三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

鹿肉ステーキ in 函館

2014年11月30日 05時59分45秒 | Weblog

きのうはカミさんと息抜きで函館へ。
夜中3時半過ぎに家を出て、一路向かい、函館到着は7時半過ぎ。
朝食は「自由市場」で、イカ刺し定食。
なんですが、なんのために行ったのかというと
先日カミさんが食べて感動したという「鹿肉ステーキ」であります。
こっちはランチで食べようということで、それまでは
あちこち散策して、という次第。
しかし、意に反してイカ刺し定食は大変なボリュームでして、
これを平らげるだけでもなかなかの満腹感。
函館奉行所見学くらいでは万全な空腹にはならなかったのですが、
ご覧のようなランチに挑戦であります。
意外なほどくせがなく、うまみや甘みが感じられる味わいと、
ローカロリーで鉄分豊富というヘルシーさが評判で、
市内の料理店でもメニューに取り入れるところが続々現れています。




鹿肉は函館の近郊の森でハンティングされたもの。
エゾシカは北海道内で、天敵とされるエゾオオカミが絶滅させられてから
その頭数が増えてしまって、いまは「害獣」指定されていて
狩猟が推進されているのです。
こちらのオーナーシェフさんは、ハンティングの免許を持たれて
手にしている鹿肉のモモは、2日前に近郊の山野で仕留めたものだそうです。
まだあまりなじみのないエゾシカ肉ですが、
フランス料理でシカ肉は「ジビエ(狩猟による鳥獣肉)」といって、
秋から冬にかけてのごちそう。日本では、食害をもたらすエゾシカを
有効に利用するという意味でも、注目されています。
鹿肉は数回食べていますが、きれいな血抜きが必須で、
それがキチンとされているものは、くせもなく、味わい深くヘルシーな肉です。
付け合わせも兼ねて、トマトベースのソースが合わせられていましたが、
シンプルな塩こしょうで、十分な旨みと清冽感が感じられる味わい。
その上、新鮮な個体でないと食べられない「レバー」も
あわせて食べさせていただきました。
モモ肉と比較して、プリプリとした食感で、いわゆるレバー臭さはほとんどない。
下の写真は、さらに「タン」の部分、舌の部位ですね。
それを少し湯通しさせた状態なんだそうです。
本当は、ワインなどが似合うところですが、
札幌まで帰るし、そこは断念いたしました(笑)。

ということで350km・往復700km超の長距離ドライブの末に食べたのですが、
まことに満腹感ハンパなく、晩ご飯はとてもムリ、食べられませんでした(笑)。


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Replan臨時増刊 「冬を楽しむ。2015」発刊

2014年11月29日 06時49分16秒 | Weblog


昨年に引き続き、好評のReplan増刊号です。
高断熱高気密の北海道・東北の寒冷地住宅ですが、
そういう住宅性能と同時に、いわば文化としての「炎を楽しむ」
北国らしい生活文化も息づいてきています。
気候風土が、ニッポンとはやや違いがあるなかで、
ふつうの暮らしになじんだ薪ストーブ、ペレットストーブの楽しみ。
そんな世界を誌面で「体験」してみませんか?

Replan北海道 2015冬春号 臨時増刊
「薪ストーブ・ペレットストーブで、冬を楽しむ。2015」
北海道・東北の書店にて販売 2014年11月29日刊行・12月2日発売
A4版124p(表紙共) 定価1,000円(税込)

暮らし方、住まい方によって、炎とのつきあい方も異なります。
ライフスタイルに合わせ、
共働きをしながら週末にストーブライフを楽しむ夫婦、
子どもと一緒に憧れの本格的なストーブを楽しむ家族、
主暖房を薪ストーブにして本格的に採り入れた高性能な住まい、
リフォームと同時にペレットストーブを採用したお宅など、
ヘビーユーザーからライトユーザーまで、
家庭によって異なるさまざまな炎のある空間をご紹介いたします。

「冬を楽しむ。」第2弾。
冬の暮らしを彩る炎の魅力がこの本の中に詰め込まれています。
Contents
◆巻頭特集・使い方別「炎のある空間」
 〈北海道・東北4事例〉
◆ペレットストーブのこと、ちゃんと知りたい!
◆炎を囲む暮らし〈北海道・東北の住宅22事例〉
◆SHOP Report 薪ストーブ日和
◆炎育ー子どもに伝えたい炎の魅力
◆Q&A
 炎のある暮らしを楽しみたいあなたに、知ってもらいたい7のこと。
◆薪ストーブ・ペレットストーブ専門ショップ〈北海道・東北〉

お買い求めは、お近くの書店で
また、ReplanHPでも購入できます。


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道総研フォーラム

2014年11月28日 05時28分10秒 | Weblog


さて年末進行の真っ盛りで、同時進行しているプロジェクトは
作業量も膨大ななか、ある原稿の〆切がまったく守られていない(笑)。
やむなく督促、督促。
そんななか、ひょんなことからその著者さんから突如のお誘い。
「これから道総研フォーラムで講演しますから、来ませんか?」
要するに鈴木大さんからのコール。
お忙しい方なので、たまに顔を合わせておくのも至当かと。
むむむ、ということで、会場までは15分ほどで到着するので
急遽の取材活動であります。
このあたり、同じ札幌市内にいるというのはありがたい。

鈴木さんは、国の省エネ基準見直しの動きの中で
中心的な役割を果たされて、その他、陸前高田での復興支援など、
道外での活動も目の回るほどの忙しさで駆け回られていますが
そういう忙しい人の動向をこそ、誌面で紹介したい
ということで、本誌Replanでは、連載のエッセイを書いてもらっています。
そういう鈴木大さんですが、本職は道総研のなかの住宅研究組織・北総研の
メイン研究スタッフという立場です。
道総研というのは、北海道のシンクタンク組織を束ねた組織です。
わたしたち住宅関係に馴染みの深い北総研の他に
林業試験場や、林産試験場などの森林資源関係組織や
食品関係の組織もあるのです。
で、きのうのフォーラムは、こうしたシンクタンクがひとつの組織になって
「戦略研究」づくりに取り組んできた約5年間の活動成果報告だったのです。
題して「自立可能な地域社会の実現に向けて」。
今回の発表では、そのなかでも森林から住まいづくりまでの一気通貫な
産業構造の方向性を、地域材「カラマツ」利用に集中して
さまざまな角度から、調査研究開発してきた軌跡であります。
食品関係の方は、別のひとに譲って、わたしとしては、住宅関連の方に取材。
メインテーマは「森林から住まいへ、産業連携で開く地域イノベーション」。
取材の中身については、別途、誌面などでご報告いたします。

で、終了後、鈴木さんと情報交換、あいさつ。&原稿の督促(笑)。
そうこうしているうちに、武部建設の武部豊樹社長ともバッタリ。
最後は、3人で住宅関係の情報交換になっておりました。
キーワードは伝統木造でありますが、
たいへん興味深い中身のたっぷりの情報交換でありました。
あ~、はやく原稿、こないかなぁ・・・(笑)。



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自然林の木道メンテナンス

2014年11月27日 05時35分48秒 | Weblog


いつも散歩の時にお世話になっている木道。
札幌地下鉄西24丁目駅を下りて、徒歩で札幌円山公園から
円山動物園に至るメイン道路の「裏道」として利用されている。
たいへん素晴らしい杉林の中をフェトンチッドに癒されながら歩くことが出来る。
林間からは円山の自然のままの混淆林が垣間見える。
この地域は、明治の開拓初年の頃、アメリカ北西部から来た
「お雇い外国人」都市計画家たちが起案して、
開拓前の自然林を後世世代のために保護するようにあるがまま、
自然のままに保存してくれた。
さまざまな札幌という土地が育む樹種、様相を教えてくれる。
そういうなかを最小限の遊歩道を造作して歩くことが出来る。
屋根がかかっていない外部露出で、しかもやや湿潤気味な場所。
そういった条件の中で、この木道はあります。



アングルは違うのですが、
こんな雰囲気で使われ続けているのです。
毎朝、その日の土地の匂い、空気の肌ざわりを伝えてくれる。
やはり、そういう「感性装置」である以上、
材質は、腐りやすくメンテナンスが不可欠だとはいえ、
やはり木道であることがふさわしいと思います。
そして、散歩する人が減少するこの時期、
メンテナンスが行われ、不定型な形状に合わせての補修工事が行われる。
設計図に基づいて正確に施工すると言うよりも
自然の起伏、傾斜に会わせて
現場的に判断しながら施工しているに違いない。
わたしにとってもっとも身近な「公共事業」ですね。
たぶん、さまざまな声が、この工事に対して寄せられているかも知れません。
「木道」という選択に対して、
毎年の工事予算計上に対して、論議があるだろうことも想像に難くない。
しかし、わたし、基本的にこの現在の姿勢、
支持したいと、ひそかに思っております。
工事に携わっているみなさん、大いにがんばってください。
よろしくお願いします。

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リスさんから、ついに友だち承認(笑)かなぁ?

2014年11月26日 08時56分53秒 | Weblog


よお、であります(笑)。
ことしもずいぶん札幌円山自然林周辺でリスたちとめぐり会ったのですが
すっかり葉も落ちて、こっちも途切れ途切れの
散歩と言うことで、最近はじっくりと遭遇することがなかった・・・。
しかし、出会いはいつも突然にやってくる。
恋はいつでも初舞台、といいますが(笑)、まったくその通り。
で、本日はこっちもゆとりを持って
悠然とiPhoneを取りだして、撮影させてもらった。
自然の輪廻を生きているかれらとの遭遇は
まずは謙虚な姿勢にならなければ、ということで、
こっちからの体動はごく控えめにすることに、
かれらが姿を現したその場所で即停止して、
「わたしは、おまえに安全な平和の使者、存在なのだ」光線を発射させる。
本当はナッツのひとつかみでも持っていればより良いのかも知れないけれど、
それはそれで自然動物への倫理破壊行為かも知れない、
と思うので、正直に「お前に与えるものはないけれど、害を為す存在ではない」
という一点に意識を絞り込んで、ひたすらかれの防御本能を慰撫する。
そういう時間意識に集中するのですね。
たぶん、遭遇時間は長くても3分程度なんでしょうが
かれらの動き回る様、
その一挙手一投足が、まさに一期一会そのもの。



そうやっていたら、
だんだんとかれの防衛本能バリアが崩れてきたのか、
徐々に異種動物間間隔が狭まってくる。
まぁたぶん、わたしがエサをくれる多くのフレンドリー人種と勘違いして
近寄ってくるのでしょうね。
でも、ないものはない。
すべてかれのなすがままにして、まるで樹木にでもなったように
静かなまなざしだけで立ち尽くしておりました。
ほんの一瞬、たぶん3分くらいの時間ですが、
こういう異種動物接触、それも野生を生きる動物との接触は
心の深い部分に、いろいろな思いを残してくれますね。



すっかり晩秋の光景の散歩道です。
本日からは、ズボンも真冬用のダウン仕様のものに履き替え。
これからいつ、雪が積もってもおかしくない時期ですが、
そうなったら、靴も考えなければならない。
例年だと、だいたいこの時期までで散歩は終えるのですが、
ことしはできる限り、続けたいと思っております。


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齋理屋敷~宮城県丸森・蔵の郷土館

2014年11月25日 08時58分28秒 | Weblog


以前、一度ほかの写真撮影の折に
この建物には出会ってはいたのですが、
確かその時には、ほぼ時間がなくて、通りすがり見学だったと思います。
今回、若干の時間があったので、一通りの見学が叶いました。

<以下、Wikipediaより>
齋理屋敷は、七代にわたって繁栄した豪商である齋藤家の屋敷を
改装した博物館で、
齋藤家の歴代当主が齋藤 理助(さいとう りすけ)を名乗ったことから
「齋理」と呼ばれている。
6535平方メートルの敷地内には、往時の居宅1棟と蔵6棟、
石造りの浴室1棟に加えて、宮城県丸森町が新築した建物2棟の
合計10棟が立ち並んでいる。
県道45号線に面した店蔵は、1848年(嘉永元年)に建てられた
屋敷内で最古の建物となっている。
2011年1月、12の建造物が国の登録有形文化財に登録された。
略史
「齋理」が事業を始めたのは江戸時代後期の1804年(文化元年)、
丸森の洪水対策として行われた市街地の移転事業である町場替えと同時で、
呉服太物商を皮切りに養蚕へと事業を広め、生糸の相場で財を成した。
明治以後は味噌・醤油の醸造販売や金融業を展開して、
また縫製工場や発電所を建設している。
第二次世界大戦後、地主制の解体を目的とした農地改革により土地を失い
新たな事業の開拓にも失敗したため、146年間続いた歴史の幕を
1950年(昭和25年)に下ろす。
1986年、齋藤家七代目当主から蔵や屋敷、収蔵品の寄贈を受けた丸森町は、
2年をかけて寄贈品の調査を実施、建物の改装を行って、
1988年7月に蔵の郷土館齋理屋敷を開館した。





という写真のような空間があって、
歴史の積み重なりと近代的造形感覚が美しく調和した建築だと思います。
完全な「復元」というよりも、たぶん40年間放置されていて
傷みが激しかった部分も多かったのではないかと想像します。
原型を超えて美しいたたずまいが再生されているように感じますね。
設計に当たった針生さんのHPでも、
「さまざまな専門家とチームを構成し、建物群の実測と
おびただしい調度品の調査を開始した」と記されていますが
そういう作業から、昔人の精神性を再構築していくのだろうと推測します。
「設計は運動論としてとらえるべきであることが理解できたのは
大きな収穫と言える」
と結語されていましたが、まさにまざまざと伝わってきます。
本日は、ほぼ建築写真集的に構成してみました。


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和定食のやすらぎ

2014年11月24日 08時09分27秒 | Weblog


世界中で和食がブームなんだそうですね。
それって、ごく当たり前だと思うのです。
絶対に和食は、世界最強にすばらしいソウルフードだと思う。

先日宮城県南部を歩いた折に
建築家・針生承一さんが設計した「齋理屋敷」を見学したのですが、
そこは、江戸期に栄えたコメを中心にした商家で
多数の奉公人を抱えた総合商社のようだった家ですが、
その奉公人たちに出した食事をベースに
ランチなどの食事を楽しめる和風食堂も併設している。
そこで、食べた「定食」であります。
品書きだけを見て頼んだのですが、
出てきた和食定食の彩りの美しさ、味わいの細やかさ、
食材の多様性に、ウットリとさせられた次第であります。
メニューを書いてみると
主食は、近隣の山で採取したイメージのキノコの炊き込みご飯。
三陸にも近いので、牡蠣のフライがメインディッシュ。付け合わせに軽いサラダ。
やや酸味の感じられる古漬けと青野菜の和え物。
そしてたっぷりの野菜類と豚肉とのコンビネーションの味噌味の温野菜汁。
さらに芋をベースに果物や干しぶどうなどを混ぜ込んだ
デザートのような逸品も付いていた。
温野菜汁と主食のご飯の味わいバランスがたいへん馴染み、
牡蠣フライや、野菜類の醸し出すハーモニーがたまらない。
そして、風味と甘味が深く感じられるデザートまで、
目もこころも口も、よろこびに満たされておりました。
しかもこれで850円という値段。
人のゆく、裏に道あり花の山、という句が浮かんできてうれしかった。
まぁ、年齢によっては、やや力強さに欠けると思われる場合もあるでしょうが、
わたしのような年齢になってくると
このような懇ろな作られようの食事に、こころが動く。
たいして期待していないときに、不意打ちのように心のこもった食事をいただくと
ほんとうに「あり難い」幸せを感じてしまう。
1日、いや、それからずっと、なんとなくうれしい気分が続いています。

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新嘗祭~北海道神宮

2014年11月23日 08時02分51秒 | Weblog


昨日郡山での一般向け講演会を終えて
クルマで仙台空港まで戻って、深夜に札幌へ帰還。
本日は、たっぷりと寝られて、起きたら6時という、
わたしとしては大変な寝坊でありました(笑)。
で、ここんところ風邪気味だったりで、できなかった早朝散歩、
っていっても、福島できのうも出かけていたんですが、
本日、札幌でも1週間ぶりくらいに出ました。
ところが、いつも停めている北海道神宮の駐車場、
きょうは行列になっていて満杯、っていうか、
そもそも駐車場スペースにはたくさんのテントが林立している。
事情が飲み込めませんでしたが、
やむなく大回りして、遠くの駐車場に移動。
で、散歩中の北海道神宮参拝時に、ようやく事情がわかった。
「にいなめさい」という神事、祭事なのであります。
神様が行うバザーのようなことなのですね。
散歩が終わってクルマで帰還する段になっても
付近一般道でのクルマの駐車数は増える一方でした。
楽しそうなので、ぜひ見たかったけれど、
駐車場からは、大回りになるし、散歩道からもはずれるので断念。



一方、神宮の門の屋根には雪止めが設置されていました。
銅板葺きという最高級の屋根仕上げ材なので、
それに対して鉄製の「雪止め」を打ち込むのは、
はばかられるということなのでしょうね。
また、異金属素材同士で互いに干渉しあって思わぬ腐食もあり得る。
そういうことなので、メンテナンスもしっかり出来ることから
このように木製の雪止め設置ということになるのでしょう。
駆け足気味に冬支度が進む北国・北海道でありますが
しかし、気温的には今朝など、かなり温暖。
きのうの朝の福島の方が数段寒かったと思います。
こういう季節変化の様相を、しっかり楽しみながら暮らしていける
そんな小さな幸せ、いいなぁと思って過ごしております。

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古社巡り~宮城県角田・諏訪神社

2014年11月22日 05時30分43秒 | Weblog


きのうは札幌から仙台へ移動。
本日、郡山で講演を頼まれまして、その前乗り。
なんですが、先週末以来、風邪気味でなかなか抜けない。
散歩なども出来ないし、運動不足。どうもスッキリしません。
そんなことでまだ、講演パワーポイントデータを制作できていない。
ヤバいので、早めに福島県入りして、ホテルで制作しなければ。
ただしホテルチェックインまでに若干の時間があるので、
仙台空港からレンタカーでややゆったりと南下。
途中、なにやら心惹かれる古社が・・・。
わたし、こういう古社には弱いのであります、つい写真を撮りたくなる。
北海道には、いわくのある古社がないというコンプレックスからか、
本州地区にいると、無性に焦がれる部分があります。



諏訪神社: 延元元年(1336)に鎮守府将軍・北畠顕家が、
義良親王を奉じて陸奥に下向した際、信州諏訪大社から
諏訪大神の分霊を勧請し、(この地に)古くからあった佐久良(佐倉)神社に
合祀されたと伝えられている。
その後、伊達政宗が、相馬遠征の際当社に戦勝を祈願し、
その凱旋のときに金幣帛や烏帽子・日色鈴を奉納して、
天正18年(1590)に社殿を造営したと伝えられるが、
現在の社殿は、本殿が享和3年(1803)、拝殿は文化4年(1807)に、
村民の寄進によって建造されたものである。
建築様式は、本殿が一間社流造り、拝殿は入母屋造り平入で、
妻飾の虹梁・蟇股・木鼻などは華やかな彫刻で飾られ、
江戸時代後期の特色があらわれている。
石鳥居は、安政4年(1857)に建立された明神鳥居で、
高さが約4.2m、笠石は約5.7mあり、市内の石鳥居の中では最も大きい。 

というような由緒書きであります。
いきなり、「鎮守府将軍・北畠顕家」が出てきますね。
ちょうどいま、南北朝期の動乱期のことを記述した
「戦争の日本中世史」という電子書籍を読んでいまして、
自分の所領を増やしたい一心で、しかし動乱の中で浮沈せざるを得ない
かれら武家の経済戦争ぶりが丹念に研究されている一冊であります。
もともと南朝側の京の公家でありながら
奥州の武家あるいは蝦夷たちの統領になって活躍した
鎮守府将軍・北畠顕家というのは、興味ある人物なのですが
それ以上に、かれを擁立して所領拡大を目指していた
奥州の武家・蝦夷たちのギラギラした欲望も、残照のように見えてきます。
この公家に率いられた一軍はなだれのような急行軍で
足利尊氏軍を京都から駆逐したことで有名。
日本史において、東北の武権が日本中央政局を席巻した唯一の戦史。
ただし、その後も浮沈変転きわまりない状況が続き、
また、強固な政治的基盤を持っていない孤軍であったので、
天下に覇を唱えるまでには至らなかった。
という故事を想起させる神社でした。
日本の古社には、こういった血生臭い来歴があるものが多い。
戦争と信仰は深く結びついて存在していると思います。
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日本最北拠点都市・旭川の家づくり

2014年11月21日 05時09分32秒 | Weblog


きのうは朝一番で、旭川でのインタビュー企画取材。
雑誌の企画でふたりのビルダーさんと対談企画であります。
なんですが、お相手は業界団体の会合などでいつも顔を合わせている
芦野組・芦野社長と、新濱建設・新濱社長。
いわば勝手知ったる相方なので、話題には事欠かず、
あとでまとめてもらうライターさんには苦労を掛けたかも知れません(笑)。
それと会場として使わせていただいた家具メーカー・カンディハウスさんも
会長の渡辺直行さんとは高校時代の友人。
なんとなく全体的にアットホームな雰囲気で、進行させていただきました。

ただ、こうやって改めて旭川での家づくりについて
取材してみると、いろいろ発見もあって有意義。
旭川は日本の最北都市圏で人口規模50万人の拠点都市。
ふたりも出身は旭川ではなく、近郊町村。
近郊という言い方は他地域のみなさんにとっては言い過ぎ(笑)かも。
新濱さんに至っては、利尻島出身と言うことですから
距離は200kmくらいあって、しかも海を隔ててもいます。
しかし北海道は人口集積がまばらなので、それくらいの距離感でも
圏域が形成されています。
現代の日本の「地方」は、まったくのクルマ社会。
そういう条件では、これくらいの距離感も一体的な圏域になっている。
ちなみに新濱さんは、漁師さんの家の息子さんでしたが、
なんと船に酔うということで、やむなく建築の方向に進んだということ(笑)。
おいおい、であります。そんな初めて聞ける話もあって面白い。
で、旭川という地域は、寒さは日本でも最高レベルの地域。
しかも積雪も多い。
温暖地のみなさんにはこの辺の知識が少ないかも知れませんが、
北海道でも、雪は多い地域、少ない地域に分かれます。
また相対的に気温が温暖な地域と寒さが厳しい地域にも分かれ、
さらに、冬場の日照が多い地域、少ない地域にも分かれます。
よく比較される道東・十勝地域と気温条件はほぼ同じだけれど
それ以外では正反対になっている。
そういった地域区分のすべての条件において厳しいのが旭川・道北圏域。
寒く、雪がたくさん降って、しかも日照が少ないという地域なのです。
新住協・鎌田先生が研究開始当時から
そのもっとも厳しい条件地域のパートナーとして協同してきたのです。
日本の高断熱住宅の来し方から現在、さらに未来展望まで語っていただいた次第。
日本でもっとも厳しい気候条件の中で、地域の工務店が
どんな家づくりを行ってきたのか、
その姿を浮き彫りにしてみたいと思います。
他地域、温暖地域で高断熱高気密住宅を志向されているみなさんにとっても
有益な人間情報になっていると思います。
次号12月末発売のReplan北海道に掲載されますので、
ぜひご一読ください。

写真は札幌ー旭川の行き帰りの道央高速から見える「暑寒別連峰」。
日本海の季節風から手前の石狩平野地域をガードする山並み。
冷たく湿気を帯びた季節風が、山並みにぶつかってモヤがかかったようになる。
冬の初めでしたが、おだやかな姿態を見せてくれていました。
もうすぐ、風景が一変する荒涼とした厳冬がやってきます。

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