三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

Replan北海道vol.94 発売

2011年09月30日 06時47分44秒 | Weblog




本日は、宣伝のブログであります(笑)。
わたしどもの基幹雑誌、Replan北海道最新号のご案内。

【特集】30坪以下で住む
エコ、省エネ、環境負荷低減などが、今後の大きなキーワードとなる住まい。
そして、単に広いこと、部屋がたくさんあることが
豊かな暮らしの象徴ではなくなっています。
今回訪ねたお宅はどれも30坪以下の、小さなおうちばかり。
しかし、「必要な広さ」「ここちよい広さ」を正確に把握し、
「このサイズが欲しかったから」「この広さがぴったり」と、
自分たちサイズの家を求め、
そこしかない快適な暮らしをつくりだしていました。

Contents
特集/30坪以下で住む
●ゼロエネルギーを目指す 高い住宅性能
 鎌田 紀彦×Francois-Xavier Lienhart×Sylvie Charbonnier
●リフォーム特集
●多様なデザイン 十勝から魅力発信
●住まいの備え
●ヒートポンプな暮らし
●建築写真家・安達 治 ZOOM UP 住宅62
 「北の町家」米光 研
●北の建築家
 「当麻の家」堀尾 浩
 「サンカクノイエ」小坂 裕幸

2011年9月28日発売・2011年秋冬号・A4版・定価480円(税込)
お求めは、北海道内のお近くの書店・コンビニで。
もしくは、当社HPでも通販購入できます。


http://www.replan.ne.jp/content/bookcart/b1hok/h94/index.php/
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現代社会の鬼と想像力

2011年09月29日 07時23分39秒 | Weblog





わたし、昔から鬼が大好きであります。
先日も、閻魔大王さんのことを書いたりしたのですが、
日本の民話的世界の中では、
鬼への恐怖と言うことが、繰り返しテーマとして出現します。
写真は、みちのく杜の湖畔公園内の建物で流されていたモノ。
東北地方に多い、なまはげ的な鬼が家の中に乱入して
「泣く子はいないか」「悪い子はいないか」
っていって、大暴れする鬼と言うことですね。
こういうのは、大体、村の中の若者たちが
若者的イタズラ心で、かわいい子どもたちをいたぶって
その正しい成長を願って行う通過儀礼のようなモノだったのでしょう。
子どもたちにしてみたら、これは乗り越えなければならない恐怖体験。
ガクガクふるえるような体験で、そこでは
「もう悪いことはしません、許してください」
って言わされて、正しい行いを心がけることになる。
まことに由緒正しき伝統的情操教育であり、倫理教育ですね。



で、こういう「荒ぶる心・存在」というものへの恐怖って、なぜ発生するのか。
言いかえると、鬼って、いったいなんなんでしょうか?
このあたりは、それが民俗っていうものだ、というような領域に入っていく。
ふり返ってみると、テレビ的な日常的情報の世界が強まってきた社会では
こういった民俗の部分って、リアリティがどんどん消失していく方向に働く。
でもそういう社会は、想像力を鈍磨させていく社会ではないのか。
どうもそういった思いがしてきています。

しかし・・・。
折しも、小沢一郎陸山会の件での東京地裁判決で
裁判官は、多くの被告人調書を証拠採用しなかったにもかかわらず、
他の証拠から「大胆な推論」で有罪認定したとされている。
どうも今日の社会では、裁判自体が、意味不明な
根拠の薄い「想像力」の代替装置になってきているのではないか。
ふと、そんな思いに至ってしまっておりました。
怖いのは、それをマスコミがはやし立てていることだと思います。
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震災後の骨太な論議の無さ

2011年09月28日 06時22分38秒 | Weblog





いま、震災に関連する仕事を進めているのですが、
今回の震災は、これまでの日本の歴史の中でも
かなり、日本という社会が衰退していると言うことを見せつけていると
そんな思いが強くしてきた次第です。

危機にこそ、ひとびとを奮い立たせるような
そういった「国民的盛り上がり」が必要とされると思うのですが、
本当にいまの社会、ひとの悪口や、足のひっぱりっこは
実に執念深くやるけれど、
建設的な、骨太な、芯の通った意見というのが、
そういう発言をする人間というのが、本当に払底している社会だと
衝撃と言うよりも、鈍く辛く、痛みがない痛みのように
社会全体が、そういう希望や明確な指針というモノを
放棄し続けて、ひたすら目先の価値観だけの「人材」しか、
作ってこなかったように思う。
被災地の人たちの魂に触れるような、そういう復興精神が見えてこない。
未来に向かって、苦しくても一歩前に出ようという
そういう精神性が、指導的な立場のだれからも発信されてこない。
あるいはそう感じるのは、わたしが歳を取ってしまっているからなのだろうか。

復興に当たって、
明確に国家目標が定まってこないのは、なぜなのか。
どうしてこんな大災害なのに、国家安全保障会議のような
そういう根底的な論議を回避してきたのか?
「復興構想会議」っていうものが立ち上げられて
論議はしていたということになっているが、
その論議の模様なり、どうしてもっと一般にオープンにしていかないのか、
どうも半年以上経っているけれど、
この国は、本当に「弱体化」しているとしか思えない。

こういうことの起因は、さて何に由来しているのだろうか?
たとえて言えば、江戸時代に繰り返し行われた
幕政改革がさしたる効果を得られないまま、
延々と、権力機構だけが生き残り続けてきたことと
類推して考えるべきなのかも知れない。
そんな気がしてくるのですが・・・。
<写真は、宮城県名取市閖上地区の震災前後の航空写真比較>
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ストローベイルハウス

2011年09月27日 07時31分14秒 | Weblog






先日行った「宮島沼」。
ここはカモの集団飛来や、渡り鳥の飛来地として知られています。
で、水面を飛び立つ様は、壮観なんだそうで、
多くのファンが見物に押しかける。
そこで、観察のための小屋を造作していました。



外観の印象がなかなか面白いなと思ったら、
外壁にはなんと、ワラが使われておりました。
日本的に言えば「藁の家」なんですが、
最近アメリカで流行してきたのが、ストローベイルハウスというもの。
外壁をワラの束で覆ってしまって、その上から土を塗って仕上げるという家。
ワラは、グラスウールのように中に空気を持っている
ストロー状の素材ですから、
断熱の性能が、自然界の素材としては非常に高い。
そういうことから、家の素材にしてしまおうという発想なんですね。
まぁ、古民家の屋根とか、アイヌチセなど、伝統的な素材ではある。



ただ、この小屋では
家の構造の外側に合板を張ってあって、
その外側に、ちょうど外張り断熱のように貼ってある。
ちょっと、本来のストローベイルハウスとはいえないなぁと。
環境省の関与する建物ではあるのに、
こういう本物とは言えない建築法はどうなんでしょうか?



外観はとてもステキだったのに、
顔の表情を見るのに近寄ったら、
人工的な加工が目に付いたみたいな、
ちょっと残念な気持ちになった次第です。
いかがなもんでしょうか?
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一気に読める本、そうでない本

2011年09月26日 07時18分01秒 | Weblog






本にはいろいろな表現スタイルと種類があります。
もちろん、そこに書かれる内容について
読者の側での興味の度合いというのも大きい。
そんな思いを、いま読み続けている2冊の本で如実に体験。

右側は、歴史や考古の研究のために
知っておきたいなぁと、ふとしたきっかけで購入した本。
こちらは、北海道の歴史研究者のみなさんが
協同で進めている研究の集大成のような
そういう意味では、学術書に近い内容で
隙がないように、事実への丹念な迫り方をしていて、
好感の持てる誌面になっております。
ただ、読む側にしてみると、ドラマ性がなく、
また、多くの著者が分担して書き進めているようなので、
どうしても内容が固くて、なかなか、読み進められない。
きっと、制作編集を進めた方は相当に苦心されたものと思います。
そのご苦労に、深く思いを致すところです。
わたしは、この本を読み進めて、1週間くらいは掛かっていますが、
まだ半分くらいしか読めておりません。
そろそろ、とばし読みをはじめそうであります。

で、一方は倉本聰さんの語りを本にしたもの。
こちらは、つい2日ほど前に購入したのですが、
まぁ、こちらの興味分野にピッタリ嵌ったようで、
きのう朝、読み始めてから、途中、外出やらを挟んでいましたが、
本日朝には読了いたしました。
たぶん、読書時間は通算、5時間くらいでしょうか?
まぁ、一気に読み終わってしまった次第です。

で、この彼我の違いについて、
なんなんだろうかなぁと、思いを抱いた次第です。
そういうのが、一般的に言って
「売れる本か、そうでないか」の違いと言うことなのでしょうか。
比較検討材料は、それこそ大変な広がりを持っていますね。
ただ、やはり、一番なのは、
「何を書いているのか」
「どういう風に書いているのか」
っていう2点なのかなぁと思いますね。
何を書いているか、というのは、読者の側の興味と言うことであり、
これは主として「企画内容」ということですね。
たぶん、前の一冊は研究資金は別にあって、
企画意図がその内容をまとめておこう、という学術的な必要性というものが
大部分を占めているのでしょう。
それに対して、後者は売るというポイントに嵌っている。
「北の国から」という巨大メディアの解説本に近く、
とりあえず興味分野として広いというのはあるのですが、
それ以上に、倉本聰さんの語り口、口上を
伝わるように書かれていて、読みやすい、というのが大きなポイント。
で、この「読みやすさ」への探求はけっこう奥深く研究していると感じます。
「表現する」という本質論としてみて、
大変多くの示唆に富んでいて、まことに勉強になる次第。
最近、こういった部分に直面せざるを得なくなっていて、
まさにピッタリな部分を教えていただいているように思っております。
ふむふむなるほどと、そのあたりを
これからじっくりと分解していきたいと考えております。
う~~~~む。
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五寸釘の寅吉

2011年09月25日 15時49分28秒 | Weblog





おとといの宮島沼のあと、
実は「月形監獄」跡を見に行ってきました。
で、カミさんに「五寸釘の寅吉」のこと、
わたしの友人から聞いて初めて知ったのだと
初めて言われました。
わたしの小学校時代には、この「偉人(?)伝」はまだ、息づかいのある
生々しい時代の記憶として、先生から口述された記憶があります。
江戸末期に三重県に生まれ、
初犯は14歳の少年の時に、賭場でイカサマがばれて殺された叔父の仇を
討とうと敵の一家に忍び込み、親分と子分4人を斬りつけ火を放って逃げた。
っていうすさまじいもの。
そこから、寅吉の脱獄は計6回におよんだ。前代未踏の脱獄歴。
で、逃走途中に五寸釘の打ち付けられた板を
踏み抜いてしまったけれども、
それもいとわずに逃げおおせていたというのですから、
まぁ、伝説的な怪盗ぶり。
北海道での泥棒歴では、金持ちの家から盗んだ金を、
貧しい開拓者の家に投げ込んだりすると言う「義賊」ぶりも発揮したとか。
最後、網走監獄から出所する際には、
興行師が、かれの「名声」を利用して興業一座で全国行脚したということ。
まぁ、現在のテレビの無節操な視聴率稼ぎは、
こういう精神からきているのでしょうね。すごい。

カミさんが聞いたというのは、わたしの同級生の友人からなのですが、
わたしも同様だと言うことは、
先生が、この人物のことに触れて話すのが、当時の指導要領にあったものか、
そういった想念も起こってきます。
その後、6歳下のカミさん年代ではまったく知らないんですね。



北海道の開拓には、
こうした囚人たちの使役労働も与っている部分があります。
上の写真は、監獄の入り口の石の階段です。
足に3.5kgほどの鉄の塊を付けられていたということで、
そうした出入りの際の過重が、
このように石段に痕跡を付けているということです。
ちなみに、この地が「月形」と名付けられたのは、
初代の「典獄」~獄舎の長官職についた藩閥出身者の名を付けたと言うこと。
その当時の政治や高級官僚のありようがまざまざと見えてくる。
藩閥政府というのは、革命政権であって、
明治の維新以降、結局はそのときの主体勢力が
枢要要路を独占して、好き放題に国政を蹂躙していたのでしょうね。
かれ、月形さんから、政府要人に宛てた手紙が展示されていて、
かれが初代として赴任してから、
たくさんの成果が上がっていることを見せるために
ぜひ、伊藤博文の訪問を実現して欲しいという陳情。
そこから彼個人の昇進を強く願っている内容でした。
結局、維新の果実は、こういうふうに
藩閥出身者に、簒奪されていくプロセスだったのでしょうね。
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雲に誘われて、宮島沼

2011年09月24日 05時29分51秒 | Weblog

たぶん全国的に台風一過で、涼しくなってきたようです。
こういう季節感では、全国に先駆ける北海道。
きのうはしばらくぶりに青空が覗いてきて、つい遠出したくなる日和。
たいして当てもなく、
札幌から北の方向へハンドルを向けてみました。
まぁ、おいしいそばっていうのが
出向くきっかけになりましたので食欲に誘われて、がホントなんですが(笑)
走り始めてみると、雲の形がメッチャ、面白い。





台風が去って、ちぎれ雲がたくさん発生したものか、
まことにたくさんの面白い形と、その群舞という感じであります。
神さまのイタズラとしか思えない。
で、だんだんと向かった先は石狩川の蛇行が生んだ沼として
ラムサール条約に指定されている「宮島沼」へと。
ここは、単なる沼地ではあるのですが、
大好きな場所でして、なにも考えないでいるには最高(?)のところ。




じっと水辺にたたずんでいると、
しばらくすると、風の音やかすかな水音、時折の生物音だけの世界になります。
で、こちら側は、ひたすらその音と風景の中に
溶け込まされていくようになる。
水の中にいるサカナや、小生物のざわめき音だけに
神経が向かっていくのですね。
風が運んでくる空気も、まだ夏の余韻が伝わってきて
肌にも心地よく、光はいっぱいに広がっていて、
色彩は、それぞれが鮮烈な色合いで迫ってくる。



この宮島沼、環境省による保護が加えられていて
足下の沼地地盤の歩道も、自然に配慮した仕様になっている。
こういう小石を集成させた平板ブロックが敷き込まれておりました。
人間の側への配慮と、自然への配慮の中間点で、
納得できるような「仕掛け」だと思いますね。
で、好感の持てるサイズの「ネイチャーセンター」的な建物がありまして
そこに、小生物が収集されておりました。





ここで問題。
この3つの生物のうち、外来種は?
自然保護という観点からすると、生物外来種というのは、
どうしても歓迎できないものだと思いますね。
正解は、左のカメさんなんだそうであります。
このカメさん、確か、アメリカ大陸からペットとして輸入されたらしきヤツで
その後、飼い主が「ゴミ」として出してしまって、
そこで発見されて、こちらに送られてきたそうです。
玄関の外の発泡スチロール箱に入れられて
説明のPOPも付けられて置いてあった次第。
まぁ、きっと「環境教育」を考えた配慮なのだろうと推察しました。
押しつけがましくなく、
坦々と事実だけが伝えられていて、
判断はこちら側にゆだねられている、なかなか奥ゆかしい配慮と
いろいろ内省させられ、好感を持った次第です。
いい休日を楽しめました。


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文明の自滅現象

2011年09月23日 08時51分22秒 | Weblog






かつて理論物理学者のスティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士は、この銀河系に存在する知的文明を持った惑星が200万は存在するだろうと明言している。しかし、100年と持たずに絶滅しているとも語っている。自分たちでは使いこなせないオーバーテクノロジーを手に入れたことで、自滅してしまうというのだ。

最近、地球から640光年の近さにある
オリオン座ペテルギウスが超新星爆発を起こすことが
確実だというニュースが流れています。
そういう専門家ではない、一市民ですが、
そういうことで気になって、いろいろ調べていたら、
ホーキング博士って、こういう言葉を残していたのですね。
文明を使いこなすことができない。
作って、それが使えなくなるなんて、っていう素朴な疑問が湧き
一見、論理矛盾じゃないかと思われるようなのですが、
よく考えてみると、まさにその通りだなぁと思われますね。

ほかでもない、わたしたちの日本社会の状況ですね、
っていうか、いまの世界全体の状況であるかも知れません。
民主主義という政治制度、
行政機構としての官庁システム
教育制度のトップ、大学教育の専門化による矮小思考の蔓延。
とくに原発技術のコントロールシステムの破綻ぶり。
教育システムが目指してきている人材教育の基本方向性の疑問。
さらには、マスコミの劣化ぶりの露呈。
などなど、せっかくの歴史経験を積み重ねて
現代社会を構成している基盤部分で、
機能不全の現実が、蔓延してきていると思います。
社会というのは、人間という類としての生命体にとって
非常に、その存在の根源に関わるシステム。
東日本大震災以降の社会で、
原発事故のプロセスについては、ロードマップが示されているけれど、
それ以外の被災からの復興については、
いまに至っても、大きなロードマップがない。
地域自治体に丸投げして、「復興計画」というものが起動しない。
こういった現実を見ていると、
そろそろ、自滅的な事態に近づいてきているのかと不安な気持ちになる。
どうも、この社会をコントロールする、ということについての
全体での討論が必要な時期ではないのか。
3権の分立、立法・行政・司法というように言われ、
世論がそれを監視する、という社会システムが
民主主義の根幹といわれたけれど、
とくにマスコミの機能低下が顕著だと思います。
先般の「オフレコ発言」による大臣の交代などは、
学校の成績だけ優秀だった、未熟な「記者」たちの暴走としか思えない。
ああいうことについての論議の場はどう作るべきなのか、
マスコミについての世論はどう作ればいいのか。
どうも、いろいろに目立ってきた民主主義のほころびに、
ブラッシュアップが必要ではないか、そう思います。

<写真は、北方民族のテント状の住まい模型>
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台風・飛行機滑り込み

2011年09月22日 05時30分04秒 | Weblog





昨日は、都合何便の飛行機が欠航になったことやら。
途中では300便とか言っておりましたが、
まぁそれどころではなかったのでしょうね。
3日間の仙台出張でしたが、ずっと雨が続いておりまして、
名古屋のようなことまではなかったようですが、
仕事以外では、街を歩くような気にもなれず、
ひたすらホテルで、休養&事務処理仕事に明け暮れていました。
で、朝一番で、スタッフから
「台風、やばそうですね、仙台市内でもクルマ大渋滞です」
っていう連絡。なんでも、東北自動車道が雨で通行止めが出ていて
そういった影響もあって、幹線道路のクルマ量が増えている。
ということから、朝の約束をなんとか伺ったあと、
全日空に連絡を入れておりました。
まぁ、繋がらない繋がらない、
何度も連絡して、ようやく電話がオペレーターと繋がった。
で、夕方6時半頃の便を変更したい旨、申し入れると
あっさりとOKが出まして、
包括旅行割引での購入チケットだったのですが、
台風のような場合には、追加料金なしで変更可能なのだそうです。
チョーラッキー、っていうところであります。
で、なんとか早めた便で札幌へ帰還。
途中、結構な揺れを久しぶりに味わって、
同乗されていたみなさん、
「けっこうやばかったよなぁ」っていうことでした。
まぁわたしは、揺れても、落ちる時は落ちるときって、
考えてもしょうがないことは考えないようにして読書しておりまして、
あんまり気になりませんでした。
ということで、台風から逃げ出すように北帰行、無事成功であります。
そのあと、気になって調べてみたら、
17時の便から仙台ー札幌便は欠航になっておりまして、
まさに滑り込みラッキーセーフ。

北海道は、他の地域に比べて、
台風の確率はたいへん低い地域ですが、
それにしても、帰り着いた北海道の様子は、
全くの別天地です。
きっと、きのうは帰り着けなかった飛行機難民のひとが
多く発生したのでしょうね。
お陰サンで、本日のアポイントも問題なくこなせそうで、
転ばぬ先の用心で助かった次第であります。
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雨だし、温かい「もやしラーメン」を

2011年09月21日 05時31分52秒 | Weblog





先日、久しぶりに泊まった仙台のホテル近くの
「泰陽楼」さんに久しぶりに食べに行って参りました。
で、今回の出張では雨ばっかりなのと、
ホテルでも事務仕事が溜まっているので、
そう遠くないこちらでお食事を。
で、わたしの大好物、もやしラーメンがここはいい。
麺は仙台の多くの店で出されるほっそりしたタイプ。
スープはあっさりしていて、本来の中華風しょうゆ味。
こちらの味がなんとも中高年にはグッと来る、舌への濃厚な旨み。
しかも味わいはあくまでも軽やかなさっぱり感。
最近のゴテゴテ系ラーメンはみんな逆なんですね。
味が濃厚すぎて、スープが飲み込めずに、
舌には、単調な「さっぱり」の旨みの無さ。
まぁ、年齢差によるものなのか、
好みということなのか、こういったところにこだわりたいですね。

で、具材のもやしは食感が実にいい。
ほかの豚肉やキクラゲもそうなんですが、
軽くあんかけにしてあって、温かさが長持ちする一方、
スープの中で、そのあんが離れて、本来の食材の食感、
もやしの「シャキシャキ」感が、きれいに引き出されてくるのですね。
ここがきわめて重要であります。
5~6本、もやしを束ねて口に入れても、
その食感は繊細に1本ずつ味わえるように思われる。
見ていると、このもやし、根や豆の部分が落とされている。
丹念に手で落とすしかない作業をいとわずやっているようなんですね。
わたし自身は、一物全体食として、
そういった部分も味わいたいほうではあるのですが、
食感優先で考えた場合、
そして「もやしラーメン」として味わうことを考えた場合、
こういう処理を施してあることに、その意味は十分理解できます。
確かに、料理する側の考え方には同意できる。
っていうことで、仙台市の南町通り、ライブラリーホテル並び、
「泰陽楼」もやしラーメン、1パイ680円でした。
うまかった。

それにしても台風の影響で3日間雨ばかりって、
こういう天候にぶつかるのも珍しい。
で、本日夕方の便で札幌に帰り、あしたは約束もあるのですが、
さてどうなるか、心配しております。
昨日の予想よりも速度が落ちていて、
仙台まで来るのは夜半近くになりそうなので、
ギリギリ逃げ切って帰れるかも知れないと、期待しておりますが、
さてさて・・・。

ついにやってしまった・・・。
この店の紹介、2度目になってしまった(泣)。
ブログも書き続けると、ついにこういう事態でありますが、
まぁ、読み比べてみると、違いもあるので、許してください。
タイトルは変更いたします。ゴメンなさい。
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