今回の関東の住宅取材ではいろいろな意味で
「地域の伝統的な住宅性能デザイン」を感じることができました。
とくに関東は歴史もあり、関西とはまた違って
それなりに「新開地」としての豪放さも残されている部分があります。
きっと、日本のヤマト政権にしてみたら、
一時期の関東地域は、まさに豊穣な開拓地、という存在だったのだろうと思います。
近現代の北海道が占めていたような民族的な思いが
きっと関東にもあったのだろうと思います。
頼朝の、関東独立自営農業勢力を中核とした政権樹立は
この関東地域の旺盛な開拓努力が、
理不尽な「荘園制度」というしがらみを
武力で断ち切ったという側面が大きかったのだと思います。
土地制度が固定化し、がんじがらめになっていた畿内地域から、
より自由な天地を求めて関東の開拓に「一所懸命」になった多くの人々。
自力で開拓はしたけれど、政治的には
畿内政権側の高級官僚としての貴族や、寺社勢力という既存体制に
いわば、政治的庇護を受け続けて存在してきた。
政治的な補償を求めて、自ら切り開いた土地を
荘園として、有力勢力に「寄進」して守ってもらっていた。
そしてやがて、そういうバカバカしい存在に対して
「なぜ自分たちが開いた土地を自分たちのものにできないのか」
という自然な欲求を政治的に実現したいと考えるようになった。
それが、平将門の乱であり、頼朝の幕府樹立だった。
「ご恩と奉公」という関東武家の主従契約関係って、
要するに、土地の所有権保証が最大のテーマだったのだと思う。
アジア世界の歴史で稀有な、こういう革新的思想としての「封建主義」が
揺籃されたのが関東の農村だったと言えると思う。
こうした個人主義というか、家独立主義というか、
こういう概念が、政治的にも実現していたというのは、世界史的にも珍しいそうです。
ということで、やはり関東の本質は
地域に残された農村の知恵の中から、探り出せるのではないか。
そんな思いを持って、取材活動をしてきた次第です。
写真は、水田と集村を区画する緑地帯、防風林の様子。
段丘状の地形を活かして、傾斜地を植林した森にしています。
そこにはケヤキやスギ、アカマツといった住宅の構造材に利用できる樹種や
竹林などの、これも壁の構成材として利用できる
そういった樹木類が計画的に植えられています。
段丘状の上側には「集村」があって、住宅地になっています。
緑地帯の樹木を、子孫たちが利用して住宅の材料に使えるワケですね。
このような自給自足の輪廻を地域景観デザインとして
継続的に維持してきたのが、この地域の基本的なサスティナビリティだったのでしょう。
気をつけてみていると、関東中、こういう森があちこちに存在している。
まさに知恵が深いなぁ、と感心させられる次第です。
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