手打ち成立からの、十三湊を拠点とした繁栄など
北方世界の変動要因に対する条件をかいま見せてくれると思います。
とくに北方の、文字記録をそれほど持っていない地域の
歴史研究においては、こうした見方の重要度はきわめて高い。

こうした研究で、いくつかの火山の噴火という事態も
人間生活に大きな影響をもたらした様子も見えてきます。
自然条件というものに大きく規定されているのは、
その要素の比重が、いまの現代生活よりも遙かに深甚なものだったことは
やはり、相当に深く理解される必要があると思いますね。
いろいろに研究が進んでいる様子が理解できて、
本当に楽しくなってきたなぁと、実感させられた次第です。



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木製の外壁保護装置

2008年09月26日 06時37分20秒 | Weblog



余市の福原漁場の続きです。
写真は、主屋の隣りに建っている蔵です。
一見すると、外壁には木が使われているように見えます。
てっきりそうなのか、と思っていたのですが、
それにしては、ところどころ、様子がわからない仕掛けのようなものが見える。
あれはいったい何なのだろう、という疑問が起こります。

そんな疑問を抱えたまま、ボランティアの方の説明を聞き、
内部を見学して、これが総漆喰の壁面だったということを聞いた次第。
日本では海辺に面した倉庫建築として、
漆喰の外壁の蔵というのはよく目にする風景。
それと同様な作りのものなんだそうです。
ところが、北海道では冬場の気候条件が厳しく、
漆喰の壁は劣化が激しく進行する。
その劣化から外壁を保護するための木造のヨロイのような装置が
外壁全体を覆っていたのですね。
しかも、春になったらそのヨロイを外して、本来の漆喰の白壁を
表すように仕掛けられていて、ようするにコートを着たり、脱いだりするのですね!
ところどころ、仕掛けがしてあるのは、
着脱のための装置の結節点ということなんだそうです。

そういう着脱装置、まぁ、よく考えたというか、
よくもまぁ、ちょうどよく保護できるように工夫したものだと感心させられました。
この着脱壁の付け替えの時にも
ひょっとすると、大工さんの手間工事が必要なのではないかと思えます。
素人だけで、この3階建ての建築の外皮着脱が可能とは思えません。
この装置を見て、北海道の自然条件の厳しさと、
ここまでして、夏期の間の日本的景観を優先させるのか、という2つの感想を持ちます。
蔵には、この漁場による利益のすべてが収納されるわけで、
そういう建築に対しての執着のすごさも感じますね。



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薪風呂

2008年09月25日 06時27分45秒 | Weblog



きのう紹介した余市・福原漁場主屋の風呂の様子。
これは室内にこしらえられた主人とその家族用の造作風呂。
造作は明治年代のものだと思われます。
薪のストーブ状の装置に対して、
鋳物の蓄熱層があって、それが浴槽の水を加熱するという仕組み。
高温になる鋳物表面が浴槽側から肌に触れないように
板の仕切りで、区分けされています。
湯加減を見ながら、薪を調整していったのでしょう。
薪ストーブ的な部分には表面に鉄板が張られていますから、
けっこうな造作品だと思われます。
また、鉄板で煙突も出しているのでかなり本格的な作り。
なんですが、冬の期間のことを考えたら、ぞっとする風呂。
気密は取れていない建物ですから
室内で直接、火をたけばその分の燃焼に必要な空気は入り込んでくる。
ようするに隙間風は相当に入り込んできてしまう。
たしかに湯の中で体は温まるけれど、
容易に浴槽外でからだを洗うことはできなかったでしょう(笑)。
なんといっても真冬には当然零下20度くらいの世界。
たぶん、日のある日中に使用したのではないかと思います。
それ以外の時間に、っていうか、冬の夜にはちょっと難しかったでしょう。
まぁ、わたしなんかの世代でも、冬に室内の風呂に入るときは
気合いを入れて、手短かに体を洗っていた記憶を持っています。

春から秋にかけての時期にこの建物には
多くの出稼ぎ人たちがいましたが、
彼ら用には、主屋から離れた屋外の小川のたもとに
五右衛門風呂を置いて、使わせていたという説明でした。
冬期間はかれらはここにはいないわけですから、
冬の風呂というのは考えなくてもいい。
まぁ、子どもの学校のこともあるでしょうから、
主人家族はここで冬も生活していたのでしょう。
さて、冬場にはどんな入浴であったのか、想像するしかありませんね。

冬のことを考えたら室内で風呂を使いたいけれど、
そうするといろいろな問題が出てくる。
幼い頃のわが家でも、室内に据えて炊きあげた五右衛門風呂が、
翌朝になったら、湯が氷になっていた、というのは日常茶飯な風景。
そのうえ、結露が酷く集中するのは理の当然なので、
風呂まわりの木材は、ほぼ間違いなく腐ってしまう・・・。
そんなことから、北海道では「地元」のユニットバスメーカーというのが繁盛したのです。
そういういろいろな思いが交錯する写真です。



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ニシン漁場の食卓

2008年09月24日 06時31分44秒 | Weblog



最近は北海道内でも、歴史的な建築物の保護再生が進んでいるようですね。
きのうご紹介したような、北海道開拓記念館の活動などが
そうした動きを支えているように思います。
きのうも、小樽の奥の余市にカミさんと出かけてきまして、
いろいろ歴史的な建築物などを見学してきました。
カミさんとこうして出かけられるのはありがたいと思っています。

で、写真は江戸期の「ニシン漁場」内部の様子です。
ニシン漁には、日本海側の東北北陸から多くの出稼ぎ労働力が動員されました。
そういう住み込み労働者に対して、給仕された食堂の様子。
とはいっても、専用に膳を用意するのではなく、
ここでは、床下にごらんのような椅子を据え付けてあって、
その上に普段は架けている床板を外すと、
そのまま、食堂に早変わりして、しかもその床板がそのまま、
食卓テーブルに変身するように工夫されていました。
まるで、ビフォーアフターみたいな仕掛け。
実際に椅子に座ってみると、なんとも寸法がぴったりで、
座り心地も考えられ、しかも食卓までの距離感も過不足がありません。
その上、食卓の高さも床板テーブルの嵩上げ分で、まことにちょうどいい。
椅子の座り幅も極限的に考えられていると感じる幅です。
これ以上狭ければ、用をなさないだろう、ギリギリの寸法。

こうした建築は、日本の作事の伝統の中の寸法感覚という部分の
精妙さをはっきりと認識させてくれます。
まぁ、実用と建築費用との見合いで、
このような部分こそ、徹底的な研究開発がされていたことだろうと推測されます。
とくに、この建築は施主としての漁場主の経済と、
労働力確保のための他漁場との競争の大きな部分でもあったろうと考えられます。
北海道開拓の村に移築保存された「青山漁家」では
「メシはいくら食ってもタダ」というのが、
優良な労働力確保競争の決め手だったということなんです。
そんな経済の流れの中で、このような建築にも反映されている部分。
心地よさというものと、建築寸法などの接点が明瞭に見えます。

きのうは見学にあたって、ガイドさんが懇切ていねいに説明をしていただけました。
いろいろな部分で大変勉強にもなった次第です。
建築は結局、その時代その時代の可能な材料を使って
用と予算のせめぎ合いの中で、工夫を重ねるもの。
先人の建築はさまざまなことを教えてくれていると感じます。



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「古代北方世界に生きた人びと」展

2008年09月23日 07時33分36秒 | Weblog



いま、北海道開拓記念館では、「古代北方世界に生きた人びと」という
特別展示が開かれています。
これは、東北歴史博物館・新潟県立歴史博物館との共同開催の企画。
最初に新潟からスタートし、多賀城の東北へ行って、
今回、トリを飾って北海道で開催されているものです。
先史時代の考古資料から、文字を持った歴史年代の奥州藤原氏、それ以降まで、
北方からの視点で、日本史に対して再発見してみようという企画。
なんとも我が意を得たり、という企画内容で、この事実を知って、
なんとか見に行くことができて、よかったと思っています。

日本の正史の側では、どうしてもイネの栽培にともなっての歴史経緯が主。
農耕を中心にする社会は、当然、農耕のための暦ができ、
生産物の管理など、記録する必要性が高まって文字表現が生まれてきます。
「社会」という概念も、日本では弥生的なコメ生産様式が基本になって発展してきた。
確かに人口の爆発的な急増などは、このような社会様式がもたらしたものなので、
そのことには同意するのですが、
しかし、一方に北方のコメ生産とは違う社会システムも存在した事実は
もっと、しっかりと認識されるべきだと感じています。
コメ生産様式の側からは、「まつろわぬ」民ということになり、
しばしば、「討ちて、獲るべし」(正史側の記述)という侵略対象になってきた。

わたしは北海道への移民の3代目なのですが、
そういう意味では、コメ生産様式の側からこちら側の世界に入ってきたものですが、
やはり生まれた風土に対する愛着がだんだんに強くなってくる。
とくに東北地域との接触機会が増えてきて、
そこから北方ということを強く認識してくると、
このような思いがしきりに高まってくるのですね。
今回の展示は、そういう思いから、まさに深く同意できるものだったのです。
ただし、まだまだ、こういう考え方は思いっきりマイナーだろうなと
思い知らされることも多いもの。
仕方なく付いてきてくれたカミさんの言葉通り、
「誰もこんなの、面白くないっしょ!」っていう世界ですね(笑)。

こんな思いを持っていたのですが、
HPなどで調べている内に、開拓記念館のスタッフに旧知の人の名前が・・・!
「あれぇ、Uさん、ここにいるんだぁ」
というようなことで、なんとなく居ても立ってもいられなくなって、
すぐに出かけてみることにしたんですね。
会場に着いたら、なんとくだんのUさんが、展示説明を行っているではありませんか。
さっそく行ってみたら、すぐにこちらを認めてくれたようでした。
もう、25年くらい前の頃の知人なのですが、
説明が終わるとすぐに、積もった話をさせていただいた次第。
当時は、近接する北海道開拓の村で広報の仕事をされていたのですが、
実は本職としては、考古学の方だったそうで、
現在は北海道開拓記念館に所属し、今回の展示会の中心的なスタッフだったようです。
で、考えていられることは、まさに上に書いたようなこと。
本当に貴重な同好の士を発見できて、しかも古い知り合いだったという、
運命的としか思えない再会ができた次第なのです。
「よかったねぇ、マイナーな話題の強力な味方が出来て(笑)」
っていう、カミさんなのですが、まさにその通り。
しかも、学芸員の方なので、いろいろにわたしの調査活動にアドバイスもいただけそうなのです。
いや、しかし、不思議な巡り合わせもあるものだと、
驚愕してしまったのでした。

なんとか、北方世界の歴史に光が当たるような
そんな仕掛けができたらいいですね、っていうような思いが共有できました。
わたしの個人的なライフワークに一筋の光が見えてきた気がします。
<写真は平泉の古社>


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無農薬野菜の収穫

2008年09月22日 06時16分17秒 | Weblog



敬老の日を前に、坊主がおばあちゃんに電話したら、
草むしりの手伝いをすることになったということで、
家族で、カミさんの実家へ。
待っていたのは、夏の間、ずいぶん楽しませてくれた野菜菜園。
そろそろ、最後の収穫か、という感じです。
っていうか、ことしは北海道、モノなりが良くて、
わが家の家計はずいぶんと助かってきておりました。
今回も、大量の茄子に、ピーマン、枝豆、トマトなどが・・・。
菜園といっても、都合100坪ほどでしょうか、
まぁ、そうたいしたことはないのですが
それでも、収穫をし続けるのはなかなか作業が大変です。
老人には、腰をかがめての作業が大変でもあるので、
いきおい、娘夫婦にSOSが発せられるという次第です。
しかし、わたしにしてみると、とくにナスの糠漬けが好物なので、
大歓迎の事態なんですね(笑)。
たわわに実った茄子は、黒光りして健康の象徴のようです。
もちろん、自然栽培で農薬なども使っていないということなので、
そういう意味でも、大変喜ばしい。
やはり人間が口に入れるモノ、
素性が明確で、安全であることというのは、社会の基本だと思います。

折から、中国では赤ちゃんの粉ミルクにメラミンが
意図的に混入されるという恐ろしい事態が発生しました。
ただただ金を儲かりたいと考えた男たちが、牛乳を水で薄めて
ばれないように、タンパク質不足をごまかすために
人体には毒物であるメラミンを入れていたのだそうですね。
しかし、そのように納入された牛乳のチェックというのも
あの国の生産体制にはなかったということも、なんともずさんな話。
素通りしてしまって、過去2年間以上、流通していたという。
さらに、そういう赤ちゃんの命に直接関わる食すら、
食品を管轄する社会システムの中に監視チェックする機構がないか、
機能してこなかったという事実・・・。
なんとも、空恐ろしい。
資本主義の生産システムが世界的に拡大し、グローバル化する、
ということ自体は、必然的とは言えますが、
そうであれば、資本主義の基本ルールも拡大しなければならない。
いまや、グローバル化を声高に叫んできたアメリカが
金融的に破綻し、グローバル化そのものも問われざるを得ない局面。
アメリカの覇権による世界が、このような形で、
様々にゆがみと、矛盾を広げてきているように感じられます。

結局、食の問題が世界の基本問題。
こうした安全性が無視されていいわけがないことは明白です。
社会システムがこのような欠陥をさらけ出しているのであれば、
改善していく方向を考えなければならないと思います。



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芝屋根のレストラン

2008年09月21日 07時52分43秒 | Weblog



最近、北海道は気温が高い状態が続いている気がします。
もう9月の20日だというのに、日中汗ばむばかりの陽気と日射し。
とくに日射はきつくて、きのうは外で浴びることが多かったせいか、
皮膚に炎症感が起きているほどです。
どうもわたしは、日焼けに弱いタチのようなのですが、
それにしても、「まるで、海水浴帰りの日射しだね」というカミさんの言葉通り。

そんななか、日射しに誘われて、近場を散策。
前から気になっていた、恵庭の「えこりん」というところに行ってきました。
ここは「アレフ」というレストランを経営している会社が
エコロジー風テーマパーク的に作っているモノ。
恵庭の高速を降りてすぐ近くに羊の放牧などを行って
のんびりとした野遊びの場を作っています。
さすがに好天に恵まれて、そこそこのクルマが止まっていました。
わたしたちは、雑誌で見ていた芝屋根のレストランでの食事が目的。
名前は「天満食堂」ということだそうです。
羊さんの放牧が、目にも楽しい施設なのですが、
悲しい人間の性、その羊の料理をウリにしていて、
雑誌の写真で、食べたい、となった次第なのですね(笑)。
以前、阿寒湖の近くにシカ肉料理の店で「バンビ食堂」というのもありましたが・・・。

そういう食欲の他に、
やはり芝屋根の建物というのを見てみたいという欲求ももちろん。
写真の通りの様子でした。
室内も、計算された質朴さ、という雰囲気。
中世ヨーロッパ的なインテリアの雰囲気で統一されていました。
窓も、木の株の真ん中をくりぬいた枠に、窓ガラスを合わせている、というもの。
ただし、不定形の形状に建築工事の方がついて行けずに、
ディテールではコーキングでの荒技(笑)が目立っておりましたけれど。
でもまぁ、室内の暖冷房は地中熱ヒートポンプを採用したり、
補助暖房装置として、暖炉が据えられたりと、
楽しい雰囲気満載でございました。

で、一方、料理の方は羊料理、
おいしかったです。自然な風合いで味わいも風味豊か。
なのですが、お値段は残念ながらちょっと高め。
羊料理を楽しみに行ったので、もうすこし低料金にしてくれたら・・・と
思われる値段でしたね。
たぶん、食材などにこだわって吟味しての結果なのでしょうが、
こどもが楽しめるテーマパーク的なところなので、
家族一緒に食べるとなると、一回で10000円以上という価格では、
気軽には食べられないのではないかと思われます。
長沼町のジンギスカンだと、まぁ、半額以下だなぁ、というのが実感。

食事後、建物外周からいろいろ写真を撮っていました。
やはり芝屋根って、楽しいですね。
周囲の緑と溶け込んでいるので、建物を見つけるのが難しいほど(笑)。
まぁ、たまに行くなら、っていうところでしょうか?


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