W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』
息が詰まりそうな文章だ。
あるいは息継ぎができない。
その要因のひとつに、改行がほとんどなく、休憩ができないことがある。サービスエリアがまったくなく、ずっと運転を続けなくてはいけない高速道路のようなもの。
アウステルリッツとは人物の名前。
この小説の語り手が、アウステルリッツと出会い、彼の塗り込められた幼年時代を掘り起こしていく過程と、蘇っていく記憶を聞いていく。
その話は、ひとところに留まらず、歩きながらスライドドアを開けて移動するように、いつの間にか別の世界へ踏み込んでいる。
ひとつの段落の中ながら、わずかな休みを得て、いまいる場所を確認できるのは、「~とアウステルリッツは語った」という表現が出るときだ。
けれども、わりと頻繁に同じ言い回しが出てくる。煩わしくなってくる。
しかも、アウステルリッツがヴェラという女性の語りを語り、ヴェラはアガータという別の女性の語りを語る。
「~とヴェラは言いました、とアウステルリッツは語った」となる。
これはユーモアなんだろうか。それとも、知られなくたいことを巧妙に隠す方策なのだろうか。
息もせず読み続けていると、真っ暗な箱の中に頭を入れているような気分になる。
外光が入ってこない箱の中に、アウステルリッツの物語が映し出される。
息苦しいのは、密閉された空間だからなのか、物語が濃密だからなのか。
表紙の写真は誰なのか。
文中の言葉は信じられず、巻末の訳者あとがきを先に読みたくなってしまう。
でも正解を知らない方が、この本の世界は楽しめると思うのだ。
装丁は緒方修一氏。
新装版が出た。
旧版の方が良かったのでは?(2020)