三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

外界を感受する室内壁

2011年07月31日 08時48分36秒 | Weblog





壁というのは、住宅にとってどんな存在か?
ふむふむ、って、悩むような問題ではないでしょうけれど、
でも、日本の木造住宅にとっての壁の認識と、欧米住宅の壁の認識は
どうも違うように思っています。
ちょうど日本語の「窓」が、「間の戸」が語源認識に近いのに対して
あちらでは、wind+owという認識で、抜けがたく「空気の導入口」という
認識がそのベースになっているように感じます。
結果、建築の認識の中で微妙な相違が生まれてくる。
で、壁もかれらの世界観では外敵からの防御性が基本認識だろうけれど、
日本人的にはどうなのだろうか?
この点は、よくわからないように思ってきている。
日本的な建築空間では、壁はしばしば紙によって代用されてきた。
壁と言うよりも建具による「間仕切り」感覚の方が親しかった。
いわゆる町家伝統建築では、隣家との「壁の共有」まで受け入れられてきた。
そうすると、当然音の問題は大きくならざるを得ず、
そういった環境のなかで「他者への思いやり」というような
日本的感受性が生まれたのかも知れない。
そんな想像を巡らせるほどの「壁」環境だったのではないか。
したがって、日本では強固な他者からの「隔絶」という意識は
壁には込められていないのではないか。
でも、高断熱高気密化が必要になってきた北方日本的な住宅対応の結果、
壁は日本でもより重厚なものに変わっていっている。
そんな印象を持っています。

で、この写真のような室内壁であります。
この建物の設計者、保科文紀さんはこういった「壁の表現」にこだわりのある方で
非常に美しく、よくデザインされた壁を作る。
この壁は、室内壁なのだけれど、内側に
外側に使うような下見板張りを選択しているのですね。
下見板張りは、機能的には下を見ている板の部分が、
雨の室内への侵入を防ぐという、まことに人類トラディショナルとでも言える
そういう木の張り方。
見え方では、太陽光が陰影豊かな見え方になって、
美しい外観デザインを構成する、という伝統的手法。
それが室内に表されることの意味は
写真に明らかなように、季節や1日の太陽位置の変化による
壁の表情の変化、というデザイン性であることは明らかです。
高断熱高気密の北国住宅の、外と内を繋ぐデザイン装置
っていうように考えたとき、
まことに「開かれた住宅デザイン」と言えると思います。
重厚に断熱された壁の存在がありながら、
同時に生活デザインとしては、そとの雰囲気、光の織りなす季節変化
時間変化ということが、内側にいても人間知覚に訴求してくる。
「閉じていない北国住宅デザイン」ではないか。
まぁ、そんな思いを持ちながら見学させていただいていました。
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円窓の日時計

2011年07月30日 07時44分55秒 | Weblog





先日の見学会より。
円窓って、日本の建築ではけっこうポピュラー。
精神性を表現する重要な建築装置として
いろいろに見る機会が多い。
住宅用でも、たぶん、サッシ屋さんの品番にもあるのではないかと想像します。
ただし、今回見たモノは、
円窓と言うよりも、その周囲の窓まわりの造形がすごい。
この家は、外壁自体が湾曲していて、
その曲面の中心にこの円窓はある。
で、この家は断熱はきちんと行っている。
そういう条件の中で、窓と、内部空間をどのように仕上げるかは
なかなかに頭を使うところ。
この家では、外張り断熱の板状断熱材を工芸品制作のように加工して
このような造形を作り上げたのだそうです。
この造形は、3次元曲線を描いているので、
まぁ、丹念に断熱材を切り込んだり、削ったりしなければならない。
形だけを作って、いわばデザインだけやって
空間の温熱環境機能性は無視しました、っていうようなお気楽な仕事ではない。
こういう芸術的な仕上げをしてなおかつ、断熱性を担保している。

先般、東京であるエコ関係の住宅審査を取材していて
その審査員の先生たちの質問内容などを聞いていて
断熱と、デザインの問題の境界について
そこで試行錯誤しながら作っている北国のひとたちのことを
こういう先生たちの視点では理解できないのでは、という気分にさせられました。
この円窓周囲の造形仕事を見ていて
技術の積み重ねと、それでようやくたどりつくデザインは
単純に情緒的な部分だけでは見えないのだと思う次第です。
こういうデザインを実現して、
しかし、窓は結露だらけで周囲は寒い、というわけには
北海道では決していけないのですね。
それを関東以南的な感覚世界で評価するとかしないとか、
そういう論議は、もうやめたほうがいいのではないか。
まぁ、そうすると、人口規模的に北国世界の価値観を無視する、
というような結果になることは明白なので、
田舎にいる人間としては、なんともやりきれないところなんですが・・・。
おっと、これではグチだ(笑)。

円窓であります。
ちょうどこの時期の正午近くの太陽光線を反映して
こういう情景を見せてくれていますが、
この円窓、自然が作り出す日時計のようでもありますね。
建物の南面正面に位置してもいるので、
そういった「隠された制作意図」というものも理解できます。
そう考えると、まことに面白い「生活のデザイン」。
このように外の世界の日射が作り出す光を室内で感受する装置、
断熱とデザインの境界的なせめぎ合いの中で
北国住宅としての面白い挑戦ではあると感じました。
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書斎の「空間品質」とは

2011年07月29日 05時30分41秒 | Weblog






写真は、先日の見学会でのひとこまです。
住宅街だけれど、郊外立地であり、
防風林に面しているので市街化調整区域であるこちら側の緑は保存され続ける。
建物からは北側になるのだけれど、
眺望という面で見れば、北側の緑というのは
光の環境が安定していて、しかも目に優しい。
この防風林は常緑系の木が多く、
冬場にも、安定した視界環境が得られる。
こういう環境の中に置かれた書斎に座って、そこからの眺望と
窓の開け方をチェックしてみた次第です。
まぁ、書斎空間としての、というよりは
土地選び、その品質というような事柄ではありますが、
しかし、書斎などの精神活動の場って、
これからの知的な高齢者の住まいにとって
かなりウェートの高まる部分なのではないだろうか。
団塊の世代がかなり高齢者になって、
そういうマーケットを主導するようになっていくときに、
やはり「空間品質」ということは相当に問われていくのではないか。
そんなことを考え続けております。
わたし自身は、都市生活の中にいるので、
眺望という部分、そしてそこからの風景の内容などには
思いを致すことは叶わぬ夢と割り切らざるを得ないのですが、
しかし、そういう感受性のニーズとしては、
より精神性を刺激してくれるような環境への思いというのはある。
可能であれば、こういう環境の中で読書したり、
ブログを書いたり、表現活動に没頭できたらいいなぁと
そんな思いは募るのですね。

大震災以降、そういえば、
家の中の空間についての日本人の嗜好の変化が
さてどのようになってきているのか、
自分の感受性というセンサーでは、
家族という存在のかけがえの無さというものが、
どうも深く心の領域を占め始めているように思っています。
ただ、それは、発達した個人主義の風潮の中で
あくまでの「個人」という部分を最大限尊重した上でのもののようで、
「個人的な嗜好性の満足」の上に成立するモノだと思います。
そういう前提を満たした上で、
さて家族関係をどのように調和させていくのか、
いろいろな意味で、やはり住宅デザインが面白くなっていく予感は強い。
ただそれが、これまでのひとつのパターンとしてのように、
建築家の個性選択というように展開するのかどうかは疑問だと思います。
また、それだけでは面白くない。
やはり施主の立場からの創造的な切り込みが楽しそうなんですが・・・。
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モラルハザード政権

2011年07月28日 06時27分16秒 | Weblog





けさのニュースで気になった記事。

都道府県議長会、首相に退陣決議提出へ
 全国都道府県議会議長会は27日の定例総会で、菅首相の退陣を求める緊急決議を賛成多数で可決した。
 岩手、宮城、福島3県の県議会議長が連名で提案した緊急動議を受けたもので、近く菅首相に提出する。
 決議書では、退陣を求める理由として「東日本大震災の復旧・復興に明確なビジョンの提示がない」「原発再稼働のあり方をめぐる場当たり的な対応」などを挙げている。
 畠山和純・宮城県議会議長が「1日も早い復興を果たすには、最大の足かせとも言われる菅首相の存在をぜひ考えていただきたい」と緊急動議を提案。「政治的、政局的になってしまう」(和田宗春・東京都議会議長)と一部に反対意見もあったが、賛成多数で可決された。
(2011年7月27日19時48分 読売新聞)

わたしたち、住宅に関しての動きでも、
今回の震災後の停滞感はかなり際だっていると感じられます。
被災3県を中心にいろいろな情報収集に当たっているのですが、
現場的には、さまざまな提案を挙げてきているけれど、
結局は中央政権の側の「基本方針」の無定見ぶりが
そのまま、復興の遅れに繋がっている。
「告発」型のリーダーシップでは、
国家運営という仕事には、最低限のレベルにも到達しないのですね。
いまや、官房副長官が「早く辞めろ」と連日呼号しているようですから
普通の神経であれば、内閣不一致の責任を取って
罷免するなりするのですが、
そういうことすら思い浮かばないほどの状況のようです。
で、それが国家にとってどれだけの損失になっているかという
ことを想像する考えもないようですね。
小沢一郎は「退陣3条件」が満たされても、菅首相はやめないだろうと
観測しているということだそうですが、
これが正鵠を穿っているのでしょうか。
ただ、こういう状態で、
この国の権力のモラルが、どんどん低下していることは
明瞭な事実として積み重なってきている。
これまで、モラル違反ということで政権が立ち行かなくなったことがあったけれど、
これ以降の政権に、ある種の「なんでもあり」を
既成事実として積み重ねているという意味では、すごい。
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日本的都市の空気感・さっぽろ狸小路

2011年07月27日 05時10分11秒 | Weblog






先日、久しぶりに「狸小路」を歩いてきました。
わたしが小学生から高校生の頃、よく歩いていた街です。
まぁ、やや気が引けるほどの昔になってしまったわけですが(笑)
いまから50年近く前ですから、もう半世紀。
いやはや、こんなふうに回顧するような時間が経過するとは
ホント、夢のようですね。
で、狸小路。
なんとも懐かしいというか、まだやっているのか?であります。
札幌という街も、子どもの頃の30万人程度の人口規模から
現在の190万人という都市に巨大化して
そういう意味では、都市としての空気の連続感が持ちにくい。
わたしは、いまは西区山の手という地域に住んでいて、
会社事務所も自宅から歩いて5分という、
小さいエリアで日常を過ごしておりまして、札幌も街中にはめったに行かない。
むしろ、仙台の方が街中は詳しいかも、というような感覚。
そういうことなので、タマに来るとほとんどタイムスリップしたようです。
この秋には、「SAPPOROスタイル」というライフデザイン系の探求をしようという企画を
ある大学の先生と練っているのですが、
そういう風に考えていると、
この狸小路界隈って、それなりに仙台の繁華街にも似た場末感が味わえる。
そこそこの生活感の残滓があって、しかもアーケードという昭和の都市的風景。
ディスプレイも、無国籍的和風とでも感じられる雰囲気。
そこに中国語が乱れ飛んでいる、というのも、なんとも似合っている(笑)。
よく見ていると、最近の店舗は以前の単品販売商店主流というものから、
昭和レトロ風の飲食系店舗がどんどん増えている印象。
歩いて暮らしていた「原札幌」って言うような風情が漂っておりました。
もうすこし、コントラストを効かせれば、いい感じが出せるかも知れないなぁ、
などと、やや場の雰囲気にのめり込みそうな気分。
そういえば、東京都下でもこういう昭和レトロの街並み再生を
都市の魅力にしようという試みがされていましたが、
さっぽろ狸小路にも、そういう味わいが巧まずに出てきているのではないか。
短い北の街の夏に、こんな風情もいい。
北海道でも、ほんの一時、湿度が高く気温も高い時期
濃密な日本的都市の空気感を味わえた瞬間でした。
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板金屋さんらしい外観の家

2011年07月26日 05時34分18秒 | Weblog





先日の十勝から見学のみなさんの訪問先から。
こちらは1軒目に伺った住宅です。
建て主さんは板金屋さんということで、まぁなんともわかりやすい外観。
きっと仕事の上でもモデルハウスのように使っているようだと推測がつきます。
聞いてみたら、外壁に使った鉄板は8色あったそうで、
しかも、それぞれ1枚ものと半割したものと2種類。
なので、それをグラデーションになるように重ねて貼っていく作業は
たぶん、幾何級数的に計算が複雑。
実際は、現場で適当に割り付けていったのだろうと思われました。
設計者に聞いても、この外壁の仕上げ工事費は???。
施主としての板金屋さんが、自らの職業的創造力を存分に発揮した(笑)。
まぁ、ようするにお金の問題ではなく、
「作る」という行為を純粋に楽しんだ、というような家づくりなんですね。

外観から、そういう雰囲気は誰にでもわかりやすく伝わってくる。
こういうこと、いろいろな言い方をしたりしますが、
結局は、人間がものを作り上げるということは、
単純に楽しく、面白い営為なのだということだと思います。
建築家にわざわざ頼んで家を建てよう、などと考える人って
自分でも、創作へのなにがしかの思いや気持ちを持っている。
作り上げていく楽しさを、理解しているのですね。
だから、そういった話を建築家と交わしながら、
自分でもやってみたくなってくる。
もちろんモチは餅屋で、のような専門的知見はお互いに尊重するけれど、
そのこころは共通で、理解し合える。
この外壁には、そういった物語性がわかりやすく表現されていて
大変、楽しく伝わってくる。
「あぁ、家を建てるって面白いよなぁ、やっぱり」
っていうこころが、いっぺんに共通認識でわかる。

わたし自身も、
そうか、こういうシンプルに家づくりを楽しむって、
しばらく、考えたことがなかったなぁと思わず不意を突かれた次第です。
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地熱利用アースチューブの可能性

2011年07月25日 05時11分17秒 | Weblog





見学会で見た武部建設さんの江別市野幌の住宅。
写真は、施工された「アースチューブ」の温度変化の様子です。
ピンぼけ風になっていますが、左は吸気側で、右は室内側の温度。
アースチューブというのは、地熱を暖房や冷房に使って
エネルギー使用を抑制しようというものです。
っていうことですが、原理としてはきわめて単純。
地上1mほどに立ち上げた塩ビパイプ(口径150mm程度)から外気を取り入れ
それを基礎の下、地面から1mほど下がった地中にぐるっと回して、
地熱と熱交換させて、冬場は熱を取得し、夏場は空気温度を下げて、
室内に取り入れるという考えのもの。
写真は左が、見えにくいのですが、21.4℃、右側が17.3℃を示していました。
ということは、4℃の熱が、今の時期には奪われて、
室内には涼房された空気が取り入れられています。
武部さんに聞いたら、冬場には同じように4℃の違い、今度は加温の作用があって、
外気温に対して、その程度の地熱の作用が働いているようです。
このシステムのポイントは、チューブの内部に温度差によって
引き起こされる可能性のある結露水。
これが、カビの発生などを引き起こすと、問題になる。
このあたりは、バランスの問題なので、
実際に施工してみて、その様子を観察する必要がある。
こういう実験的な仕組みについては、建て主さんの理解も欠かせませんね。

さて、内外温度差で4℃というのはなかなかいい感じですね。
北海道では、この4℃というのは、
断熱を厚くして、暖房なしでも15℃くらいの室内気温が維持できれば、
加温はごく少なくて済む計算が立ってくる。
「ほぼ無暖房」という線を狙っているということなのですが、
かなり肉薄してくる。
暖房装置としては、薪ストーブを使用しているのですが、
これはCO2フリーなので、断熱とアースチューブで、
基本的な17~18度程度の気温が維持できれば、ほんの少し、
薪ストーブという自然エネルギーだけで暖房が完結してしまう。
全室暖房ではなく、高断熱高気密をレベルアップすることで、
ふたたび、間歇暖房で済んでしまう住宅が北海道でも実現する可能性がある。
こういうフロンティアスピリットは、まことにいいですね。
注目していきたいと思っています。
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アナログ放送終了、新たな競争環境は?

2011年07月24日 06時49分56秒 | Weblog






一昨日、クルマに乗っていて
なにげなくテレビを写してみたら、知人もこだわっている
左下の「あと何日で終了」マークが表示されておりました。
そうかこれか、とニンマリさせられました。
わが家はJCOMにしているのですが、カミさんに聞いたら、
アナログ放送を選択できるので
こういう画面表示、そっちの画面でも出せるのだそうです。
ほとんど怖いもの見たさの心境。
っていうことで、本日朝、
その画面を出してもらおうとしていたのですが、
カミさん、いろいろ操作しても結局表示できず仕舞い。
やむなく、ぶれまくっているカーナビの画面表示であります(笑)。

アナログ放送が終了になって、どういう変化があるのか、
電波枠の許認可権って、国家権力の大きな利権でしょう。
ただ単にテレビ業界の買い換え需要喚起が目的だったとしたら、
たいへんむなしい。
大きな帯域が空くことによって、
どういった構造がスタートしていくのでしょうか?
あんまりよく調べていませんでしたが、
これからの変化で、利権構造も露わになっていくのでしょう。
「ホワイトスペース特区」などとかの動きもあるようなのですが、
まだ明確に電波マーケットの具体的内容は伝わってこない。
まさか、国の管理する電波スペースで、
ある日が来たら、実はこうなっていましたみたいに利権構造が
「こんにちは」と突然出てくることもないでしょう。
電波を使ったビジネス競争が起こっていくことは容易に想像できる。
移動体向けマルチメディア放送っていうような動きはあるけれど
まだ、それでどのようなサービスが可能か、
というような論議は起こってきていない。
このあたりは、実際にアナログ放送を終了できるのかどうか
そういう社会の対応ができるのかどうかを確認してからでないと
前に進めないと言うことなのか。

まぁ、わたしたちのような
特定コンテンツに特化した事業者にとっては
まずは市場環境がどのように整備されるのか
その帰趨をみてからでないと、動きようがないというところですね。
さてどうなるのかなぁ?
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十勝から住宅見学ご一行

2011年07月23日 06時52分21秒 | Weblog







きのうは十勝2×4協会のみなさんが札幌の住宅見学に。
やはり、住宅デザインでは札幌の住宅を見るのが一番ということで、
そのコーディネートを頼まれて添乗員をやっておりました(笑)。
いろいろな設計者の住宅をセレクトして
都合6件の住宅を見て回った次第。

見学後、いろいろな感想を伺ったのですが、
おおむね、「刺激を受けました」というご意見。
設計者の意図や、考え方などを実地に即して聞くことが出来るので、
理論ではない住宅デザインを吸収できるのかも知れません。
ディテールについての質問などでは
一気にうちとけるような瞬間もあって、まぁ成功だったかなぁと。
こんな様子を見ていると、札幌って、
きわめて特異に、住宅デザインが進展している地域ではあるのかも知れません。
わたしどものReplan誌では、
創刊当時からずっと、住宅デザインの北海道のレベルを向上させたい、
っていう願いを持ち続けてきた次第です。
特集とか、建築家住宅取材などを継続的に仕掛けてきました。
もう20年以上になるわけですが、
そういうなかで、ハウスメーカーを選ぶときのほとんど内容の感じられない判断基準、
「有名な会社だから」みたいな
ユーザー意識の払拭に努めてきた気がします。
なかなか、この意識をなくすことは難しいと思っていますが、
一方で、確実に「注文住宅本来のデザイン性」という志向が育ってもいます。
そういう活発なデザインの切磋琢磨を、市場環境として仕掛け続けることは
けっこう、大切なことなのだろうかと、改めて、思いを致させてもらいました。
こうしたユーザーマーケットは、さまざまな年代に浸透して
一昔前とは比べようもないほどに進化を見せています。
住宅デザインの向上は、結局地域に生きる暮らしの豊かさに繋がるとも思います。
それが地域への愛着を育て、
地域が良くなっていく、小さな力にはなっていくものと思います。
十勝のみなさん、作り手としてのみなさんが
いろいろな気付きのきっかけにしてもらえるのなら、
大いに利用していただきたいと思います。
そしてまた、十勝にすばらしい住宅デザインが根付き、
十勝らしい発展を見せていくことが、
強い住宅産業を育成するのだと思います。
たいへん楽しい一日でした。
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東松島市浜市の状況報告から

2011年07月22日 07時00分47秒 | Weblog






東日本大震災後、
活発に活動を続けている建築家・丸谷博男さんから
表題地域のレポートが寄せられました。
ちょっと胸が痛くなるような状況が展開していると思います。
以下、主に地域自治体・住民代表からの発言を要旨掲載します。

●3月11日の大震災で、135世帯470名の住民のうち、50名死亡、不明1名。
●5月1日に、住民決議「集団での高地移転」90名の参加。しかし、徐々に住民意識も変化している。浜市の家を住むために清掃し、手を入れ始めている住民もいる。
●市の案は県とは調整ができているが、国の方針が不明である。現行法では、復旧のみなので、高地移転の場合に、所有している既存地を買ってくれるのか、また、事業費に対して自治体負担が1/4という状態では、前に進まないので、特区を希望している。
●高齢化率36%、一人暮らし、老夫婦が多く、集団移転に参加できない可能性が大きい。人口流出がそうとう見込まれる。しかし、一時避難ということで、子供世帯や親戚の家に行っていた方で、うまくいかず戻ってくる方もある。
●農業者30世帯、漁業者10世帯。農業者は高齢化もあり営農は無理だと思う。漁業者(海苔、牡蠣)は協同化が進み始めている。
●避難所になり多くの方が救われた浜市学校の活用/グループホーム、コミュニティセンターなどへの活用
●被災したが建築は再利用できるコミュニティセンターをどうするか。
●浜市に再び住もうとしている方々の、今後の生活とコミュニティの作り方をどのようにしていくか。考えていく必要がある。


やはり、国の方針や施策が決まってこないので
復興計画を進めていいのかどうか、あるいは
前に進んでもハシゴを外されるのではないかという不安な心理も
読み取れてきます。
どうも今回の震災以降の状況は、
現在の日本の政治・行政のシステムの問題点が一気にあぶり出されてきている。
先日、自民党の国会質問で、
1次補正ではがれき処理に3500億円超 計上されているのに、
被災自治体に実際に予算が付けられたのは、 208億円にとどまっている現状が追求されていました。
こういう出口の見えない状況というのは、
本当に何とかして貰いたいものだと思います。

他の業務にかかりきりだったので、更新がままならなかった
「東北の住まい再生」HP
溜まっていた報告を一気に掲載していこうと思っています。
無料マガジンで掲載した記事なども、今後どんどん掲載したいと思いますので
まだご覧になられていない方、ぜひ、ご覧ください。
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