拙ブログをご覧の皆さんは「馬賊(ばぞく)」をご存じだろうか?
海上で、船や沿岸で略奪行為をするのが「海賊」。
山中を根城にし、通行人などを襲うのが「山賊」。
「馬賊」は、かつて中国東北部(満州)に出没した「騎馬武装団」である。
その起こりは、中国最後の王朝「清」の末期。
時の政権が急速に衰えてゆき、国の治安は大いに乱れた。
秩序と安全を維持する警察行政が消えた満州は、一種の空白地帯となる。
そこで、住民たちは「自警団」を結成。
武器の扱いに長け、機動力に優れた馬を乗りこなすグループが外敵を退けた。
それらは次第に組織化し、離合集散を繰り返しながら勢力を拡大してゆく。
法に縛られない馬賊はアウトローだったが、ならず者ばかりではない。
強盗などの悪事を働く輩がいる一方、貨物や人員の輸送の護衛を請け負った。
中には、日本軍の謀略工作に加担したり、
逆に、対日レジスタンス活動を行うものもいたという。
--- 恐れられ、嫌われ、頼りにもされた“自由の民”。
「馬賊」を定義するならそうなるだろうか。
また、馬賊には日本人もいた。
俺も行くから 君も行け
狭い日本にゃ 住み飽いた
浪の彼方にゃ 支那がある
支那にゃ 四億の民が待つ
国を出た時ゃ 玉の肌
今じゃ 槍傷刀傷
これぞ誠の 男子じゃと
微笑む面に 針の髭
大正の流行歌『馬賊の歌』のように、大陸雄飛を夢見た男たちが海を渡った。
そして、少なくない数の女たちも荒波を越えた。
だが、彼女らが抱えた事情はロマンとは程遠かった 。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百十四弾「満州お菊」。
後に「満州お菊」の異名で呼ばれることになる「山本菊子」は、
いわゆる“からゆき(唐行き)さん”だった。
彼女は、明治17年(1884年)熊本県・天草で生まれる。
ここは、大きな平野がなく耕地の少ない生産力の低い土地。
貧困や人口過多などを解消するため、幕末から昭和初期にかけ、
累計20万とも30万ともされる貧農の娘たちを“輸出”した。
多くがアジア各地の娼館などで働いたという。
「菊子」もその1人。
7歳の時に売り飛ばされて、朝鮮へ。
最初は料理屋の女中となり、数年後、女郎屋へ転売された。
やがて「日露戦争」後、日本による満州開発の始まりを見て取った彼女は、
鞄1つを携えて北を目指すのだった。
鉄路を乗り継ぎ降り立ったのは「奉天(ほうてん/現 遼寧省瀋陽市付近)」。
ここでも春を売り、糧を得る。
相変わらず環境は苛酷ながら「菊子」は逞しかった。
前述した料理屋では、飲食・サービス業のノウハウを取得。
馴染み客を観察し様々なことを吸収した。
官僚からは、権力者の思考や振る舞いを。
軍人からは、軍隊の規律や行動様式の一端を。
朝鮮・中国・ロシア語にも通じるようになった。
こうして寝物語で身に着けた知識と身体を張って培った人脈が、
「菊子」の運命を大きく変えることになる。
ある日、一人の男が憲兵に逮捕された。
名前は「孫花亭(そん・かてい)」。
満州‐朝鮮国境周辺をテリトリーにする馬賊の頭目だ。
彼が率いる集団は“抗日的”とされ、斬首される直前、
「菊子」の執り成しのお陰で「孫」は一命を取り留めたという。
何故 救いの手を差し伸べたのか?
どうやって軍を説得したのか?
どんな思惑が絡んでいたのか?
詳細は不明ながら、彼女の胆力と行動力、影響力が働いた結果と推測する。
ともかくこれを機に、2人は惹かれ合う。
現場に復帰した「孫」の傍らには「菊子」が寄り添っていた。
言わば、馬賊の“姐さん”となった彼女は、
持ち前の美貌と聡明さで手下たちから慕われ、次第に存在感を増す。
聞き覚えた日本軍のルールとシステムを導入し、組織の強化に寄与。
更に、他グループとの縄張り争いを仲介するなど、勢力拡大にも貢献。
「孫」を支える女傑の噂は風に乗って伝播し、万人が知るところに。
「満州お菊」の誕生である。
以降しばらく、彼女は大馬賊団を率いて大陸の平原に蹄音を轟かせたのだ。
--- さて、少し時計の針を進めよう。
明治43年(1910年)日本による韓国併合。
ほゞ同時期、清朝が滅亡し、中華民国が勃興。
大正3年(1914年)第一次世界大戦勃発。
ロシア革命前夜。
歴史の大河が轟々と音を立てて流れ始めた頃、
「満州お菊」の姿は、アムール川(黒龍江)の畔の国境の町・ブラゴエシチェンスクにあった。
酒場「オーロラ宮殿」を仕切る女将が「菊子」。
店のオーナーは、馬賊稼業から足を洗った「孫花亭」。
国境を行き来する商売人や正体不明の男たちが集い、
情報収集の拠点になると目を付けた関東軍の庇護も受け、繁盛したという。
しかし、10年に満たず暖簾を下ろす。
「菊子」は病の床に就いた。
そして、大正12年(1923年)、辺りを白いアカシアの花が彩る春。
愛する男に看取られ死出の旅に出る。
ソビエトが産声を挙げた翌年、満州国樹立の9年前。
40に手が届くかどうかの幕引き。 波乱万丈の人生だった。
< 後 記 >
「お菊さん」に関する史料は乏しい。
ネットを探してみても納得のいくものには行き当らず、記載種の数も多くない。
拙文と異なる内容、異なる時系列も散見される。
彼女の実像は、幾つかの伝承を元に推し量るしかないのだ。
ただ、まったくのフィクションかと言えば、そうではない。
今投稿は、混迷の時代と混沌の大地に於ける“近現代史奇譚”。
--- とでも捉えてもらえれば幸いと考えている。
(※奇譚(きたん)/珍しい話。不思議な物語)