三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

究極の美しい家

2011年08月31日 05時08分54秒 | Weblog





先日、「網走に行ける」と喜んでいたのです。
なぜかというと、「北方民族博物館」というのが同市の呼人の森の中、
天都山の山中にあるのです。
網走というのは、大変面白いところで、
この呼人の杜の植物の種類の多さはすごいのだそうで、
はるか南の植物もあり、同時に北のきびしい世界に生育するものもあるんだとか。
昔、一度この森の中の家を取材したことがあります。
その建て主さんは画家であり、奥さんも植物細密画で有名な方。
で、その折りに呼人の杜の樹種の豊かさを教えられたのです。
北半球でも有数の樹種なのだそうで、
無数に描かれた植物画を見せていただいたことがあります。
どれも素晴らしくて、人間が植物を描いているのか、
自然が、彼女を通してなにかを語りかけているのか、
そのないまぜなような感覚を覚えているのです。

そういう北半球有数の豊かな自然のなかに
この「北方民族博物館」はあるのですね。
こういう種類の「豊かさ」には、インスピレーション能力の優れた
古代人の方が敏感だっただろうと思います。
この網走を中心とするオホーツク海沿岸地域は、
「オホーツク文化人」という日本史にとって謎の多い人々の痕跡が見られるのです。
ここでの展示も、そういうものかと思っていたのですが、
展示自体は、より広く、地球上北半球の「北方民族」全体の文化紹介でした。
そういう民族の衣食住についての文化を展示していまして、
そのなかに、思わず目が点になったのが、この映像。
イヌイットのひとびとの北極圏での住宅を紹介するビデオのひとこまです。
かれらは、冬になると雪をブロック状に切り取って、
それをレンガのように積み上げて住宅を作っているのだそうです。
アーチの要領で、最後に天井の最後のピースを積むことで完成する住宅。
窓には、想像通り、氷のブロックが充てられていました。
で、そういう住宅で内部でアザラシとかの体脂肪を燃焼させる暖房を行っている。
それが、暖房と同時にほのかな光量とは言え、
照明の機能も果たす。
そうして出来上がるのが、雪のぼんぼり状態。
こういう住宅に住んでいたというのですから、すごい。

どんなデザイン手法もとても敵うわけがない。
異星人がこの住宅を見たら、まちがいなく、この家が地球上で
もっとも美しいというに決まっていますね(笑)。
利用できるものは利用し尽くす、という人間精神のたくましさを見せてくれる。
また、人類の環境適応性の高さも見事に表現している。
しかし、秋田には雪のかまくら文化もある。
洋の東西を、いや、南北を問わず、
人間の考えることは基本的に変わらないと言うことも表しているのでしょうね。
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閻魔大王の地位

2011年08月30日 05時00分19秒 | Weblog

先日の東京出張の折、
時間を見計らって、東京国立博物館に空海展を見てきました。
まぁ、わたし的には展示としては、期待はずれかなぁというところだったのですが、
最近のこの博物館、ユーザーの反応の結果だろうと思うのですが、
美術と言うよりは、民俗的な方向性に展示内容が向かっていると思います。
「博物館」なので、当然ですが、
やはり、ある程度は古典的な美術品というものを期待したいですね。
でもまぁ、平日なのに押すな押すなという盛況ぶり。
何年か前にやった仏像展がきっと大当たりしたに違いない。
そこから、宗教的な民俗観を前面に出してきているのだと思います。
しかし、実際の展示は、なかなかに難しい。
最後、宗教的世界観を多くの高野山からの借り物の仏像で
立体的曼荼羅で構成しようとしたようなのですが、
そもそも宗教的世界観自体、いまの時点では説得力に乏しいし、
現物としての迫力も、イマイチかなぁと思いました。

そんな印象を抱きながら、
平成館から本館を抜けて帰ろうと思ったら、
本館壁面に大型の「地獄図」展示があって、
ご覧のような、お懐かしい閻魔大王様にお目見えできた次第。
そうなんです、民俗的視点から言えば、宗教的展示で
何か決定的に足りないなぁと思わせるのは、このわかりやすい
勧善懲悪、とくに人間の弱さ・悪が裁かれる、ド迫力の恐怖感なのです。
わたしたち年代くらいまでが、かろうじてこういう日本人的世界観の根源を
肉体的恐怖感とともに持っている。
こころのなかで「ウソを言ったら、閻魔さんに舌を抜かれる」みたいな
内語が、常に反芻している年代なのですね。
たぶん、これはわたしが日本的村落共同体で寺などが行ってきた倫理教育を
肉体的に記憶している終わりの頃の年代なだのということを表している。
わたしたち年代以降、
そうした共同体的倫理教育は廃れ、
ひたすら闇のない、フラットに明るい「民主主義」的な教育が行われた。
閻魔大王、といってもたぶん、通じない世代も多いのだと思う。

というようなことは横に置いておいて、
やはり、閻魔大王というのはいいですね。
いつ見ても、誰が描いても、惚れ惚れとする極めつけの恐さを持っている。
けれど、端的に男性的ですぱっとした爽やかさに満ちている。
雷オヤジの大親玉、っていう、いなくなっては困る存在の極地。
こういう存在が地獄の釜の縁で待っていることが、
人間社会には、なくてはならないのだと思います。
わたし、個人的に
「これだけは日本に言い残したい遺言があるカミナリオヤジ連合」
というような結社を夢想しておりますが
その首長には、やはりこの閻魔大王様がふさわしい。
まぁ、選挙をやってもほとんど泡沫でしょうが(笑)、
やはり、日本には元気のいい閻魔大王が必要だと思っています。
いかがでしょうか?
ぜひ、閻魔大王に正当な地位を与えるべきです。
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北東アジア民族の審美眼

2011年08月29日 05時31分12秒 | Weblog





写真は、網走市の「北方民族博物館」の展示から。
確認しましたが、写真は撮影フリーとなっています。念のため。
この博物館、わたしは奈良から平安時代に掛けて
日本のオホーツク海沿岸地域に住み着いていた「粛慎」民族、
一般的には、オホーツク文化人と呼ばれているひとたちの記録を収めている
と想像していて、機会があれば行きたいと念願していた施設です。
で、行ってみたらくだんの民族については
「謎のオホーツク文化」という一文の展示があって、
若干の概括的説明があったきりでした。
まぁ、その点ではがっかりと言うところでしたが、
しかし、より広く、北東アジアから北極圏地域にまで広がる諸民族について
その日本側受け入れ地域であるオホーツク沿岸にふさわしく資料展示されています。
日本列島は南北に長く、アジア大陸に対して平行している。
なので、南方からも西方からも北方からも、
多くの民族交流が行われてきたことは当然のことだと思います。
ところが、これまでは文化的に優勢であった
中国や、朝鮮半島からの輸入文化に偏重した歴史観が強く、
そちら側だけが存在して、他はなきがごときの認識が日本史の基底だと思います。
近年、歴史研究の姿勢に大きな変化が起こっていて、
それは「学際」的な研究へのスポットライトが強く当たってきていること。
これまで発掘事物を中心に想像力を働かせてきた考古学と
残された文献から研究してきた歴史学が、とくに北海道東北の北方地域では
両方から同じ歴史時間に迫って、研究成果を共有するという方向が出てきているのです。
今週末には、山形市でこうした研究の公開ゼミナールも開かれることになっています。
同じ北方にあって、住宅文化のテーマでは大きく関わりもあって、
強く興味を抱いている動きであります。
わたしとしては、とりあえず人文的な部分での北方民族の大きな流れを把握し、
そして北の住宅文化から、現代への照射ということをにらんでいる、というところ。
そんな流れで、この博物館に見学に来た次第です。
大変面白い住宅への発見もあったのですが、
そういった興味からの見学での様子を何回かに分けてご紹介します。

前置きが、どうしても長くなるなぁ(笑)。
しかしまぁ、仕方ありませんね。
で、最初に「衣」のコーナーがありまして、「ナーナイ」という
中国東北部・黒竜江周辺の民族の花嫁衣装であります。
やはり女性の美しさを際だたせたい、というのは人間社会共通の文化。
どういうポイントで美しさを表現しようとするか、
その民族の感受性を表現しているのだと思います。
動物の皮革性のブーツが大きく目立っていると思います。
寒い地域と言うことで、履き物はこういうことになるのでしょうが、
ファッションとしては、ここが基本になっている気がします。
これが決まってから、それとのコーディネートを考えていったら、
少し活動的な雰囲気のものになっていったのでしょうか。
それとも、騎馬民族的な文化がその底にあるということなのでしょうか。
白が基本になっている、というのは白無垢という日本文化とも通底する?
しかし、腕の裾やスカートの下部、胸元にかけられた衣類など、
模様や色彩感覚は、まことに魅惑的ですね。
帽子もセットになっているようですが、
日本の角隠しと似たようなものなのかなぁ。
まぁ、活動的な衣装なので、もっと実用的な意味合いに違いないと思います。
こういう衣装、日本や朝鮮といったモンゴロイドの女性の美しさの
ひとつの形にはなりうるだろうなと思いますね。
とても現代的な感じがして、
全然古さとかは感じませんでした。
こういうデザインがこの冬にでも出てきたら、案外人気が出そうでもあります。
う~~ん、すばらしい、と見学が始まった次第です。
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日本のエネルギー戦略

2011年08月28日 05時14分38秒 | Weblog




ふと、当たり前のことに思いが至ったのですが、
日本のエネルギーのことを最近、多くのひとが発言するようになっています。
原発の危機が現実のものになった2番目の国として、
いや、チェルノブイリを引き起こしたのは旧ソ連であって、
後継国家であるロシアは、その破綻の上に成立したと考えれば、
エネルギーの本当の危機を経験しつつある唯一の国になったわけですから、
当然のことであると思います。
で、その論点のなかで、あんまり語られていないと思うのが、
現状の日本のエネルギー政策とはなんなのか、という点。
多くの発言に、そんなものはなにもなかったという無意識の認識がある。
はたしてそうなのか、ということです。

で、気付いたのが、わたしたち日本は国際世界の中で、
やはり「日米同盟」の枠の中に存在している、と認識されているだろうということ。
日本は中東からの石油に依存しているのが基本であって、
それは、基本的にアメリカの軍事力による恩恵である、
というふうに考えられると思うのです。
ヨーロッパ(特にドイツ)はなぜ、自然エネルギーに対してかくも必死であるのか?
そしてアメリカはなぜ、それほどでもないのか、
この違いは、中東の利権に対するプレゼンスの違いに寄ることが大きい。
アメリカは自国民の血を流しても、
この利権から絶対に離れない、という対外戦略を展開している。
チェルノブイリ以降のロシアが、自国での天然資源採掘に狂奔したように、
アメリカは、スリーマイルの経験を踏まえて
より一層、中東への関与を強化していった。
日本は、自立的にこうしたエネルギー戦略を考えては来なかったけれど、
アメリカの世界戦略の中で、地政学的に言って相当に枢要な位置にあることから、
日米同盟という枠の維持強化という受動的な選択をし、
主にその利益としての安定的なエネルギー供給を可能にしてきた。
中国のような潜在的な日米同盟への敵対性国家にしてみれば、
現状としては、軍事的なアメリカの覇権は認めながら、
自国の軍事増強を密かに図っていく、という選択になるだろう。
中国の外交白書で、尖閣諸島問題で日本に打撃を与えた、という
挑発的な発表があったけれど、
かれらにしてみれば、長大な不沈空母のような日本の地政的位置~
南北に長く、アジア大陸を監視するかのように枢要な海域を占拠している~は、
潜在的脅威そのものだと思います。
現実にあの海域には天然ガスの鉱床も発見されているのだから、
中国の本音は、鋭く「反日」的な方向を志向せざるを得ない・・・。
こんなような大枠の認識の上に、
今後の日本のエネルギー戦略ということを考える必要がある。
そんな思いが、強くしてきたのです。
たいへん微妙なバランスの上での論議なのだと言うことですね。

しかし日本は、ドイツのようなロシアによるエネルギー支配構造という
圧迫を受ける地政学的位置に置かれてもいないのだという、
そういう現実の中から、そしてより大きくは日米(軍事を含めた)同盟は
いまのところ、大きく変更は出来ないだろうという現実の中から、
今後の方向を考えていかなければならない、と思います。
戦後の日本は、戦争を放棄し、
自ら核兵器を持つことも国際公約として放棄している。
しかし、アメリカの軍事支配基地として、その核世界戦略の枢要な位置にあることで、
事実として、国際的な安全も確保されている。
これは好むと好まざるとに関わらず、
大枠としての第2次世界大戦の結果の国際関係なので
受認していかなければ、前提に立てないだろうと思います。
さて、フクシマ以降、その上でどう考えるべきなのか?
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戦後日本社会の「住宅政策」

2011年08月27日 07時15分59秒 | Weblog






ロシア革命のころ、
アメリカ資本主義のお金と権力を握っていたひとたちは
奴隷制度大国であることから、恐怖を抱いていたそうです。
きっとああいうように革命がやがて起こって
自分たちの既得権益が侵されて行くに違いない、と怖れた。
で、どうしたか。
労働者たちを、あたかも資産家であるかのように錯覚させる仕組みを考えた。
自分たちも持たざるものではなく、持てるものだと認識させたかった。
そこで考えられたのが、「持ち家」制度なのだという説がある。
労働者にも、住む場所は必要で、
工場や会社の近くに「勤労住宅」が建てられて、それは
主に賃貸住宅として提供されるのが一般的だった。
それに、擬似的な「資産性」を持たせて、
「持ち家」志向をあおって、「ほれ、お前もアメリカンドリームが可能なんだ」
というような錯覚装置として利用した。
ありよう的には賃貸住宅とそう違いがない住宅を個人所有とした。
本来資産たる住宅とは、金持ちの住むような邸宅だったり、
もっと大きい意味では、生産価値のある大農場の付いた大農家住宅のことだった。
都市の集住性の高い住宅は
労働者として務めるために必要な休養を得る装置なのであって、
本来的に資産としての価値が高いものではない。

欧米での中古住宅流動性の高さを見れば、
住むための住宅というものは、社会資産という意味合いの方が強いのだと思う。
欧米ではおおむね土地の造成と建売が新築住宅販売の基本で
そういう意味では、街の中のたたずまいも総体として購入するのが一般的。
デザインといっても、ある程度の社会的常識の範囲で許容範囲の了解が存在する。
スターターハウスは初めて家を持つ世代のためのものであり、
それを売って、次のミドルクラス住宅購入を目指す。
住宅といっても、その「たたずまい・ステータス」を基本的に購入しているので
庭木や緑が豊かになればなるほど、言いかえれば古くなればなるほど価値が出る。
そしてやがて、わらしべ長者のように、人生の上がりとして
資産価値の高いハイエンドの住宅を手に入れる。
人生の成功者としての喝采を浴びながら・・・。

こういうシステムのごく一部を導入したのが、戦後社会の日本。
労働者に持ち家の夢を与えることで、都市への人口集中を計ってきた。
江戸までの社会が、生産手段付きの土地の争奪を基本とした競争社会だったので、
日本人には土地への抜けがたい執着心があって、
都会のなかの猫の額のような敷地にすら、強い執着心を持った。
上物はまぁ、そういう事情から基本的には「住めればいい」ということだったのだと思う。
大量に、それも一気に建てまくる、ということで、
生産手段に近い立地条件の土地に新しい街が造成され、
大量生産を担うハウスメーカーシステムが稼働した。
こういうプロセスを見れば、それが資産としての生産を目指したものでないことは自明。
基本的には、こうしたありようは、町家建築の一変形ではないのか。
あるいは、マンションなどは、現代版の長屋なのだと思う。

現代日本で建てられているような個人住宅って
それが「資産」になる、というようには建てられたり、維持されたりはしていない。
本当の資産形成なのであれば、本来日本の中古住宅流通はもっと活発になるはずだ。
戦後すぐに宅地開発されたような中古住宅は、
立地条件もいいはずだから、もっと高値で取引されるべきなのだ。
ところが、けっしてそのように活発化はしていない。
土地の値上がりがあった時代までは、それでも土地が上がったから
それなりのゲインが得られたけれど、
そうした場合でも、上物は壊して更地にして取引するのが一般的だった。
いまや、土地の値上がりはありえない状況になって久しい。
地方都市では、右肩下がりに土地価格は下がってきている。

さて、こういう「住宅政策」が事実上行われてきた日本で、
今後、住宅はどのようになっていくのだろうか?
まとまりきらないのだけれど、こんなことが頭のなかを駆けめぐっています。
時々、立ち止まる瞬間がある・・・。
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AppleジョブスCEO退任

2011年08月26日 06時59分21秒 | Weblog





スティーブジョブスさんが退任を発表した。
Apple社の株価は時間外取引で5%下落したと伝えられている。

知人の方から、最近のアメリカの景気状況について
「Apple社の近隣以外は火が消えたようだ」というように伝えてくれていましたが、
いま、Appleはアメリカ企業としては時価総額で最大の企業。
IT産業という、わたしたちが生きてきた時代で
もっとも成長を見せた産業領域で繰り広げられてきた、
現代版「三国志」のような世界の中心人物として
長く、その名を刻み続けた人物が退場しようとしている。
いまこうして書いているパソコンもApple製であり、
わたしのようにかれを知らない人間でも、身近と感じ続けてきた人物です。
ひとびとが毎日欠かさずに使い続けているもの、
そして時代の先端を走り続けていたものに関わり続けていた人物。
そういう領域で、人間的なインスピレーションを反映させ続けてきた人物。
技術というものをどういうふうに使ったらいいのか、
そういう部分で、多くの人間がかれのインスピレーションを支持した。
スティーブジョブスさんというのはそういう存在ですね。

日本のテレビを見ると
島田紳助さんがどうしたとかいうことをやっていますが、
世界的に見て、そういうことはまぁどうでもいいのではないか(笑)。
パーソナルコンピュータという事業領域をはじめて現実的なものにして見せたこと。
そして自ら創業したAppleから追放されたこと。
そしてかれの不在の結果、奈落の底に落ちたAppleにComeBackして
そこから、iMacや、iPod、iPhoneといった製品を出荷して
世界最大の時価総額企業に再生させたこと。
たぶん、一番大きなポイントは、ボロボロになっていたMacOSを
UNIXベースのMacOS-Xに転換させたことが、その後の
新製品ラッシュに繋がったのだと思います。
Windowsが、採用企業が多すぎて
大きな革新ができなくなっていったこととの対比では
この転換に成功したことが大きいのでしょうね。

まぁ、すごい業績です。
それでも、会長の職にはとどまり続けると言うことだそうなので、
Appleという企業のロードマップには大きな転換は当面ないでしょう。
しかし、かれがApple社内で果たしてきたことが
どういうものだったのかは、わたしたちにはよくわからない。
Appleという、企業文化として革新を常に提示し続けてきた企業が、
その創業経営者の退場によってどうなるのか、
その辺は今後の推移を見ていくしかありません。

しかし人間は必ず老い、病を得て、やがて死ぬんですね。

<写真は、作られてから3000年近く、日本人を魅了し続けている遮光土偶>
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網走ほたてラーメン

2011年08月25日 07時29分54秒 | Weblog





2日間、網走におりました。
地域工務店のグループ・アース21の例会出席です。
で、昨日お昼に終了して、札幌に帰るのですが、
せっかくの網走、ということで、
ちょっと買い物と、地元のおいしいものを、ということで
足を向けたら、同じ会の十勝からの出席者のみなさんとも合流。
買い物先の「佐藤鮮魚店」のお母さんは名物(?)だそうで、
まぁ、いろいろ便宜を図っていただきました(笑)。
深く感謝申し上げます。
で、お母さんから教えていただいたのが、この「ほたてラーメン」。
鮮魚店を出て、言われたとおりに歩いてみても
「ラーメン」みたいな看板やのぼりは出ていない。
不思議に思っていると、「洋食屋」さんで、小さく
「ほたてラーメン」と黒板に書き出している。
半信半疑で、店に入ったら正解だったのですが、
っていうことは、まだそれほど地元の人からも知られていないのかも。
で、くだんのみなさんとワイワイがやがややっていて、
ようやくお出ましになったのが写真の「ほたてラーメン」。
1パイ850円なりであります。

具にほたてのむき身2つ入っていまして、
これがむっちりとした重量感のあるヤツでして、
食べ応えが思いの外にヘビー級。
味は塩味で、おじさん族にはありがたい、あっさり感。
スープはさわやかさもあって、コクもある。
久しぶりに、お好みタイプのラーメンに出会えた幸せ、であります。
どうも最近、札幌市内で食べるラーメンは、
たぶん、ユーザーの志向がそうだからなんでしょうが、
これでもかってほどに、濃厚ギトギト系に進化してしまっていて
どうもわたしがいいなぁと思う方向とは
別種の食べ物になってしまった観があります。
可愛さのあるイヌ対どう猛なオオカミみたいな距離感を感じます。
まぁ、どう猛さも悪くはないと思いますが、
おじさんの胃袋はやさしさを求めている、というところ。
以前食した、十三湖の「しじみラーメン」にも通じる優しさがありました。
コクは風味の結晶性に求めるべきで
やたら脂肪感のある方向に求めるべきではないと思います。
でもまぁ、若い人の胃袋は濃厚こってりを求めるのも理解できる。
ぜひ、棲み分けを考えていただきたい。
札幌のラーメン店には、そういう「世代向け」という発想が乏しいと思われます。

ということで、その後一軒立ち寄って一路札幌へ。
高速の最終が丸瀬布という町で、
そこまで行くのに100km超。
この一般道区間の長さがなかなかに辛い。
やや疲労困憊で帰ってきた次第であります。
今朝はさすがに、6時にようやく起床というところ。
さてさて、今日も頑張るぞ、っと。
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電気の本質は「便利」なのか?

2011年08月24日 05時23分49秒 | Weblog






先般の「北の国から30周年」番組への雑感その3です。
作家・倉本聰さんの提言はいくつかのテーマがあったのですが、
その最後に語られていたのが、
便利さと、さまざまな「家電製品」、電気と言うこと。
富良野での活動の中で、
「富良野塾」という俳優養成私塾の活動が大きな部分。
その卒塾生たちが再度、倉本さんに集められて
あるアンケート回答をさせられていた。
それは、いまある家電製品がどれくらい大切かを答えるというもの。
富良野塾での活動当時は、自分たちが生きていくのに大切なものは何か
という問いに対して、
水とか、ナイフとか、食べ物という答が上位の生活をしていた卒塾生の
現在の意識を問うというものでした。
ちなみに、原宿で現代の若者に同じ問いを発したら、
1位がお金、2位がケータイ云々ということだったので、
そういう相違を浮き上がらせようという企画だったようです。

結果は、想像以上に明白なもので、
家電製品というものが、必需品とされているのに、
その本質というのは、やはり「便利」ということであって、
衣食住の基本が成立しないという部類のものではないという結果を出していた。
そして、富良野塾で、サバイバルな生活を体験した人たちでも
一般の暮らしの中では、
そういう種類の便利さに、大きく引きずり込まれていくのだということ。
それが現代社会の本質であるということでしょうか。
いうまでもなく、これは原発の事故の教訓から
電気への依存から自由になって行くにはどうすべきかを
倉本聰さん的にリードしていくような展開になっていたわけです。

ここで、豊かさについて
もっと突っ込んでいくことが面白いなと思ったのですが、
ある意味で、予定調和的なところに展開は進んでいました。
いまの社会の論議の中で、
世界の状況をも合わせて考えていくと、
より本質的には、16世紀くらいから開始した
資本主義国家間戦争の時代から、
資源大量消費型の「発展」という社会目標が今後、どうなっていくのか、
そういう論議が必要になってくるものかも知れません。

エネルギーは現在の生産活動維持、社会体制維持のためにも必須です。
もしそれがなくなってしまえば、
われわれの社会が成立しなくなっている。
そのような大きな転換は起こりえないとせざるを得ない。
しかし、エネルギー依存は低減させていかなければならない。
そしてそういう社会発展(?)のなかで
「豊かさ」について、
誰もがわかるような基軸を確立していかなければならない。
どうも、なかなかに難しい局面に立ち至らざるを得ないのが現代ですね。
わからないなかで、
それでも、前に進んでいかなければならない。
暗夜行路、というのが実感でしょうか。
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消費することと豊かさ

2011年08月23日 05時42分45秒 | Weblog






先般の「北の国から30周年」番組への雑感その2です。
倉本聰さんは、「北の国から」でも
繰り返し、ものを捨てるということへの違和感を
ドラマでも表現し続けています。
幼い純くんと蛍ちゃんが運動靴を買い与えられ、
それまで履いていた「まだ使える」運動靴を
ゴミとして捨てられて、
それを取り戻しにゴミ捨て場を探し回る、というドラマの場面が出てくる。
また、捨てられていた自転車を
黒板五郎さんが修理して磨き上げてこどもに使わせていたら、
前の持ち主がゴミとして捨てたことに口をつぐんで、
「いや、あれはちょっと放置していたのだ」と言って
警察に通報し、警官が回収しに来るという場面も回顧されていた。

資本主義の本質として
「消費すること」への翼賛が繰り返されているのが
現代の社会であることは、明白。
そしてその過程で、ものへの愛着とか、ものを大切にする心というのは
どんどん鈍感になっていく。
いいじゃないですか、便利になっていくじゃないですか、
ということが優先される社会。
そういう社会に対して、違和感を申し立てる視点を繰り返し、
倉本聰という作家は語り続けていると思います。
いわば、消費という、資本主義の基本理念への
その破綻せざるを得ない部分への異議申し立てですね。
その結果として、「本当の豊かさとは」という展開になっていく。
まぁそれもひとつの「予定調和」的な、ちょっと疑問の湧く展開。

一方で、わたしには、もうひとつのテーマが見えてきまして
現代という社会は、貧しい、ということを恥ずかしがる社会であるということ。
黒板五郎が、警官に対して反論するのを
前の奥さんは制止するのだけれど、
その奥さんの心理の底には、もめて欲しくないというのと、
同時に、そうしなければならないほどにわが家は貧しい、
お金がない、ということへの恥の感覚が強く印象させられた次第。
欧米の社会では、
お金がないということに、恥を感じるという文化は本質的に存在するのだろうか。
かれらは、そういう状況に対したら、
それを「階級闘争」として解決するという発想の方が強いのではないか。
最近のイギリス社会の若者の暴動って
いつか見ていた光景が違う表現で出てきた、という気分にもさせられます。
どうもこのあたりの、日本人と欧米価値観の間に
微妙な違いがあるように思われてならない。
この「恥」の感覚って、
いったいどんな容貌を持っている事柄なのか、
もっとよく考えていかなければならない気がします。

<写真は自動車社会直前の青森市での、道路の「雪割り」の様子>
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財政運営に政治は適任か

2011年08月22日 06時22分11秒 | Weblog






政権末期の日本に欧米の経済不安による超円高が押し寄せている。
東日本大震災以降の厳しい経済状況、
国のエネルギー政策の見通しも見えない中で、
国内で必死に輸出型製造業を維持してきている産業にとって、
相当に厳しい局面が現れてきている。

現代では、資本主義は世界全域での大競争の時代になり、
そのときどきの為替の状況などで、
それこそリスクは普遍的に存在する。
金融は自由に国境を越えて、より有利な運用先を求めて移動する。
そこにモラルはとくに存在しない。
こういった時代背景の中で、各国政府・中央銀行は協調して、
経済運営に当たっていくのだけれど、
その主体者は、各国のさまざまな政治決定システムの結果で選ばれる。
その政治指導者選出の過程で、
主に問われるのは、当然ですがその国民の利益。
で、大きなポイントは経済の活性化とか、景気の動向。
そうであるのに、政治の方の選択システムでは
そのポイントについて、大きな論議が行われるというのは聞いたことがない。
わたしたちの国の現在の首相は菅直人さんですが、
かれがどういう経済運営観を持っていたか、
たぶん、多くの国民はまったく知らなかった。
というか、そういう面から首相の選択の仕方をしていない。
より大きくは、衆議院議員の選挙においても、
そのような選択をわたしたちはしていない。
財政の運営というのは、まぁ、中央銀行たる日銀もあるわけで、
ひとり政府運営者だけの問題ではないのだけれど、
今日の政治運営システムの中で、この財政運営はどういう選択が必要なのか、
という論議が起こってこないのはどういうことなのだろうと思います。
たぶん、だれが主体者になっても難しい、
ということを表しているのだろうけれど、
そうだからといって、運営システムについて、
マスコミなどでの論議がないというのも、おかしいと思っています。
まぁ結局、国の運営を任された政治指導者が、
経済財政運営の仕方にも、その適任者を任命するという形で
責任を取る、というのが限界的な対応と言うことになってくるのでしょう。
しかし、政治の結果責任でかなり大きなポイントになっている問題で、
おおまかではあれ、政治指導者の素養の部分が見えないで
指導者選択をするという現状も、やはり危険率は高い。
菅直人さんが、基本的に増税論者である、ということは
なってみてからわかった、というのが多くの声ではないのか。

このあたり、いつも疑問に感じています。
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