三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

五蔵舎ショールーム

2007年04月30日 17時32分52秒 | Weblog

写真は、秋田市に新装なった五蔵舎さんの本社社屋。
五蔵舎さんは、個性的な住宅づくりのビルダーさんとしては
東北を代表するような存在。
その建築する住宅は、ほぼすべてが注文住宅であって、
いわゆる企画型住宅というような住宅は縁遠いビルダーさん。
こういう企業の場合は、モデルハウスという存在はなかなか難しい。
なので、建てられた本社社屋は、
いわばコンセプトハウスというような建物になっています。
所在地は、秋田市の東口からまっすぐ秋田中央インターに向かう
大きな交差点のほどちかく。
秋田市中心部は、東西を貫く道路が計画されていて
交通の利便も大変よい立地。
近辺には企画型住宅メーカーさんのショールームもありますが、
そちらが、窓などにも大きな宣伝文句があったり、
大きな看板が立っていたりするのとは対照的に
ごく控えめな印象のたたずまいを見せています。

しかし、間口が長く奥行きが狭い敷地条件をうまく生かして、
シンプルなプロポーションながら、
2階の壁面が1階のそれよりも突き出していて変化に富んでおり、
また植栽や敷石などのアプローチが、
「住まいのたたずまい」を重視した個性的な家づくりを志向する
五蔵舎さんらしい雰囲気を感じさせています。
住宅は機能を満たす空間だけではなく、
そこでの「癒し」が大きな要素といえます。
そういう空間の味わいのようなものを感受できる、
そういうタイプの住宅ショールームですね。
お近くのみなさんは、ぜひ触れてみるといいと思います。
電話 018-836-5526です。
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古民家様式の家、発見

2007年04月29日 05時45分30秒 | Weblog

東北各地の古民家を見て歩くうち、
秋田県では、「日本海中部様式」という形態の民家が多い。
という記述と巡りあいました。
下の写真のような古民家様式。
写真は国営みちのく杜の湖畔公園にある秋田の古民家。
寄せ棟の主屋に対して、左右に突き出すように三角屋根がせり出していて
どちらも、玄関口になっています。
まぁ、典型的には農作業のための土間玄関と、
ハレの玄関を左右に分けてあるかたちなんだそうです。
こういう典型的なかたちの民家って、あるのかなぁ、と
心がけてみるようにしていました。
で、先日の角館の取材に向かう道すがら、発見したのが、
上の写真の住宅。
古民家というよりは、むしろ30年くらいの建物のように感じますが、
プロポーションとしては、あきらかに日本海中部様式。
寄せ棟から三角屋根が左右からせり出すかたち。
その真ん中に、やや大きく繁ってきた庭木が植え込まれているのも様式的。
変遷を重ねてきたというよりも、最初から2階建てで
このプロポーションを意識して建てられたものと推測できました。

想像を働かせれば、
たぶん、下の写真のような古民家住宅に住んできた記憶をたどって
施主さんが、この形態を家に求めたものか、
あるいは伝統的な家づくりを行ってきた大工さんが、
建て主さんに勧めたかたちであるのかも知れません。
屋根の素材であるとか、2階建てである点など、
近代的な建物でありながら、
全体のデザインプロポーションとしては、みごとに様式的。

こういう発見をすると、頑張って伝統的なものを守ろうとしていることが
わかりやすく伝わってきて、
その心意気のようなものに、打たれます。
取材出張での、ほんの一瞬の出会いなのですが、
はるかに名も知らない建築の作り手から、
まっすぐに伝わってくるようなメッセージを感じます。
このように考えれば、たしかに住宅も十分に公共財的な側面があると思います。
みなさん、いかがでしょうか?
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忘れた頃の、パンク

2007年04月28日 06時26分51秒 | Weblog

昨日は秋田県角館で取材でした。
サクラの季節、頃合いもいいだろうという時期を狙って、
だったのですが、ことしはまだ、サクラの開花、遅れ気味。
なんと、盛岡から来たカメラマンの話によると、
岩手県西部の雫石あたりでは、なんと平地でも雪が積もっていたそうで、
当然、峠超えは圧雪状態だったのだとか、
冬には温暖化、春には氷河期の心配をしなければなりませんね、これでは。

ということでしたが、わたしは秋田から当日移動。
心配していた渋滞もなく、桜並木の通りまであと2kmくらいまで来たところ、
車の足下になんか、イヤな感じ発生。
「オイ、まさか・・・、ここでかよ」
というタイミングで、発生いたしました、久方ぶりのタイヤパンク。
取材開始が10時予定で、ちょうど、ちょっと早めに出ていたので、
発生時間は9時半前。
あんまり広い道ではなかった場所でしたが、
みごとなパンクでして、だましながらの運転走行は不可能。
ガソリンスタンドもものの100mの距離ではあるのですが、そこまで、行けないのですね。
しかたなく車を寄せ気味にして、作業を開始。

そういえば、昔はけっこうやっていた気がしますが、
東北出張中では、初めて。
車を購入して4年。初めて開けてみた、トランクルームの下に、きちんとスペアや工具がありまして、
まぁ、手袋まではなかったのですが、ものの10分くらいで作業は完了。
別の車両で現地に向かっていたスタッフもめざとく発見してくれて、
パンクによるタイヤ交換って、ちょっと、みじめ感が募る作業なので、
孤独感も癒されて、ありがたかったです。
無事、交換が終わって、パンクしたタイヤを持ってGSへ。
まだ、このタイヤ、買ってから2度目の長距離走行なんですけど・・・、
ということで、修理チェックをお願いして、わたしは取材へ。
で、2時間後、戻ってきたら、バースト気味になっていまして、
このあと、仙台までの高速走行には不安。
ということで、新品と交換していただくことにいたしました。
タイヤのなかに、ゴムの摩耗した粉末が溜まっておりまして、
気づかないときに、タイヤが傷ついていたのかも知れません。
原因の究明までは帰りの飛行機までの時間がないので、断念。
まぁ、考えられるのは、道のくぼみに車輪が落っこちて、
瞬間的に空気が漏れてしまい、
その状態で運転してしまって、タイヤが車軸に削られて
バースト気味になった、ということでしょうか?
でもま、不幸ではありましたが、時間に若干の余裕を持って行動していたので、
あまり迷惑を掛けることもなく、
また、運良くGSのほど近いところだったので、
手際よく対応することができた次第。

きょうからGW。みなさんも、十分に車の足下にはお気をつけくださいね。
って、まぁ、だからって、防ぎようはないかもしれませんね(笑)。
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建築のデザイン、暮らしのデザイン

2007年04月27日 05時58分33秒 | Weblog

建築への考え方って、いろいろ多様性はある。
しかし、こと住宅についていえば、
デザインのためのデザインっていうのは意味がないと思う。
住宅はそこに暮らす人があってはじめて成立するもので、
あくまでも、そのひとのくらしへの洞察とか、思いやりというのが
ベースにあって、建てられるべきものだと思う。
どんなに斬新なデザインであっても、その発想の起点において
住む人への心遣いが、背景として、感じられないものは意味がない。
言葉を換えていえば、「用」という絶対条件があって
それをしっかり満足させられる範囲で、デザイン要素は考えられるべきだと思う。

むかし、あるお宅を取材したことがあります。
設計は、東京の高名な建築家で、家は札幌にありました。
行くと、玄関前に大きなコンクリート剥き出しの、平滑でフラットな平面がありました。
大きさで10畳ほどもあるような、広さ。
玄関の三和土が外化したようなもの、ともいえるのでしょうか。
これがどのような「用」を果たしていたのかは不明なのですが、
たぶん、デザイン的な意味が強いものなのだと思います。
取材して、住んでいる人からそのコンクリート平面の意味の説明が語られませんでした。
で、奥さんの率直な意見として、
「冬になると困るのよね、凍っちゃって。玄関まで恐る恐る、ね・・・」
というご感想。
たぶん、零下の気温が続く冬の北海道の気象条件を把握していなかったのか、
いや、それ以上にデザイン的な直感性を優先させたのか。
いずれにせよ、結果としては
冬の間、住んでいる人は買い物荷物を抱えながら
転ばないように、慎重になってわが家に帰り着く生活を強いられていたのです。

敷地の条件とか、いろいろ把握する機会はあると思うのです。
そこに建てられれば、相当長期にわたって、
建物は使われていくもの。
そのときに、いろいろなシーンを想定してプランは考えられねばならない。
建築としてのデザインの、もう一方で、
もっと大きな意味合いの「暮らしのデザイン」が
しっかりと意図されていなければならないと思うのです。
だからといって、デザイン的な試みを否定するのではありません。
しかし少なくとも、そのように作られた意図は、建て主に明快に理解できなければ、
あんまり意味を持たない試みなのではないでしょうか?

最近、ある高名な建築の先生が寒冷地で建てた公共住宅で、
お風呂まわりの水道管が凍結して被害が出たということ。
「寒さは、我慢すべきものだ」という考えの持ち主ということで、
まぁ、そういうご意見をお持ちの方たちが、
日本のアカデミックな建築界の多くをリードされているようなのですね。

写真はきのうに引き続いて、能代・西方設計さんの社屋。
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芝置屋根

2007年04月26日 06時15分38秒 | Weblog

昨日は、秋田県能代市の西方設計さんに訪問。
この建物、いまから13年前に建てたという事務所です。
バウビオロギーというドイツの考え方を実践する建築家として
最近は首都圏地域などでも設計を依頼されるということ。
まぁ、古くからの知人なので、よもやまの話になった次第ですが、
このバウビオロギーという考え、
ドイツなどでは、生態系の尊重とかの側面のほか
当然の前提として、エコロジーという考え方もあり、
断熱気密の住宅性能の面もあたりまえのように重視されているのが、
日本の、とくに首都圏地域の推進者のみなさんからは
そうした部分がきれいさっぱりと抜け落ちて、
逆に、原理運動的に生態系保存最優先になっているというお話を聞きました。
ドイツでは、たとえば塩ビという可塑剤を使った工業製品についても
その有用性を十分に認めて、いわば適材適所で使う、
という合理性が基本になっているのに対して、
日本の中心的な運動では、可塑剤を使ったような製品を極悪視して、
そういうものの排除が、バウビオロギーなのだ、というようにいわれる現実があるということ。
このあたり、日本の現実についての認識で
共感できる部分だと思います。
もっと自由に考えて、暮らし方の知恵として
活用するというような実践的な考え方はできないものでしょうか。
排除の論理で、原理主義的にいくと、やはり行き詰まってしまう。
そうではなく、柔軟に、考え方の基本として活かしていきながら、
合理的に豊かに暮らしていくための知恵として活用するというスタンス。

なぜ、北国住宅の基本の断熱気密という
室内気候のコントロール手法を放棄して、バウビオロギー至上主義になるのか、
どうも、解せない部分がありますね。
そのように原理主義的に、いわば、「完璧」を追求していくと、
家づくりさえ、息苦しいような
「失敗できない」というような脅迫観念的な営為になってしまいやすい。
せっかくの幸せな、楽しいものであるべき家づくりが、
かえって、人間不信になったりすることになっていやしないか、
考えさせらる部分だと思います。

写真は、屋根の置き芝の様子です。
最初はうつくしいラベンダーなどを植え込んだりしていたそうですが、
忙しさもあって、やがてほったらかしにしていたら
今や、生命力の強いススキなどの雑草が屋根を占領しているということ。
こういうのにも、笑って現実を受け入れるようなおおらかさで
対処されていましたが、まぁ、許せないと考える人もいるのでしょうね。
まぁ、あまり美しくはないとは言えるでしょうが、
植物の世界での過酷な生存競争の結果でもあるのですから、
それはやはり、あるがまま受け入れることが必要だと思いますね。
そう考えれば、こういう光景も
なんともユーモラスで、楽しく感じられるもの。
というようなお話でいろいろと盛り上がっていました。
みなさん、いかがお考えでしょうか。
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車両火災で高速通行止め

2007年04月25日 06時00分11秒 | Weblog

昨日から、久しぶりに東北へ出張です。
飛行機で着いた仙台で1件、要件を片付けてから、秋田での取材のために車で移動。
高速を飛ばして、約260kmあります。
あんまり体力が回復していないので、ちょっと早めに着くように・・・
と思って出たのですが、高速に乗る前から
「古川~築館間で火災発生、通行止め」という表示。
わたし、不思議とよく車両火災って、目撃いたします。
一度など、ちょうど発火の瞬間を目撃。
乗っている人が車から飛び出し、車両から火が上がっている横を通り過ぎ、
その直後、高速道路脇の電話から管制センターに通報したこともあります。
あとで冷静に考えると、けっこう怖い経験ですね。
まぁ、路肩のあたりに停車している火災車両と、
追い越し車線を走るこちら側では、若干の緩衝地帯はありますが、
風の具合によっては、火の粉が飛んでくる可能性もあります。
もしそんなことになれば、車はたっぷり燃えるものを積んでいるので
たいへん危険ですよね。

というようなことで、仕方なく手前のPAで、時間待ちがてら
えらい早めの食事を取ったりしていましたが、
たぶん、無線交信で情報が早そうな長距離のトラックドライバーのみなさんも、
なかなか動き出さない。
1時間ほど待ってみても、状況は変わらないので、
仕方なく、事故現場手前の古川で高速を降りて、国道を20kmほど迂回するのを覚悟して
ふたたび、高速を走り始めました。
で、古川手前で、「ここで降りよ」という標識。
まだ通行止めだったわけなのですが、ちょうど警備に当たっていた係の方1名が
あわただしく三角ポットを撤去しはじめていました。
「これは・・・」と思って、窓を開けて聞いたら、運良くたった今、開通とのこと。
我ながら、なんと運のよいことよ、ということで、わたしの車は開通第1号車でした。
でもまぁ、みなさん、イライラしていたのか、
どんどん、追い越されること、追い越されること。
あっという間に、取り残されていってしまいましたが(笑)。

で、さて、どんな事故だったのかなぁ、と気にしながら通過したのですが、
道路上にはそういう痕跡らしきものは発見できず。
わたしは高速での車両火災、目撃は2度ほどしているけれど、
考えてみたら、後ろから来て、通行止めにあったのは今回初めて。
たっぷり時間もかけて、完全に危険を取り除いてから
通行させるようなのですね。
通行止めしていた区間から、かなり離れたパーキングで
ちらっと、それらしき車両運搬大型車と、たくさんのハイウェイパトロール車両群が
停車しているのに遭遇しましたが、あれだったようです。

車の火災事故って、最近はいろいろなメーカーの問題も指摘されるようになっています。
安全神話が揺らいできているのか、情報開示が進んできたのか、
その両方なのか、まぁ、わたしも2度ほど遭遇したくらいですから、
けっこう多く発生しているんでしょうね。
なので、ひたすら安全走行に努めて、のんびりゆっくり
ようやくにして、秋田に到着いたしました。
普段の走行時間の倍近くかかったようです。
車の整備、ふだんから心がけないといけませんね。やれやれ。

写真は秋田拠点センターアルヴェ の巨大吹き抜け空間です。
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木製窓のメンテナンス

2007年04月24日 05時48分54秒 | Weblog

わが家の窓は、すべて木製3重ガラス入りサッシを採用しています。
いまから、17年前ですが、
木製窓というのはとても珍しくて、慣れていない工務店さんだったので
扱い方を彼ら自身が知らず、初めて使ったときにさっそく壊しそうだったほど。
国産のサッシはほとんどが引き違いのタイプですから、
回転窓という、木製窓の標準仕様自体がわからなかったんですね。
当時はスウェーデンからの輸入だったので、新築現場に運び込まれた
大型梱包を見ただけでも感激したものでした。
大型の窓もあって、一番大きいのでは全面ですから天地で220cm、左右300cm近く。
それにガラスが3枚入っていて、しかも北欧パイン材の木枠。
がっしりしてたいへん重く、大人4~5人がかりで、2階まで設置していました。

というような記憶がありますが、
アルミやプラスチックといった工業生産品とは違って、木という
生物原料による加工品なので、
とくに金物との連結部分など、重量との兼ね合いもあってメンテナンスが必要。
また、防水塗膜は塗装で行うのですが、
日射などの条件にもよりますが、定期的な塗り重ねが必要。
まぁ、わが家の場合、これまでに1~2度、塗り重ねをしました。
一度は増築の時点で、ほかの造作工事と合わせて。
もう一回は、部分的に行ったので、自分で塗料を買ってきて塗りました。
やるとけっこう面白い。息子にも手伝わせた記憶があります。

きのう、1カ所、金物の取っ手が回らなくなったので、
看てもらった様子です。
どうも内部にしまいこまれたプラスチック部品に不具合があったようで、
それをメンテして、無事、使えるようになりました。
そのほかにも、不具合が出ている窓があるのですが
これは窓が悪いというよりは、建築工事の方の問題。
雨じまいの問題でして、抜本的に解決するには大がかりな工事が必要。
なので、いまは、様子を見ながら、使っています。

性能がよくて、しかもいろいろな色を塗装できる楽しみもあり、しかも、
ピクチャーウィンドとしては、太い枠が美しい木で額縁される、という木製窓ですが、
こういうメンテナンスが不可欠なので、
メーカーさんとしても、簡単に販路を広げられない部分があるようです。
また、建てて売ったら、なるべく手間のかかるお客との接触を避けたいメーカー住宅では
あまり採用したくない、というのが本音かも知れません。
でも、やはり、いいものです。
この自然な風合いには、愛着を感じさせるものがありますね。
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3階からの眺め

2007年04月23日 05時56分59秒 | Weblog

さて、休日を利用しての家の中での引っ越し。
きのうで完了いたしまして、楽しく過ごしております。
街に外出して、歴史書を新しく購入してきまして、
ゴロゴロと寝そべって、読みふけったりしております。ふむふむ。
こういう時間が持てる幸せを満喫しております。
やはり趣味の世界、というか、好きなことがある、
時間がいくらあっても足りないような熱中できることがらというのは、貴重なモノですね。
人によってそれぞれでしょうが、
わたくしの場合は、まさに歴史関係の書物でして、
最近の古代史の研究の進展など、まさに刮目の思いで楽しんでいます。
それと、やはりこちら側の人生経験の積み重ねで、
いままで、気づきにくかったこと、
文章に書かれた以外の、いわば行間の部分が
同じ人間の営為として、深い部分で共感・理解できるようなことが
たくさん、発見できるように思われます。
仕事以外に、こういう探求心を持っていられる興味分野があるというのは、
これからの人生で、ありがたいことだと思っています。

さて、3階での生活で一番楽しいのが、ごらんの眺望。
近隣には、三角山という、そのまんまの名前の山があります。
昔から、この山に縁の深い暮らしを積み重ねてきています。
幼少期には、世界の果ての山という認識があり、
高校時代はこの山の麓の学校に通い、
同期会にみんなで付けた名前は、「三角山の会」。
そんなことから、住まいもこの山を見ることができる土地をもとめて建てた次第。
しかし、密集的な住宅地なので、
2階建てでは最近、なかなか、山を見ながら暮らす
というわけにはいかなくなっています。
それが、毎日こういう眺望を我がものにして暮らせるようになりました。
毎年、春、ゴールデンウィークのころには
この山に登って、その年の夏場を乗り切る体力を涵養しています。
ことしも、坊主と登ろうな、ときのう約束いたしました。
まぁ、1時間くらいで登れる山なので、
ハイキングみたいなモノなんですけど(笑)。
元気も回復してきて、やや気力も盛り上がってきている昨今です。
ということで、ではでは。
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3階建ての上り下り

2007年04月22日 07時09分08秒 | Weblog

長引いているインフルエンザ以来の体調不良の改善のために、
先週、お医者さんから言われて、家の中の自室を変更することにしました。
もともと、3階建てではあったのですが、
以前は事務所兼用で増築もしていた建物なので、部屋数はゆとりがあります。
ということなんですが、やはり広いと光熱費やらなにやら、
ちょっと不経済ではある建物ですね。

今回、使っていなかった3階の部屋を模様替えして、
書斎に替えたのですが、使っていないとはいえ、
やはり大量の不要物が蓄積していくのがお決まりパターン。
なので、写真のようなスッキリしたモノのない状態にするまでには、
ほぼ半日がかりで、大型ゴミを3階から1階まで、
降ろして、そして、1階から必要なものを運ぶ、という作業をやりました。
その後、札幌市西区発寒の大型ゴミセンターに持っていって廃棄しましたが、
まぁ、ワゴン車の荷台にほぼ8割くらいの荷姿。
どうしてもあるんですよね、もう使わなくなった家電製品とか、
その他諸々。
まぁ、こういう機会にきれいになるので、それはいいのですが、
きついのが、3階への上り下り。
不定形のモノたちを、慎重に落っことさずに、持ちながら、
往復だけでも、たぶん、50回くらいはしたでしょうか。
夜になって片づけて、風呂に入って早くに休んだのですが、
夜中から、あちこちの筋肉が警報を発令しております(笑)。
いやはや、情けない状態であります。
最近は都市型住宅として、3階建てが増えてきていますが、
こういうモノの移動には、やはり辛いものがありますね。
まぁ、めったにこういう機会はないでしょうが、
みなさん、3階の部屋の模様替えって、つい億劫で、断念するのではないでしょうか。
わが家の場合は、どうしてもツギハギ的な増築の結果、
階段位置が別れている、というのも影響しています。
すくなくとも、1階から3階までストレート、というか、
折り返し型でもいいのですが、移動距離を少なくプランしなければなりませんね。

というような教訓を身をもって体験しました(笑)。
ですが、3階居室は2面採光のうえ、高窓もあって、
たいへん見晴らしが良くて、きのうまでの体調不良は飛んでいったようです。
かわりに、筋肉痛がお土産に付いてきた、ってところでしょうか(笑)。
3階だと、街中でもほとんど隣家の視線が気にならなくなりますし、
星空も眺められて、気分的にはたいへん開放感に満ちております。
ブログも書きやすそうだ、とニンマリしている次第。
ということで、春の模様替え、顛末記でした。ではでは。
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日本家屋と庭

2007年04月21日 05時48分53秒 | Weblog

残されている古民家って、大体が農家型住宅が多いということもあるのですが、
写真のように、暗い室内空間と、
それとは対照的な鮮やかな色彩の庭の緑というコントラストが感じられる。
この写真のように見ることができる暮らしの背景、
ピクチャーウィンドそのものといえるこうしたなかに日本人は生きてきた。
こういう光景の中での、「習慣美」が沈殿してきているのだと思う。
農家型住宅ばかりでなく、都市型住宅でも
たとえば京の町家のような密集住宅でも
巧みに中庭を配置させることで、生活の中の四季感を味わうような暮らしを
工夫してきていますね。

こういうあたり、最近建てられる民家では、
室内空間の現代的快適生活の「装置的」部分の快適性は向上しているけれど、
緑との共存、暮らしの句読点とも言える部分のゆかしさ、
のようなものが、ずいぶんと無視されてきている気がします。
現代では、郊外に建てられる住宅とは言っても、
基本的には、集合的都市住宅であるので、
京の町家のような工夫をもっと進化させるようなことを考える必要があると思う。
あくまでもボックスとしての閉じられた快適性を
ひたすら追求するというのが、多くの作り手の関心事。
でも、それだけではなく、敷地条件を考えながら、
その土地での暮らしに溶け込んでいくような工夫が欲しい。
そういう意味では、ランドスケープデザインの手法を
暮らしへの提案として、トータルに提起して欲しいと思います。

はじめて建てた家で、って、いまも住んでいる家で、
増築前に一本のシンボルツリーを植えたのですが、
ずいぶんと、癒されたものです。
はじめて、地面に足を付けて暮らす感じ、というか、
この場所で、腰を落ち着けて暮らしていく、というような思いを
そんなしつらいから、感じたものでした。
木の様子を日々の暮らしの中で楽しんでいると、
四季のほんの小さな変化が、実に印象鮮やかに奥行きを持って理解できるんですね。
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