三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

関東の農村地域デザイン

2009年09月30日 07時01分59秒 | Weblog



今回の関東の住宅取材ではいろいろな意味で
「地域の伝統的な住宅性能デザイン」を感じることができました。
とくに関東は歴史もあり、関西とはまた違って
それなりに「新開地」としての豪放さも残されている部分があります。
きっと、日本のヤマト政権にしてみたら、
一時期の関東地域は、まさに豊穣な開拓地、という存在だったのだろうと思います。
近現代の北海道が占めていたような民族的な思いが
きっと関東にもあったのだろうと思います。
頼朝の、関東独立自営農業勢力を中核とした政権樹立は
この関東地域の旺盛な開拓努力が、
理不尽な「荘園制度」というしがらみを
武力で断ち切ったという側面が大きかったのだと思います。
土地制度が固定化し、がんじがらめになっていた畿内地域から、
より自由な天地を求めて関東の開拓に「一所懸命」になった多くの人々。
自力で開拓はしたけれど、政治的には
畿内政権側の高級官僚としての貴族や、寺社勢力という既存体制に
いわば、政治的庇護を受け続けて存在してきた。
政治的な補償を求めて、自ら切り開いた土地を
荘園として、有力勢力に「寄進」して守ってもらっていた。
そしてやがて、そういうバカバカしい存在に対して
「なぜ自分たちが開いた土地を自分たちのものにできないのか」
という自然な欲求を政治的に実現したいと考えるようになった。
それが、平将門の乱であり、頼朝の幕府樹立だった。
「ご恩と奉公」という関東武家の主従契約関係って、
要するに、土地の所有権保証が最大のテーマだったのだと思う。
アジア世界の歴史で稀有な、こういう革新的思想としての「封建主義」が
揺籃されたのが関東の農村だったと言えると思う。
こうした個人主義というか、家独立主義というか、
こういう概念が、政治的にも実現していたというのは、世界史的にも珍しいそうです。

ということで、やはり関東の本質は
地域に残された農村の知恵の中から、探り出せるのではないか。
そんな思いを持って、取材活動をしてきた次第です。
写真は、水田と集村を区画する緑地帯、防風林の様子。
段丘状の地形を活かして、傾斜地を植林した森にしています。
そこにはケヤキやスギ、アカマツといった住宅の構造材に利用できる樹種や
竹林などの、これも壁の構成材として利用できる
そういった樹木類が計画的に植えられています。
段丘状の上側には「集村」があって、住宅地になっています。
緑地帯の樹木を、子孫たちが利用して住宅の材料に使えるワケですね。
このような自給自足の輪廻を地域景観デザインとして
継続的に維持してきたのが、この地域の基本的なサスティナビリティだったのでしょう。
気をつけてみていると、関東中、こういう森があちこちに存在している。
まさに知恵が深いなぁ、と感心させられる次第です。





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円窓

2009年09月29日 06時53分17秒 | Weblog



先日の常陸太田市での取材の住宅での様子。
古民家の再生ですが、工務店さんの丹念な仕事ぶりをかいま見ました。
この円窓、サッシとしての形状が丸いのは当然なのですが、
ガラス面を嵌め込んでいる木の窓枠が
室内側、手前側が大きくなっています。
しかも若干の面的なふくらみもあって、
まるで3次元曲面的に仕上げられているのです。
従って、外部からの光が非常に面白い変化を見せてくれます。
外部からの視線遮断用にタテの格子を嵌めていますが、
それが外部からの光が変化するごとに陰影が複雑に変転万化する。

伝統的な日本家屋って、
よく見てみると、こういう部分ではたいへん冒険的というか、
アクロバティックな嗜好性を実現しているケースが多い。
まぁ、裕福な施主が頼む場合に限られてはいたのではないかと思われるのですが、
けっこう庶民的な住宅でもこういう円窓などを作っている。
作るプロセスを考えてみると
まぁ、なんとも手の込んだ仕事。
いまどきの工務店で、こういう手作業をできる職人がいる、
というのは奇跡的とも思えますね。
この窓の場合、窓枠周囲は塗り壁仕上げなので、
外部からの光は、より柔らかさが強調されていて、
こういう陰影を楽しむという生活文化の奥行きを否応なく感じます。
やはり地域には、それぞれの家の文化があるのですね。
こういう手仕事がきちんとその意義を持続可能であることが
わたしたちの住文化にとって、大切ではないかと強く感じました。




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首都圏の都市計画デザイン

2009年09月28日 06時50分20秒 | Weblog




2日間にわたった関東地域の取材を終えて
きのうはようやく体を休めることに専念いたしました。
計算すると、3日間の総移動距離は2300kmほどになります。
こういうのはやはり移動距離の長さに疲れは比例する。
とくに移動の多くはクルマだったので、
自分の運転でなくても、やはり疲れるものですね。
とくに関東地区での自動車運転は、注意が倍加する感じなので
疲れも蓄積するものでしょうね。
ということですが、今週も木曜日以降、3日間の出張予定。
体調を管理して、頑張らねばというところです。

当たり前のようなことですが、
関東地区で取材すると、涼房ということが大きなテーマとして
浮かび上がってきます。
その涼房についても、建物単独だけではなく、
いわば伝統的な地域の工夫、街並み形成上の知恵というような部分も目に付きます。
戦後以降の、いわば無計画な街区形成、
都市周辺農家の土地切り売りに準拠しただけの「街割り」という現代の状況では
こういった「知恵」の痕跡を認めることはできない。
まぁ、社会的に見ればある意味では無理はないのだけれど、
それにしても、地域の行政単位の無策ぶりは際だっていると感じます。
国の側では、農村人口を長期的に都市勤労者として
移住政策を長期的に展開してきていた。
そのために、住宅建築の主体を非安定的な「地域工務店」から
工業化住宅、を標榜する大手ハウスメーカーの成長にゆだねた部分がある。
そうであるのに、肝心の街区形成、住宅地の街割り計画では
ほぼまったく無計画に進展してきたのが実態。
たとえば、京都などの美しい街割りは、独特の町家建築を生み出すまでの
「住宅文化」の熟成をもたらしたけれど、
そういった歴史にまったく学ぶことなく、戦後社会は、
ただひたすら、日本の住宅文化を破綻させてきたのではないかと思います。
京都の都市デザイン、地域計画は、その時代の都市計画家が考えたのに相違ない。
通りと私的空間のバランスは合理的で、美しい。
それに対して、皇居周辺を除いた首都圏地域の都市計画の破綻ぶりはすごい。
遙かに後年、わたしたちの現在形成されている街区を
研究する人たちにとって、これはなんであるのか、
戦前までの日本の都市計画と、戦後の日本の都市計画の間に
巨大な隔絶を感じるに違いないだろうと思います。

たまたま、わたしがアメリカの都市計画家たちが作成したと思われる
札幌の街に住み、育ってきた経験があるから、
余計にそう感じるのかも知れませんが、
なんとも、すさまじい状況だと思わざるを得ませんね。
こういうなかで、個別の住宅計画を進めなければならないのは、苦しい。
そんな印象に強く包まれています。
<写真は、涼房デザインが良かった埼玉のおそば屋さん>





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厚生年金施設の断末魔

2009年09月27日 06時35分06秒 | Weblog



わたしがよく利用していた施設に、
例の厚生年金施設があります。
全国にある、グリーンピアとかサンピアとかいう名前の付いた施設ですね。
年金問題がまさに正念場を迎えそうな、政権交代があって、
ついに、というべきか、
いよいよ、断末魔を迎えたようです。
ただ、選挙の結果が出るまで、こういう案内はなかったはずなので、
もし自民党が勝っていたら、また先送りがあったのかも知れません。

なぜこのような施設が建設されたのか、
そしてどう考えても、経営的に維持できるわけもないのに、
存続し続けてきていたのか。
現代の奇観とでもいうべき様相を見せていたのですが、
ついに大鉄槌が下されようとしています。

きのう、仙台で宿泊してから札幌に戻ってきたのですが、
ちょっとした時間を利用して、
サンピア仙台という施設の日帰り温泉を利用したのです(笑)。
まぁ、なにも考えていなかったので、いきなりの張り紙にびっくり。
まぁ、営業はすべてストップするようで、
かろうじて日帰り温泉機能だけは来年2月まで続行とのこと。
単なる利用者の立場で考えると、施設は超一流で、敷地面積は超巨大。
利便性も、クルマ移動で考えれば悪くはない。広大な駐車場ももちろん、タダ。
なにより天然温泉でビジネスホテル並みの利用料金。
シングルの客室も広くて、大変豪華そのものなワケです。
仙台では、何を考えているのか、
ウォータースライダーまである屋外温水プールも併設。
年に何回使われていたのか、その実態も公開すべきですね。
会員制なのかどうか知りませんが、ジム施設も立派なのがありましたね。
まぁ、どう考えても民間の発想では採算が合うワケがない。
現代の奇跡、とでもいえるような役人天国だったわけです。
で、たぶん、こういう施設、超格安値段で民間に売却されると思います。
この施設についていえば、いま建設中の地下鉄にも近いので
広大な敷地を別な利用、たとえばマンション建設に利用するとか
いろいろ考えられそうです。
国民の財産がここまで浪費され、そのうえ、適当に処分される。
こういう事態になって、誰も逮捕者すら出ないのですから、
すごいことだと思わざるを得ませんね。
いま、日本航空のことが大きく報道されているけれど、
こっちのほうも、来年3月が期限の大問題。
どうなっていくのか、国民がこぞって監視していかなければならないと思います。
それにしても、こういう理不尽、なぜ許されてきたのでしょうか?
「公僕」という言葉は、学校で習う民主主義の基本だと思うのですが。
腹を切れとはいわないけれど、
どう考えてもこのまま許されていいことではない。
日本人の誇りを掛けて、この問題の処分には、厳正な対処を希望しますね。





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埼玉の住宅取材

2009年09月26日 09時53分54秒 | Weblog



きのうは埼玉県所沢市での住宅取材でした。
写真は、取材住宅現地まで案内先導していただいたアーキファームさんのクルマ。
設計事務所は新座市にあり、そこから現地までは20kmほどということでしたが、
この地域は、東京都との境界地域で、
低層住宅地は、区画整理・道路計画ともまったく破綻した地域。
ほんの小さな面積地域で市が境を接しており、
ほとんど住宅地で連続している。
案内していただいたわけですが、部外者にはメリーゴーラウンドのような
経路としか見えません。
地元の人なので、渋滞を避けるために大きな幹線道路を避けているのでしょうが、
その分、実態に近い交通の状況がわかります。
道路は、本当に「けものみち」といったほうが正確。
ところどころ畑地が耕作もされて残っているのですが、
そのとなりには狭小敷地で3階建てのような低層住宅地が展開しています。
所有権だけは個人の持ち物ではあるけれど、
乱雑な建てられ方を見ていると、これでは私権への歯止めが必要ではないかと
思われてならない。
あと、数十年経過して、
後世の子どもたちが、このような私権の結果の住宅を
維持し続けたいと考えるかはきわめて疑問。
なにより街区としての調和であるとか、熟成感が育つような街並みではない。
これならば、集合住宅としての戦前までの「町家」に戻して
街区整理をもう一度やり直した方が、後世の子孫たちのためになるのではないかと。

そもそも、このように美しくない街区形成を
ほぼ放置し続けてきた自由主義というのは、日本民族の発展という視点から見たときに
一体何なのか、と絶句せざるを得ませんね。
私権として、30坪なり40坪なりの私有空間を作るのであれば、
やはりマンションのみにすべきで、
このように乱開発されて、それぞれに土地所有権が存在するという状況は
土地利用の整理整頓にとって、まさに牙を剥いてくる恐ろしい状況。
まぁ、誰がやってもこういう状況になれば、もう為す術はないか。
物流や、経済活動のネットワークとしての道路整備も未来の準備が進みにくい。
都市居住というのは、どういう方向になっていくものか、
大いに考えさせられる取材活動でした。






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地域景観の再生

2009年09月25日 07時00分44秒 | Weblog



さてきのうは、常陸太田市での取材。
なんでも水戸黄門さんの墓所に向かう旧街道付近の
農村の景観が残っている集落の一角。

っていうことだったのですが、
飛行機のチケットが前日は取れなかったので、強行軍になりました。
朝、札幌を6時ころに出て新千歳空港から8時にフライト。
悩んだ末に、仙台への往復便にしておりました。
取材なので、クルマがいるのと、ふだんは東北各地に取材が多いので
カメラマンは郡山周辺からの合流になるので、
羽田に行くよりも、やはり仙台の方が利便がある。
なんですが、東北道~磐越道~常磐道と、高速の乗り継ぎで、
途中、郡山の隣の磐梯熱海インターでカメラマンと合流。
そこから常陸南太田インターまで行って、あとは10kmほどの一般道。
走行距離は360kmほどだったはずですが、
なんと言っても、連休明けということで諸事連絡電話がたくさん。
鳴り続けていたので、やむなく運転中にケータイしてしまったら、
やっぱりこういうことは神様がしっかり見ている。
電話を取ったとたんに覆面パトカーさんにご用。
急ぐ旅ながら、30分ほどは余計な時間もかかってしまいました。
っていうか、その後は連絡にパーキングでちょこちょこ停車して
電話連絡をしていたので、時間がかかった次第。
で、カメラマンさんと合流後は、運転をお願いして
電話対応用件を片付けながら、現地到着ということでした。
なんとも久しぶり、たぶん、10年ぶりのような交通違反。
いやぁ、反省しなければなりません。
急ぐほど、余裕を持った行程を考えなければならない、
とはわかっているのですが、シルバーウィークでありますね(泣)。

っていうような珍事が入ったのですが、
住宅取材の方は、まことに興味深い内容で、
たいへん楽しく、今後の編集構成にさまざまな示唆を得られた住宅でした。
内容は今後の誌面(Replan関東版~年末発行予定)でお見せしたいのですが、
まさに地域生活文化の持っている意味を現代が活かせるのかどうか、
わたしたちのサスティナビリティが問われるようなものだったと思います。
この家は、新住協メンバーが取り組んだ事例ですが、
温暖地方の地域住文化の再生、再発見に
断熱気密技術が、その基本要素として、
いわばベースとして活かされていく大きな可能性を与えてくれていると思います。
今週末、土日(26、27日)には現場見学会も予定されています。
ぜひ関東北東部のみなさんは、見られたらいいと思います。
一般のみなさんは言うに及ばず、
建築関係のみなさんこそ、しっかり見ていただきたいと思います。
まぁ、設計の豊田さんにとっては忙しさが倍増するので困るでしょうが(笑)。
連絡先は、0246-43-4432豊田設計か、
0294-72-2038施工の秋山建設さんまで。





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政権交代、改革と忍耐力

2009年09月24日 05時39分34秒 | Weblog



みなさん今回の初めての「秋の連休」はいかがだったのでしょうか?
札幌周辺では、きのうは高速渋滞はそれほどでもなく、
早めに帰宅して、きょうからの仕事に備えているというところでしょうか?

さて、本日から取材出張であります。
本当はきのうのうちに出発したかったのですが、
シルバーウィークというのをまったく知らなくて飛行機チケットが
まったく取れなかったのですね。
やむなく本日は、結構な強行軍日程であります。
朝1番の便で仙台に飛んで、そこからクルマで郡山の隣町まで行って
カメラマンと合流。
その後、常陸太田という茨城県北部まで移動という行程。
仙台からでも350kmくらいの走行距離になる予定。
これから年末に向けて、さまざまな仕事が団子になって進行します。
ことしは住宅関係、工事進行がベタ遅れ。
高性能住宅を建てられるビルダーさんも
国交省が進める「長期優良住宅」の認定作業の現場での審査遅れで
工事着工が進まず、「半年で1年分、仕事しなければならない」
(ある工務店経営者の言葉)というような状態になっています。
そういった状況が、わたしのような住宅メディアにも影響があって
なかなかこちら側の進行の都合がいいようには行ってくれません。
まぁ、やむをえない。

新政権発足以来、さまざまな改革の方向性が明確に示されてきています。
新政権発足で手続きがすべて変わってくるものかどうか、
政権側の考えは大体わかってきましたが、
一方で、官僚機構側はこれからどう動いていくのか。
国交省も、八ッ場ダム問題からして、どう収斂できるのかどうか。
ヘタをすると、成田空港問題とは違うけれど、
まったく逆の問題に発展していく可能性も出てきています。
政権交代と個別案件の摩擦って、避けられない部分はあると思うけれど、
具体的にこういう形で明確になっていくものかも知れません。
なかなか調整は難しい部分があると思います。
住宅関係でも、これまでの施策に合わせて進行していたプロジェクトもあり、
同じ国交省所管の政策なので、不透明になっていく部分がありますね。
本来であれば、民間の方に活発な経済活動があれば、
こういう国の施策云々はあまり実体経済に影響が少ないのですが、
いまは、経済的には大変厳しい状況の中、政府支出の影響力は大きい。
まぁ、みんなで知恵を絞って、どうやっていくべきか、
試行錯誤はやむを得ないので、未来を見据えて頑張っていくしかありませんね。
八ッ場ダム問題は象徴的ですが、
基本的には政府の決めた建設中止の方向性は正しいと思います。
ただ、それを実現していくのは、大変な勇気と忍耐力がいる。
こういうことを先送りしてきたのがこれまでの政治だったとも言える。
改革には、時間がかかるものだと思います。
明治維新もいろいろな混乱期を経て、実質的に動き始めるまでには時間がかかった。
民主党マニフェストという改革エンジン、
本当に実現するためには、政治家のみなさん、正念場と見定めて
正面から取り組んでいただきたいと思います。
前原さん、いまが与党政治家としての最初の試練だと思います。
で、これは民主党にとっても、かなり大きな問題になりそうです。
<写真は最近、道路脇で目に付く野の花。種類、わかんない~>





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プラスチック製品

2009年09月23日 06時00分48秒 | Weblog


家の片付けは、なかなか着手ができにくいけれど、
やはり放っておくと、とんでもないことになる。
わが家には、1箇所、できれば見たくないな、という場所がありました(笑)。
でも、きのうは積年のご無沙汰を解消すべく、大掃除に着手。
とはいっても、都合1時間程度でなんとか形は付いたのですが・・・。
まぁ、娘の荷物置き場になっていて、収納コーナー的になっていた場所。
ということなので、おもちゃや、本やらさまざまなモノモノモノ・・・。
親として、想い出に残してやりたいモノもあるわけで、
そういう親の目線で選択しながら、整理していきました。
そういえばわたしも、母親がわたしの高校までの私品を丹念に整理してくれていて、
なんと、ラブレターの類まで取っていてくれていたことがありました(笑)。
いまでも、その段ボールひと箱はわたしの宝箱。
母から、わたしの成長記録を渡されたような気がしたものでした。
時代は巡って、自分自身もこういう作業をすることになるのですね。
親になって知る親のありがたさ、ということか(笑)。
きっと、子どもがどんなことを考えて生きてきたのか、
跡づけられる、確認することができるのですね。
まぁ、今回はラブレターは出てきませんでしたけれど(笑)。

で、きのうのブログでも書きましたが、
現代の日本の状況が端的に見えてくるものです。
モノの総量の異常な多さ。
第2次大戦後、戦争の惨禍から復興していく過程で、
モノへの飢餓感のようなものが、日本中に充満していたのではないか。
きのうも化学製品の便利さが、手作り品の市場を席巻して、
駆逐してしまった事例として、手作りの縄製品のことを書きましたが、
まさに娘が生きてきた時代って、そのものズバリ。
写真が、その整理整頓の結果、ゴミとしか認定できないモノの内、
大部分を占めていたプラスチック製品です。
焼却処分できる「雑紙」類も多いのですが、
感覚では、こっちのプラスチック製品の方が多い。
一応、娘のモノなので、丹念に要、不要を考えながら、
まぁ、間違いなく不要であると決定できるモノを集めた結果です。
というか、プラスチック製品で、これは取っておくべきだ、と
思えたモノは、残念ながらほとんどなかったのが現実でした。
こどものおもちゃの類であり、
そもそも一過性のモノばかりという、そういう側面はあるにせよ、
こういう表面がつるんとした素材には、どうも感受性のヒダというものが感じられない。
「あぁ、娘はこれでよく遊んでいたよな」という感覚がない。
そうであるのに、無自覚にこういう素材製品を看過してきた
親としての怠慢を自覚させられました。
わたしとしてはなるべく少なくさせてきたつもりではあったのですが・・・。
確かに、プラスチック製品にも有用性はありますが、
しかしそれは、ほとんどが大量生産社会の利便性が大きい。
やはり、木製品や金属製品などの質感をもっともっと感じさせながら育てなければならなかった、
と言う反省が起こってきてしまいました。
みなさん、どう感じられるでしょうか?





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104年前からの北海道での生活記録

2009年09月22日 10時15分51秒 | Weblog

わが家の家系は、明治38年に広島県の福山にほど近い
「今津」という村から北海道に渡ってきました。
西暦で言えば、1905年と言うことになります。
いまから104年前なんですね。
当時の日本の人口は、推計で4500万人程度。
そのうち、北海道は推計で100万人に満たない程度。
人間というのは、
それほど本質的に考えることややることは違いはないと思います。
世の中の移り変わりのなかで、祖父や父親の世代たちがどんなことをして、
どんな考えを抱いていたのか、
自分自身も、そういう来し方行く末を考えるようになってみて、
多くの示唆に富んでいます。
そんな記録を、年長の従兄弟が書いていてくれました。
わたしよりもかなりの年長で、大正13年・1924年生まれですから、
ことし85才になります。
父の世代は大体、60代で亡くなっていますから、
高齢化社会というのは、確実にわたしたちに来ることが証明されている。

たぶん、この記録文章はもう7~8年前くらいにもらっていましたが、
今回、じっくり読んでみた次第です。
104年前、31才で長兄から家督を受け継いだというわたしの祖父。
祖母は、山口という旧姓で岡山県の農村出身と言うこと。
代々庄屋さんだったという家柄だそうで、
祖父の家も、そこそこは釣り合いが取れていたと言うことのようです。
しかし、長兄からどのような事情で4男であった祖父に
家督がバトンタッチされたのか、いくつか断片的な情報がある程度。
まぁ、温暖な瀬戸内海沿岸地域から、極寒の新開地に一家移住したのですから、
事情は推して知るべしだと思います。

・・・、というような記録を書き残してくれて
本当にありがたいと思いました。
ほかの誰でもない、自分の血がつながった祖父・父の息づかいが
克明に伝わってきます。
わたし自身も、父が死んだときに覚えている範囲で
その記録を書いておいたことがあります。
従兄弟の記録は、それ以前の記録に当たるわけで、
日本人が、どのように時代の中で生きてきたのか、
そういう状況を生々しく知ることができますね。

読んでみて、時代的な貧しさというものを実感することができます。
ものは圧倒的に少なく、それを生産したりすることがいかに大変であることか、
ひるがえって、現在はいかにものが溢れかえっているか、
消費社会といえばそれまでだけれど、
ものに対しての感受性のようなものが、著しく鈍くなっていると思う。
家についての記述もあって、まことに参考になります(笑)。
やはり化学物質利用が進んで、ものが圧倒的に溢れかえり始めたのだと思う。
端的には、「実子縄」という一語がわからなかったことなんですが、
昔の農家、というか、人口構成では圧倒的に農民が多かったわけですから
日本人一般と言って過言ではないけれど、
縄という生活の基本用具は、全部、イネなどのワラをなうことで創りだしていた。
農業生産物の入れものの袋類も全部生産し、
草鞋や、その他生活道具は概ね、そのような「納屋仕事」で作っていた。
その基本的な縄の名前が、「実子縄」というのだそうです。
こんなことすら、わたしのような年代のものでも知らない。
この記録文でも、大量生産の「便利な」化学製品が出てきて
一気に市場からこうした手作り品が消えていく様子が知られます。
それまでは、「荒物商」という仲買人が、農村各地を回って
こういう手作り品を現金仕入れして都会の消費地に運んだ実態が書かれている。
戦後以降の社会が、それまでの社会常識とは
まったく異質に走ってきた様子が見て取れる。
むしろ日本人は、戦前までの「ものがない」中で知恵と努力で
独特の「もったいない」精神による生活文化を創り上げてきていたのだと、ハッキリわかります。
いま、こういう文章をしっかり読んで、
行間にあるものを可能な限り追体験していく必要があると思っています。





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楽しい書斎整理

2009年09月21日 09時24分25秒 | Weblog



予定をまったくしていない連休の真っ最中です。
きっと、多くのみなさんは楽しく、行楽を楽しまれていると思います。
わたしは、家の中のこと、家族のこと、
整理整頓と掃除に明け暮れていまして、
合間合間に、買い込んでいた書籍や展覧会の図録などをじっくりと見ております。
国立博物館での展示図録など、
ここ数年、気に入った展示会などでは必ず購入していましたので、
こういう時間が得られると、無上に楽しく歴史世界に没入できますね。

写真はわたしの書斎のデスク上であります。
ちょっと恥ずかしい(笑)。
書棚と、収納棚に利用しているスペースとパソコン配線でぐちゃぐちゃだったデスクを
ようやくにして整理いたしました。
書棚の中には、まだ読めていない本がたくさんあります。
ライフワークの関係書、集めるだけ集めても
なかなか読破する機会がないものです。
ちょうど、坊主への整理整頓教育を兼ねていろいろ書斎の模様替え。
こうやってわが家の造作、使い勝手を工夫していると、
設計していた時のことが思い起こされてきます。
つい気ぜわしさに取り紛れて、「こう使いたい」と考えていた
使い方のことが実感を持って思い起こされる次第です。
考えてみると、この書斎的な場所って、
ものすごく自分ではこだわっていた場所でもありました。
で、いまはライフワークとして、北方日本の歴史研究、
それも数少ない文字資料と、それを取り巻く世界史的な視点、っていうような
分野への探求興味って、このような書斎を考えて
その利用計画の中で、漠然と「そんなことを研究してみたい」と
考えていたことだと、回心に似たような感覚で、再認識したのですね。
自分自身の環境作り、忘れていた原点的なものが甦ってきました。
よく他の人には「何をしたいのか、明確にして家づくりを考えましょう」って
言っているわけですが、紺屋の白袴。
っていうか、つい忘れてしまっていた意図と計画性を追体験しているわけです。

まぁ、こんな空間を持つことができ、
その中身としてのライフワークも発見できているのですから、
その幸せをもっと感謝しなくてはいけないと思います。




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