三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

手巻き寿司でランチミーティング

2015年10月31日 07時49分19秒 | Weblog
満腹、満腹・・・。
きのうは当社で恒例のランチミーティングであります。
2~3カ月に一度、日を定めてスタッフに、
わたしの作った料理を食べて貰いながら、意見交換する、
という趣旨だったのですが、意見交換はひたすら食べ物に話題が集中する(笑)
そういった内容の濃い(笑)、ミーティングであります。
これは基本的にわたしの任務でありますので、
献立の設定、食材の手配、調理、配送などなど、あれこれやることが多い。

で、きのうは、手巻き寿司をメインに、
汁物として、スタッフから好評の「具だくさん」味噌汁、
その他、赤カブの酢漬けなどを用意した次第であります。
手巻き寿司は、調理自体は各自がするので、
「作る」手間は大幅に省けるのですが、
やはり食材のメインであるサカナは、検討を重ねた結果、
市内の面白い魚屋さんに発注しました。
これが大当たりで、まことにおいしく目にも鮮やかな新鮮魚介。
サカナの種類もきちんと手書きしてくれて、
「おお、生サンマトロに、おお、天然ブリか」などなど、
驚きのおいしさが格安予算内でゲットできました。
どうやら、これはハマったようであります。
でも一応、もしイマイチだった場合に備えて、筋子も購入して
抑えとしておきました。
そしてわたしは、まずは寿司飯であります。
きのうはスタッフが13人にわたしの14人でしたが、
それに対して用意したのは、10合の寿司飯。
(これはちょっと、少なめだったかも・・・)
わが家には5合炊きの炊飯器しかないので、
2回に分けて炊きあげて用意致しました。
もうひとつの「具たくさん味噌汁」は、
タマネギ、大根、ニンジン、こんにゃく、ゴボウ、しいたけ、などに
たっぷりと鶏モモ肉を入れて、生姜、手製のトウガラシなどで
スパイスをきかせた、ぽかぽかあったまる汁であります。



ということで、きのうは朝4時頃からこの準備で
ずっと体力を消耗し続けておりました。
なにやら、ツルの恩返しのような心境(笑)。
でも、スタッフの美味しそうな表情を見させてもらうと、
そうした疲れも一瞬で吹っ飛んで行ってくれました。
ミーティングの話題は次第に、「つぎは、なにを食べようか?」に・・・。
やっと終わったと思った次第ですが、
この恒例行事、社長の任務として永続しそうであります(笑)。




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道南杉+インダストリアルデザイン住宅見学

2015年10月30日 05時51分13秒 | Weblog


みなさん、「道南杉」という樹種をご存知でしょうか?
約250年前くらいと言いますから、江戸時代の中期後半ころ
松前藩時代にその周辺、北海道の渡島半島地域、道南地域に
秋田から杉が移植されたことから根付いた樹種です。
道南地域は、気候風土的にも秋田や津軽といった東北北部地域と
類縁性が高い地域で、それ以北の北海道とはやや質が違う風土。
この道南杉についても、これまでは主に本州地域に出荷され
住宅建材として活用されています。
杉は歴史的に、災害の多い日本列島での建築材として
その成長性の早さ、まっすぐに伸びる点など、建築材としての適性に優れた材。
ところが、日本的住文化のかかえる構造的欠陥「寒さ」から、
こうした民族的経験積層のある建材への郷愁よりも、
室内気候の快適範囲内への確保実現の方に、
北海道の住宅研究は、はるかに向かい、
せっかく地域に生育している材でありながら、
従来は活かされることが少なかった樹種であります。

戦後日本は貿易加工立国で、原材料を海外から仕入れて技術などの
付加価値を付け製品として出荷するという、資本主義世界システムの中での
社会構築・基本生存戦略を走ってきた結果、
身近なこうした「材」を使うよりも、海外から調達した建材を使った方が
「より安価」であるという不自然なことが、住宅市場では実現してしまった。
しかし、こうしたことが「サスティナブル」であるかどうかは自明であって
いずれ、シンプルに「地産地消」と言うことの方が合理的だという
社会が出来上がっていくとは思うのですが、
一方でそれにはタイムラグがあって、未活用なままのこうした杉資源、
それを支えてきた日本の森林事業自体の絶滅危機も迫っている。
そうしたなかで、国交省からこうした道南杉資源の活用事業が採択され、
そのお披露目として、北海道渡島総合振興局西部森林室と
札幌の住宅企業・(株)住宅企画クリエーションの共催で、
「感じる道南杉、感じる笑顔」と題した
「杉スマイルモデルハウス見学会」が開かれ、参加してきました。



一方で、このモデルハウスは、
最近ブームの傾向にある「インダストリアルデザイン」も表現したもの。
このデザインは、無垢の木材と、引き絞り用に徹した工業製品の緊張感とが
両者相まって、空間に独特の空気感を生み出そうとするもの。
ここでは、無垢の道南杉と独特の深みを感じるアイアンなどが、
面白い雰囲気を創り出していました。
なんですが、それぞれの素材使いのいちいちを楽しく取材確認していたら、
あっという間に見学時間が終了してしまって、
バスに遅刻寸前になってしまいました(笑)。ということなので、
今度じっくり見学したい旨、お伝えして帰って来なければなりませんでした。
こういう空間の雰囲気、好きな人はいるだろうなと予感を感じた次第。
ということで、いずれまた。

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北海道厚真への奥州藤原氏の進出意図

2015年10月29日 05時36分30秒 | Weblog


さて年もあと2カ月あまりになってきて、
年末進行のラッシュ状態になってきております。
各種の打合せや会議など、あわただしい。
さらに週末には先週お知らせした鎌田紀彦×前真之の注目の対論もあります。
一方で、経営関連でコンサルタント会社との進行案件もある。
しかもそういうなかで新人スタッフが2名入社ということで、
だんだんと業務関係、ヒートアップしてきているところであります。

こういう時期こそ、朝1番には(わたし、習慣的にブログは起き抜けの作業)、
ゆったりとした話題を(笑)・・・。
ことし一番、知的興奮を憶えたのが、奥州藤原氏の北海道での進出痕跡が
明瞭に確認されたという話題であります。
写真上は、北海道の道央部分のマップ写真。
こういう位置になぜ、奥州藤原氏は、拠点を造営したのか。
下の図のように、「経塚」を造営した拠点であります。
仏教による「鎮護国家」思想を持って、奥州・北方世界に覇を唱えた
奥州藤原氏の精神文化に於いて経塚造営は強い意味を持っていたことでしょう。
この時代の最新にして最高レベルの「威信財」である常滑焼の大壺に
仏教経典を収めて埋蔵させるという、「特別な場所」性が伝わってくる。
平泉から遠く離れ、対アイヌ交易拠点としての青森県外ヶ浜からもさらに遠い、
この厚真の地に、なぜこうした重要拠点とおぼしき痕跡を残したのか。
やはりわたしには、大壺製造年代として1150年代と特定された時代の
日宋交易の決済手段としての「金」生産に関わっていたのではないかと
そういった直感に支配されております。
厚真の地は、金産出が期待できる日高地方に近く、
さらに川伝いにいろいろな内陸型の資源交易流通に適しているように思います。
平家の繁栄を支えた日宋交易にとって、
奥州藤原氏が安定的に出荷していた金は、強い需要を持っていたに違いない。
こうした金産出への期待に、このような経塚造営は意味合いからも
ふさわしいように感じられます。
砂金堀という作業従事者の心性に想像を巡らせてみれば、
こういった神仏への祈りというモノは、わかりやすいのではないか。
そういった金堀師さんたちからの産金を集積するために
こういった「交易拠点」をこの地に作ったというのが、いちばん自然な理解。

歴史では、この時代に奥州藤原氏に対して
平氏政権から官位として「陸奧守」が授けられてもいる。
政治的にはともかくとしても、金をはさんで考えれば、経済的には
平氏政権と奥州藤原氏とはかなり強い関係性で結ばれていたように思われる。
平氏政権の短時間での全権掌握という流れには
政治軍事の面だけではなく、経済の圧倒的支配者という面が強かったのだろう。
そう考えると平氏ー奥州藤原氏の提携、連立という状況があったのではないか。
どうもそんな脈絡に於いて、この北海道での拠点というのは
位置づけられるのではないかと、妄想を膨らませております。
この遺跡の考古・歴史研究の進展を期待して待ちたいと思います。


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米中対峙のはじまりと日本の安全保障

2015年10月28日 05時21分35秒 | Weblog
歴史の歯車は、大きく回ったと言えるかも知れない。
当面する世界での一番の危機要因は、中国の覇権拡張の動き。
日本への内外からのさまざまな反日攻撃、韓国などを使嗾した攻撃は、
国内危機の排外的目くらましであると同時に、
かれらの覇権主張として尖閣・沖縄への現実の攻撃可能性も示している。
「社会主義市場経済」国家という、合理性のない国家体制のまま、
いびつな「大国」になってきたこの中国という存在こそが、
現代世界の危機の中心に存在している。
尖閣や防空識別圏設定などのかれらの攻撃に対して、日本が取った
対米協調対応の結果、米軍B29が中国が設定した識別圏内を飛行して
そうした無謀な挑発を無力化したことは記憶に新しい。
その明らかな失敗以降、中国は南シナ海での岩礁を自国領土化するという、
国際的に明瞭な無法国家ぶりを見せていた。
まさに、戦前における国家社会主義・ナチスともアナロジーされる。
こうした中国の傍若無人なふるまいは、
オバマ政権の足下のおぼつかない対中戦略の結果だったことは明らか。
「新型大国関係」という覇権主義の主張に一定の黙認を与えるという失敗を
アメリカ国家指導者は犯してしまっていた。

そして先般の習近平訪米の誰の目にも明らかな大失敗の結果、
アメリカはついに、南沙諸島への米軍艦派遣に踏み切った。
米中首脳会談後の、オバマの怒りに震えた表情がすべてなのだろう。
TPPの妥結と、一連の流れとしてこの事態はあると思う。
まさに日本の安全保障と直結する事態が、始まったといえる。
折しも、中国では共産党の重要会議が開かれている最中だという。
まさか正面から対米武力衝突という選択肢はないだろうと思うけれど、
習近平は国内の政敵たちから追い詰められている可能性も高い。
腐敗撲滅という名の国内権力闘争を仕掛けてきて、共産党内部で
緊張は相当程度まで高まっていることは疑いないだろう。
「皇帝気取りでなにをやっているんだ」という江沢民や胡錦濤サイドからの
突き上げの激しさ、共産党内部での権力の暗闘も予想される。
アメリカ側としては、こうしたタイミングも狙っていたに違いない。
いずれにせよ、この南沙諸島問題から、ついに「米中対峙」局面が始まった。
今後の世界を規定する基本的な国際関係が定まったと言えるだろう。
オバマ自身は、もうすでに任期最終盤にかかってきていて、
習近平は、オバマに戦略的決断を下せると思わなかった可能性が高い。
しかし、次の大統領候補者たちの主張は、
習近平を「恥知らず」と言い切ったヒラリーの言葉が象徴的だろう。
アメリカは総体として、反中国感情が高まってきている。

わたしたちの国、社会は
こういった冷徹なリアリズムの国際関係の中にある。
憲法9条で守られているなどと平和ボケで脳天気に言っている状況ではない。
いずれにせよ、国際関係は大きく緊張が高まっていく可能性が高い。
そうなっていくとき、日本の安全保障の基本スタンスは
これまで同様、戦後の基軸である日米同盟関係であるべきだろうことは、
冷静なリアリズムで考えて理の当然といえると思う。

<写真は長篠合戦図より>

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わが社も国際化、多様な価値観へ

2015年10月27日 06時08分47秒 | Weblog
最近の訪日外国人の増加は急ピッチのようです。
北海道・札幌は、そうした訪日客の間でも人気のエリアのようで、
実に10%が北海道に来ているのだそうです。
主要な玄関口である首都圏以外で、各地方はどれくらい来ているのか
そういうデータは見聞きしませんが、しかし実感として
仙台とは比較にならないほど,北海道・札幌ではエトランゼが多い。
たぶん、日本の「地方」のなかで京都を抱える関西についで
来訪者が多い地域ではないかと想像しています。
いまや、札幌のホテル事情は逼迫してきていて
近隣の街に宿泊しなければならないという状況なんだとか。
成熟した社会では、こうした動向をどうやって活かしていくべきなのか、
知恵を絞って、国際化を図っていく必要があると思います。
そんななかですが、
わが社でスタッフに欠員が生じて、募集したところ、
隣国・韓国の方から応募があり、職務経歴や面接結果などから判断して
今回、入社していただくことになりました。
同時に東京からの移住者の方も入社していただきましたので
まずはわたしの方から、事業概要・業界への導入教育を。
こうやって海外の方も相手にプレゼンテーションをすると
こちらの方も、住宅の事情についてその相違点などに気付くことが多く、
インターナショナルな視点と、同時に日本のマーケットの特殊性などに
多くの発見が得られます。
韓国の場合、国土面積が狭く、そのうえソウル集中が
日本での東京集中以上に激しく進行していて、
住宅というのは一般人にはマンションが常識的選択であり、
日本のように、戸建て住宅が主流というのは考えられないのだとか。
こちらの方からいろいろ北海道東北、日本の住宅志向を話すほど
逆に、国際的な視点が帰ってくる部分があります。面白い。

これからはTPPなどもあって、ドメスティックな産業でも
国際化が否応なく進展していく可能性が高い。
住宅産業に於いても、経済段階が上がってきたアジア近隣諸国と
どのような関係性が構築できていくか、
いろいろな情報を摂取していく必要があると思われます。
また首都圏地域から移住されてきた人も、当社ではこれで2人目になりますが
札幌で働いて、田舎が東京、というライフスタイルから
どんなマーケット感覚が生まれてくるものか、
そういった部分でも非常に興味深いものがあります。
多様な価値観から、新しい可能性を切り開いていく、
そんなフロンティアとして、北海道・札幌の地が活性化されていって欲しい、
そんな強い願いを持っております。

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大工・職人をリスペクトする社会

2015年10月26日 06時12分54秒 | Weblog
日本は「百姓の国」。
歴史家の網野善彦さんが繰り返し言っていたように
「百姓」とは、読んで字面のまま、さまざまな「生業」を表す。
農本主義がさかんに喧伝されるようになって、
百姓が、農民とイコールという誤解・刷り込みが行われた。
それは同時に農業生産性の向上が、
日本の権力者の一貫した意志だったことも表しているのでしょう。
封建領主の序列判定において、まずは「石高」が優勢だったりする。
しかし、日本社会では職人へのリスペクトの文化も強く存在する。
中国では、科挙を経て出世するコースに乗った人間は
体技を軽蔑するような文化伝統が主流になっているのに、
日本では、たとえば貴族が「お家芸」として、なにかひとつの体技を持つ、
そういった職人仕事への文化態度が主流。
職人のことを、古くは「道のもの」という言い方もする。
なんとか道、というようなことで、その職人仕事領域を究めるべき道と
そのように表現することで、切磋琢磨を生んできたのだろう。

古く、普請とか、作事とかとも表現された
木造建築技術は、そういった職人仕事でももっとも初源的な領域だったのでしょう。
律令の体制が整って、定置的な「都」造営という事業が
国家の公共事業として取り組まれはじめた奈良の世から
ほかに農業生産物などでの税金納付がおぼつかなかった「飛騨国」が
「大工人工」を税として国家に差し出して
奈良の街区造営の仕事にかかり、宮殿造営から
大寺社建築建設など、大型木造建築のその仕事の見事さで
「飛騨の匠」として、プライドを勝ち得ていったとされています。
飛騨は森林資源に豊かに恵まれた地域であり、
そういった技術文化伝統が、それまでの文化積層の中ですでに育まれていた、
そう考えるのが自然なのだろうと思います。
この「大型木造建築」という領域で考えると
日本列島社会では、それ以前に先行するのは、出雲大社建築や、
もっとさかのぼって、縄文の三内丸山などにまで連なる。
そういった大型木造建築についての技術が、最大の資源産出地域としての
飛騨国に、根付いていたのでしょうか?
こんな歴史の「ミッシングリンク」に想像を巡らせたりします。
この写真の絵は大工仕事の絵図としてポピュラーですが、
いろいろな大工道具を巧みに操りながら一心に作業にふけっている。
木材加工の各段階も垣間見えてきますし、監督者としての
「棟梁」とおぼしき人物の姿も見えています。
まことに生き生きとした仕事ぶりが伝わってきて
たのしくて、大好きな絵のひとつであります。




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ニッポン魅力再発見のミニマリズム

2015年10月25日 06時44分54秒 | Weblog
資本主義は冷戦解消後、大きくその市場と参加プレーヤーを拡大させた。
欧米がはじめた現代的な消費ライフスタイルが生み出す市場は
冷戦終結以前に比較して格段に大きくなった。
あらたな市場参加者とその国・社会では「成長」が実現するけれど、
しかし一方で、すでにその段階に入った国・社会では
成長は鈍化せざるを得ない。
新しい市場機会というのは、そう簡単には出現してこない。
そんな日本にいま、顕著な動きとして、
円安を背景に、旺盛な観光客需要、いわゆるインバウンド需要が
大きくなって来ている。
日本人は経済成長を達成しても、あんまり海外旅行とかは
志向が向かわなかったけれど、中国やアジアなどの社会では
旺盛に海外観光需要が強まっていくのですね。
そういう受け皿として、日本社会は適性があると判断されている。




そういった需要を,建築側で受け止めるとすれば、
どんなマーケットになっていくのだろうか。
いま徐々に出てきているのは、こうした観光客に対して、
もっと格安なサービスを提供できないか、ということ。
先日取材してきた、東京都心の古いビルの再活用などは、
こういった需要に対して応えうる建築側の動きと言えるのでしょう。
そういった需要に対応させるとすれば、どんなデザイン手法が効果的か、
そんな試行の結果、いま、ミニマリズムが注目されている。
そんなふうに思います。
古いビルをその素材に還元させて、いわばリデザインの
有効な手法として、ミニマリズムを使っている。
で、考えてみると日本には、こういうミニマリズムデザインの系譜って
豊かに存在しているのではないかと思います。
中世末期、戦国期から江戸期に掛けての社会で
豊かに育まれた茶道の「侘び寂」などに体系化されたような
そういった精神文化を持っている。
高度成長期に建てられた建築を、その価値を再発見して
どんなふうにデザインとして再活用することが可能なのか、
そういった分野で、これから想像力が試されていくのではないか。
日本社会の蓄積されてきた資産を、再活用できる想像力というのが、
実はいちばん新しいニッポンの可能性ではないでしょうか。



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北海道住宅の行方 鎌田紀彦・前真之対論

2015年10月24日 05時38分57秒 | Weblog
かねてから準備が進んでいた北海道ビルダーズ協会のシンポジウム
「北海道の省エネルギー住宅の現在とこれからの課題」が
来週の土曜日、平成27年10月31日(土曜日)13:30~16:30
札幌市中央区北4条西3丁目1 
北海道建設会館 9階大ホールで開かれます。

このシンポジウムは北海道の住宅の作り手たちへ
いまの課題である住宅技術について、ひとつの方向性を指し示すもの。
住宅省エネの基準については、いま国交省が2020年に
「断熱の義務化」を掲げてロードマップも示して来ている一方、
温暖地域で比較的に指標になりやすいドイツパッシブハウス基準も
その目指す方向性への理解が進んできている。
こういった日本の住宅技術をめぐる環境のなかで、
ともすれば明確な方向性が見えにくくなっているのが北海道の現状。
そんな状況にひとつの突破口を見出したいという
多くの住宅技術関係者のみなさんの熱意があって、
今回、北海道の住宅技術研究の先導者としての鎌田紀彦先生と
エコハウスの日本でのありよう、設備のありようを探求する前真之先生の
講演とパネルディスカッションが開かれることになった次第です。
現代日本の住宅技術研究の先端であるふたりの対論は
今回のこの機会がはじめてであり、注目が集まっています。
われわれにとっては、「北海道の」というタイトルがつくわけですが、
しかし同時に、日本の住宅技術革新をリードしてきた地域としての
北海道というとらえ方をすれば、まさに日本全体にとって
先端的な議論、意見交換になることが期待されます。
主催者の武部建設・武部豊樹社長から
おふたりのこの対論への意気込みも聞いております。

おふたりには長くReplan誌面で連載企画を執筆いただいています。
ユーザーをも巻き込んで、住宅性能の向上を願ってきた当誌として
このおふたりは、その方向性を示されてきた存在。
鎌田先生は、もう十数年以前から折に触れて執筆いただき、
とくに「Q1.0住宅」スタート時には、北海道版誌面で
全体を領導されるような原稿を書いていただきました。
また、前真之先生のことを「俺と似たようなことを言うひとが出てきたよ」
と、楽しそうにご教示いただいた経緯があります。
それに踏まえて仙台で「自立循環型住宅・準寒冷地版」発表会の折に
東京が主要活動地である前真之先生に、寒冷地住宅雑誌でありながら、
北海道への研究領域の拡大をお願いし
その後、先端的な研究成果をこころよく執筆いただいています。
いまは、「いごこちの科学・NEXTハウス」シリーズを連載中。
また、鎌田先生も当誌で再び、「Q1.0住宅デザイン論」という連載も
執筆をお願いし続けてきております。
世代的にも20数年ほどの違いがあるおふたり、まさに日本の住宅技術の
現在と未来が明瞭になっていく大きな機会になることを期待して
みなさんにお知らせ致します。内容は以下の通り。

<次第>
主催者挨拶:
北海道ビルダーズ協会 代表理事 武部豊樹   13:30~
~第1部~   13:40~15:20
講演:(一社)新住協 代表理事・室蘭工業大学名誉教授
鎌田紀彦氏   13:40~
講演:東京大学准教授 前 真之氏   14:40~

~第2部~   15:30~16:30
パネルディスカッション
パネラー   鎌田紀彦氏+前 真之氏
コーディネーター 北海道科学大学教授 福島 明氏

お問い合わせは、一般社団法人北海道ビルダーズ協会
電話 011 215 1112まで



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インターネット時代の情報選択とは?

2015年10月23日 06時02分39秒 | Weblog
先日、カミさんの母親と話をしていて気付いたこと。
「最近、新聞を見ていても、どうしてこういうことが起きているのか、
さっぱりわからないんだよね」と端的に言われました。
で、わたしなりのお話しをしてあげたら、
目を丸くしながら、知的興奮を憶えてくれていたようでした。
どんな話をしたかというと、
インターネット時代になって、
既存の日本の新聞メディアは危機に瀕している。
これまでは、情報について読者をリードする独占状況があったけれど、
インターネット時代になって、その独占が崩れ、
読者は幅広い情報を得られるようになった。
もちろんそれは、玉石混淆というよりも、石が圧倒的に多いのだけれど、
ユーザーが自分で情報を取捨選択することを憶えるまでの
試行錯誤期間と考えればいい、というようなことです。
混乱期は一定程度続くにしても、
やがて、理性的に人間は進化していくものだろうと考えます。

とくに日本の新聞メディアは、
インターネット時代になって、それまではそれほど強調していなかった
「主義主張」のようなものを前面に出すようになった。
影に隠れてミスリードするよりは、ずっとマシだとは思うけれど、
論拠の薄弱な主張は、「こうあるべきだ」のプロパガンダになっている。
朝日新聞の直近の世論調査ですら、安倍政権の支持率の方が上昇し、
不支持率を上回っているという結果報道があった。
朝日はあれだけ明瞭な安保法制反対姿勢をあらわに
次から次へと金切り声を上げていたけれど、
読者は安保法制成立1カ月ですっかり常識を取り戻している。
さて非常識だったのはだれだったか、ということが明瞭になっている。
このような「報道姿勢」は、大きな新聞離れを促進させるのではないか。
インターネット時代になって、わたしは、
経済系の新聞のWEBサイトをよく見るようになった。
日本では日経で、海外ではWall Street Journalの日本語サイト。
やはり命から2番目に大切なお金の話を扱う経済系新聞は、
徹底的な「リアリズム」を常に意識した情報が得られる。
冒頭の義母の話からすれば、
「どうしてこうなるのか」という疑問や知的欲求に対して、
経済的な合理性が一番有効な物差しを提供してくれるのだと思う。
日経の記者さんで2014年のボーン・上田賞という
日本版ピューリッツァー賞を受賞した中澤克二さんの本を読んでいる。
「習近平の権力闘争」という本で、Amazonnの宣伝文句では・・・
「これは新たな「文化大革命」か。「反腐敗」で政敵を次々に
摘発、放逐、中華帝国再興の野望を追いながら、
暗殺の恐怖に脅え、側近は「友達」で固める……。
中国最高指導者の知られざる実像と、共産党内部の暗闘に、
ボーン・上田賞記者が緻密な取材で鋭く迫る本格ルポ。
激動の中国情勢を理解するために必読の一冊! 」<以上、引用>
というもので、まだ読んでいる最中ですが、
中国という難しい情報統制の中からでの情報収集ではあっても、
丹念に情報機関の発する小さなサインも逃さずチェックすることで
まことに生き生きとした現代中国の権力闘争を伝えてくれています。
まことに凡百の事実報道だけでは、得られない情報がわかる。
知的な探究心がよくわかる報道者の姿勢だと思います。
こういった出版情報も、インターネットによってもたらされてくる。
結局は情報リテラシーの問題になるのだろうけれど、
これまでのただただ受け身的な情報摂取姿勢ではなく、
自分自身も情報をふるいにかけるという姿勢が求められている。
経済というリアリズムから、現代をつかむのが正道ではないでしょうか?

<写真と本文は無関係~あえていえば習近平似?>


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北海道11世紀の暖房・調理・建築工法革命

2015年10月22日 05時45分00秒 | Weblog


考古とか歴史とかの専門研究のみなさんの最新知見を
いろいろに興味深く、読んだり聞いたりさせていただいておりますが、
そのなかで、北海道島での住居の変遷でエポックメーキングなことがある。
それは中世のある時期、たぶん最近研究では11世紀から12世紀にかけてと
言われることが多いようですが、
いわゆる檫文時代から、「アイヌ文化」期への転換期に当たります。
この時期に北海道ではそれまでの
囲炉裏+かまどという暖房・調理システムから
かまどが消滅して、もっぱら囲炉裏によるものに替わるのです。
同時に、煮炊きの容器が土器から鉄鍋に替わっていくのです。
さらにそれまでの竪穴住居から、平地式に住宅工法も変化する。

余談になりますが、檫文からアイヌ期へって、この時代区分について、
北海道以外の人、いや、北海道でも歴史に興味ない人には
なんのことか、良く理解出来ないかも知れませんね。
檫文というのは、土器の最後の時代で北海道では、このころまで
土器文化が続いていた。一方の「アイヌ文化期」ですが、
こういう言い方だと、アイヌの人たちはこの時期に突然どっかから
この北海道に移住してきたような印象を与えてしまう。
そうではなく、実際にはアイヌの人たちがその以前からずっとこの地の
優勢民族であり続けていたのが実際であって、いわゆる生活スタイルによる
時代区分として、今に至る「アイヌ文化」の成立という意味合いなのです。
先日のシンポジウムでも民間の方から学会のみなさんに問題提起があった。
どうも北海道考古学の初期段階での「便宜上」の仕分けが
学会内論議を経ることなく、今に至っているということのようです。

で、どうしてかまどが消滅して、囲炉裏に暖房と調理が
一本化されることになったのか、その「どうして」という部分について
突っ込んだ研究は、不勉強で知見がありません。
そういうことなので、今のところは推測で考えざるを得ない。以下、私見です。
それまでの竪穴が平地式に替わったことについては、
江戸時代の北海道探検者たちが、より北方の民族住居について
室内の湿気対策がたいへんで、健康被害をもたらせていた実態について
報告されている文献があります。
「夏の家」と「冬の家」の両方を交互に住み替えている様子を伝えている。
10世紀から12世紀に掛けては気候も温暖期にあたっている。
竪穴は冬場はいいけれど、夏場には生活しづらかったのでしょう。
そこに、本州の和人社会から土器に代わる鉄鍋が大量に移入された。
かまどは、本州地域では農耕による炭水化物食材・コメの炊きあげ用として
強い存続性があったけれど、北海道島ではそういった食習慣はないなかで、
制作も面倒なかまどは、鉄鍋+自在鉤+囲炉裏調理のセットで不必要とされた。
きっと北海道島では、かまどは檫文土器とセットで、それも
鍋料理主体のアイヌの人たちの食習慣では、面倒があったのかも知れない。
かまどは排気を工夫する必要もあって、壁面側に据えられていて
暖房の場である囲炉裏で食事するのに、
いちいち、食べ物を取りに行かなければならなかったのかも知れない。
こういう「キッチン革命」が、この転換の主要因だったのではないか、
そんな素人の妄想を抱いている次第ですが、みなさん、いかがお考えでしょうか?
もし、知見をお持ちの方は、情報をお教えください。
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