壁というのは、住宅にとってどんな存在か?
ふむふむ、って、悩むような問題ではないでしょうけれど、
でも、日本の木造住宅にとっての壁の認識と、欧米住宅の壁の認識は
どうも違うように思っています。
ちょうど日本語の「窓」が、「間の戸」が語源認識に近いのに対して
あちらでは、wind+owという認識で、抜けがたく「空気の導入口」という
認識がそのベースになっているように感じます。
結果、建築の認識の中で微妙な相違が生まれてくる。
で、壁もかれらの世界観では外敵からの防御性が基本認識だろうけれど、
日本人的にはどうなのだろうか?
この点は、よくわからないように思ってきている。
日本的な建築空間では、壁はしばしば紙によって代用されてきた。
壁と言うよりも建具による「間仕切り」感覚の方が親しかった。
いわゆる町家伝統建築では、隣家との「壁の共有」まで受け入れられてきた。
そうすると、当然音の問題は大きくならざるを得ず、
そういった環境のなかで「他者への思いやり」というような
日本的感受性が生まれたのかも知れない。
そんな想像を巡らせるほどの「壁」環境だったのではないか。
したがって、日本では強固な他者からの「隔絶」という意識は
壁には込められていないのではないか。
でも、高断熱高気密化が必要になってきた北方日本的な住宅対応の結果、
壁は日本でもより重厚なものに変わっていっている。
そんな印象を持っています。
で、この写真のような室内壁であります。
この建物の設計者、保科文紀さんはこういった「壁の表現」にこだわりのある方で
非常に美しく、よくデザインされた壁を作る。
この壁は、室内壁なのだけれど、内側に
外側に使うような下見板張りを選択しているのですね。
下見板張りは、機能的には下を見ている板の部分が、
雨の室内への侵入を防ぐという、まことに人類トラディショナルとでも言える
そういう木の張り方。
見え方では、太陽光が陰影豊かな見え方になって、
美しい外観デザインを構成する、という伝統的手法。
それが室内に表されることの意味は
写真に明らかなように、季節や1日の太陽位置の変化による
壁の表情の変化、というデザイン性であることは明らかです。
高断熱高気密の北国住宅の、外と内を繋ぐデザイン装置
っていうように考えたとき、
まことに「開かれた住宅デザイン」と言えると思います。
重厚に断熱された壁の存在がありながら、
同時に生活デザインとしては、そとの雰囲気、光の織りなす季節変化
時間変化ということが、内側にいても人間知覚に訴求してくる。
「閉じていない北国住宅デザイン」ではないか。
まぁ、そんな思いを持ちながら見学させていただいていました。