立て続けに、本日2度目の投稿。
そして、日をまたいで3度目の「お祭り話」である。
「今日の一枚」、撮影は今朝。
津幡小学校の校庭に隣接した町の常設相撲場だ。
ここでは、毎年お祭りの時期に合わせアマチュア相撲の全国大会が行われる。
今年で41回目を数える「全国選抜社会人相撲選手権大会」。
なかなかの伝統を誇る戦いだ。
この大会について、津幡町のHPには以下の説明があった。
『安土桃山時代から続いた八朔大相撲を起源とするこの大会。
全国から選抜された強豪24チームが津幡町に集結し、
名誉ある内閣総理大臣杯をかけて技を競う!
ぜひ、男たちの熱い戦いをご覧ください。』 (※原文のまま)
更に「八朔大相撲」について調べてみると…
その歴史に関する「北國新聞」の記事を発見。
『全国選抜社会人相撲選手権の前身で、
約400年の歴史を誇ったとされる八朔大相撲。
1969(昭和44)年に幕を閉じてから40年が過ぎた。
八朔大相撲は天正年間(1573~1592年)から、
慶長年間(1596~1615年)にかけて始まったとされる。
旧暦8月1日に、現在の加賀爪にある弘願寺や、
清水の清水八幡神社の境内、
津幡小の校庭に土俵を移しながら開催されていた。
現存する羽咋市の唐戸山神事相撲と並び称される出世相撲として知られ、
北陸三県はもとより、東京から大相撲の力士や大学生も集まったという。
当時、土俵周辺には多数の露店が軒を並べ、
見物客でごった返したと伝えられる。
しかし、参加人数や相撲内容など細部を示す資料がなく、
町八朔大相撲協会が1970年に清水八幡神社へ奉納した
「八朔大相撲大関芳名」には
1906(明治39)年から1969年までの大関が記されているが、
それ以前の記録は見つかっていない。』 (※抜粋・要約して掲載)
…いかに相撲という競技が盛んで日本人の心に根ざしていたかが伺える。
「日本書紀」に記録された「当麻蹶速」と「野見宿祢」の戦いが起源とされ、
神事と結びつき、戦場の武術となり、江戸の力士は権力の象徴になり、
相撲は長い歴史を刻んできた。
八朔大相撲と現在の大会も、その時の流れの一つである。
ところで、今朝、土俵を見に行ったら
グラウンドの敷地内で露店が準備をしていた。
観客の需要を見込んでの出店だろう。
僕が子供だった頃、皆、冷たい麦茶で喉を潤し、
暑さをしのいで土俵へ歓声を送った。
青く大きな業務用ポリバケツにでっかい氷を入れ、
そこに満々と麦茶が湛えてある。
備え付けの柄杓でキンキンに冷えた麦茶を汲み、
やはり備え付けの湯飲み茶わんで頂く。
…これが、美味かった。
何しろ無料だったんだから、感激も一入だ。
そして、日をまたいで3度目の「お祭り話」である。
「今日の一枚」、撮影は今朝。
津幡小学校の校庭に隣接した町の常設相撲場だ。
ここでは、毎年お祭りの時期に合わせアマチュア相撲の全国大会が行われる。
今年で41回目を数える「全国選抜社会人相撲選手権大会」。
なかなかの伝統を誇る戦いだ。
この大会について、津幡町のHPには以下の説明があった。
『安土桃山時代から続いた八朔大相撲を起源とするこの大会。
全国から選抜された強豪24チームが津幡町に集結し、
名誉ある内閣総理大臣杯をかけて技を競う!
ぜひ、男たちの熱い戦いをご覧ください。』 (※原文のまま)
更に「八朔大相撲」について調べてみると…
その歴史に関する「北國新聞」の記事を発見。
『全国選抜社会人相撲選手権の前身で、
約400年の歴史を誇ったとされる八朔大相撲。
1969(昭和44)年に幕を閉じてから40年が過ぎた。
八朔大相撲は天正年間(1573~1592年)から、
慶長年間(1596~1615年)にかけて始まったとされる。
旧暦8月1日に、現在の加賀爪にある弘願寺や、
清水の清水八幡神社の境内、
津幡小の校庭に土俵を移しながら開催されていた。
現存する羽咋市の唐戸山神事相撲と並び称される出世相撲として知られ、
北陸三県はもとより、東京から大相撲の力士や大学生も集まったという。
当時、土俵周辺には多数の露店が軒を並べ、
見物客でごった返したと伝えられる。
しかし、参加人数や相撲内容など細部を示す資料がなく、
町八朔大相撲協会が1970年に清水八幡神社へ奉納した
「八朔大相撲大関芳名」には
1906(明治39)年から1969年までの大関が記されているが、
それ以前の記録は見つかっていない。』 (※抜粋・要約して掲載)
…いかに相撲という競技が盛んで日本人の心に根ざしていたかが伺える。
「日本書紀」に記録された「当麻蹶速」と「野見宿祢」の戦いが起源とされ、
神事と結びつき、戦場の武術となり、江戸の力士は権力の象徴になり、
相撲は長い歴史を刻んできた。
八朔大相撲と現在の大会も、その時の流れの一つである。
ところで、今朝、土俵を見に行ったら
グラウンドの敷地内で露店が準備をしていた。
観客の需要を見込んでの出店だろう。
僕が子供だった頃、皆、冷たい麦茶で喉を潤し、
暑さをしのいで土俵へ歓声を送った。
青く大きな業務用ポリバケツにでっかい氷を入れ、
そこに満々と麦茶が湛えてある。
備え付けの柄杓でキンキンに冷えた麦茶を汲み、
やはり備え付けの湯飲み茶わんで頂く。
…これが、美味かった。
何しろ無料だったんだから、感激も一入だ。