ロビンソン本を読む

本とデザイン。読んだ本、読んでいない本、素敵なデザインの本。

蜩の声

2020-03-16 18:27:56 | 読書
 古井由吉『蜩の声』





 古井氏が亡くなった。

 未読だった本を手に取った。


 8つの短編集。

 最初の1編。

 この感じ、なんだか落語のようだ。

 「聞いて、ねえ、聞いてよ、」と始まり、一息に7行、歯切れよく語られるそのリズムに、惚れ惚れする。

 次の1編。

 これは、エッセイだろうか。

 「背後からつぶやきがもれた。」

 突然、小説の様相を帯びる。

 しかしその後も、現実と小説の間を漂いながら、生と死について語り続ける。

 表題作『蜩の声』。

 家のテラスの表は霧の籬(まがき)とあり、山深い一軒家に住んでいるのかと思いきや古いマンションで、改修工事のため、外壁が白い幕で覆われている。

 古井氏本人と思しき老齢の作家が住んでいる。

 工事の、壁を穿つドリルの音から、子供の頃に聞いた都電の音、襖一枚隔てた隣人の声、町工場の音へと流れていく。

 漂う感覚が心地良い。

 いまどこにいるのだろう。

 テラスの椅子に座っていたのではなかったか。

 さらに、合間に挟まれる誰か、知人の言葉、体験が、ぼくの混乱を広げる。

 ときおり、白い幕の中にいることを思い出させてくれるのだが、外界との境がぼんやりしているのを、さらに感じさせる。

 突如、すぐ外から響く蜩の声に、幼年の経験からくる異臭を思い出し、戦時中に見た取り壊されていく家屋、崩れ落ちるときの  轟音  埃  後の静まり返り  幼年の記憶の中に、ぼくは取り残される。


 装丁は菊地信義氏。(2020)