三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

円空を伝える江戸期の表現

2006年10月31日 06時56分05秒 | Weblog

東京国立博物館でみた仏像展で展示されていた円空についての
江戸期の出版物「近世畸人伝」の部分の模写です。
これは出版物から、この部分だけスキャンしたもの。
出版から300年ほど経っていて、著作権は消滅しているはずなので、取り上げさせてもらいます。
という説明はまだるっこしいのですが、一応念のため。

仏像展で、円空の事跡を紹介するコーナーに展示されていた、この画をはじめて見たときに、
その素晴らしいわかりやすさ、明晰さに深く打たれた次第。
円空という人を伝えるのに、これほどわかりやすいイラスト表現はありませんね。
写真表現というものがない江戸期の時代に、
時事問題などを扱う出版の世界で、こうしたイラスト表現が多用されていたのです。
博物館には、常設展示コーナーで、こういう出版物についての展示があり、
江戸期の出版物がいろいろに見ることができます。
ちょうど、旅行をテーマとした展示がありましたが、
江戸期の「旅行カタログ」出版の数々のわかりやすさ、面白さは素晴らしい。
写真を超える、その直接的なわかりやすさは、日本文化の誇りとも言えるもの。
その後、近代から始まった、いや、手塚治虫以降といわれてきた
日本マンガ文化の原点に、こういう表現力が力強く息づいているのだ、と実感されます。

しかし、展示されているほかにも、
ここ東京国立博物館に保存されているものって、すごいんですよね、そのおびただしさ。
展示されているものを丹念に見るだけでも
たぶん、一週間程度は優にかかりそうです。時間を見つけては、行くしかありませんね。
たまたま、今回2度行きましたが、ようやく、本館と東洋館をざっとみただけ。
多くは撮影も出来ますから、まさに日本民族の事跡をここでたどることも出来る。
上野の一角に集められた日本民族の宝物の数々には圧倒されます。
その多くは、数限りないみなさんからの「寄贈」によるものなのですね。
本館には、その寄贈者の名簿が展示されています。
まぁ、東京に住んでいるわけではないので、難しさはありますが、
時間をなるべく作っては、ぜひ数多く訪れてみたいものだと思います。

で、円空のイラストですね(笑)
すっかり、話題が飛びまくりです。
円空さんって、身分的には正規の僧ではなく、たぶん遊行僧だったのでしょう。
漂白しながら、その土地土地で、ひとびとから頼まれて像を刻んでいたのですね。
イラストでうしろで手を合わせて拝んでいる人がいますが、
きっとこういう庶民の信仰への願いを、民衆の代表として造形したのでしょうか。
その土地で神木として伝えられるような自然木があり、
それをそのままに像を刻んで信仰に魂を吹き込むようです。
かれが造作した仏像の直截さ、がほんとうに手に取るように伝わってくる迫力です。
今回の「仏像展」のなかでもひときわ強く惹かれた小展示でした。
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あえて旧市街地に住む団塊世代

2006年10月30日 05時30分13秒 | Weblog

仙台できのう取材した住宅の写真です。
古い旧市街地での新築住宅なのですが、
わたしはてっきり今までここに住んでいての建て替えとばかり思っていましたが、
実はなんと、こちらはわざわざ狙って、こういう旧市街地の敷地を買い求めたものなのでした。
こういう敷地、って、ここんとこ取材で重なっているワケなんですが、
いわゆる間口が狭くて、奥行きが長い、という
日本的な伝統的都市住宅の街割りのなかの敷地形状。
一般的ハウスメーカー住宅では、そもそも建てられないようなケース。
ただし、立地条件としては都市機能の利便性を享受できる。
この家の建て主さんもついの住み処は都市中心部のマンションかな、と
考えていたそうなのですが、やはり車はずっと使い続けるだろうし、
そのためにずっと駐車場を賃貸契約するのも、抵抗を感じる。
また、友人知人との気兼ねのない交友を考えれば、
戸建て住宅の暮らしやすさがやっぱりいちばんいい、
というように考えて、こうした敷地の入手を考えていたそうなんです。
もう、大人になった子供との間には、間取り的な距離感もほしいところですが、
そういうときに、中庭的な空間を介するスタイルが多くなる
こういう敷地形状って、むしろぴったりと当てはまるんだそう。
しかも、そういう利便性を考え合わせたとき、土地の価格としては
現代の条件からすると売りにくいこともあって、
比較的に入手しやすい金額で手に入れることが可能ということなのですね。
ふむふむ、なるほどと、感じ入った次第です。
そういう意味では、団塊の世代のひとつの典型的な「ついの住み処」の
新しい形になるのかも知れないなぁ、と思いました。

ただし、デザイン的には、ごらんのような「無機的な」印象。
コンクリート打ち放しの1階部分や2階から上の内部に対して、
2階から上の外断熱部分の外装材にはアルミ板を張っています。
外壁の日光に当たった部分は、ちょっと「ぬらぬら」とした
独特なイメージが喚起されます。
このあたり、やはり元祖ビジュアル系の団塊の年代らしい、住宅デザインの選択。
これまでのいかにも「高齢者向け」的なデザインには、
団塊のみなさんはすこし違和感を感じて、むしろこういう過激系の
作りようを好むものではないのかなぁ、というのが実感。
音楽などでもローリングストーンズみたいな好みが、きっと、この年代のスタイル。
60を過ぎても、過激なミックジャガーみたいに、老いていくんだと思いますね、きっと。
さて、こういうライフスタイル、どんな印象を持たれますかね?
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現状不適格の家々

2006年10月29日 06時19分28秒 | Weblog

きのうは仙台市内の古い街並みのなかの住宅を取材。
古くからの街道筋の住宅地に建てられた家でしたが、
近隣になんとも面白い家並みを発見してしまいました。
写真がその様子なのですが、なんと、店舗に使っている古い瓦屋根の建物を貫通して
通り抜けていくような小路の左右に、小住宅が密集していました。
手前の道は江戸期からのメーン道路で、
道路幅はたぶん8mほどというもの。
車社会ではない時代としては十分な賑わいをたたえた
素晴らしい繁華街だったに違いないのです。
そうした時代には、きっと長屋的な賃貸住宅の需要があって、
前面建物の持ち主が、後ろの敷地も所有していて、
徐々に小さい賃貸住宅を建てて、貸していたに違いありません。
そうしたことが続いてきて、いまに至っては、
もう、その賃貸住宅の貸し手も借り手も、抜き差しならないほどに現状が固定され、
そのまま、時間が停止したような街並みとなって、
現代にも建ち続けている、ということのようです。
(こうした見方は、わたしの推測ですので、必ずしもこの写真の家が
そうであるとは断定できないことはご理解ください。)

古い都市の場合、このような形での固定化されたような土地利用というのを、
たいへん多く目にします。
所有権が明確ではあっても、賃貸している住人の権利が認定されているので、
たとえ、貸し手が土地利用を現代化したいと考えても、
事実上、手も足も出なくなってしまうのが、多くの実態。
法律は、多くの場合、こうしたケースでは既存状態を追認する方向で運用されます。
もちろん、公共による強制的な再開発など、夢のまた夢。
なのですが、たとえば都市防災という観点から見たときには、
非常に危険な状態が、むしろ追認されていると言えるのですね。
1階に、こうした通路空間を貫通させた瓦屋根の建物って、
まず、相当に危ない建築といえると思います。
また、万が一、地震などが来たとき、この小路の奥に住む住人は
たぶん、崩落する建物に逃げ道を塞がれてしまう危険性が高い。

複雑な権利関係が、入り組んで、にっちもさっちもいかなくなるんですね。
タイトルのように、現代の建築法規を当てはめてみれば、
現状が不適格な家が、それも借家法という法律に則って、
適格に存続すべきである、というようになっているワケなんですね。
まぁ、パラドックスとも言える。
この現状のなかでは、小路にある建物は、道路とも認定されない通路にしか
「接道」していないので、建て替えることも出来ない。
もっといえば、そもそも工事車両も入って行けそうにないので、
リフォームすることもどうにも至難の業のように見受けられるのです。

こういうような例は、しかし、仙台や多くの東北の古くからの都市では、
いや日本の一般的な都市にはたいへん多く残されているのが現実。
こういう状況を解決するには、建て替えなどに必要な建築上の法規を
きわめて弾力的に運用するような、
いわば、「建て替え特区」とでもいうべき対応が取られる必要があると思います。
そうでもしない限り、こういう都市計画上の破綻は解決不可能でしょう。
大変難しいテーマが横たわっていると思います。
きのうはその後、行政側で、こうした都市計画に携わってきた方と
お話しする機会があり、さらにこの思いが共有できたのでした。
さて、いったいどうすべきなのでしょうか?
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仙台にて講演

2006年10月28日 06時45分20秒 | Weblog
ということなんですけど・・・。
テーマは性能とデザイン、というもので、仙台デザインウィークの会場で、
だったんですが、つい冒頭に、ごらんの写真を使わせていただいて、
ついでに嫌みにならないように配慮しながら、
今シーズンの東北楽天さんからの大量貯金(17勝3敗!)に
感謝の言葉を申し述べさせていただきました。
ありがたくも大ウケさせていただきまして、
その後は、なめらかに本題の住宅ネタのスライドショープレゼンを勤めさせていただきました。
やっぱこりゃぁ、しばらくは日ハムネタで、北海道の人はいけそうですね。(笑)

きのうはなんと、夫婦とも働きのカミさんも
釧路で、多くの工務店関係者さんを前にプレゼンを勤めていまして、
夫婦でケータイでエールを送り合いながら、頑張っておりました。
カミさんのほうが午後一番で、わたしは夕方5時から、7時まで。
で、釧路では日ハムネタ、あんまり感度がよろしくなかったとのこと。
確か、去年1度、試合が行われただけですから、
まだまだ、釧路では「おらがチーム」って言うムードはないのかも知れませんね。
わたしは、札幌と仙台東北を行ったり来たりなものですから、
気持ちの上では、2番目には東北楽天に肩入れしているつもりです。
ソフトバンクも好きなんですけど・・・。
東北楽天さんは、野村監督のキャラがなかなかギャグっぽくていいし、
なんといっても、北海道の宝もの、駒大苫小牧の田中君が来年入団します。
やっぱ、北海道と東北は一番近い間柄ですから、
田中君、東北に行けたのは、きっとなにか、野球の神様のご配慮だと思うのです。

優勝して、一夜明けて、さっそくヒルマン監督や小笠原のFAなど、
地方球団の厳しい現実も押し寄せてきていますね。
でも、ヒルマンについては、メジャーで監督をやれる機会なんて
それも、生まれ育った地元球団というのですから、
気持ちよく送り出して、かれの母国での成功を祈る、というのがいいと思っています。
小笠原選手の件は、さて複雑なんだけれど、
もしかれが日ハムを去ることになっても、若い選手たちが
きっと、大きく成長して、穴は簡単には埋まらなくとも、
長い目で見れば、育成を優先させるという意味のチーム方針で
乗り越えていくのが、やっぱいいと思います。

案外、レンジャーズでヒルマン監督が、主力バッターとして
小笠原をメジャーに引っ張ってくれる、っていうのもいいかも?
そうなったら、夢の続きがワールドワイドになって、
北海道日本ハムのことしの奇跡が、大きく広がっていくような気もします。
まぁ、ありえないかなぁ。(笑)
でも、悲しいけれど、どうせなら小笠原には、そういう大きなステージに、
飛躍していって欲しいと念願してやみませんね。
プロの球団を地元として持つと言うことは、こういう一期一会も
覚悟しなければならないっていうことなんですよね。(涙)
福岡ソフトバンクのここ数年の辛さ、っていうものが
わがチームにも襲いかかってくるのでしょう。
こういうのにも覚悟を決めて、
新庄が植え付けてくれた「いつでもポジティブシンキング」で
ファンとして、もっといいチームになるように応援していきたいものですね。
がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
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ありがとう、06ファイターズ!

2006年10月27日 06時13分17秒 | Weblog

きのうは難関を突破してのチケットゲットで、
普段は来るはずのないビジター側、1塁側での観戦でしたが、
やっぱり誰も中日の応援をしている人はいませんでした。
わたしたち家族も、北海道に移転してきてくれてからの「にわかファン」ですが、
こんなに早く、歓喜のシーンがやってくることは想像すら出来ませんでした。
野球の試合としては、昨日の試合、結果は勝ったんだけれど、
中日の攻撃陣の呪縛ぶりに助けられた、というのが実感。
ストレートは伸びていたし、Max153kmがでていたんで、
ダルビッシュ君はそこそこだったんだけど、変化球のコントロールはイマイチ。
なんで、その直球をねらい打たれて、確か、序盤で6本くらいヒットを打たれていましたね。
対する川上憲伸は緩急をつけたピッチングで、
さすがセリーグを代表するような投手らしい安定感でした。
しかし、結局は総合的な守備力で、若いダルビッシュを全員が助けていましたね。
ついに満塁から打たれたシーンでも、小笠原選手が飛びついて、
なんとか最少失点に押さえ込めたのが大きかった。
あそこの流れで言えば、大量失点になる可能性は高かった。
というように、いろいろ流れのあった試合でしたが、
まぁ、途中からは完全に、ペナント最終盤のデッドヒート、プレーオフと、
数々の修羅場を経験してきたのが、全部活きてきていた。
こりゃぁ、セリーグとパリーグの、野球についての考え方の差ってものを感じてしまいました。
第一、セリーグって、いまだに巨人の「人気」と地上波テレビ中継に
完全におんぶに抱っこされて、改革に取り組んできていない。
なんで、DH制をやらないんですか? 世界中でも数少なくなっている
「ピッチャーも打席に立つ野球」、いつまでやるんですか?
あれは、パリーグチームも一応、対応はしているけれど、
やっぱり近代野球の迫力からすれば、時代遅れですよ。
落合監督のコメントが、相当にピント外れでしたが、
ああいう考え方の野球では、ちょっと面白くないと思う。

正直、移転から3年のパリーグファンだけれど、
野球はこっちの方が断然面白いです。
巨人も、体質としてはDH制のパリーグでやった方が、勝つ確率は高くなると思う。
ことしは、わがファイターズの守りきった野球が制覇しましたが、
これは本来セリーグ的な野球だったはずですよね。
これで、4年間チャンピオンフラッグはパリーグ、となりました。
ぜひ、ルール改正にセリーグは取り組むべきだと思います。
アウトの確率の高い投手の打席を前提に組み立てる野球って、
やっぱり、ダイナミズムがコセコセした範囲にしかならないのではないでしょうか?

もっと、野球というスポーツが盛り上がるために、
場合によっては、小笠原も行かせてもいいけれど(泣)、セリーグの改革も希望したい。
ことしは、わがチーム、ほんとうに面白い
ダイナミックな守りの野球で、チャンピオンを勝ち取らせていただきました。
全国の野球ファンのみなさん、ほんとうにありがとうございました。
来年も、仲良く、けんかしましょう!(笑)
とくに、野球の神様が駒大苫小牧の田中投手を送り込んでくれた
東北楽天さんに、おおいにエールを送りたいと思っています。
野球ファンとして、全国で、地域密着のチームが競い合う、熱い戦いをみたいですね!
がんばれ、全国のプロ野球チーム!
そして、そのなかで、来年も、がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
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古い街並みのなかでー3

2006年10月26日 06時02分39秒 | Weblog

写真はきのうまで書いてきた白河市の家の居間からの眺望。
さまざま、色とりどりの植栽がまさに咲き誇っている庭に大きく開口しています。
左側はデッキテラスになっていて、さまざまな園芸用品が使いやすく置かれてあります。
庭仕事を心ゆくまで楽しんでいる暮らしぶりが伝わってきます。
お住まいになっている高齢のお母さんの表情が
何とも柔和で、しかも快活そうだったのが大変印象的。
「いやぁ、この家はね、庭が楽しくてね。」
とはじけるような笑顔を見せていただけました。
きっと、永年丹精して楽しんできた庭木・植栽と、家を新しくしても
ずっと仲良く暮らしていけるという生活が、
お母さんの元気の源なんだろうなと、すぐに理解できましたね。
高齢者の住まいって、段差の解消とか、バリアフリーとかばかり
クローズアップされる部分があると思いますが、
でも、本当に大切なのは、こういう「暮らしへの愛着」の継続性だと思います。

取材で訪問している間にも、近隣の方の来訪があったりしました。
屈託のないコミュニケーションが、賑やかな笑い声とともに聞こえてきます。
日曜日に伺ったこともあって、家の周囲では近隣のこどもたちの
遊ぶ様も見かけることが出来ました。
以前、アメリカの都市住宅を観に行ったときに、
郊外型の一戸建てばかりではなく、
集住スタイルのタウンハウス型の住宅を観に行ったことがあります。
そこでは、いろいろな年格好のみなさんが共住していて、
こどもたちにとっては、たとえば自分の親が留守でも、
近隣のリタイヤした高齢者の方が、ひたなぼっこしながら、
ちょっとした会話をしながら子どもたちの様子をそれとなく見ている光景に出会いました。
そんなコミュニティの大切さにアメリカの社会でも、
気づいてきているのだ、と聞かされたことがあります。
「古い街並みのなかで」暮らし続けるって、やはり人間生活にとって、自然ですね。
そういうなかから、地域のアイデンティティが生まれ育ち、
しっかりと継承されていく部分が大きいのだと思います。
そして、そういう都市居住を可能にする住宅建築の努力も
大いに求められてきているのではないかと思います。
そんな思いを強く持ったお宅の取材でした。

●●●

きのうは超えなければならない「ジョーカー」での勝負でしたね、ヒルマン監督。
シーズン最終盤で勃発した、エース投手と監督の確執。
個人として、はじめて金村選手の発言を聞いたときに
かれ、ヒルマンがどういう感情を抱いたか、は想像するしかありません。
しかし、ペナントの山場で、いま全力で戦っているさなかに、
表面化すべき内容でなかったのは、誰の目にも明らかだった。しかし、
問題は、そこからの対処において、
チームと、監督と、ファンと、すべてがこの事態に勝ちましたね。
そして、ポーカーで言えば、それを使わなければならないジョーカーカードになった
かつてのスペードのエースカードを
昨日のゲーム、という局面で勝負カードとして使って、
見事な結果が得られました。
勝負師としての、野球監督最大の賭けに、ヒルマンは勝ったと思います。

さて、ここまできた!
札幌での今年の最後になるゲームが、最高のシチュエーションで用意できましたね。
きょうは中日さんもあとがない、エース川上選手の投入でしょう。相手にとって不足なし!
全力で、力の限りのさわやかな激闘を期待したいと思います。
あとは、無心に、選手たちと、チームスタッフすべてを信じて、
札幌ドームで、坊主とふたり、家族みんなの思いの分も精一杯応援したいと思います。
最後まで、がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
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古い街並みのなかで-2

2006年10月25日 06時08分33秒 | Weblog
きのうからの続編です。
福島県白河市って、わたしもはじめて訪問したのですが
やはり一般的な日本の都市と同じように、旧市街地は古い家並みが続き、
一方で、国道沿いのロードサイド型のショッピングゾーンが
現代的な利便性の満足感を勝ち誇るように、わが物顔に跳梁跋扈という状態。
駅前にも、さして高層のビルらしきものが建ってもいない、
むしろ、駅前などを見れば、古い歴史性を誇らしげに売り物にしようとしている
そうした街並みが続いています。 まぁ、全国の都市を見ていて、
首都圏や関西圏、中部圏などの公共交通機関が発達した地域は別として、
それ以外の「地方都市」一般が抱えている、中心部過疎化が典型的にあらわれていますね。
このこと自体は、現代という社会がある必然性を持って
こうした現象を生み出しているのですから、
逆らいきれない変化、ということは出来るのだろうと思います。

さて、そうしたときに、ただ単にそういう風潮に流されて、
中心地域の過疎化という問題に対して、無自覚なまま、建築主の初動的反応、
「いまどき、こんな敷地は売り払って、郊外に」
という言葉にそのまま、乗っかって移転しての建築計画を進めるべきなのか?
地域のアイデンティティであるとか、その地域らしさ、というような
ことがらについて、もっともデリケートな感性を持っているべき建築家として、
どう、考えるべきなのか。きわめて悩ましい問題だと思うのです。
やはり、この家でも建て主さんからは、そういう希望が出されたそうですが、
相談された建築家・辺見さんは、この古い地割りのなかでの建て替えを
あえて、提案したのだそうです。

こういう地割りの場合、間口が狭く奥行きが長い構成。
で、いちばん奥まった場所には、永年手をかけてきた見事な庭があります。
四季折々の季節変化を伝えてくれる植栽の数々が、
そこに暮らす人の生活リズムそのものになっています。
そこでこの庭の活用と、ウナギの寝床的な敷地形状から採光条件が限られざるを得ない、
というポイントを覆すような敷地利用計画を考え出しています。
建物は主屋と、前室的な部分とに分けられ、中庭的な空間を廊下でつなぎました。
その残余の敷地を、奥の庭にまでつないでいく「土間通路」がこの家最大のポイント。

正面から見て左側をずっと抜けていくこの土間通路は、
みごとな植栽・造園が施され、奥の庭にいたって、全面的な緑に開放される。
この都市中心部にあって、四季折々の季節感が楽しめる空間を作り出しています。
現代生活との調和という部分では、建物前面にカーポート的な
屋根庇に覆われた土間空間で対応しています。
そして前室建物では、近隣コミュニケーションが上手に図れる空間演出がされています。
実際に、この場所では地域のみなさんとの「月見の会」などが行われているのだとか。
日本の地方都市が持っていた、こうしたコミュニケーションを
建築として、正しく受け止め、また次の世代に伝えていこうとする意志を感じます。
という、住宅建築のポイントがきわめて明確だったのが、
この家に強く感じていたポイントであり、実際に取材に行ってさらにその思いを強く感じました。
単なる建築デザインという要素を超えて、「暮らし方デザイン」として、
こういう地方都市の抱える問題点に、真っ正面から向き合って、
解決策を探ろうという家は残念ながら、なかなかない。
地域性というものと、住宅建築の関係性を強く訴えかける住宅でした。
みなさん、いかがお考えでしょうか。
写真は前室建物の、「小上がり」的な半外部空間の様子。
地域を表現する自然石が、足下で人を導いて、たどりつくしつらいです。
なんか、ちょっと上がってみたくなる雰囲気じゃありませんか、ね?

●●●
頑張りました、北海道日本ハムファイターズ!
第3戦を、実にいい形で取ってくれました。
初回の一気攻撃で逆転。集中力がみなぎっていた見事な攻撃。
しかし、中日さんも強い! 立ち直った朝倉投手のピッチングは見事でしたね。
しかしわがチーム、そこからは、調子に波がない、得意の鉄壁の守りが冴え渡りました。
守って守って、最後、相手の継投の一瞬の隙を突いた
これも一気攻撃での、強い突き放し方。
きのうは本当に、いい面が出た、いい勝ちかたが出来たと思います。
のびのびとしたプレーが出来ていますね。
この調子で、強豪・中日さんに真っ向からぶつかっていって欲しいです。
きょうも、あしたも、がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
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古い街並みのなかでー1

2006年10月24日 06時28分29秒 | Weblog
先日の「東北住宅大賞」で候補作としてノミネートされた住宅。
大変興味を覚えたので、取材に訪れました。
というのは、東北の古い街並みのなかに、あえてそこでの暮らしを継続させようという、
建築家としての強いメッセージ性を感じたからなのです。
建築された街は、福島県の白河市。
古くから要衝の地として知られたこの街は、
であるだけに、古くからの城下町としての街割りがされています。
いわゆる「町家」としての土地割りになっています。
間口が狭く、奥行きが長いという典型的な日本の前近代的な街割り、都市計画。
前近代的な、と書きましたが、これは現代の側からの専横な物言いであるかも知れません。
正しく言えば、現代生活の快適装置、車社会から考えて、
それには適してはいない居住形態、歩いて暮らすのに適した街割り、
とでも言った方がいいかもしれません。
こうした街では、道路がそう広くはなく、また、しばしば戦争への備えから、
曲がりくねらされていて、不定形になっている。
そこに多くの居住を可能にするために、敷地利用は細長くなるのですね。
結果として、隣家同士が軒を接して建てられたり、
場合によっては壁を共有したりしている場合が多い。
現代生活では、車での移動への利便が保証されるような
そういう街割り計画が当たり前のようになっています。
間口は大きくなり、奥行きはそう必要とはされなくなった。
その分、交通に必要な前面道路の道幅は大きくなる必要があって、
そういうことを前提に考えていけば、アメリカの郊外住宅地のような
広大な敷地と、ゆったりとした前面道路、という都市計画が
もっとも、現代生活に適した街割りだ、ということになっていく。
このことは、どうも、わたしたち現代人のなかに、
ベーシックな部分で、いまや、刷り込まれたような前提条件になってきている気がします。

しかし、一方で、古くからの伝統であるとか、
地域らしさ、というような部分で、その土地らしい、そこに暮らすのに似合う、
というような価値観を考えるとき、
現実に存在するこうした街割りのなかでの暮らし方、
家の建てられようについて、しっかりした考え方は、
私たちはまだ、持っていないのではないかと思います。
この家の施主さんも、古くからあるこの敷地のなかの家の新築を考えたとき、
当然のように、引っ越しして新しい土地に住むと言うことを
まず、考えたんだそうなんですね・・・。

って、長くなりそうなので、この稿、明日に引き続きたいと思います。
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涅槃の演出

2006年10月23日 05時57分28秒 | Weblog
日本に仏教が導入されたのは、聖徳太子の時代という。
当時は、中国に随という強大な中央集権的な国家が成立して、
周辺国家への影響が大きかった時代だったようです。
現実に隣接した朝鮮半島北方地域の高句麗を侵略している。
そういう緊張する内外情勢の中で、日本国家の求心性を高め、権力の強化が
求められた、あるいは権力者の側で中央集権化が念願された。
それまでの豪族たちの分権的な権力分散的な体制から、
天皇権力を、より強化するために、
仏教という宗教による体制強化が図られたのですね、
「篤く、三宝を敬え」という太子の言葉が憲法に語られたのです。
今日の感覚からすれば、なぜ宗教がそういう役割になるのか、見えないことがあります。
しかし、仏教や経典というものは同時にセットで、
法律や制度、権力のシステム、文明そのものが導入されたのでしょう。
ちょうど、明治の日本がその当時の欧米的国家という概念を導入して、
それと同時に、さまざまな社会システム、規範というものすべてを
日本の国家に導入したと同等か、それ以上の大変化だったのでしょう。
仏教はそういう役割を持って、この国に入れられたものなのだと思います。
だから、奈良の都は国家による公共事業として大寺院作りが行われた。
それが、代々の権力に規範となって、根付いていったものでしょう。

写真は、清水寺。
そういうなかで、寺院建築もまた、
さまざまに意匠と、建築技術の粋を尽くした建築が建てられます。
いろいろなデザインが、宗教体験の擬似的体験をテーマとして建てられたのでしょう。
この清水寺は、延々と続く上り坂を上がり、最後に見上げるような本堂に上がり、
そこから、一気に清水の舞台から、京の街並みが眺望できる、
絶景、というカタルシスを演出していると言われます。
断崖にせり出している舞台は、骨太い木組みによって支えられています。

宗教体験というのは、こういうカタルシスなんですよ、
ということを一般民衆にわかりやすく開示し、明示することを
寺院建築の大変大きなテーマにしたのです。
この眺望がはじめて創建された当時の社会のなかでの驚きなどを
追体験することは不可能ですが、しかし、
たぶんこういう眺望を得られる建築というものがこの国で初めてであり、
いかに驚異であったのかは、
「清水の舞台から飛び降りる」という
一般言語が今日まで残っているところから、十分に察せられますね。
国家権力という、抽象的な概念を認識させるという作業と、
こういう宗教体験を持たせると言うことが、日本国家権力の常態になったのでしょう。
しかし、そのように導入されながら、やはり日本人というのは
独特にそういう外来文化を咀嚼する能力が世界一あるのでしょう。
さまざまに土着的なものが育っていきますね。
っていうように、ちょっと、宗教的なものと日本人、というテーマ、
いろいろに考えることが多くなってきています。
これからも、随時、断片的に書き留めてみたいと思います。
よろしければ、お付き合いください。

さて、きのうはいい勝ち方ができたわがファイターズ。
いよいよ、札幌ドームに日本シリーズがやってきます。
日本の野球の神様が、札幌にもやってくるんですね。
厳粛にお迎えし、明るく楽しい全力プレーと応援で歓迎したいと思います。
がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
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日本人と宗教-01

2006年10月22日 06時44分36秒 | Weblog

きょうから、最近強く感じている表題のテーマについて
折に触れて、書き留めてみたいと思っています。
日本各地の住宅や建築を見て歩く機会が多いのですが、
残され続けてきた建築はその多くが宗教に関わるものが多く、
また、住宅などでも先祖への思いや祈りの空間、というものが
わたしたち日本人の精神生活のなかできわめて大きいことに気づきます。
ブログなんで、こういうテーマ、と決めて、
あとは日々、自由に書いていって、
あとで鳥瞰的に全体を見晴らして、なにごとかが見えてくればいい、
という感じで気楽にいきたいなぁ、と。
新しく、こういうカテゴリー作って溜めていきますのでヨロシク。

写真は日光東照宮の門の上の装飾の様子。
東照宮というのは、権力者であり、しかも死後、自らを
神としてあがめさせようと考えた、究極的な支配者・徳川家康のもの。
この考えは、織田信長が着想し、実際にCGなどで復元される安土城に
その基本的なものがかいま見えていると言われます。
戦国以前にも、たとえば藤原氏の平等院鳳凰堂であるとか、
清盛の厳島神社、などなど、権力者というものは必ずと言っていいくらい
宗教的な施設建築を、自らの権力の随伴的なものとして作ってきた。
そうした歴史に踏まえて、なのか、
自然的なひらめきであるのか、信長は、「みずから神になる」
考えを実践したようなのです。
戦国終息期の3代の権力は、この考えを保ち続け、この東照宮を持って
完結を見たということのようなのですね。

そのために当代の建築技術が総動員されて作られてきたのですね。
あたかも、戦争が武器を中心とした物づくりの歴史を支えてきたように、
建築は、常に公共的な大建築がその技術革新を支えてきたものでしょう。
日光は行ってみると、市街地からえらく長い参道が続く深い森の中にあります。
そういう深い森の中に忽然と、大型建築群が展開しています。
江戸の鬼門の方位にあたり、たぶん古く、縄文期から続く
霊場、自然信仰の対象であった地に建てられたもののようです。
見るように唐破風の門構えの下側に、まさにおびただしい装飾が施されています。
まさに「装飾としての」建築というのが実感。
目的自体も、そのときの権力者の示威が中心だったことから、
そういう目的はただしく伝わってきますね。
あらゆる権力を自分のまわりに集中させた権力者として、
最後に、こういうように宗教的にも尊崇されたい、というのがすごい。
まぁ、家康個人としてというより、法人としての
徳川権力全体としての意志、ということなのですが。

しかし、歴史の星霜を経た、いまとなっては
そういう権力としての荘厳さの演出という部分は急速に色あせ、
装飾も飽き飽きさせられる印象を持たざるを得ませんね。
特定の個人がなまに感じられる権力装置というのでは、
自然な感情をわれわれ、後世のものは持ちようがありませんね。
どうもあんまり、いい印象を持てない建築なんですけど・・・。
コメント
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