三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

はじめての「工務店経営セミナー」青森で開催

2015年09月30日 05時46分24秒 | Weblog
きのうは青森市で当社でははじめての企画として
「工務店向け経営セミナー」を開催致しました。
わたしどもはユーザー向けの住宅雑誌であり、
大手ハウスメーカーというよりも、地域でがんばっている工務店さんが
その地域らしい家づくりの主役であると考え、
そういった存在が、地域のものづくりの核心として存在し続けることが
ユーザーのメリットが一番高いと思っています。

従来は、そうした工務店さんが作っている住宅の素晴らしさを紹介し
ユーザーにそういった家づくりがまっとうであるとアナウンスする
そういう活動だけだったわけですが、
しかし地域工務店さんというのは、中小零細企業が大半であり、
経営的には、情報支援もなく孤立的な存在であることもわかっていました。
そんなことから、どうしたら、そういった部分で
わたしどもの情報ネットワークが活かせるか、
考え続けてきて、今回、はじめてセミナーを開催させていただきました。
不慣れなもので、月末に日程を当ててしまい、
多くの方から「そんな日はムリ」という反応(汗)もありましたが、
なんとか、30名ほどの参加もいただきまして、
また、パネラーの札幌・三五工務店・田中社長と
函館・アーニストホーム・新田副社長のすばらしい経営魂の開示があって
おかげさまで参加していただいたみなさんから、好評をいただきました。
こういった「経営セミナー」というと、
大体、一方通行的に講演者の話を聞くスタイルが多く、
また、それこそ経営戦略ではありませんが、
ランチェスターがどうとか、ひたすらマーケティング的な
難しい話に終始するケースが多いと思いますが、
わたしどもでは、あくまでも参加者と同じ目線のパネラーから
赤裸々な経営の舵取りの実際を感じ取っていただきたかった次第。
工務店として直面する顧客獲得の方法から、
長く安定的な経営を継続するための
注文住宅づくりの現場での「品質管理」、質の追求は、
どうしたら達成できるのか、といったことまで、
同業に携わる経営者の肉声でしか、伝わらない部分があると思います。
まぁわたしの仕事は、そういった工務店経営者としての
琴線に触れる部分を正しく、わかりやすく整理することだと
そういった演出者に徹して、コミュニケーションを媒介しておりました。
最後、懇親会の締めで三五工務店の田中社長が話していましたが、
経営の成長とは、きょう知り得たことのひとつでもいいから、
すぐに実行してみることが一番大事なのだと思います。

ということで、ひと仕事一段落。
なんですが実は、ここに至るまでには飛行機のトラブルもあって
冷や汗の止む間がありませんでした(笑)。
千歳で乗り込んだ飛行機が飛ぶ前にエンジントラブルで
急遽、「申し訳ありません、下りていただきます」という無情のアナウンス。
おいおいおい、という緊急事態発生、まっ青、というところから
なんとか、無事にセミナー終了までこぎ着けられたのです。
ふ~~やれやれ、というどっと疲れの1日でした(笑)。

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Replan北海道110号発売

2015年09月30日 05時38分21秒 | Weblog
さて本日は、ブログは2つ書きます。
ひとつ目は、先日も「事前販売」予告のお知らせをした、
本誌北海道版の発売開始のお知らせ。


【特集】住み家さがしの秘密。
なかなか希望の土地に巡り会えない。そんな方には、
土地の探し方・探す視点を変えてみたり、
新築だけではなく、中古住宅のリノベーションを検討して、
自分たちが本当に豊かに暮らせる場所=「住み家」を探すことを
Replanは提案したい。それが今回の巻頭特集です。

全国的に増えてきた空き家が放置されるなどして問題視されている今、
空き家の活用も視野に入れた「住み家さがし」をしませんか?

さらに、家を持つなら考えたい住宅の価値についても、
サスティナブルな社会を見据えて家づくりに取り組む
お二人の建築家に寄稿いただきました。

Contents
●巻頭特集/住み家さがしの秘密。
●十勝で建てるなら、ココ! 2015
●連載 賢い人は気付いてる メンテナンスの大切さ
●新企画 暮らしを灯す
●新連載 Q1.0住宅デザイン論〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
●暮らし豊かに。Re・home
●連載 いごこちの科学 NEXTハウス3 <東京大学准教授・前 真之>
●新築ルポー住まいのカタチー
●連載・ STORY OF ARCHITECTURE
 vol.11 籤 HIGO
●北の建築家
 「SHOWAの家」 阿部 直人
 「素のいえ」 櫻井 百子


お求めはこちらからどうぞ。
http://www.replan.ne.jp/content/bookcart/b1hok/h110/index.php
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新住協札幌支部、再起動

2015年09月29日 05時42分59秒 | Weblog


きのうは、ある突発事案が進行しながら、
新住協札幌支部の再発足の会合に出席しておりました。
新住協は北海道がスタートの地域で出来上がった組織ですが
いま、会員企業数は全国で700社、北海道は143社というのが現状。
会としての求心力を持っている鎌田紀彦先生の室蘭工大退官、
それにともなっての仙台への移転などもあって、
むしろ東北地区や、関東以西の地域の比重が高まっていて
会員数の点から見たら、北海道は中心ではなくなってきている。
ことしの新住協総会では、締めのあいさつで武部札幌支部長が
「北海道がんばろう」とあいさつしていましたが、
そういうのが現状であることは事実と言えます。

そのような現状認識に踏まえて、
会員間でほとんど機能停止に陥っていた札幌支部を再建し、
ふたたび運動を再開していくのに、
どういった方向性を目指していくべきなのか、
わたし自身も賛助会員として参加した次第です。
ことしの新住協総会では、最後の研究発表で
岩手・北上の会員である木の香の家、白鳥さんが発表した
ドイツパッシブハウス基準適合の家が、いかに寒冷地では達成困難であるか
その詳細な内容が語られていました。
そしてそのことをわたしもこのブログで報告したのですが、
多くの札幌支部会員からも、同様の意見が述べられていました。
常識的な住宅建材を使った家づくりで考えていくと
ドイツパッシブハウス基準は、日本で当てはめるとすれば、
東北南部地域がギリギリ達成可能な基準内容であって、
それ以北で、達成しようと考えればほとんど凹凸のない、
およそ住宅デザインとは言えないような住宅にならざるを得ない。
そもそも日本全体でも10棟程度しか建っていないドイツパッシブハウス基準を
住宅性能のリトマス試験紙としての最上位概念と考えるような傾向は、
ここまでの推移を見ても無理があるのではないかという意見。
もちろん、方向性としては否定するような内容ではないけれど、
北海道のような寒冷地では、むしろ現実離れしている。
そういったなかで、北海道の家づくりはどういうベクトルと価値感を
再構築していくべきなのか、という問題意識の共有が得られた次第です。

北海道、札幌に基盤を置いて住宅関連の仕事をしている
わたし自身にとっても、このポイントは高い問題意識の所在。
わたしどもとしては、あくまでユーザー目線での立場での把握なので、
この地で、ひとが楽しくシアワセな暮らしを営んでいく基盤として
最大の人生時間消費の場である住宅が、
ユーザーにとって、魅力的な、いいものになって欲しい。
基本的な価値判断基準はそこにしかないと思っています。
そういう立場で、先端的なものづくりの専門家のみなさんと
問題意識を共有して、解決の道筋をともに考えていきたいと思います。

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日本人に「旬」意識を育んだ縄文ライフ

2015年09月28日 06時04分07秒 | 歴史探訪
ここのところ、すっかり縄文期にハマっています(笑)。
その社会のありようがほのみえるアイヌ民族の社会研究を
知人渾身の著作でたどらせていただいて、その想像力を広げています。
どうやら遺伝子レベルの解析でも、
日本人の基底は縄文にその基本形があり、
より縄文に近い民としてアイヌや、琉球の人々が列島縁辺に残り、
本州以南、九州以北では弥生以降のアジアからの流入と縄文人との融合で、
この列島の人々の形質が形成されたことが明らかになってきた。
基本は縄文と弥生のハイブリッドというのが、わたしたちの基本形。
そんな風に考えてくると、やはり母体としての縄文が
イメージ世界の中で、未探索の領域として浮かび上がってきますね。

で、最近、いわゆる「旬」という感覚が
やはり縄文由来の感覚だというように思えてきています。
アイヌの人々は、和人による農耕中心の社会とは違った、
狩猟採集に若干の農耕が入ったうえで、基本的には交易の民として
北方アジアと和人社会をつなぐかたちで生き延びてきたとされます。
かれらの暮らしも、このような交易の変遷の中で
和人社会の欲求に対応して、狩猟採集のありようも、大きく変わってきた。
サケ漁や高価なヒグマ、猛禽類鳥類の狩猟への特化があったとされる。
商品経済社会と交易することで、アイヌの生き方も変化した。
そうした変化以前の、いわば豊かな狩猟採集の時代、
それが縄文の社会のように見えてきます。
アイヌ人口は、明治初期の調査時点で北海道で2万数千だったそうですが、
狩猟採集社会では、基本的にその程度の人口密度であり、
日本列島の自然環境からすると、その程度の人口は、
ゆったりと養い、暮らしていけるような環境だったと推定されます。



狩猟採集では、各季節ごとに食材が変化していく。
そういうなかで、いわば自然に「食欲」にもそのことが投影されていく。
冬を越してから春先の根菜類、春の食感を刺激する食材類、
山菜類などが、ひとびとの食欲を誘ったに違いない。
四季変化のそれぞれで、初鰹であるとか、
ゆたかな食感が、かれらの胃袋を刺激したに違いないと思うのです。
弥生以降の、米食だけに偏重した食習慣だけでは
このような「旬」の感覚は形成されなかったに違いない。
地球上でも稀有なほどに四季の変化、移ろいが明瞭な風土のなかで、
わたしたちは、食の繊細な感受性も磨いてきたに違いない、
そんなふうに考え続けております。



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危機のはじまり? 米中首脳会談

2015年09月27日 05時46分12秒 | Weblog
怒りを内側に溜め込んだ表情のオバマと、
自国メディア向けに、可能な限り背筋を伸ばした習近平。
多くの報道写真では、そんな写真が掲載されていました。
たぶん、会談の中身も、オバマの敗北、習近平の粘り勝ち
そういった内容だっただろうことがうかがえます。

今回の習近平訪米は、同時期にローマ法王の訪米時期をぶつけ、
さらに、中国ビジネスで巨利をあげてきたドイツ企業フォルクスワーゲンを
アメリカ政府が叩くという環境の中で行われた。
たぶん、アメリカの圧倒的な独占状況であるに違いない
「サイバー空間覇権」問題では、これまで国際ルールを作らないことで
実はアメリカ自身がいちばんメリットがあるなかで、
そこをアメリカの弱みと見て、したたかに、いわば「サイバー軍事力」を
中国は高めてきていることが明瞭になっている。
そうした部分で、中国による米国企業へのハッキングが発覚し、
オバマは責め立てたのだろうけれど、
そもそも国際間ルールが存在していないことから、習近平は軽くいなして、
「高官級協議」を約束しただけに終わった。
日本の年金情報問題なども、こうした文脈があることも容易に想定できる。
さらに、南シナ海でのあからさまな人工空軍基地問題も、
前回、首脳会談でオバマが黙認した「新型大国関係」をテコに
習近平は、「自国領土」であり、「軍事利用はしない」という
リップサービスだけで、切り抜けてしまった。

こうした内容が明らかになってきて、しかし、こうなるであろうことを見越し、
これまで親中国的な誌面作りをしてきたと自ら告白したうえで、
きのうのウォールストリートジャーナル誌は社説で、
「ホワイトハウスが取り得る対応のひとつに、米海軍の艦船を
南シナ海にある人工島の12カイリ(約22キロメートル)内に
入り込ませることが挙げられる(そこは公海上である)。
米国が渋れば、中国は自国が主張する領有権が黙認されたとみなす。
米国はまた、データを盗んだ中国企業に制裁を課すべきだ。
より広く言えば、次の大統領は米国の経済成長を復活させて
防衛を建て直すことに注力し、
太平洋の軍備を見直すべきである。」~以上引用
というように、オバマ政権に注文を出している。
アメリカ世論のうち、どこまでこうした意見が力を持っているかは、
定かではないけれど、かねてから国防省からは
米軍艦艇を中国の人口島周辺に航行させるべきだという主張はあった。
緊張が高まっていた中国による東シナ海での「防空識別圏」設定時には
間髪を入れずに、オバマ政権はB29をこの圏内に飛行させた。
そのような軍事的オプションを、はたしてオバマ政権は取るのか、
あるいは取れるのか。
習近平の表情からは、どうもそういう手は打たない、打てないという
読みに基づいて中国は今回の会談を乗り切ったと理解出来る。
今後の米中関係には目が離せないことになりそうです。

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現代中国人の「世論調査」結果

2015年09月26日 06時19分46秒 | 状況・政治への発言
きょうのウォールストリートジャーナル日本版に
「中国、一般市民の懸念は官僚腐敗と大気汚染」という
そうだ、こんな記事が読みたかった、という調査記事があった。
この記事は、ワシントンの調査機関ピュー・リサーチ・センターが
24日に発表した調査結果の概要を伝えるものだった。
折から中国の習近平首席が訪米して、オバマ大統領と会談する
その前段としての調査報道だけれど、
まことに的確な報道主旨だと、まずはそこに感心した。
会談する相手国家の人々が、どんなことを考えているのかという
きわめて当然に持つべき冷静な調査報道を行っていることに
メディアとしての成熟した姿勢を感じさせられる。
ひるがえって、わが国では、安保法制論議の間、
冷静な国際環境分析などへの興味関心を示してきたメディアは少なかった。
本来であれば、国益と国防の重なる中国の真実を
しっかりと実像として読者、国民に知らせるべき役割こそが
メディアには求められていると思う。
相手が、とくに共産党独裁で民意が測りにくい国家だけれど、
しかしその国の為政者にとってもっとも細心に配慮しているに違いない
中国国民が、いったいどのような「意識」を実際に持っているか、
こういう地道な報道姿勢は、まことに信頼に値するし、貴重だ。
たしかにこの調査自体は、アメリカのさまざまなシンクタンクのひとつが
ある目的を持って行ったことは明白だとは思うけれど、
メディアとして、そうした動きをしっかりチェックしていること、
それが、国益国防にとっても最重要であるという判断力のレベルは、
やはりアメリカの底の厚みを感じさせてくれた。
それに対して、日本の大メディアたちは、
むしろ、感情論丸出しでレッテル貼りに狂奔していたメディアが多かった。
インターネットの時代に対応するのに、、日本のメディアは
自社の「主張」としてのプロパガンダに傾きつつあるけれど、
基本的に、冷静な調査報道、事実の解析こそが不可欠だ。
先の日米戦争開戦時に、アメリカは日本人の心の構造にまで
調査を進めて、「菊と刀」という本が著されたりしていたけれど、
対して日本の朝日新聞は、その時点の民衆の情緒プロパガンダに流れ、
国家破綻の方向での報道に邁進していた。
今回の安保法制の局面で、同じように冷静さのない、
国益にとって損害でしかない報道態度を取り続けたことは
まことに残念でならない。

横道に入りすぎてしまったけれど、
いまの中国人の、共産党政権の桎梏の中からのホンネの
ほんの一端、それも共産党支配構造でも容認可能レベルの情報だけれど、
やはり「民の声」は、重く受け止められるものだと思います。
なにより、その国の民のいちばんの懸念が「官僚の腐敗」である、という国家と、
われわれは、否応なく至近距離で向き合っている現実から
片時も目を離すことなど不可能なのだと思う。
そしてそういう国との関係において、イデオロギーではなく、
冷徹なパワーバランス問題としての安全保障論議を、
健全な国内世論として喚起していかなければならないのだと思います。
その声の数字と内容をじっくりと見ていました。




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濃密なコミュニティから無縁社会へ

2015年09月25日 05時50分05秒 | 日本社会文化研究
ことしこれまで読み続けてきた本のなかでいちばん衝撃的だったのは
やはり、「人類史の中の定住革命」という1冊でした。
どうしてもわれわれ現生人類は、農耕社会成立以降の
ものの開発過程という表面的なものに目が向きがちですが、
この本では、わたしたち人類が獲得してきた意識の古層を
それ自体を「進化」としてとらえて、解析する目を与えてくれました。
脊椎動物の進化に於いて「口型」「手型」の分類など、
あまりにも当たり前すぎて、普段は絶対に気づきもしないことが、
実は「進化」にとっては、きわめてエポックメーキングな「出来事」だった、
という視点など、まったく衝撃そのものでした。
そういう進化に、わたしたちは巨大な時間をかけてきたのでしょう。

その読後以降、やはり視点に於いて、
そういった巨視的な部分から演繹してくるように心がけるようになりました。
最近、そういう視点での気づきがあったのが、
アイヌ研究の瀬川さんの本を読んでいて、
旭川アイヌ社会の人々との交友関係の様子について触れた箇所。
まるで親族のような「濃密なコミュニティ」の様子が語られていた。
そのことが、人類学での「なぜ、言葉が生まれたか」という問いでの
「相互の緊張緩和」にその根拠を求めた部分と、ピッタリと重なって
この「濃密なコミュニティ」というものが、
このことの現代にまで残されてきている人類的痕跡ではないかと
そんな思いに駆られた次第です。
現代人に於いては、この「濃密なコミュニティ」というものは、
だんだんと忘却されつつある人間関係ではないかと思います。
わたしの親たちの世代についてみてみると、
このような「濃密なコミュニティ」に、かなり依拠しながら生きていた。
北海道に移住者として渡ってきた祖父の世代では、
郷里を同じくする人間関係に依存して、居住箇所を定め、
生きていく手段も、さまざまな依存関係において選択されてきた。
つい数十年前までは、そういったウェットな社会関係が一般的であったのに、
いまはそうした関係性よりも、もっとドライな資本主義的というか、
「濃密なコミュニティ」とは違う、いわば「無縁」社会が広がっている。
血族あるいは、地縁というような関係性がはるかに後退し、
そのすき間を、公共であるとかの「無縁社会」が、
制度として埋めようとしてきている社会にわたしたちは生きている。
もうすぐすると、「濃密なコミュニティ」という実体が、
忘却されていくことも、予測していなければならないのかも知れない。
社会というものへの、冷徹な分析眼を持たねばならないと、
そんなふうに思っているところです。
この流れは、とめどなく続いていくのでしょうか?





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古代のかまど・煙道と現代パッシブ換気住宅

2015年09月24日 06時26分13秒 | 住宅性能・設備


さて、シルバーウィークも終わって、ことしもラストランに近づきますね。
いろいろ出張や、仕事の追い込み、講演依頼など
引き続きますが、淡々と対処していきたいと思います。
本日は、住宅とは切っても切れない関係の装置としての台所。
本州地域とはやや遅れて、北海道では7世紀くらいから
住宅に「かまど」が据え付けられるようになるとされています。
で、不勉強で「かまど」のことをあんまり知らなかったので、
以下に、Wikipediaの記述を一部修正しながら、要旨抜粋引用。

~6世紀以降には竪穴式住居の北側や東側の壁面に設けられる
「カマド」がつくられるようになり、その構造は粘土をドーム状にもりあげ、
住居の内側に焚き口、「カマド」の天井部に煮沸具である土器に、
はめ込むようにして置かれる形になっている。
「カマド」の「ソデ」と呼ばれる部分には、石などが用いられ、
「カマド」中央部に置かれた土器をささえるための
支脚にも粘土質のものや長い形の石が用いられた。
奈良時代、平安時代には全国的に普及したかまどには、
屋外へ煙を排出するための煙道が発達していた。
しかし庶民の住居が竪穴式住居から
掘立柱建物に移行するにしたがい、煙道が失われた。
かまどは焚き口と鍋釜をしかける穴のみが設けられた構造となり、
薪の燃焼で生じた煙は焚口から屋内に排出され、
屋根裏を通って屋根に設けられた「煙出し」の穴から
屋外に吐き出されるようになった。
高温多湿な気候の日本において家屋を腐朽やシロアリから守るには、
かまどから屋内に煙を吐き出させ、屋根材や家屋を
「燻製」にして防腐効果を狙う必要があったためである。~引用終わり。

というような記述がありました。
北海道では一部違いがあったとされ、蒸し器である甑などが
本州地区では使われたのに、北海道の「檫文時代人」たちは、
蒸すことはせず、ひたすら煮る調理を行ったとされている。
また、この記述では煙は室内に充満させて
シロアリ被害から建築建材を守る、燻しの効果を狙っていたとされますが、
ほとんどそういうシロアリ被害対策の必要が無かった北海道では、
煙は外部に排出される工夫が見られたようです。
粘土を盛り上げてかまどを作ると同時に、
石を組み合わせながら「煙道」を構造造作して、その表皮に
粘土を塗って仕上げたモノだと思います。



こんなふうに外部に煙道を出していたようです。
檫文の時代が終わって、アイヌ文化の時代には、
本州地域と同様に、住宅は竪穴から平地住居になっていきますが、
本州地区の「蒸す」食文化を持たないアイヌ文化では、
基本の食生活道具として、鉄鍋が本州社会から輸入されて、
伝統的な直火で「焼く」調理と、この鉄鍋を自在鉤で降ろして
囲炉裏ですべての調理・食空間とする食文化に移行します。
この辺のアイヌ食文化の住宅装置選択移行に、強く興味を持っています。
というのは、現代の北海道住宅の特異な暖房装置として
「パッシブ換気」システムというのがあり、
それは新鮮外気を、断熱され加温装置も置かれた床下ピット空間に導入し、
そこから室内に熱をゆったりと充満させて、
汚染された空気を最終的に最上部から屋外に排出させる、
換気とも暖房とも言い切れないシステムの考え方があって、
その原理と、この時代の「かまど」の煙道装置が似通っていると
そういう印象を持ち続けているからなのです。
現代では、空気の通り道は安価な樹脂パイプが使用されるのですが、
この時代では、石や粘土を複雑に使って手作りしている。
さらに囲炉裏は、食空間でもあったことで通年焚かれていて
それもまた、「土壌蓄熱」装置として暖房利用されてきてもいた。
こういう古代人の暮らしの合理的な知恵に、
すっかり脱帽させられるものがあると思えてならないのです。





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根室海峡・北方領土の豊かな可能性

2015年09月23日 07時41分02秒 | 日本社会文化研究


今回、シルバーウィークを利用して
道東の中標津を起点にして、「環根室海峡地域」を
標津、野付半島~知床と周遊してみた次第です。
日本全体で見ると「東の境界地域」というようになると思います。
長く日本史では、関東の東の先っぽを、日本の東端とみなして、
そこに鹿島神宮を建てて、尊崇してきた歴史だと思います。
鹿島神宮には、大太刀がありますが、
それは東夷を斬り従えるという意味合いがあることが明瞭で、
その所在地の先は、国外であるという認識があったことと思います。
征夷大将軍という国家の一将軍号が、実権の所在に変化していく
そういう大きなテーマで日本政治史は動いてきたといえる。
はるかに時を経て、日本海交易という物流システムが
日本の経済活動においてきわめて重要な位置を占めるようになり、
その活況の時代を切り開いた高田屋嘉兵衛さんによって
この海域の漁業資源開発が進められたような歴史がある。

そしていま、先の戦争の結果として、
国後島から東側はロシアの実効支配下にある。
晴天にこの海域を見晴らせば、豊かな生態系を育む、
列島社会にとっても有数の豊かな海域であることが見て取れる。
安倍政権は、ロシアのプーチン大統領とは
話し合いの糸口は摑んでいるように見える。
黒海周辺での領土紛争によって、
西側陣営はロシアを封じ込める外交攻勢をかけ
その一員として、日本もやむなく対ロ制裁を加えている。
安保法制の完了を踏まえて、対ロ外交はさっそく口火を切った。
ロシア側は、口頭では領土問題は話し合っていない、としているけれど、
岸田外相に対する対応は、想定の範囲内でかなり良好だと思う。
漁業資源に対する対日制裁的なロシアの動きも、
日ロ外交のいろいろなカードを持つという、そうした外交手段のように見える。
いったんは、プーチンの来日という外交約束はできていたので、
現実的な双方で受け入れ可能な了解点は、見えているのだと思う。
日ロ関係でもっともセンシティブな要素であるアメリカとの関係で
日本の安保法制整備完了は、ある種のフリーハンドを
安倍政権は手にしたといえる。
このタイミングでなら、対ロ融和的な動きを日本が示したとしても、
アメリカは柔軟姿勢を取れると日ロ首脳は見切っているのではないか。

高田屋嘉兵衛さんも、江戸末期、身を捨てる覚悟で民間人として
困難な日ロ外交交渉を成し遂げた。
対ロ関係ばかりではなく、
安保法制整備によって、日本はかなり「自主的」な外交戦略を
展開できる可能性が生まれてきたのではないかと期待しています。
この根室海峡地域が、大きく発展していく根拠が、
日ロ交渉によって、前進していくことを期待したい。
日本として、というより北海道人として
この豊かな海域を十分に開発させる経済発展の可能性を
大いに期待して見守っていきたいと考えています。

<下の写真は羅臼から国後島を望む>

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知床 「クマと人間」との共存思想

2015年09月22日 08時18分08秒 | 日本社会文化研究


前日の野付半島に引き続いて、知床に行ってきました。
北海道にいると、札幌からは遠いこともあって、あんまり訪れない。
2~3度、来たことがあるくらいであります。
最近はどこのビジターセンターも情報が充実していて、
とくに動画情報はわかりやすく、楽しませていただいています。
きのうの知床でも、羅臼からウトロに半島を縦走する国道沿いにある
知床ビジターセンターの動画は、たいへん美しくよかった。
間欠泉は、残念ながら「たったいま、終わったわ(笑)」ということでした。
あちこちのスポットはたいへんな賑わいで、
ここは首都圏のどこかの観光地かと思わされるほど。
やはりシルバーウィークの威力は凄まじいですね。

っていうような楽しい行楽だったのですが、
そのついでに立ち寄った「熊ノ湯」。
無料で露天風呂に入れるという温泉なので、
つい、入って見ることにしました。こういうのには、どうしても弱い。
まぁ常識で考えて、どうして無料なのかと推し量るべきだった・・・。
でも無料で、衛生管理とか誰がやっているのだろうと、
そういった意味でも不安感はあったのですが、
道南の椴法華・水無海浜温泉や、青森と秋田の中間の海岸に湧く温泉にも
入ったこともあります。まぁ、物珍しでの入浴ですね。
椴法華ではみんなのマナーで維持されている。そういう経験もあって、
惹かれるままに、裸になって、体を洗ってから入ろうとしたら、
「おい、頭からかけ湯して入れ! 熱いんだぞ」と
アタマからケンカ腰の声を掛けてくるひとがいました。
「???」とは思ったのですが、言い方にはトゲがあるにせよ
言っている中身自体はこっちへの配慮のようでもあるので
「・・・ありがとうございます。では・・・」ということで
頭からかけ湯して、その熱さを体験してから入浴しました。
たしかに耐えるのがやや辛いような熱さではあって、
そんなに長時間、入っていたくなる湯でもない。
なんですが、わたしも修行の足りない身なので、
「口論したりすれば、他のひとに迷惑かけるから」と
ガマンして聞いていた部分が、湯の中で、腹の中から立ち上ってくる。
それもあり熱すぎるのもあって、早々に湯を出ましたが、
その背中で、ひそかな笑いが聞こえる。
まさかと思いましたが、わたしのカラダが火照っている様を・・・
え、身も知らない人間のことを? という驚きですが、
まぁ、他の方の気分を害しても仕方ないとあきらめ、
しかし一刻も早く立ち去りたいと、イヤな気分で、風呂を出た次第。

どうも、あとでインターネットで調べたら、
そういうオヤジさんたちがいるのだそうです。
まぁ、この湯を維持し続けている地元のみなさんの中のひとりでしょうか。
無料でも、土地と泉源自体はだれかの所有かも知れず、
また、維持管理する手間は誰かがやっているのは
理解出来るし、その気持ちも推量はききます。
しかし、いきなり上から目線の態度というのも、常識理解を超える。
こういう事を知った上で、この無料の風呂に
もう一回、入りに行くかどうか、その辺はきわめて微妙(笑)。
でも考えてみたら、そのオヤジさん、
ずっとシャンプーやボディシャンプーを使い続けていた。
露天風呂で、そういう雑排水はどういうふうに処理しているのか、
やはり管理は、きちんと決めたほうがいいのかもしれませんね。
土地と温泉の権利を持っていて、
しかし、有料にすると各種法令を守らなければならず、
そこまでする気もないから、くやしいけど無料開放にしている。
その鬱屈を、無料で入ってくるひとに八つ当たりでもしているのか?
どうもいろいろな想像を巡らせてしまった次第であります。
まぁたわいのないことではありますが、
こういう部分は、知床の来訪者に強烈な印象を与えてもしまうでしょうね。
北海道の人間として、やや残念な気分になった次第であります。

知床なので、クマと共存するというような態度は不可欠。
そういった理不尽さをひとに教えるような存在なのか、
それはそれで、ある種、必要があるものかも知れないと思い至りました。

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