三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【北海道は東海道と同時期に鉄道開設】

2020年01月29日 06時30分48秒 | 日本社会文化研究


さて「北海道住宅始原期への旅」シリーズですが、
写真はなぜか神奈川県横浜市「鶴見」駅の明治はじめと最近の
駅写真であります。
北大の「北方資料データベース」にはなぜかこういう写真もある。
開拓使という歴史上10数年間だけ存在した「中央官庁」は
札幌に本庁を置きながら同時に中央省庁として東京にも本部機能があった。
企業で言えばダブル本社制みたいなものでしょう。
長官である黒田清隆は中央政府要人として東京に在住している必要があり
また開拓使の政治力の源泉はかれの存在であったのですから
いわば必然的なスタイルだったのだと思われます。
それで指揮命令系統に齟齬が生じることもあったワケですが、
そもそもがそういった組織形態であったことの表現だった。
たぶんこういった関係からこの写真は北大に格納されたのではないか。
駅の建築について、そのイメージを現物の駅舎で確認させるみたいな。
東海道線の「標準的」な駅舎としてたまたま当時の鶴見駅の規模が
ひとつの「尺度」として採用された可能性がある。
150年の時間の推移で鶴見の駅舎は大変貌を遂げているけれど
北海道の地方の駅舎ではまだ、この明治初年の鶴見駅舎と
そう変わらない景観のものも決して少なくはないだろう。
そもそも北海道の鉄道敷設は東海道、関西圏に続いて3番目。
いかに開拓が至上命題とされたとは言っても、
人口規模で考えれば地域に投資する順序はあきらかに経済効率計算ではなかった。
しかし早い段階での交通手段の導入は「観光」という事業領域を生んだかも。
最初の北海道の鉄道が明治天皇の「お召し列車」であった事実は
一種の地域としての「エキゾチズム」を生成させるきっかけにはなった。

このことは、北海道の地域としての性格付けにも影響した。
基本的な部分で深く東京との関係が強まったということ。
よく北海道の「となりの県」は青森ではなく東京だと言われる。
主に国家的公共事業による開発独裁的な発展の仕方をしたので
そのような地域色がついたのだといえる。
まぁそういう意味では「東京の植民地」と悪くとらえられもするけれど、
北海道としては前向きに、ニッポン人感性的な「資産」とも思われます。

さてわたしも東京関東との往復が人生長かったので
東京での出張時の滞在先も好みがずっと推移してきた。
はじめの頃は便利な繁華街中心だったけれど、徐々に気分が変化して
なぜかいまは「鶴見」がお気に入りになっている。
都心との距離感、適度なローカル性ということと、
總持寺があって、毎朝たのしい「朝勤」を参観できることが魅力(笑)。
宗派は違うのですが、その修行の様子がなんとも刺激されるのですね。
そんなところにこの写真と出会って、勝手に盛り上がっている次第。
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濃密なコミュニティから無縁社会へ

2015年09月25日 05時50分05秒 | 日本社会文化研究
ことしこれまで読み続けてきた本のなかでいちばん衝撃的だったのは
やはり、「人類史の中の定住革命」という1冊でした。
どうしてもわれわれ現生人類は、農耕社会成立以降の
ものの開発過程という表面的なものに目が向きがちですが、
この本では、わたしたち人類が獲得してきた意識の古層を
それ自体を「進化」としてとらえて、解析する目を与えてくれました。
脊椎動物の進化に於いて「口型」「手型」の分類など、
あまりにも当たり前すぎて、普段は絶対に気づきもしないことが、
実は「進化」にとっては、きわめてエポックメーキングな「出来事」だった、
という視点など、まったく衝撃そのものでした。
そういう進化に、わたしたちは巨大な時間をかけてきたのでしょう。

その読後以降、やはり視点に於いて、
そういった巨視的な部分から演繹してくるように心がけるようになりました。
最近、そういう視点での気づきがあったのが、
アイヌ研究の瀬川さんの本を読んでいて、
旭川アイヌ社会の人々との交友関係の様子について触れた箇所。
まるで親族のような「濃密なコミュニティ」の様子が語られていた。
そのことが、人類学での「なぜ、言葉が生まれたか」という問いでの
「相互の緊張緩和」にその根拠を求めた部分と、ピッタリと重なって
この「濃密なコミュニティ」というものが、
このことの現代にまで残されてきている人類的痕跡ではないかと
そんな思いに駆られた次第です。
現代人に於いては、この「濃密なコミュニティ」というものは、
だんだんと忘却されつつある人間関係ではないかと思います。
わたしの親たちの世代についてみてみると、
このような「濃密なコミュニティ」に、かなり依拠しながら生きていた。
北海道に移住者として渡ってきた祖父の世代では、
郷里を同じくする人間関係に依存して、居住箇所を定め、
生きていく手段も、さまざまな依存関係において選択されてきた。
つい数十年前までは、そういったウェットな社会関係が一般的であったのに、
いまはそうした関係性よりも、もっとドライな資本主義的というか、
「濃密なコミュニティ」とは違う、いわば「無縁」社会が広がっている。
血族あるいは、地縁というような関係性がはるかに後退し、
そのすき間を、公共であるとかの「無縁社会」が、
制度として埋めようとしてきている社会にわたしたちは生きている。
もうすぐすると、「濃密なコミュニティ」という実体が、
忘却されていくことも、予測していなければならないのかも知れない。
社会というものへの、冷徹な分析眼を持たねばならないと、
そんなふうに思っているところです。
この流れは、とめどなく続いていくのでしょうか?





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根室海峡・北方領土の豊かな可能性

2015年09月23日 07時41分02秒 | 日本社会文化研究


今回、シルバーウィークを利用して
道東の中標津を起点にして、「環根室海峡地域」を
標津、野付半島~知床と周遊してみた次第です。
日本全体で見ると「東の境界地域」というようになると思います。
長く日本史では、関東の東の先っぽを、日本の東端とみなして、
そこに鹿島神宮を建てて、尊崇してきた歴史だと思います。
鹿島神宮には、大太刀がありますが、
それは東夷を斬り従えるという意味合いがあることが明瞭で、
その所在地の先は、国外であるという認識があったことと思います。
征夷大将軍という国家の一将軍号が、実権の所在に変化していく
そういう大きなテーマで日本政治史は動いてきたといえる。
はるかに時を経て、日本海交易という物流システムが
日本の経済活動においてきわめて重要な位置を占めるようになり、
その活況の時代を切り開いた高田屋嘉兵衛さんによって
この海域の漁業資源開発が進められたような歴史がある。

そしていま、先の戦争の結果として、
国後島から東側はロシアの実効支配下にある。
晴天にこの海域を見晴らせば、豊かな生態系を育む、
列島社会にとっても有数の豊かな海域であることが見て取れる。
安倍政権は、ロシアのプーチン大統領とは
話し合いの糸口は摑んでいるように見える。
黒海周辺での領土紛争によって、
西側陣営はロシアを封じ込める外交攻勢をかけ
その一員として、日本もやむなく対ロ制裁を加えている。
安保法制の完了を踏まえて、対ロ外交はさっそく口火を切った。
ロシア側は、口頭では領土問題は話し合っていない、としているけれど、
岸田外相に対する対応は、想定の範囲内でかなり良好だと思う。
漁業資源に対する対日制裁的なロシアの動きも、
日ロ外交のいろいろなカードを持つという、そうした外交手段のように見える。
いったんは、プーチンの来日という外交約束はできていたので、
現実的な双方で受け入れ可能な了解点は、見えているのだと思う。
日ロ関係でもっともセンシティブな要素であるアメリカとの関係で
日本の安保法制整備完了は、ある種のフリーハンドを
安倍政権は手にしたといえる。
このタイミングでなら、対ロ融和的な動きを日本が示したとしても、
アメリカは柔軟姿勢を取れると日ロ首脳は見切っているのではないか。

高田屋嘉兵衛さんも、江戸末期、身を捨てる覚悟で民間人として
困難な日ロ外交交渉を成し遂げた。
対ロ関係ばかりではなく、
安保法制整備によって、日本はかなり「自主的」な外交戦略を
展開できる可能性が生まれてきたのではないかと期待しています。
この根室海峡地域が、大きく発展していく根拠が、
日ロ交渉によって、前進していくことを期待したい。
日本として、というより北海道人として
この豊かな海域を十分に開発させる経済発展の可能性を
大いに期待して見守っていきたいと考えています。

<下の写真は羅臼から国後島を望む>

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知床 「クマと人間」との共存思想

2015年09月22日 08時18分08秒 | 日本社会文化研究


前日の野付半島に引き続いて、知床に行ってきました。
北海道にいると、札幌からは遠いこともあって、あんまり訪れない。
2~3度、来たことがあるくらいであります。
最近はどこのビジターセンターも情報が充実していて、
とくに動画情報はわかりやすく、楽しませていただいています。
きのうの知床でも、羅臼からウトロに半島を縦走する国道沿いにある
知床ビジターセンターの動画は、たいへん美しくよかった。
間欠泉は、残念ながら「たったいま、終わったわ(笑)」ということでした。
あちこちのスポットはたいへんな賑わいで、
ここは首都圏のどこかの観光地かと思わされるほど。
やはりシルバーウィークの威力は凄まじいですね。

っていうような楽しい行楽だったのですが、
そのついでに立ち寄った「熊ノ湯」。
無料で露天風呂に入れるという温泉なので、
つい、入って見ることにしました。こういうのには、どうしても弱い。
まぁ常識で考えて、どうして無料なのかと推し量るべきだった・・・。
でも無料で、衛生管理とか誰がやっているのだろうと、
そういった意味でも不安感はあったのですが、
道南の椴法華・水無海浜温泉や、青森と秋田の中間の海岸に湧く温泉にも
入ったこともあります。まぁ、物珍しでの入浴ですね。
椴法華ではみんなのマナーで維持されている。そういう経験もあって、
惹かれるままに、裸になって、体を洗ってから入ろうとしたら、
「おい、頭からかけ湯して入れ! 熱いんだぞ」と
アタマからケンカ腰の声を掛けてくるひとがいました。
「???」とは思ったのですが、言い方にはトゲがあるにせよ
言っている中身自体はこっちへの配慮のようでもあるので
「・・・ありがとうございます。では・・・」ということで
頭からかけ湯して、その熱さを体験してから入浴しました。
たしかに耐えるのがやや辛いような熱さではあって、
そんなに長時間、入っていたくなる湯でもない。
なんですが、わたしも修行の足りない身なので、
「口論したりすれば、他のひとに迷惑かけるから」と
ガマンして聞いていた部分が、湯の中で、腹の中から立ち上ってくる。
それもあり熱すぎるのもあって、早々に湯を出ましたが、
その背中で、ひそかな笑いが聞こえる。
まさかと思いましたが、わたしのカラダが火照っている様を・・・
え、身も知らない人間のことを? という驚きですが、
まぁ、他の方の気分を害しても仕方ないとあきらめ、
しかし一刻も早く立ち去りたいと、イヤな気分で、風呂を出た次第。

どうも、あとでインターネットで調べたら、
そういうオヤジさんたちがいるのだそうです。
まぁ、この湯を維持し続けている地元のみなさんの中のひとりでしょうか。
無料でも、土地と泉源自体はだれかの所有かも知れず、
また、維持管理する手間は誰かがやっているのは
理解出来るし、その気持ちも推量はききます。
しかし、いきなり上から目線の態度というのも、常識理解を超える。
こういう事を知った上で、この無料の風呂に
もう一回、入りに行くかどうか、その辺はきわめて微妙(笑)。
でも考えてみたら、そのオヤジさん、
ずっとシャンプーやボディシャンプーを使い続けていた。
露天風呂で、そういう雑排水はどういうふうに処理しているのか、
やはり管理は、きちんと決めたほうがいいのかもしれませんね。
土地と温泉の権利を持っていて、
しかし、有料にすると各種法令を守らなければならず、
そこまでする気もないから、くやしいけど無料開放にしている。
その鬱屈を、無料で入ってくるひとに八つ当たりでもしているのか?
どうもいろいろな想像を巡らせてしまった次第であります。
まぁたわいのないことではありますが、
こういう部分は、知床の来訪者に強烈な印象を与えてもしまうでしょうね。
北海道の人間として、やや残念な気分になった次第であります。

知床なので、クマと共存するというような態度は不可欠。
そういった理不尽さをひとに教えるような存在なのか、
それはそれで、ある種、必要があるものかも知れないと思い至りました。

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