三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

冬の角館武家屋敷

2010年01月31日 06時20分39秒 | Weblog



秋田県での取材でした。
能代での取材で、帰り道、気になっていたクルマをチェックしてもらったら
エンジンオイルの減少とプラグの劣化が指摘されまして
どちらも交換してもらったら、一気に解決。
走行中、気になるノッキングが発生していたのですね。
時間は掛かりましたが、安心してドライブできるのはありがたい。

ということで、長期にわたった出張取材も
本日ようやく札幌に帰還できます。
なのですが、別件の取材意図もあり、角館の住宅群の冬の様子を見て参りました。
秋田で取材していて、やはり秋田的な感受性の中心に
角館の育んだ感性というものが抜けがたくあると感じています。
住宅内部の空気感や、光の入り方の感覚、また地域の薫りのような部分まで
秋田という地域性に、こういう部分があると思うのです。
まぁ、そんなものを感受しておきたいという次第です。
海岸部の秋田とか、能代ではほとんど積雪は見られませんが、
さすがに内陸に入り込むと、雪が多い。
しかし、北海道の雪の季節とは
やはり風の感覚がまず違う。
海岸部とは違うので、こちらでは風があまり吹いてこない。
そして湿度感がこれまたまったく違う。
北海道は気温が低いのはもちろんだけれど、圧倒的に空気に
ドライ感覚が強く感じられるのですね。
東北や、日本全域で、太平洋側と日本海側で大きく冬のありようは
大きく違いがありますが、
北海道の冬は、またこういう違いとも少し違いがある。
まぁ、そんないろいろな思いが角館の冬の空気の中から
強く感じられたのでした。

写真はある典型的な武家住宅ですが
屋根雪が重たく堆積していて、ときどき暖気の影響で
どさっと、落ちてくる。
そう言った音も含めて角館の冬って、伝わってきます。
建物の壁面や雨戸建具を保護するように、雪囲いが施されています。
もともと日本海側で日射が少ない上に
このように囲いをするので、基本的に大変暗い室内になる。
そういう建物内部に彩りを与えるように
京都文化の「雛飾り」が据え置かれている。
こんな情景が、ながく秋田のひとの生活の基本にあって
そういう感受性を育んできているのだろうなぁと想像できます。
でもわたし、北海道札幌の人間として
秋田には、どうしてもMotherな部分を感じてしまう自分がおります。
このあたり、どうなんでしょうか?
あまり一般性はない意見でしょうか?





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絵図の魅力

2010年01月30日 06時36分18秒 | Weblog

日本の絵画の様式に、町の様子を一気に伝えるような形式がある。
京都の街のにぎわいを伝える「洛中洛外図」という形式がよく知られていますが、それ以外にも多くの絵図として残ってきている。
こういう絵画形式、ものすごく楽しい。

先日も、「洛中洛外図」のすばらしいものを
上野の博物館で心を奪われるように見ていました。
大体が、ふすま絵として描かれていて
左右が3mくらいあって、天地も1.8mくらいはある。
そういうなかに細密的に、町の様子が掻き込まれている。
その絵では、人物だけでも1000人くらいは描き込まれていて、
いろいろな場面のなかで表情豊かに、生きている実質が伝わってくる。
写真のない時代に、京都の街、というものへの多くのひとの
知的好奇心を満たすための表現形式として発達してきたのでしょうね。
その動機としてはメディア的なものに近いものだったに違いありません。
しかし、そこに描かれている人物たちの、筆によるデフォルメ表現は
まことに直接的な感動を持って伝わってくるものがあります。
「あぁ、そうか、こういうひとたちはこうやっていたんだ」
っていうような、歴史の中のひとこま、断面が
実に生き生きと雰囲気を含めて立ち上ってくる。
日本の職業の中で、京都の街で始まったものって多いのですが、
たとえば、「材木屋」というのは、
日本の公共事業としての大型木造建築が行われると
木材の流通システムが整備され繁盛するのですが、
それが終わったあとも、ためしに京都の街で切った木材を
立てて揃えて販売をしてみたら、思った以上にニーズがあって
それで「材木商」という形式が成立したというように伝えられています。
そんな光景も掻き込まれているような様子から、
こんな風景の中で始まったのだなぁ、と推定が効いてくるのですね。
こういう絵図を見ている地方の人たちにすると、
都ではこんな職業や店が繁盛しているんだ、という驚きがあったでしょう。
こういう絵画には、いくつか共通点もあり、
「洛中洛外図」が典型的なのですが、やや鳥瞰的に角度を持った
高い視線から、町中を大きく見晴らすという形式が取られていますね。

個人的に、こういう表現の味わいにすっかり参っています(笑)。
写真では人間の表情の機微やらがイマイチ伝わらないのに
こういう絵画表現では、典型的な表現としてデフォルメが
描き手によって行われるので、見るものの「知りたい」ポイントに
完全にフォーカスして描くことができるのですね。
いまではこういう表現形式、ニーズが残っているものでもないのですが、
しかし、このまま日本の表現方法として廃れていくのも
どうももったいない気がしています。
こういう良さに気付いて、だれか、表現形式の復興に取り組まないものでしょうか。期待したいと思いますね。






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長野県の開拓農家

2010年01月29日 06時13分54秒 | Weblog



今回の取材ツアーでも印象的だったのが
この長野県松川町の取材先でした。
太平洋戦争後、すぐに開拓農家としてこの地に入植したというお話し。
その当時に建てられていた住宅に、今回建て替えるまで住んでいたそうなのです。
聞くと、当時は住む家をすぐに建築できるわけもなく、
すでに使わなくなっていた近隣の農家住宅を「分けてもらって」
解体してこの場所に持ってきて、移築したものなのだそうです。
いまは、若干使うのに注意しなければいけない言葉に「百姓」というものがありますが、農家とはいろいろな仕事をしなければならない、
その基本的な仕事として、家の造作などもあったのですね。
基礎工事をどうしたものか、ですが、
建てられていた敷地は川の縁で、
土留めのためにたくさんの石が、石垣として造作されていました。
新規入植者として、川に近いという水害の危険が高い場所というのは
まぁ当然のことだったことと思います。
伺ったときにも家の外側にはたくさんの石積みがありました。
川に近いと言うことは、たくさんの石がゴロゴロしている土地、
ということも表しているのでしょうね。
土地を耕すという前に、このような石を一生懸命に取り除き、
でも、その分、川から流れてきた土壌なので、周辺の堆積腐植土を
たくさん含んでいる土壌になったことと思います。
戦争に負けて、食べていかねばならない、という状態の中で
今日のような就農規則が厳格ではなかった時代、
あまり農業経験がない人たちが、このように開拓に取り組んだのだなぁと、しばし、感慨深いものを感じた次第です。

その当時、すでに「中古住宅」だった建物だったわけですから、
はたしてどんな状態の家だったのか、
まぁ推して知るべしだと思いますが、
住宅というものが、そのように資産として活用されて転用されていた
ということの方に、強い興味を持ちました。
日本の在来工法は、木による組み立て方式であり、
簡便に移築させることができ、転売もされ続けてきたものなのだと言うことが、こういうエピソードからわかると思うのですね。

いま、「長期優良住宅」ということが語られているのですが、
このようなお話を聞くと、
庶民は貧しい中で、その生き抜いていく工夫のなかで
「もったいない」知恵を持って、いまあるものを最大限に利用してきた。
それこそ、必然的に長期にわたって利用し続けてきていた、
ということが明瞭にわかると思うのです。
たぶん、農家住宅というものはそういうものだったのでしょう。
そう考えるとき、国の国交省がいろいろな条件を付けて
これが長期優良住宅の要件である、と定めてきつつあるのですが
どうもそういうものが根付いていくものとはとうてい思えない。
庶民は、自分たちの止むにやまれぬ理由でもって
生かしていくものは生かしていくものなのだ、と
思わずにはいられないのですが、どうなのでしょうか?





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薪ボイラー

2010年01月28日 06時08分08秒 | Weblog



こういう機械、面白くて使いたくなる気持ちはわかる(笑)。
これは薪など、なんでもいいのですが、
どんどん投げ入れて燃焼させてエネルギーを得ようという
非常に単純なシステムです。
長野県の取材先で利用していました。
わたし的には家の中にあってもいいのではないかと思うのですが、
まぁ、多くの場合、屋外に物置を造ってそこに収めているようです。
わたしは北海道の生まれ育ちなので、
石炭ストーブ以来、こういう燃焼物投入口が明確なものって
見慣れている部分があるので、家の中の土間的な部分に設置してあって
ラフにエネルギー源を投入して暖房装置として利用することにためらいはない。
というよりもより積極的に、寒さと立ち向かっていくのだという
暮らしの中での決意が感じられて、むしろ爽やかな心境が得られる気がする。

というようなことなのですが、
これで燃焼エネルギーを得て、
給湯エネルギーは熱交換して、およそ200リッター程度の温水として
利用することができる。
また、暖房設備としては、同じく温水に加温させて家の中の土間ピットに
放熱器を設置してそれに加温水を通して暖房させるようになっている。
燃焼させる薪などは、結構な量になりますが、
この住宅は農家住宅であり、バイオ燃料は供給可能、ということ。
で、この暖房システム、実は工務店さんが自分で配管とか
全部工夫しながら、組み立てているのだそうです。
そう言われてみたら、確かに配管のつなぎ目など、ユニークな(笑)
仕上げぶりが目に付きます。
まぁ、石炭ストーブが自分でメンテナンスするものだったことを考えれば
こういう事も理解できますね。
むしろ、暖房機すらすべて専門業者さんに依頼しなければならない
という状況は、あまりサスティナブルとは言えないかも知れませんね。
なにはともあれ、
施主さんと設計施工者、取材者と3人で
屈託なく、エネルギーのことを話し合ってみましたが、
そういう正直に本音で話ができるような雰囲気が
この薪ボイラーからは、オーラが発信されているように感じた次第です。
まことに気っ風のいい、清々しさを感じました。






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長野県日本アルプス

2010年01月27日 07時33分34秒 | Weblog




取材キャラバンの旅、きのうは長野県でした。
朝、ホテルで起きたらびっくり。
すごい寒いんですね。
白々とした山々の様子を見ているとさもありなんなのですが、
アルプスの山々に囲まれて、山からの吹き下ろしの風の冷たいこと。
北海道では札幌はそんなに風が強い町ではないので
こういう種類の寒さという、ちょっと異次元な感じがいたしました。
伝導的な寒さについては感覚が問題はないのですが、
伝導温度的には北海道よりも遙かに「温暖」なのだけれど、
それに冷たい風が吹きすさぶ厳しさということでしょうか。
風が吹き付ける場面では、絶対にダウンコートが必要だけれど、
じゃぁ、日が差してきたらどうかというと、そこそこ暖かい。
だから、逆に言えば、隙間風の寒さは防ぐようにできていない住宅では
体感温度はもっともっと厳しいものになる。
これはなかなか難しいタイプの寒さだなぁと実感できますね。
ホテルには大きな浴槽のお風呂がありましたが、
早朝に入ってみると、なんと昨晩入った方が扇風機を付けっぱなしにしてあった。
たぶん、その前の晩には風が収まっていたのでしょうね。
なので、風呂上がり、暑くて扇風機を回したままだった。
ところが、朝になると風も出てきて隙間風も、内側の暖房をすればするほど
激しく中に入ってくる。
そういう状態のところで裸にならなければならない(笑)。
まぁ、扇風機は消しましたが、薄ら寒さは否めない。
窓面からは容赦なく冷輻射が下りてきていて
浴槽の水温もこころもち熱を奪われている感じで
なかなか温もりぬくい。
ある種、気合いを入れて体を洗っておりました。
取材先では、建て替える前の住宅のことを聞いていましたが、
こどもたちは家の中ではじっと暖房機にかじりついて離れないのだとか(笑)。
気合いを入れて動かなければならないっていうのは、
やらなければならないことの多い大人は仕方なく動くけれど、
まぁ、なかなか、動き出さないものでしょうね。
北海道ではもうすでに相当以前に脱した寒さの状態の中に
多くのみなさんが置かれているのが実態なのだと思いました。
いや、寒かったです・・・(笑)。





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中尊寺金色堂

2010年01月26日 05時20分47秒 | Weblog




岩手県奥州市水沢での講演会の帰路、
同行の武部建設専務さんと、建築散歩して参りました。
正法寺の茅葺き屋根を見に行って、その後、
世界遺産申請している平泉にも足を伸ばしました。
でもそのあと、福島県に移動しなければならなかったのに、
っていう意味では、スケジュールは無謀に近かったですね(笑)。
でもまぁ、なかなか来られない武部さんのことも考えて
あえて、ハードスケジュールに。
「世界遺産になれるかどうか、みてやろう」みたいな意気込みが
武部さんから発せられていて、
わたしもつい引き込まれてしまっておりました。
わたしは何回か見に来ているので、どうしても好意的にしか見ることができませんが、
予断のない見方というのも重要ですよね。
なんですが、そういわれてみると、
ということで、わたしも気になる点がありましたですね。
写真は金色堂へのアプローチ画面です。
よく知られたアングルで、杉木立のなか、
たたずんでいる金色堂・覆堂の表情であります。
で、なかを見学してきたのですが、
わたしには、この覆堂がなんとも言えずさみしいものに感じられてなりませんでした。
なにがって、これってコンクリート製なんですよね。
中に収められた金色堂は、精巧な復元作業などで
平安期の工芸技術の素晴らしさ、末法思想の生々しさを今に伝える
そういう雰囲気を持っていると思います。
ところが、あまり考えていなかったのですが、
世界遺産の認可委員の立場になって考えてみると、
それを覆っている建物の方に目が行ってしまうなぁと感じた次第。
外観的には、雰囲気を壊さないようにしたものでしょうが、
木造の建築デザインをなぞるように柱や梁のような
「贋物」的な表層デザインが施されているのですね。
まぁ、単純に金色堂を保護するという機能であれば、そういうデザインの贋物さは
不必要であり、もっといえばまったくふさわしくないとも言えます。
金色堂のデザイン、そのありように敬意を持っていれば
このような安直なコンクリートデザインはありえないのではないか。
まぁ、この覆堂がたてられた時期は、そういう感覚はなく、
防御的な機能で考えた正直な結果だったのは無理からぬと思います。
しかし、ひとたび世界遺産申請をするのであれば、
こういう覆堂のありようや、中尊寺高台からみえる平泉遺跡跡地に
景観を破壊するように建設されたバイパスなど、
コンクリート建造物への無自覚な開発姿勢というものは、
世界遺産にふさわしいものかどうか、
評価員にけっしていい印象を与えられないのではないでしょうか。
どうもそのように見直してみている自分がおりました。
少なくとも覆堂、大型木造建築として再建できないものでしょうかね。
できれば、「東北らしさ」を表現する大建築コンペとして
やれないものか、と夢想が膨らんでおりました。





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屏風

2010年01月25日 00時52分45秒 | Weblog



つかの間、札幌にいられたのですが、
本日早朝から名古屋に向かいます。
そのまま、本州中部地域から関東、東北というかたちで行脚します。
結局その用意と、講演で2日間費やされました。

で、なぜか、本日のお題は屏風です。
まぁ、なんの脈絡もありません(笑)。
でも、なぜか屏風というものに惹かれる部分があります。
とはいっても自分で所有したいというものではありません。
わたしの一番好きな絵画は、俵屋宗達の「風神雷神」なのですが、
これは金地に描かれた屏風絵なんですね。
屏風という家具装置は、古く新羅から日本に7世紀渡来されたとあります。
ですから日本のオリジナルではないのですが、
その後時代が下がって、明の時代の日中交易では
必ず3幅の屏風が日本側から送られる慣例だったということ。
受容して変容させ、オリジナリティを加えていくという
まことに日本的なプロセスを経てきている文化なのですね。
で、写真は江戸期の北海道松前藩城下町の再現旅籠のなかにあった屏風。
庶民的なこういう風景装置として、根付いている文化なのです。
いまでもホテルなどでの記者会見などでは
おめでたい席には金屏風が欠かせない背景装置。

西洋では絵画は、キャンバスに描かれるのが一般的。
あちらの建築は石造りが多いので、その壁に絵画を貼るには
油絵のような芸術展着形式がふさわしかったのでしょうが、
こちら日本では、着脱式の壁面そのまま、家具一体型展着方式の芸術になった。
このあたり、日本の住宅様式と大きく関係しているのかも知れないと想像します。
なぜ、東アジア世界でも中国では発展せず、日本で発展したのか、
どうも建築のスタイルの違いが大きいのかなぁと。
それは、中国でも石造りが住宅の基本で、木造が主流というのは
日本に特徴的なことが考えられるのです。
で、木造では構造が線的であって、必ずしも閉鎖的な壁面が必要ではなかった。
障子や襖といった建具で部屋間を仕切分けるのが一般的で、
場合によっては建具を全部取っ払って
大変開放的な空間を作っていた。
そんな民族性のなかで、屏風という簡易的な壁面に絵画が展着された
というのは、そんな背景が大きかったのでしょうね。





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公共建築と地域の暮らし

2010年01月24日 08時22分12秒 | Weblog




写真は江戸深川の八幡神社です。
出張先での楽しみのひとつ、早朝散歩で出かけたのですが、
道を歩いていると、この神社のまわりを
多くのみなさんが通勤のため、通りかかっていきます。
で、境内側から眺めていると、
男女にかかわらず、また年代にかかわらず
みなさんの多くが社殿側に向かって一度立ち止まり、
会釈してから、ふたたび通勤に向かって行かれていました。
地域の暮らしのなかで、このような施設・建築が果たしている役割の大きさに
目の見張るような思いがしてきます。
江戸期まで、というか神社の類では例外的に北海道では明治初期まで
このような宗教的施設というのは
国家体制の重要な一部分でもあって、
建築されることについては、公共事業もしくはそれに準ずることだったと思います。
で、建築された公共建築の側でも、
祭りの開催とか、縁起の開示、縁起物の発明、商業施設に対する配慮など、
地域に溶け込もうとする努力を積み重ねてきたと思うのです。
仏を作って、きちんと「魂を入れる」作業を行ってきていた。
そういうものが、やがて地域のみなさん全体にとって
欠くべからざる「地域アイデンティティ」の中核に育っていった。
この八幡さんでも、熊手などの名物を考え出して
御利益の演出などで、地域経済まで考えて存続させる努力を怠らなかった。
そんなことからふだんは地域と関係なく
東京都心地域で勤務する生活を営みながらも
抜けがたく、このような地域性のマユに包まれたいという
いわば地域らしい暮らし方の断面を生んでいるのではないでしょうか?

ひるがえって、
現代では多くの公共的建築がたくさん生産されました。
しかし、その運営を見ていると、
いかにも「お役所仕事」という無駄と、不合理が蔓延しています。
江戸期までのこのような公共建築、公共事業は
これからも長く存続し続けていくことでしょうが、
戦後建てられていた公共建築って
果たして、そのような地域のみなさんの評価を受けられるものは
果たしてどれくらいあるものでしょうか?
確かに宗教と権力は分化したので、という要件はあるのですが、
それにしても、公共建築物としての存続性を担保するような
地域文化を育もうという志向性はまったく感じられないのです。
現代の公共建築、博物館や美術館は多くが午後5時とか6時とか
現代人の日常生活では考えられない、そんな時間で入場できなくしている。
そこに働いている公僕の労働時間を遵守するためだけの制限としか思われない。
こんなような姿勢で、はたして地域に長く愛されていくのか?
自明ですね。

ちなみにこのような江戸期までの地域の公共的空間は、
概ね、どんな時間に行っても、それなりの楽しみ方が考えられているし、
いわんや入場制限など、発想がなかったのではないかと思う。
基本的な運営姿勢において、江戸期までのものにまったく敵わないでしょうね。
存続のための基本的努力の仕方がまったく見られない。
こんな姿勢の公共建築は、すべて事業仕分けでなくなっても、
ユーザー側からは存続させたい気持ちは起きないでしょうね。
日本の公共というものは、その精神性の部分で、
江戸期までのものと比較して、現代はあまりにも退化してしまっていると思っています。
みなさんいかがお考えでしょうか?





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ホテルのシェービングフォーム

2010年01月23日 09時13分43秒 | Weblog


さて、きのういったん札幌に戻って参りました。
月曜日から、仙台~青森~北上~秋田~奥州市水沢~福島県飯館~仙台空港
っていうようなスケジュールで動いてきまして
ようやく週末札幌で過ごせる次第です。
なんですが、土日は頼まれた講演がありまして、
また月曜からは、今度は名古屋に飛びます。

っていうような旅の暮らしの毎日のきょうこのごろ、
あるホテルで出会ったシェービングフォームのことであります。
普通わたしが仕事先で泊まるようなビジネスホテルなどにはこのような備品は置かれていない。
まぁ、そこそこのランクのホテルでのことです。
ふだんは常時携行している、Shick社の泡の出るタイプを使用するのですが、
ふと部屋の洗面をみると、写真のような瓶があったのです。
普通この手のシェービング材料は良くても袋詰めのジェル状製品が多いのに
なんと、きちんとした瓶に入っているタイプなのです。
しかし、どうも置かれている場所が「???」だったのです。
3点セットの、洗髪と液体石けんとは離れて
それも一番端っこの方に、消え入りそうになって置かれている。
まるで使って欲しくない、とでもいいたげな微妙さなのであります。
しかし、よく見ると瓶の形状とかデザインはなかなかいい。
って、メーカー名をみると女性化粧品の大手、P●LA化粧品製となっている。
へ~、P●LAがこんな男性向け製品、出しているんだ、
という興味が湧いてくる。
じゃ使ってみっかなぁ、と「使用法」を確認しようとしたが、
きわめて読みにくい(笑)。
いや、老眼が進んでいるので、小さい字が辛いという高齢化の影響ですね(笑)。
でも考えたら、風呂や洗面で使う製品ならメガネをはずしたカラダの状態が一般的。
であれば、日本のメーカー・消費者の製品コミュニケーションの現状に鑑みれば、
こういうポイントを重視していないのは、どうなのか?
で、こっちは裸なので、早く使用したい。
で、写真右手の説明書きを見る。文字がすべて同じ大きさで
並列的でしかも量が多い。
その最初に、液体なのに、「ピンポン球2個分位を手のひらに取り・・・」と書いてある。
「???」、どうすればいいんだこれ?
ピンポン球というのは固体を想像する言葉。
それに対して、内容物は液体なんですね。
これでコミュニケーションはほぼ絶望的な状態に置かれてしまう。
ここで、「いいやもう、面倒くさい。シェービングフォームだろ、これ」
っていう心理になって来るのは自然とは言えないでしょうかね。
で、いつものShick社製の使い方の習慣行動で瓶を振った。
瓶のなかで液体が白くにごった部分と、透明な部分に分かれた。
どうも不可解な状態になった(笑)。
心配になって説明書きの先を読み進めてみた。
「頭部を上向きにして振らずにご使用ください」と、書かれている(!)。
え、振らないで、液体が「ピンポン球になる?」
っていうような状態がどうしても、素人には想像力が湧いてこない。
こういう状態に追い込まれると、
「もういいよ、適当に好きなように使ってみよ」という自暴自棄的な状態になってしまう。
で、それから出してみると液体のサラサラ状態に多少、泡がたっている。
それを顔に付けてみる。
「あ、だめだこれ」という印象が襲ってくる。
ふつうの石けんで泡立てたのと違わないような肌の感覚。
シェービングフォームのなめらかさが、まったく感じられない質感。
でもこうなるとしょがないので、そのまま、髭剃りを始める。
書いたような、案の定の感じですね。
まぁ、ひげはそれる。けれど、そのあとにどうしようもないつっぱり感が残る。
大体、こういう感じだと一生懸命に顔を洗っても
つっぱり感が消えないのです。
でも、石けん水とは少し違って、つっぱり感は多少少なかった気がします。
説明書きにはご丁寧に、「お肌に合わないときはご使用をおやめください」と書いている。
絶妙な言い回しだなぁと、一本取られた感じ(笑)。

念のため、このブログを書くに当たって、
P●LA化粧品のHPでちょっと確認したのですが、
この商品は見あたりませんでした。
どうもよくわからない、キツネにつままれたような感じであります。
まぁ、よく使用法を確認しないで使ったこちらの問題が大きいのでしょうが、
もうちょっと「男性髭剃り」マーケットへの調査が必要なのではないかと思われた次第です。
って、買ってもいないのに大きなお世話ですよね(笑)。ではでは。







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奥州市水沢・黒石寺

2010年01月22日 06時34分42秒 | Weblog




きのうは水沢で講演会でした。
水沢は、統合で「奥州市」になったわけですが、
どうもなかなか慣れませんね。
平成の大合併というのは、結局根付くのでしょうか。
講演会には、北海道岩見沢から武部建設専務さんも来ていただいて
わたしのほうは前座で、北海道R住宅のお話しを中心にいたしました。
会場は大変立派な会場で、びっくり。
お話しをするこちらの方が、やや気後れするような立派さ。

なんですが、飛行機に乗って新幹線に乗り継いで来る武部さんが
心配したとおり、仙台空港からのアクセス電車に一本乗り遅れ。
まぁ、それでも
間に合うような日程にしていたので、まぁ、心配はなかったのですが
ちょっとした時間が急遽発生。
そこにおあつらえ向きに、「正法寺・黒石寺」の看板案内。
前は一度、正法寺の方、見学したので
黒石寺のほうに見に行ってきました。

この寺の由緒は・・・、
聖武天皇天平元年(729)、奈良法相宗(ほっそうしゅう)薬師寺五代行基和尚が東奥に行化(ぎょうげ)し、この地に至り渓山の幽秀を喜び、一堂宇を造り、薬師如来像を一刀三礼のもとに手刻安置し、次年に寺を建立し、東光山薬師寺と号して開山した。
延暦21年(802)、征夷大将軍坂上田村麻呂は、鎮守府胆沢城を築き、城内に鎮守府八幡宮神社、城輪(きのわ)に石手堰(いわでい)神社を官寺として建立、当山薬師寺はその神宮寺的な存在となった。 
 しかしこの胆沢の地は北上川の扇状地の肥沃な地で、阿弖流為(あてるい)や母礼(もれ)を族長とする集落でもあった。田村麻呂朝廷軍は数次に亘り、数万の兵をもってこれを従え城を築いたのであったがしばしば蝦夷(えみし)による反抗には悩まされ続けた。胆沢城は多賀城に次ぐ国府であり、奥州支配の最北端であった。4000人の移住民の中には、軍監、医師、弩師(ゆみし)、楽師、陰陽師、兵士、柵戸が居たことであろう。

っていうように記載されております。
まぁ、要するに桓武帝の膨張政策の結果、攻め滅ぼされた
蝦夷の族長勢力の根拠地に平安をもたらすために建てたのでしょうね。
この時代の宗教は国家鎮護の象徴だったでしょうから、
凄惨な戦争と表裏一体の関係にあったといえますね。
遺されている建築は、
四隅がきれいに木材が切り並べられて構成されており、
相当に手の込んだ公共事業であった様子が偲ばれました。

さて本日は環境省エコハウス事業の福島県飯館村に見学に行って参ります。
その後、ようやくいったん札幌に帰還できます。
やれやれ、っていうところであります。






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