三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【江戸時代「士農工商」は教科書から消えた?】

2019年05月31日 06時48分12秒 | Weblog
このマンガは先日見学した「最上徳内記念館」での掲示から。
わたしは現在67歳で昭和中期に生まれて教育を受けた。
そのときには江戸時代というのは「士農工商」の強固な身分制、
っていうように教えられてきた。
そういう基本的な認識について、このマンガを見て
「あれ?」と思わされたのです。
このマンガでは少年期の最上徳内さんが、地元の高山に登って
その山頂で「将来は立派なサムライになるんだ」と志を立てたとある。
おいおい、であります。
江戸時代って、士農工商という強固な身分固定社会という基本常識を
持って生きてきたのに、どうも様子が違うじゃないですか。

そういう強い疑問がわき起こって調べてみたら、
「多くの方が学校の授業で習った「士農工商」。教科書出版大手の
東京書籍が発行する教科書では、すでに平成12年度から
その記述は削除されていた。」ということなのだと。
サムライの子はサムライであり、農民の子は農民というふうに教えられたのは、
いったいどこにいったんだ、ということですね。
なんですが、いわゆる「士農工商」という職業的階層区分ではなく、
明確な身分制度というのはあったし、武士が特権階級を形成していたのも
事実だということだそうです。
いわゆる平民では農工商という職業間には差別はなかったというのですね。
いろいろ歴史好きなわたしですが、この事実はまったく知らなかった。
不明と不勉強を恥じるしかないのですが、う〜む仕方ないなぁ。

まぁこの少年期の最上徳内さんの「立志」は事実なんでしょうね。
なりたいと思えば武士になって幕府の官吏になって蝦夷地に行って
国家予算を使って測量調査や探検をしたかった立志を叶えた。
そういう自由があったのだというように江戸時代を再度、
理解し直すきっかけになったのでした。
しかし、歴史事実の発掘、研究業績の結果として
教科書の記述内容自体の変化ということがあったのであれば、
全国民的に知らせる必要はないのでしょうかね?
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【孤独社会の黒未来 「拡大自殺」と「家」崩壊】

2019年05月30日 05時17分39秒 | Weblog
先日発生した川崎市多摩区の殺傷事件。
まことに現代に生きる人間の心の深い闇を感じさせられる事件。
新聞などがその後の取材・調査報道を行っている。

朝日新聞WEBでは以下のような記事。
〜多くの死傷者が出た主な事件
●2001年6月 大阪府池田市の大阪教育大学付属池田小学校で、男に児童8人が殺害され、教諭を含む15人が重軽傷
●2004年8月 兵庫県加古川市の住宅2軒で7人が殺害される
●2008年3月 茨城県土浦市のJR荒川沖駅や民家で、男がナイフなどで切りつけ、2人が死亡、7人が重軽傷
●2008年6月 東京・秋葉原の歩行者天国にトラックが突っ込み、ナイフで切られるなどして7人死亡10人けが
●2010年6月 広島県のマツダ本社工場で男が車で暴走1人を殺害し11人が重軽傷
●2013年3月 広島県江田島市のカキ養殖会社で社長ら2人が殺害され7人が重軽傷
●2013年7月 山口県周南市で同じ集落の男女5人が殺害される
●2015年3月 兵庫県洲本市の住宅2軒で住民5人が刺殺される
●2015年9月 埼玉県熊谷市の住宅3軒で6人が殺害される
●2016年7月 相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害され、27人が重軽傷〜
そして産経WEBでは、以下のように「事件の背景」が書かれている。
〜岩崎隆一容疑者(51)が児童らを襲った直後に自殺したことから、
無関係な人を道連れにした「拡大自殺」だったとの見方も出ている(中略)
警察庁によると、自由に出入りできる場所で不特定多数を殺害する
「通り魔」事件は、平成19年から28年までの10年間に計73件発生。
死にたかった・死刑になりたかったと動機を語るケースも少なくない。〜
そして加害者の居住状況についても調査報道されていた。
別記事「“絶縁”の家庭、伯父ら手紙で様子伺い」で、
〜川崎市によると、岩崎容疑者は一軒家で80代の伯父叔母と同居。
食事や金銭的な援助を受けつつも、ルールを設けて
全く顔を合わせないようにし、口をきくこともほとんどない
“絶縁”生活を続けていたという。〜

わたしの内心での直感が、不幸にして的中しているようです。
家族関係が崩壊しての孤独の末に「個人」までが崩壊している・・・。
ここのところ、わたしもこのブログで
イギリスでの「孤独問題担当大臣」のことから、「家」制度の崩壊と
個人主義社会の暗い側面「孤独」状況について考え続けてきています。
やはり「家族」が社会規範の最後のところで健全に機能しなくなると
家族の崩壊がやがて個人の崩壊につながるのではないかと思うのです。
どうも現代の通り魔殺人には、こういった現代に潜んだ基底的な闇が
突然表出してくるのだと思われてなりません。
このような「狂気」に対する抑止とはどんなものが、と考えれば
やはり「家族」という人間関係しかありえないのではと思う。
個人主義に基づくキビシイ「競争」社会というものの「凶暴性」に
傷つかざるをえない個人を包み込む「マユ」としての家族。
住宅のなかに強い磁場、「家族」関係の揺りかごをつくることが、
社会的に目的化されなければならないのではないでしょうか。
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【機能進化と家族関係の「退化」 日本の大モンダイ】

2019年05月29日 06時53分52秒 | Weblog


写真下は最近の一般的な現代住宅のキッチンダイニング。
現代ではこういう空間が「家族団欒」の中心でしょうね。
このスペースに隣接してリビングがあってテレビが鎮座している、
というのが一般的な現代人の住まいといえるでしょう。
で、住宅企業としてはこうした空間についてその意匠性や機能性を
「差別化」要因として、建て主に「提案」することになる。
ただ、情報の画一化も進行しているのでなかなか差別化は難しい。
一方で上の写真は宮城県の古民家での囲炉裏端風景。
大体調理を行うのは土間空間であって、そこにかまどが装置され
「流し」などもあってそこで調理したモノを
この囲炉裏を囲んで家族で火を介在させながら食事した。
テレビなどの情報機器はないから、ここでの家族の会話が
最大の「情報摂取機会」でもあった。
家族の会話はおたがいの状況を知って対応をみんなで考える場にもなった。

さてどっちが、「より癒されるか」。

・・・って、いかにも示唆的なので
古民家愛好家であるわたしの感覚を知っているみなさんは、
大体の決まりパターンだと思われるでしょうね(笑)。
その通りだと、わたしも思うのですが、しかし、
こういう風に対比させると「なにが進化し、なにが退化しているか」
ということを検証するきっかけになるのではと思う次第。
機能的にみてみると、やはり家事労働の総量は減っているでしょう。
調理に要する「火力」だけとってみても、
古民家ではひたすら家周辺から採取してきた薪がエネルギー源。
人類進化のプロセスでこのバイオマス熱源の採取と利用のバランスが
人口密度を決定したという説も有力と言われてきた。
さらに食材もひたすら「自然食材」なので調理には手間と時間がかかった。
こういった調理労働への労力負担がきわめて大きい。
現代ではこうしたエネルギーはスイッチひとつになった。
なので人口密集度はきわめて高くなって、都市集住が多くなった。
食材についても、生産から流通過程すべてで家庭での調理を簡便化する方向で
進歩してきたし、家電などで食材のストックも容易になった。
総じて家事労働の負担は大きく低減化してきた。
しかし利便性の進化は、家族関係の相対的「退化」も促したのではないか。
下の写真で想定される「家族の会話」風景を想像してみる。
まず父親は夕食時、いっしょにいるのだろうか?
いっしょにいるとしても会話の代わりにテレビの饒舌が聞こえてこないか。

こういうふうに対比させてみると、
「家族」というもののありよう自体が、変化していることに気付く。
下の写真の現代住宅に「無性に還って来たくなる」気分が起きるかどうか。
世界は今、無意識のうちにアングロサクソン社会の「核家族」を
共通価値感のベースに据えてきているけれど、
きのう書いたように、そのイギリスが「孤独」社会化を迎えていることを
われわれはもっと深く受け止めなければと思う次第です。
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【英国人13.7%が「孤独」 個人主義社会の必然か?】

2019年05月28日 07時53分49秒 | Weblog
やや旧聞なのですが、スライドは2018年1月にお話しを聞いた
近畿大学・岩前教授の講演での発表からです。

住宅を主要なテーマにしてもう35年くらい。
住宅の作られようを取材し社会の趨勢、志向性を見る日々。
そうすると現代人が好む「生き方・暮らし方」について
自ずとある「方向性」も見えてくる。家を考えていけば
家族のありよう、人の生き方に行き着く。
で、日本社会は明治の開国以降、太平洋戦争にいたる特定時期を除けば
基本的にアングロサクソンが主導的な世界観、資本主義的価値感を
「普遍的近代」なるものとして受容してきたのだと思う。
鬼畜米英というスローガンの破滅から戦後は一転して
明治以降の基本路線、日英同盟・日米同盟路線に復帰したとも言える。
そのマザーとしてのイギリス社会で「孤独」担当大臣が任命される
というのは、なにかを強く暗示している。

日本の住宅は人口減少と言われつつ
新築棟数は徐々に減少してきているとは言え、アメリカなどと比べれば
まだまだ人口対比で棟数は多い。
英米では住宅ストックが多いのでリノベの方が活発。
日本では家の棟数は増えているけれど家族数はどんどん縮小している。
いつか2世帯同居も可能なようにと親は立派な家を建てたけれど、
子どもたちは同居には同意せず、どんどん「個住」傾向になっている。
したがって大きな家に老夫婦だけが増え、さらには死別による単身化が進む。
やがてそれらの残骸が大量の「空き家」になって来る。
都市部であれば整理して売ることも出来るけれど、地方ではすでにリスク。
その根源には、この趨勢、単身住宅の方向性が潜んでいるように思う。
生き方の価値感に於いて、家族とか「家」意識よりも
個人という存在に限りなくフィットさせる方向に力が働いてきた。
伝統的古民家とかを見れば、その生き方の価値感の主要なありかは
いまを生きている人間よりも、連綿とつながってきた「家」意識のほうが
はるかに規範として優越していた様子が明らか。
家には神聖空間がかならず意匠されて、
それがもっとも重要で格式を持った空間として保持されていた。
それに対し現代の住宅はほぼそうした神聖空間は顧みられず、
個室とか、個空間といったものが重要になって来ている。
家族の団らんというものは意匠されても、その先の
ご先祖様というような「つながり」からは遮断されている。
そういう住空間に慣れた人間は、そういう意匠方向性を再生産する。

まぁいまさら、大家族的な集住方向に向かうとは思えない。
こういった生き方・過ごし方が定着していって
どういう住宅の変化が顕在化するのか、深くウォッチですね。
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【5月の北海道で39.5度 気候変動さらに地震も】

2019年05月27日 06時40分36秒 | Weblog
昨日は貴重な休養日。札幌近郊の日帰り温泉で休息。
なんですが、帰りにクルマに乗ったら車中温度がハンパない。
外気温計を見て36度とかになっていて、驚いた。

〜北海道・佐呂間39.5度=5月の全国最高更新-広範囲で真夏日・気象庁
日本列島は26日、高気圧に覆われて朝から晴れた所が多く各地で気温が上昇した。
特に北海道東部で真夏並みの猛暑となり、北海道佐呂間町で39.5度を記録。
5月として全国の観測史上最高気温を更新した。〜
そのうえ土曜日には千葉県で震度5を上回る地震。
その後も地球の反対側・ペルーで震度8の大きな地震。
さらに追い打ちを掛けるように茨城で本日4時過ぎに震度4とか。
異常気象というコトバは現在はあまりにも頻繁すぎて
こういった異常に対して人間を守る機能が求められている。
原因についてはどうもいろいろな複合的要因なのでしょう。
地球自体の「変動期」という要因と、人類が関与した結果としての
CO2濃度の上昇などがからみあっているのでしょう。
長期的には人為要素をコントロールしつつ、
地球環境となだらかに調和する対応を考えていかなければならない。

わが家はコンクリートブロック外断熱の築28年建築が主体構造ですが、
夏場になると、ちょうど「蔵」のような安定した気温が特徴。
きのうもフェーン現象のような外気温から帰ってきた
午後2時ころ、家に入った途端に一気にクールダウン。
室内気温は年間を通して大体20〜25-26度ですが、
今時期は大体24度程度で推移している。
冬期には暖房を入れる必要があるけれど、夏場にはほぼ断熱だけで
これくらいの気温を維持してくれています。
気候変動に対応するには、まずは外気温に左右されない断熱が
やはり最大のパワーを発揮してくれる。
気候変動の時代、まずはシェルターとしての安心感、いごこちこそが
住宅の最大の要素になっていくことはやはり自明だと思いますね。
その上で、写真のような納涼的な建築デザインの知恵が求められる。
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【ふつうの民家店 無限草の根そば文化 in 山形】

2019年05月26日 07時05分21秒 | Weblog



きのうは山形におりました。
昼時前の予定がやや伸びて、大急ぎで仙台に戻って札幌帰還の予定。
お昼をどうするかなと頭をよぎった瞬間、やや田舎道で
「そば」の看板が目について、それに案内されてたどりついたら
どうもふつうの民家なんですね。
道路と周辺の方位的・位置的に目立ちにくい。
っていうか、ふつうの農村的郊外住宅地の中の民家。
隣接して池があって、コイとかが養殖されていて
そちらが借景にはなっているのですが、
中に入ってみると、まごうことなきごく一般的住宅。
で、居間に座卓、ダイニングとおぼしき場所にはテーブルが
置かれていて、そばを食べられる店なんですね。
「食べ放題1000円」というPOPもある。
そんなには食べられないので、ごくふつうのもりそばを。

山形はそば文化が根深く息づいているので、
こういうごくふつうの住宅でも、好きが昂じてということなのか、
そば店を営むというケースが多いように思う。
たぶん、そばをあちこちと食べ歩いているウチに
「これなら自分で打ったそばの方が美味い」という自信が昂じて
開店するケースが多いのではないかと推測できる。
あるいは、農家などでご近所から「あんたん家のそば美味いわ」
とか褒めまくられて開店する、というようなことも多いのではないか。
他地域から来ると、こうした草の根のそばワールドぶりに
刮目させられるワケですが、
こういうのはこれでワンダーランド的な強い磁場を感じさせられ愉しい。
そばは、食べてみないとわからないので(って当たり前)
そこにいたるプロセスを楽しむというのはありでしょうね。
こっちにしてみると、数寄こころを強く刺激される。
たぶん山形そばの本然の姿はどうもそのあたりなのかと。
そばはコメとも並ぶほどの国民食なので、
まことに奥行きが深すぎてハマらざるを得ませんね(笑)。
それと、漬物との相性はコメ以上なのではないかと思います。
こちらの店でも漬物は山菜のゼンマイなども無料食べ放題。
このそばー漬物の無限循環も日本人には病みつき要素なのでしょうか。
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【唐破風と注連縄 この手があったか(笑)】

2019年05月25日 06時16分54秒 | Weblog


古寺社巡礼はわたしの基本的趣味。
その土地の歴史とか風土性。その時間の蓄積感がたまりません。

写真は山形市内中心部、駅から5分くらいの位置にある日枝神社。
前からちょっと気に掛かっていましたが、
ホテルからも近かったので、参拝してみた。
この写真位置の参道から正面というアングルは
車道からは見えない位置取りになる。
参道がほぼ道路に対して並行しているのですね。
道路は南北方向のようなので、社殿は南に対して開いている。
正面から見て唐破風の丸みと調和させるような注連縄の丸みが
ワンパッケージでビジュアル構成されている(笑)。
まるで神さまの目玉がじっとこっちを凝視するかのよう。
その目玉がなんとも「ぎょろ目」っぽくて
これはあきらかに狙ったデザインに相違ないと伝わってきた。
注連縄から下がる縄もまつげっぽい。
「唐破風」というのは名前とは無関係で
実は日本オリジナルの屋根デザインであるそうなのですが、
日本人はこのデザインがまことに大好きだといわれる。
神社などの宗教性、あるいは公共性のデザインに於いて
「和の国」ということにも通じる「民族性」表現なのか。
こじつけっぽいけれど、どうもある真実ではないかと思われますね。
しかし、この唐破風と対照させた注連縄の位置取り。
注連縄って,特段カーブの傾斜角度には限定性はないのでしょう。
なので、このようにけっこうな急角度にするのも
まったく自由に意図することができる。
「この手があったか」と一本取られた感に浸らされた。

で、面白くありがたく参拝してふと見上げたら
今度は鈴の色合いが、やや褪色してはいるけれど、
どうも伝統的な赤の丹色と緑色が左右で配色されていることに気付く。
おいおい、であります。創建時にはさぞ耳目を「賑わせた」に違いない。
この神社は日枝神社。日吉・日枝あるいは山王神社という
社名の神社は山王信仰に基づいて大山咋神と大物主神(または大国主神)
を祭神とし、日本全国に約3,800社ある。
日吉大社では猿を神使とするが猿との関連性についてはよく分かっていない。
おそらくは原始信仰の名残りではないかと推測されている。
山形なので、山岳信仰ということから勧請されたものでしょうが、
サルを神使とするというキッチュさにおいて、
こういった建築デザインを受容する社風を持っているのでしょう。
宗教、建築、風土性など面白く一体で表現されていますね。
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【アイヌチセの住宅「デザイン」要素】

2019年05月24日 07時56分58秒 | Weblog


最近はどこのビルダーさんも「性能とデザイン」フレーズを使っていますね。
まぁ私のブログも2005年からなので、もう14年間もその看板。
ということで、住宅デザインということを深掘りするようになっています。
デザインっていうコトバは限定性よりも拡張性がある。
Wikipediaによると、
デザイン(英語: design)とは、審美性を根源にもつ計画的行為の
全般を指すものである。意匠。設計。創意工夫。
またオブジェクト、システム、 図画、設計図、回路、パターンなど)を
構築するための計画、または作成する行為など、
「デザイン」はさまざまな分野で異なった意味として用いられている。
〜って言う表記になっている。
ほぼ一般語扱いと言えるのでしょうね。
「審美性を根源にもつ計画的行為」という語彙でいえば、
住宅を作って行くことはデザイン行為そのものと言える。
そう考えると、温故知新、昔のそうした営為についてヒントを求める。

写真は先日訪れた「最上徳内記念館」隣接の「アイヌチセ」。
まぁアイヌの人たちの「家」なのですが、
北海道に縁のあった最上徳内さんらしく、北海道厚岸から
このチセを作りに来られてできた、という説明でした。
アイヌチセをこういう場所で見学するというのも、不思議体験。
わたし自身は北海道でほぼ年に一度くらいのペースでは
見学する機会がある。
で、デザイン的な志向から見てみた次第。
というか、アイヌのみなさんの「審美性を根源にもつ計画的行為」
という見方からして見たら、この「間取り」の考えに
すべてが思想として表現されているとわかる。
正面奥にはもっとも神聖な空間が「神座」として装置され、
その左手隅角付近は「家の守り神」が配置されて、
左手の壁面には「家宝」が端座するようになっている。
寒冷地住宅として、囲炉裏は家の中心にあって手前側に
日常生活の空間が広がっている。
アイヌの人たちのデザイン感覚の骨格が表現されているのでしょう。
よく考えてみれば、明治期以前の日本の住宅も
こういった「ハレとケ」に大きく分かれていたことは共通する。
敬虔な祈りを中心的に考えることがデザインの基本だった。
人間としての生き方・価値感に於いて共通だったように思う。

今日の住宅づくりではこの基本的な共通項が意識から後退している。
「なにがいちばん大切ですか」という問いかけから
家づくりがスタートするように思われる。
それくらい、個人の考えの方を優先する社会になったといえばそうだけれど、
そうなると「そんなことあんまり考えたことない(笑)」っていう
新たな困難なテーマが浮上してくる(ように思う)。
さてどっちが、美しく仕上がっていくのか、はよくわからない。
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【人口減少と2330万人超・急増の千歳空港利用者】

2019年05月23日 08時55分47秒 | Weblog



仕事柄、新千歳空港は週に2回北海道とそれ以外の往復で利用する。
たぶん、年間利用回数は100回くらいでしょう。
50-60数年前の少年期、わたしはJR札幌駅から2kmくらいの街中に住んでいた。
市電が走っていて最寄りの停留所まで100m、停留所3つで駅に着いていた。
どこか遠くへ行くという夢想をするには、鉄道駅がベースだった時代。
その当時、父親がときどき仕事上の技術移転のために東京に行くことがあったけれど、
そのときは飛行機に乗っていた。
それは珍奇なことであり、地元新聞に利用者名が掲載されていた。
記録を見てみるとその当時は1日あたり1000人程度。年間で30-40万人。
おおむね道外から北海道に来る人の方が多かっただろうから
地元の人間が出掛けるのは情報としても価値があったものかと。

そういった時代から、いまや、年間利用者数はうなぎ上り。
2330万人あまりというから、1日で64000人ほど。
なんと羽田の利用者の1/4強が千歳に来ている。
羽田と成田合計で1億2,800万なので、対首都圏で18%以上になっている。
関空と伊丹の合計の関西圏で4,500万、それとの対比では52%。
首都圏人口が3,000万とすれば利用者人口は4倍、
関西圏人口2,500万とすれば、空港利用者人口は0.55倍。
一方で北海道千歳は人口530万人に対して、利用者人口は4.4倍程度になる。
まさに国内有数の、というか世界的にも高いレベルだと思われる。
特に首都のある地域以上に人口比利用客割合が高いというのは稀有。
そのような状況なので、先日は空港と飛行機との連絡がバスで
その通路が飛行機で塞がれて大幅に時間が遅れたりした。(写真上)
交通渋滞が、飛行機まで巻き込んできている(笑)。
たぶん駐機場が足りなくなってきて、
こういったところまで管制が及んでいないということなのでしょう。

こういった傾向がしばらく継続してきている。
日本人の人口は確実に減少することが予測されているけれど、
ことしから労働力としての規制が緩和されて、
以前からの傾向、多国籍化には一層拍車が掛かっていきそう。
人口減少はすでに相当進行してきているけれど、
GDP自体はそれとはパラレルにはなっていない。
こういう移動人口は、消費という意味では非常に大きな位置を占めている。
関西などは、アジア圏からの流入が関空事故で途切れたとき、
繁華街で閑古鳥が鳴いていたといわれる。
住宅サイズの建築という需要では、しかしこういう移動人口増加とは
どうしてもパラレルにはならないだろう。
消費とは言っても、資産的な投資側面が大きいのだからムリはない。
しかし徐々にいろいろな影響は見逃せなく発生してくると思われる。
労働力として日本在住を認められた人々の住宅需要というものもあるし、
すでにニセコ地域で顕著な「投資案件」的な需要も旺盛。
どうも単純な「人口減少➡住宅需要の急減小」となるかどうか、
市場の変化、動向を注視していかなければならないと思う。
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【羽黒山・祓川神社にかかる天然石の橋】

2019年05月22日 07時15分58秒 | Weblog



祓川と須賀の滝 (はらいがわ・すがのたき)
昔、出羽三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、
水垢離をとり三山への登拝の途についた。
滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より
約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けた。

国宝・羽黒山五重塔シリーズ(笑)であります。
出羽三山神社の一帯には、多くの建築と土木の工事がみられる。
建築はわかりやすいけれど、そこに至る道路や階段など土木の工事も
歴史年代あるいは、縄文以来とも思われるような
深遠な人力工事痕跡があちこちにみられる。
出羽三山地域という、遠景で見ても美しいパワースポットへの
多くの人々の敬虔な愛情表現とも受け取れてたのしい。
わたし的に「おお」と思わされたのがこの天然石の橋であります。
この「祓川」というのは上の記述のような「清め」の水浴場のようですが、
この橋の先には「祓川神社」という社が建っている。
たぶん、身を清めた修験たちは、この社に参拝してから
さらに登山を目指していったのだろうと思います。
そういう意味で、羽黒山全体として神域への通過儀礼箇所。
多くの人間が参拝する通路として、この橋は重要だったのだろうと。
で、その橋の掛け方がなんとも豪快な工事。
川幅は15-6m前後でしょうか。その岩場っぽい川底から石を積み上げて
3箇所の橋げた・橋脚を造営し、そこに平板上の自然石を渡しかけている。
万が一を考える手すりなどもなく、足を踏み外せば固い岩場の川底に落ちる。
神域への通過儀礼箇所らしく、自ら身を処すように仕掛けている。
川底から大小の石を積み上げていく橋脚自体は時間はかかったにしても、
そう大きな工夫はいらなかっただろうけれど、
この自然石の平板はどのように切り出されたモノか、
また、ここまで運搬して屹立させた橋脚部にわたす工事は
どのように行ったのか、その工事の年代も考えてみて興味を持った。
この神社と橋の手前には「朱塗りの美しい神橋」が掛かっていて
案内などはそちらについて記載されているけれど、
この自然石渡しかけの橋については説明がなかった。
はるか昔人の労苦に思いを至らせて、謹んで渡らせていただきました。
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