三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

東大・前真之先生による北海道住宅測定

2013年10月31日 05時25分12秒 | Weblog


東大の前真之先生はたいへんエネルギッシュに活動されている
建築研究者としていま、注目の存在。
昨年来、北海道の住宅性能研究について精力的に活動されています。
きのうは、以前から打ち合わせていた新住協・武部建設さんの
300mm断熱住宅の温熱環境測定の装置設置のために来道。
この建物の他にもたくさんの測定住宅があって、
定期的に助手の方を伴って来られています。

これまで温暖地の研究者のみなさんで、北海道に着目されて
住宅性能を徹底的に研究されるという方は少なかったので、
まさに瞠目するような思いで、見させていただいています。
北海道の住宅性能向上は、官民挙げた長年の研究開発が背景にありますが、
とくに木造住宅については、
室蘭工業大学に赴任された東大出身の鎌田紀彦先生の研究開発努力に
大きく与ってきたことは紛れもない事実。
その成果が、国の基準のベースになったりしてきた経緯があります。
国の側でも近年、エネルギーの問題が大きなテーマになってくる中で
住宅性能についての探求が急ピッチで進んできています。
現に北海道で実現している住宅の革新が、
国レベルにフィードバックされていくためには、
このような中央の研究者による再確認が大きなベースになっていくと思います。
そのことが、国レベルの住宅性能を押し上げていく方向に結びつき
同時に、北海道にとっても新たな展開を生み出す方向性を
再度、発見できる可能性があると思っています。
この住宅は大きな気積の建物で、北海道江別市にあって、
主暖房装置はエアコン1台で賄おうという計画の建物です。
補助的に薪ストーブは設置されているのですが、
それは、むしろ炎のある暮らしを「楽しむ」ことの方が目的というもの。
計算する暖房の熱としては、
空気熱ヒートポンプ技術であるエアコンだけなのです。
それを担保するのが、壁300mm厚の重厚な外皮と
3重ガラスや、Low-Eガラスを装備した「透明な壁」ともいえる開口部仕様。
このような重厚な断熱仕様を、合理的で一般的な価格水準で
広く普及させてきているのが、北海道住宅のメリット。
ぜひ、多くの研究者のみなさんによって、
技術の核心が広く伝わっていって欲しいと念願しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残念な「集合」煙突の残影

2013年10月30日 05時13分16秒 | Weblog


先日の旭川出張で見かけた民家屋根上の煙突。
ブロックを積み上げて作った「集合煙突」だと思われるのですが、
なんともユーモラスにというか、「残念」と言ってその場に倒れた感たっぷりというか、
でありました。
明治期から北海道ではそれまで日本家屋にはなかった
「ストーブ暖房」という装置が導入されてきた。
放って置いたら、断熱の概念のない時代に室温が零下20℃にもなる旭川。
生活の主居室にはストーブ暖房が欠かせず、
複数の居室に暖房を配置するために、煙突を集合させて
家中で熱源を燃やした排気を外に排出していたのです。
その集合煙突が、なぜこのように倒壊したのか、
想像ですが、
雪などの水分が煙突の構成成分、コンクリートブロックに染みこんでいき、
たぶん、冬期や雪解け時期の朝晩と昼間の寒暖温度差によって
「凍結・爆裂」を繰り返すうちに「ひび割れ」を引き起こして
そこに屋根雪が積層し、しかもそこでも結氷、融解を繰り返すうちに
雪解け時期に屋根面を滑り落ちる雪といっしょの力が加えられて
このような倒壊に至ったのではないかと。

なんですが、
こうした風景を見ていて、
北海道でも、こういった集合煙突というようなものを
たとえば、ウチの息子などはまったく理解出来ないだろうと思った次第。
たかだか数十年の単位で、めまぐるしいエネルギーの変遷の中で、
薪から始まって、石炭になり、石油製品に推移して、
いまは、ヒートポンプ技術にまで様変わりしてきている。
人間の経験や常識の方が追いついていけなくなっている。
ほんの数十年前には当たり前だったことが、
あっという間に陳腐化していってしまう。
そんだけこっちも歳を取ってきたということでしょうが(笑)
まことに諸行無常を、平家物語のように感じてしまったのです。
琵琶法師に語られることもなく
倒れても見向きもされずに放置プレーされている集合煙突。
ペーソスを感じて、写真に納めざるを得ませんでした。
まことにお疲れさんでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊勢式年遷宮と「反日」

2013年10月29日 07時44分58秒 | Weblog


ことしの伊勢神宮式年遷宮への参拝が1000万人を超えるのだという。
伊勢というのは、ことし初めて行ってみてわかったけれど
地理的に一番近いと思っていた名古屋からもクルマで
ゆうに2時間以上かかるし、京都大阪からもたぶん、それくらいはかかる。
東京からだとすれば、1日かかる旅程になる。
そんな土地であるのに、それほどまでに多くのひとが参集した。
わたしには、このことは韓国・中国による反日ということが
それを刺激している側面があるように思われてならない。

歴史事実で見ると、やはり日本列島社会、そこに生起した国家は
抜けがたく、中国大陸と朝鮮半島に生起した国家群との「国際関係」が、
最大の外交テーマであり続けたことは間違いがないと思う。
とくに「日本」国号が成立し、「天皇」号が確定した天武帝の時期は、
唐と新羅による連合軍に白村江で大敗し、
必死で唐との講和外交を展開したに違いない時期だと思う。
国内的には、天智帝の後継者大友皇子と、天武が対立して壬申の乱が勃発する。
国内で内戦が起こるほどの緊張が満ちた時代だった。
その天武が、内戦に勝利するきっかけになったのが、伊勢への参籠だったとされている。
主に「東国」の武力を集めて、兄・天智の遺児、大友皇子の軍を破った。
どうもそんな故事が、現状の韓国・中国による「反日」の動きで
ふたたび日本の動向に影響を与えるようになったと想起される次第。
戦争によって引き起こされる惨禍は、人間社会に多くの禍根を残していくけれど、
韓国による反日は、やや常軌を逸脱してきてもいると思う。
大統領が、国家間で領有権が争われている島嶼に上陸して
凱歌を上げるなどという、およそ平時とは信じられない行為に及ぶのは
かなりの常軌を逸した状態だと思う。
なぜそんなことにまで韓国の社会は立ち至るのか、と疑問だ。
さらに国連の場で、女性閣僚が慰安婦問題で国家としての日本を追求するというのは、
これもまた、かなりの異常な状態と言えるだろう。
国家間関係での不可逆的な手の上げようではないか。
考えてみると日本は、こういった東アジアでの国家間関係は
あんまり立ち入りたくないと思い続けてきていたのではないか。
明治初年に「脱亜入欧」というスローガンが掲げられたのは、
下地としての気分として、厭気がしてたまらないアジア、という響きがある。
とくに朝鮮国家は、日本に対しての伝統的態度として
儒教的な「宗主国」体制、中華国家を中心とした世界観からして、
ものの道理をわきまえない野蛮国家として日本を見下してきていたとされる。
いま、現代世界にいたって、中国の経済的立場が高まってきて、
そうした伝統的国際関係に、朝鮮半島国家が立ち戻ろうとしている。
それは半島国家として必然的とは言えるけれど、
立場の異なる独立性の高い列島国家には、やや迷惑な態度ともいえる。

そういった関係のおぞましさから、
いわば、精神の浄化にも似たような国民的体験として
「伊勢神宮式年遷宮参拝」が、多くの国民に志向されてきている、
というのは、うがち過ぎた見方だろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

温暖地の建築家と窓

2013年10月28日 05時33分41秒 | Weblog


写真は、先日見学した仙台でのある家の窓の様子。
この家は、住宅地としてのある設計コンセプトに沿っています。
それは、現代版の「長屋」的街並み創造ということ。
現代住宅が、強固な個人主義防衛拠点的な偏りに向かっていることに
一石を投じたい,というような考え方をされている建築家が
多くのハウスメーカーに対して、デザインコンセプトの遵守を迫った住宅地です。
で、太陽光発電の標準装備などの結果、
屋根傾斜角度や、棟の方向などもほぼ揃えられ、
さらに中心の「広場」空間に向かって、
大きな開口を向けていく、というような考え方を統一テーマにしています。

そういった動機については
ある程度、同意できると思ったのですが、
ではその手段は、と考えてきて、出来上がった建物の
開口の大きさに違和感を禁じ得ませんでした。
写真のような「個室」が主要用途である2階居室の窓を見て、
どうにも意味合いがわからなくなってしまった。
普通は腰壁があって、その上に開き窓があるというスタイルでしょうが、
ここでは、その腰の部分もフィックスの窓の仕様になっている。
「街並み」としてのコンセプトが、ある一定以上の「開口率」を迫ってくる結果、
こういった窓の開け方が必要になってくるのでしょう。
まず、北海道的な考え方からは出てこない発想であります。
熱環境的にはマイナスしかない。ま、それは大きな意図の中で
意味があれば問題ないけれど、問題は大きな「設計意図」の中身。
こういう光景を見ると
温暖地の建築家が、とにかく開口を大きくしたいと
なにか妄執に近い概念にとりつかれているのではないかと思わされます。
ひとびとの暮らしようが「社会」に対して「閉鎖的」になっている、
ということの解決策が、「窓を大きく開けることだ」というように
凝り固まって考えているのではないか。
こういった考え方は、入り口・玄関の設置指定についても通されていて
隣人の出入り状況が、お互いに「わかりあえる」ように
隣居の大きな主要居室開口から「見える」ように配置されている。
で、そうした設計意図の結果、
隣人同士に「一体感」が生まれ、コミュニティが機能していく、
というような設計論を展開しているのだそうであります。

さて、どうなんでしょうか?
そんな設計で、現代人のコミュニティ形成が可能だと
本当に考えているのでしょうか。
そのことがきわめて疑問だった以上に、不思議だったのは
こうした建築論が、どうやら、現代の建築界の一定の権威性からも
認定された考え方なのだ、ということ。
このような設計手法の「街並みづくり」の考え方の事例が
建築界の「賞」を受賞している、ということだそうであります。
ある必然性を持って生起している現代人の精神性について、
建築という「カタチ」の強制によって、
それを改変させられる、とまじめに考えているとしたら、
ちょっと驚きであり、まさに荒唐無稽ではないのか、と思わざるを得ません。
窓の大きさは、生活する人に開放感と同時に緊張感も強います。
内的なストレスを大きな窓で視覚的に解放できるのは、
その視線の先に花鳥風月的な視覚世界が広がっているからであり、
外部からの好奇の視線を感受したいからではないでしょう。
場合によってそれは、隣人監視に簡単になりうるのではないか。
温暖地建築家の一部のみなさんの窓の考え方に、違和感があります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洛中洛外図舟木本・岩佐又兵衛

2013年10月27日 08時53分05秒 | Weblog


きのうは、ずっと国立博物館で見た「京都」展の
洛中洛外図舟木本の図録に見入っておりました。
ハッキリ言って、洛中洛外図というのは、誰のものもそう変わらないのだろうと
ずっとそう思っていたのですが、ところが
トッパン印刷さんの超高精細なデジタルスライドビューを見てから、
認識が一変させられました。
いま展示中の「京都展」導入部で、上映されていますので、
機会のある方は、ぜひ見られるといいと思います。

洛中洛外図という日本絵画のなかの1ジャンルは、
都へのあこがれを抱き続けてきた日本人の心性に応えた表現手法。
戦国末期、上洛の夢を抱き続けていた上杉謙信に対して
ときの将軍家がこの洛中洛外図を贈答しようと考え、
それを信長が事業として受け継いで
謙信への懐柔策の一環として利用した、という故事がありますが、
こういった贈答が成立するのは、まことに日本らしい。
都の街の賑わい、文化現象、風俗といったナマナマしい息吹感を伝える手段。
文化伝達手段としては、今日の「映画」に近いのだと思います。
たぶん、絵巻物というジャンルの発展形態であったのでしょう。
その製作には、万金が投じられたことは想像に難くない。
それを請け負う絵師、企業化したような「狩野派」一派からはじまって、
幾多の才能が競っているような状況だったのだろうと思います。
聚楽第や大阪城の建築などには、秀吉の個人的趣味もあって、
いったいどのような絵画作品が残されていたのか、
察して余りあるものがあるほどですが、とにかく、
今日の映画制作と同様な活発な制作状況があったに違いないと思います。
そういうなかから、時代の文化の最先端的な部分が表現されていった。
こういう時代背景の中、岩佐又兵衛さんという絵師が現れる。
戦国末期、信長に反抗した荒木村重の妾腹の息子として生まれるという
数奇な運命を生きたひとのようであります。
父は信長によって追放され、一族はほぼ皆殺しにされ、
やや長じて、信長の息子によって召し上げられ、
それも主人が没落して浪人してから、京都で絵師をはじめたという。
青春期は京都の街で過ごして、芸術者としてのベースを構築する。
いま、わたしが見て感銘を受けている洛中洛外図舟木本は、
この時期のかれの仕事のようです。
その後かれは、40を過ぎてから越前福井に、その芸術的才能を買われて
いわば、文化のタネ元になるべく、移住する。
さらに転じて、江戸に行って、
いわゆる「浮世絵」の元祖になった、というように語られている。
ほかの洛中洛外図とは、人物の動作描写において格段の違いがある。
橋の上で花見帰りの一団が、踊りながら興じているさまなど、
今日のAKBと観衆のライブの様子以上の「空気感」を放っている。
<絵の写真を載せたいところですが、許諾著作権がどうであるのか微妙。
まぁ、ご自分でお探しください(笑)>
この時代が、どんな時代であるか、
まじまじと伝わってきて、身震いがするほどです。
しばらくは、個人的にスキャンした画像で、想像力を鍛錬したいと思います。
むむむむむ・・・。

<写真は、きのう同窓会で見かけた札幌西高後輩たちの映像作品であります(笑)>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌円山・晩秋の雨上がり

2013年10月26日 09時20分36秒 | Weblog


今週は月曜日から東京に出張で、
水曜日遅くに帰って来ましたが、木曜日には旭川日帰り。
っていうようなことで、またしばらく雨が続いたこともあって、
すっかり散歩に行けずにおりましたが、
本日は早朝出掛けられました。
約1週間ぶりに、札幌地方の自然のうつろいを感受したのですが、
ところどころで落葉がみごとな散りざまを見せてくれている。
雨と風が続いたことで、紅葉・黄葉がすっかり地面を覆っている。
散策しているみなさんも、一様に感嘆の声を上げながら
スマホを取りだして、写真撮影に及んでいました。

確実に季節は進んでいて、
花鳥風月は、ひとつの終焉に向かっていっている。
冬がもうすぐやってくるのですが、
ことしは、できるだけ散歩を続けていきたいなと考えています。
カラダの皮膚感覚で季節の移ろいを感受し続けていくというのは、
人類の中でも日本人がいちばん、その感受性を磨いてきた部分なのだと
だんだん深く思うようになって来ました。
縄文が始まって、弥生とブレンドされて
基軸が形成されてきた,災害も多いけれど、
一方で自然からの恵みの豊かさもすばらしい、この列島の中で、
しかも明瞭な四季変化があった、ということが、
日本人らしさの根っこを形成してきたことは間違いがない。
先日、中国の「名画」といわれる作品群を見てきたけれど、
いわゆる「文人画」といわれる墨絵表現ばかりで
色彩感覚のとぼしさに驚かされた。
しかも、そもそも「文人画」というのは、科挙を通った「文化人士」というエリートの
官僚としての仕事の余技的な感情生活を表現したもののようで
ひどく観念的で、同期のしようの無さばかりが募ってきていた。
日本人はやはり色彩感覚は独特で、
きわめて繊細な色感受性を持っているのだと思うのですが、
それってやはり、この花鳥風月、四季変化という条件が大きい。
ジャパンカラーという色のセットまで存在している。

ということで、
明日以降も、できるだけ、散歩を継続していきたいです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮮やかな紅葉のなかを

2013年10月25日 06時47分53秒 | Weblog


きのうは、所用で旭川への往復をしておりました。
往復で300kmくらいにはなりますが、足はクルマ・ドライブ。
最近は目の衰えを感じていて、
長時間のドライブは本当はしんどくて、
きのうも途中、大きめのパーキングで休憩や食事を繰り返しながら、
小休止を入れながら、走っておりました。
なんですが、そういう気遣い以上にこころが安らぎながら、でありました。
そうなんです、すごい紅葉・黄葉が満艦飾に美しく、
天気も良かったので、少しもハンドルがおっくうに感じられない。

ことしの紅葉は、先週末もカミさんとドライブしていて、
「いや~、ことしは天候不順でダメだな~~」と
ずっと嘆き続けていた。
暑さよりも、その前後の長雨状況が、良くなかったに違いない。
暑さはあったけれど、朝晩の気温低下がそれほどでもなかった。
というような解説を繰り返されて、刷り込まされていたのですが、
どうも、あれは時期がちょっと悪かった、ということだけだったようです。
旭川までの道中、ずっとすばらしい紅葉が展開していて
目に飽きが来ない。
道央道は、深川あたりから旭川鷹栖インターまでの区間は
本格的な山間部走行になるのですが、
ここらへんの紅葉ぶりは、まさに圧巻でありました。
ところが、カミさんはきのうは
道東・釧路、中標津などに取材に行っていた。
帰って来ての話では、あっちの方はやっぱり残念な紅葉ぶりだとか。
ふ~~~む、そうなのかなぁ??
どうなんでしょうか?
夫婦で同じ日にまったく違う印象を持った、ことしの北海道の紅葉。
週末に機会があれば、結論を得たいと思います(笑)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あるソフトのトラブル

2013年10月24日 08時57分58秒 | Weblog


18日にあるソフトを「ダウンロード」販売で購入しました。
で、インストールしたのですが、
ソフトウェアの「アクティベーション」で躓いて、
アラートが出る。
いわく、この「ライセンスキー」は無効だ、と。
さらに、「インターネットに接続されているかどうか,確認ください」という。
こういう場合、一般的にはこういったアラートの言葉には
あんまり意味はない、とはいえ、
手掛かりはそれしかない。

で、しばらくぶりにこんなトラブルに見舞われたのですが、
仕方ないので、その旨メールに画面ショットを添付して連絡しました。
「よろしくヘルプしてください」というところ。
ところが、そのソフトは金曜日に申し込んでダウンロードもしておいたけれど、
仕事が忙しく、こっちがさわってみられたのは、土曜日でした。
どうも、土日はサポートもお休みらしく、
返事のメールが来たのは、ようやく月曜日21日の15:27
症状はよくわからないけれど、新しい「ライセンスキー」を送るので
それを入力してください、という連絡。
すぐにやったけれど、まったく同様のアラートが出てアクティベート出来ない。
すぐに返答をメールで送ったけれど、
またしばらくはこない。
で、ようやく返答が来ての答には、
「インターネットに接続できているか?」
「セキュリティソフトがはじいていないか?」
というもので、火曜日22日17:41でした。
またライセンスキーの入れ替えを送ってきた。
で、その作業はメールが来てすぐに試みたけれど、
入力しても,症状はまったく同様。
セキュリティソフトについては、
Macには、そのようなセキュリティソフトは入れていない。
OSレベルで動作しているようなものはこちらはわからないけれど、
ソフトを作っている会社ならば、それくらいはわきまえているだろうし。
インターネット接続云々は、今の時代になにを言っているのか?というところ。
この時点で、やや不安感は強まってきたので、購入の返品はできないか、
クーリングオフの確認を求めた。
それに対する答がきたのは、少し早まって、同日の18:42。
「ライセンスが認証されない症状は、
他のMacで使用されているか、ネットに接続されていない、セキュリティソフトによって
通信が許可されていない原因以外はまだ実例ございませんのでご了承下さい。」
というもので、
どうしても症状が出るのなら、「ほかのMacで試してみてください」というもの。
おいおい、であります。
ユーザー側が何台もMacを持っていなければ、動作確認も出来ない。
そんなソフト販売会社って、いったいどういう会社かと思う。
で、たまたま出張中で東京にいて、たまたま銀座のAppleStoreに相談したら、
すぐに技術スタッフのアポが取れて、
症状への対応を相談させてもらった。
そうした結果、StoreにあるOSしかインストールしていないMacに
くだんのソフトを送ってインストールして、アクティベートを試みたが、
結果はまったく最初と変化がないもので、アクティベートできない。
Storeのスタッフの言葉では、ソフトにバグがあるか、
アクティベートを管理しているサーバーの設定に問題があるかしか、ない、
ということでした。
そこで、その結果をメールで送った。これが23日14:17。
これに対する返答が以下。
「考えられる事としまして、インストールされているソフトの何かが
通信を妨害している可能性があります。
他のユーザー様の前例ではセキュリティソフトが原因にございました。
今一度インストールされているソフトをご確認頂けないでしょうか。」
ということ。
途方もないことになって来た。
ソフトを全部、チェックしろ、という「サポートの言葉」。
それもメールでだけ返答するということであります。
むむむ、こまった。
「クーリングオフ」という概念は、こういうことのためにあるのではないでしょうか?
どうも、困ったトラブルに見舞われている次第です。

で、いまは、わたしのMacにインストールされているソフトの
一覧を画面ショットに取って、
なにが疑わしいのか、とりあえず、知らせてくれ、と言ってあります。
さて、どうなるのか・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モダニズムと伝統文化の異種格闘

2013年10月23日 06時16分06秒 | Weblog


いわゆる絵画を中心とする、それも抽象こそが本筋である、
みたいな「視覚文化」での決めつけというものが存在していたように思う。
それもキャンバスに描かれているもので、
西洋絵画を優位に置くというような考え方。
絶対に理解出来ないキリスト教的な宗教画をありがたがるみたいな。
たぶん、そういう考え方って、
わたしたち60代前半くらいの年代には根強く存在する。
そんなふうな考え方が,教える側にも強く存在していた気がする。
絵描きになるのなら、パリに行かなければ本物とは言えない、みたいな。

人生も長く生き続けてきて、
感動する対象って、そういった「刷り込み」とはまったく関係がない、
ということを深く感じさせられている。
きのうは、対比的な美術鑑賞、
建築家、ル・コルビジェの絵画美術と日本の伝統的な絵画、
金屏風に描かれた「洛中洛外図屏風」を両方、見てきた。
比較するまでもなく、ル・コルビジェの絵画にはまったく興味が湧かなかった。
まったく見事になんにも感じないのだ。
ピカソの亜流にしか見えなかった。
美術なんだから、面白いかどうかって、一番のリトマス試験紙。
一方の「洛中洛外図屏風」は、
そこに描かれた世界の空気感がただよってきて、
こころがうたれまくってたまらない。
それは民族的なものなのか、DNA的なものなのか、わからないけれど、
やはりそこに描かれている人間性に、深く惹かれているということだと思う。
ある時代の京都の街がもっていた、たっぷりと鮮烈な空気感が立ち上るものには
抗いがたい共感が広がってくる。
そして実に多くのひとびとの、生き様の一瞬がみごとに伝わってくる。
花見の帰り道、橋の上で乱舞する若い娘たちのはなやぎ。
その豊穣感は、まさに「洛中洛外図屏風」の醍醐味。
それが実に彩り豊かに、極彩色で描かれている。
まさに「巨大な群衆劇」のあざやかさに全身が包まれてくる。
デジタル技術で、巨大スクリーンに投影されるその美は、
まさに日本文化そのものの感受性を余すところなく伝えてくれている。
また、龍安寺石庭の四季変化を巨大スクリーンで一服の山水画として
デジタルを駆使して創造したビジュアルもまた、わかりやすい。

やはりこっちに深く癒される、ということは
もう、ハッキリ認めていいのではないか。
良く理解出来ない個人主義の押しつけ的な「美術」をありがたがって
盲従する必要はないのではないか。
そんなやや傾斜したような考え方が、こころに広がるのを抑えられませんでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東大で「蓄熱」研究会取材

2013年10月22日 09時19分09秒 | Weblog


きのうは、東大構内工学部にて、
前真之准教授が企画した「蓄熱」研究会の取材に。
なんですが、もろもろ諸案件があって、飛行機から降りた浜松町で
カフェに入って、iPhoneテザリングでネットに接続して
あれこれ片付けたり連絡したりしていて、
気がついたら、開始間際に滑り込みでした。
メディア関係では、参加者はわたしだけでしたが、
なんと、席は一番前に用意されていて、4時間以上、まったく気が抜けないハメに(笑)。
主催の前真之先生のお気遣いに感謝、であります。

ここのところ、
住宅性能についての話題の中心はどっちかというと、
本州、関東以南地域からの情報が多くなってきている。
それには前真之東大准教授などの研究成果が大きい部分を占めている。
それと、国土交通省などの国の機関による
住宅性能についての矢継ぎ早な動きが連動しているように思います。
きのうも、国総研の三浦尚志さんが参加されて
改正省エネ基準についての、率直なお話も聞けた次第であります。
講演者は、日本の「環境建築」の主唱者ともいえる
小玉祐一郎・神戸芸術工科大学教授
開口部・窓の性能最前線発表者として、日本板硝子の木村泰斗さん、
そして主催者の前真之東大准教授の4人。
小玉先生の講演では、なんどもパワーポイントデータがフリーズする
ハプニングもありましたが、テンポ良く進んでいきました。
さすが、研究活動がきわめて活発な前真之東大准教授らしく、
会場はぎっしりの盛況ぶりでした。
各講演後には、来場者のみなさんと講演者のみなさんとの
活発な対話討論も行われて、これもフランクで熱い論戦が交わされておりました。
はじめは設備機器メーカーさんの質問者が多かったのですが、
やがて、岐阜の新住協メンバー・金子さんや、
北海道から参加した「室内気候研究所」石戸谷裕二さん、
さらに大トリには、これも北海道から参加の小室雅伸さんなど、
すっかりお馴染みのみなさんからの発言も飛び出して、
いまの住宅性能研究のホットコーナー的な雰囲気に包まれました。
話題も、まさにいまの先端的な話題がどんどん出てくる。
今後も、その動きから目が離せない会合でした。
その内容をまとめて、今後に活かしていきたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする