私魚人(あいうおんちゅ)~定年親父の魚三昧:タナゴ仕掛けとガサで出会った魚たち~

50年続けた魚遊び。胴長ガサガサもしんどい。ならば釣りだ!野遊びだ!タナゴから珍魚・駄魚釣りへ!地元の生き物探しへ!

アカイロアオハムシモドキかな?:だましもん一派子分①

2021-05-23 10:02:22 | カミキリの仲間
2021年5月23日(日)

アカイロアオハムシモドキかな? 大きさ10mmほど

20210506

日課となった散歩中にみつけて


「あ~っ! 大きなハムシだあ~っ!」と舞い上がり
「金属光沢だからスゲハムシかもしれんぞお~っ!」と逃げ回るコイツを震える手でつかまえ
河原近くで野草をちぎってから撮影したんだけどね・・・


よくよく考えてみれば、まわりに幼虫の食草が生えるような湿地は皆無だし


上翅にきれいに並ぶ深い点刻もないじゃん!
よく見れば「触角がこん棒のように先の方が太い!」

飛んでってもらって


帰宅後、図鑑とネット検索で名前調べ。

『アカイロアオハムシモドキ』という名にたどり着いたんだけど・・・

なんか、赤色なのか青色なのか中途半端な名前やし
ハムシなのかハムシでないのかもあいまいやし
別にコイツがハムシをだましたわけもなく
私のように「ハムシだ~っ!」と勝手に勘違いしたのも人間の勝手な思い違いだもん。

生き物に名前をつけることもそれを知ることも大切なこと。
名を知ることから、その生き物へのアプローチが続くと思うからね。
人同士でもほぼそうでしょ?
名刺交換やあいさつで名のらん人とかそうそうないはず。
例えば、ヒトという生き物が「クロイロシロサルモドキ」なんてつけられた日にゃ、ちゃぶ台ひっくり返すはず。
何? ちゃぶ台がないってか?
買ってきなさい! 怒り心頭のさいに必須のアイテムだもん!

命名した人は、コイツのアイデンティティや立場をどう考えたんだろう?

このメダカは何だ?

2021-05-22 08:32:35 | 純淡水魚
2021年5月22日(土)

このメダカは何だ?


数カ所のウロコにある黒斑。
黒点病なのかなあ?
黒色色素胞が大きく発達してるようにみえるんだよなあ?

2カ月ほど前に水路覗いてて、つい掬っちゃった個体。

昔のメダカの写真をほじくり出してみると
こんなのや


こんなのや


こんなのが出てくる。


多少の色彩変異はあってもほぼ均一な体色でしょ?

やはり品種改良メダカなんだろうか?

メダカ、飼育ブームだもんなあ。
アチコチで新たな品種をつくろうと夢中になってやっておられるから。
そのことは、趣味としても、また生業としても悪いことではないんだけど・・・

人が立ち入らないような流域で
やたらと白っぽいメダカや


やたら黄色っぽいメダカなんかが採れたりすると


改良がうまくいかなかった不良品メダカを放流してるとしか思えないんだよね。
または、釣り人がエサとして使ってたのを逃がしたかもしれんけど・・・

以前、
「メダカの品種改良をしてます。多くはうまくいきません。そんなメダカは地元の小学生に寄付をして一緒に川へと放流してます。自然体験学習になってます。」
と、誇らしげにマイクにぎってるじいさんたちがいたけど・・・

それ、在来のフナ類の中に金魚放流して『豊かな自然を!』と言ってるようなもんだと思うよ。
すぐさま主催者の行政に注文つけといたけどね。

メダカは国の絶滅危惧Ⅱ類、環境変化で在来のメダカは減少してる。
そこへ、たとえ善意だとしても、わざわざ品種改良メダカを放しておいうちかけんでもよかろうもんに。

飼育するということは最後まで末代まで責任を持つこと。
たとえ増えても無責任に譲らない、放さないでほしいと思うんだけどねえ。

ファウストハマキチョッキリ:全品チョッキリフェア!最終弾

2021-05-21 09:28:26 | オトシブミ・チョッキリ・ゾウムシの仲間
2021年5月21日(金)

本日、「全品チョッキリフェア!」最終日となっております!
さ、皆さんお早めに!

というのも、単なるおふざけではないのよ。
私の暮らす地域では、そろそろ春のチョッキリ・オトシブミたちシーズンオフなのである。

ファウストハマキチョッキリ 大きさ5mmほど

20210513

金属光沢の濃い桃色が美しい。

山間の公園に植えられてるカエデ類の枝にいた。
そのままでは撮影できそうにない。
採集して、落ち葉とともにベンチにて


あかんっ! 飛びそう!


そこで、あらためてその辺の野草を1本拾って撮影


茎の表面に小さな毛がたくさん生えている野草


飛ぶために頂点へ登ろうとしても時間がかかるとの読み通り!

もちろん、公園に1本だけあるカエデ類に焦点絞って観察してみつけたのも読み通り!
こうしてたまに予測が当たるから、事前学習も楽しくなるねえ。

しかも、「柳の下に2匹目のドジョウはいない」というが・・・
「カエデの葉に2匹目のファウストハマキチョッキリ」はいるのだ!

小雨の降ってた3日前に

210510

葉と葉の間にはさまれて、ヤドカリチョッキリに托卵を狙われながら


大きさ4mmほどのコイツがいたんだな。


この日もねらい通りだったのであ~る。

もちろん、雨が止んだら葉をクルクル巻いて「落し文」をつくろうとしてたんだろうね。
その「落し文」にヤドカリチョッキリも産卵しようと虎視眈々ねらってたんだろうね。

で、結局私にねらわれてつかまっちゃったのだから、一番悪いのは私だな!
もちろん、いつものように撮影後は逃がすんだよ。

後は、『なんでファウスト~なんだ?』という疑問がほどければ十二分に満足だ。
いやあ、生き物の世界は知らんことばかり

ヤドカリチョッキリ:全品チョッキリフェア!第三弾

2021-05-20 16:33:18 | オトシブミ・チョッキリ・ゾウムシの仲間
2021年5月20日(木)

朝のうちに書くはずだった「全品チョッキリフェア!第三弾」

ヤドカリチョッキリ 大きさ4mmほど

20210510

チョッキリの仲間とは思えないほど口吻が短く


マルムネチョッキリとそっくりなのだが・・・(落としちゃった!)


コイツ、私が探してたハマキチョッキリ類の食草及び揺籃(落し文)の葉となるカエデ類にいた。


しかも、そのときちょうど探してたハマキチョッキリ類のすぐ横にいたからね。
マルムネチョッキリではなく、ヤドカリチョッキリのようだ。

ヤドカリチョッキリ、名の通り自分で揺籃をつくらないそうだ。
ハマキチョッキリ類がつくった揺籃に穴をあけ、自分の卵を産みつけるという。

まるで鳥のカッコウが、ヨシキリヤウグイスに托卵するのとそっくりではないかっ!

ヤドカリチョッキリ、ちゃっかりとこっそりちょっぴり卵を託すんだろうね。
チョッキリという名は「チャッカリ」に改名した方がいいのかもしれんな。

ちなみに、マルムネチョッキリはオトシブミ類の揺籃に産みつけるそうだ。

知らないことばかり。
だから直行直帰の散歩も「探して楽し調べて楽し」だ。
そんな散歩の私、「チョッコウチョッキリ」とでも呼んでいただければ幸いだ!

海外からの見知らぬコメントがっ!:緊急報告

2021-05-20 09:12:27 | 日常
2021年5月20日(木)

昨日書いた記事「イクビチョッキリの仲間」に、海外からの初コメントがっ!

タイトルと本文は以下の通り

Chú côn trùng (anh)

Nhì chú côn trùng náy thật khiến tôi được ao ước như chúng, cs luôn an lành ko lo nghĩ về nhiều thứ ở đời


あわてまっせ~っ!
オロオロしまっせ~っ!
私は、海外にやり取りするような知人もいないし、何語かわからんし・・・
怪しい詐欺関連やもしれぬと、よほど削除しようかとも思いつつ・・・
かみさんに見せたら

「ベトナム語じゃない?」
一度も外国に行ったことのないかみさん、平然とのたまう。

そこで、真面目に感想を送ってくれたやもしれぬと
とりあえず削除するのはいったん後回しにして
頼りになるがあまりあてにはならんグーグル翻訳を使ってみたら・・・

以下の通り翻訳してくれた。

昆虫(anh)

これらの昆虫は本当に私を彼らのようになりたくさせます。
彼らは常に安全で、人生の多くのことを心配しません。


なんのことはない、虫の記事への感想だ。
かみさんの言う通りベトナム語だった!

相変らずグーグル翻訳はぎこちないから、私なりに勝手に解釈すると

こんな昆虫たちを見ていると、本当に昆虫になりたくなったりします。
虫たちはいつも平和そうで、いろんな悩みや心配事を抱えてるようにみえないから。


ならば、私もコメントを返さないと失礼だ!
と、さきほど頼りになってとてもあてになるグーグル翻訳使ったね。(おっさん、態度急変!)
日本語コメントを書いて、ベトナム語に訳していただいて・・・

Gửi anh(anhさんへ)

Cảm ơn rât nhiều.
Đôi khi tôi cũng ghen tị với côn trùng và cá.
Tuy nhiên, tôi nghĩ đó cũng là vì tôi sống là một con người.
Ta cầu mong cuộc sống tốt đẹp cho nhau.

コメントありがとうございます。
私も時々虫や魚たちが羨ましくなります。
ただ、それも人間として生きているからだとも思います。
お互い良い人生であることを祈ります。

なんとなくだし自分勝手な解釈だけど、安心・安全に慣れ平和ボケしてる私を含めた日本人の生活と
安全に生きられることに常に危機感を持ちつつ暮らしてるかもしれない海外の方々の生活と
あらためて教えられたような出来事だったなあ。

つくづくコメント削除しなくてよかった~っ!