つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

バブルファンタジー。~ 八百屋お七。

2021年09月05日 05時55分55秒 | 手すさびにて候。
             
先回の同カテゴリーでは「四谷怪談」を例に挙げ、
江戸後期の「化政(かせい)文化」について投稿した。
それから遡る事およそ100年前、もう一つ花開いたムーブメントがある。
「元禄(げんろく)文化」だ。

元禄期(1688~1703年)は、開幕以降続いた内乱が落ち着き、徳川体制が固まった頃。
国内開発に力が注がれ、人口が急増、農業・漁業、商工業が発達。
後に「元禄バブル」と呼ばれる経済成長を背景に、富を得た豪農や豪商が現れ、
パトロンとなって文化振興に資金を投じた。

中心となったのは「上方(かみがた)」。
開発途上のお江戸に比べ“千年の都”京都や“天下の台所”大阪(当時:大坂)では、
先進的で自由な都市型町人文化が形成されてゆく。

華やかな装飾画・蒔絵・作陶などの工芸分野で、後世に残る傑作が生まれた。
木版印刷による浮世絵が生まれ、アートを楽しむ裾野が拡大。
ファッション分野では、友禅染が発明。
花鳥風月などを多彩に表現できるようになり、バリエーションが広がった。
節分・花見・月見・節句などの年中行事が浸透し、イベントが盛んに。
歌舞伎・(人形)浄瑠璃といったエンターテイメントも定着。
--- 何かと上り調子なのだ。

また、学問が奨励され、各地に藩学や寺子屋などができ就学率・識字率がアップし、
浮世草子(小説)が刊行されるようになった。
その第一人者が「井原西鶴(いはら・さいかく)」である。

源氏物語のパロディ「好色一代男」。
ミリオネア指南帳「日本永代蔵」。
武士の理想像を問う「武家義理物語」。
生々しいマネードラマ「世間胸算用」。
大ヒットを連発し元禄文化の寵児となった。

今回の題材は「井原作品」の1つ「好色五人女」。
当時著名な5組の恋愛・愛憎物語のオムニバス。
中でも、そのセンセーショナルな展開から、
浄瑠璃、歌舞伎などの出し物になった「八百屋お七」である。



大名屋敷や武家屋敷が建ち並ぶ本郷・森川宿。
裕福な八百屋の娘に生まれた「お七」は、年の頃16。
満開の桜、川面に映る月に例えられるほどの美少女だ。

天和2年(1682年)師走に出火し、3000人もの命を奪った大火で焼け出され、
家族とともに避難した菩提寺で“運命の出逢い”が待っていた。
同い年で上品な面ざしの寺小姓「小野川 吉三郎」と縁が生まれ、恋に堕ちる。
--- しかし、所詮は武家と町娘の身分違いの恋。
同じ寺にいながら人目があり逢うこともままならない。
年は明け、七草も過ぎ、松の内も終ろうとしても2人の仲は進展せず。
いやが上にも愛しさと焦りを募らせる「お七」だった。

ある日、急な葬式が出てお坊様たちが揃って出立。
夜半は強い雨になり、春雷が空を渡る荒れ模様。
忍び事には申し分ない条件が揃った。

『思いを遂げるのは今日しかない!』

そう決心して恋しい人の元へ。
寝床に滑り込んだ時、大きな稲妻が夜空を走り、雷鳴が轟く。
思わずすがりつく「お七」。
「吉三郎」はその身体を引き寄せた。

『手も足も、冷え切っているではないか』
『・・・・・・・吉三郎どの!』


2人は契りを交わし、永遠の愛を誓った。

夜が明け、全てを知った母親はびっくり仰天。
「お七」は引き立てられるように連れ戻され、厳しい監視下に置かれる。
激しい恋慕に身をよじるしかなかった。

--- 季節外れの雪が降る中、八百屋に物売りがやって来た。
かなりの積雪のため、帰るに帰れぬ男を泊めてやることになった晩、
親戚から初産の報せが届き、家族は皆慌てて出掛けて行ってしまった。
冷え込む土間で一夜を凌ぐ客を案じ、様子を見に行く「お七」。
笠の下から現れたのは「吉三郎」。
みすぼらしい身なりに変装し、悪天候をついて、わざわざ訪ねてきたのだ。

凍え震える男を支え部屋に上げ、再会の喜びを告げたのも束の間、父親が帰宅。
襖ひとつ隔てただけの逢瀬では、声を出すわけにはいかない。
灯の下で筆談を交わし、互いの気持ちを吐露し合ううち、
あっという間に夜が明け、離れ離れに。
そして「お七」の心に燃え上がった恋の炎は、狂気に導かれ飛び火する。

風の強いある日「お七」の家から火の気が立った。
幸いボヤで済んだが、おぼつかない娘を不審に思った家の者が
どうしたんだ?!と尋ねたところ、驚く答えが返ってきた。

『火事になれば、また「吉三郎」殿に逢えると思い、火を付けた』

放火は重罪。
天和3年(1683年)3月29日夕刻。
「お七」は品川・鈴が森の刑場で火あぶりの刑に処せられる。
死出のはなむけに遅咲きの桜の枝を手渡されると、
しばしそれを眺めて、辞世の句を詠んだ。

世の哀れ 春ふく風に名を残し 遅れ桜のけふ(今日)散りし身は

その死後間もなく流行ったインフルエンザは、
同時期に彼女を題材にした小唄がヒットしたことから"お七風邪"と呼ばれた。
さらに「お七」が丙午(ひのえうま)の生まれだったため、
“丙午の女はお転婆”との俗説が囁かれるようになったという。

衝撃的な事件は、作家の妄想を掻き立てる題材となり、
様々なバリエーションが生まれる。
上記「好色五人女」の「お七」の真偽も定かではない。
                 

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2 コメント

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りくすけさんへ (Zhen)
2021-09-06 22:43:05
こんばんは!

手すさびにて候シリーズ、次々と登場する傑作に驚嘆するばかり、素晴らしいです。
僕を知らない世界に引きずり込みます。

醒めて見れば、16歳にもなって、恋した男に会いたくて火をつけた、など、ちょっと足りないんじゃない?と呟きたくなる仕業も、そう思わせない熱情。いつの時代も恋は魔物なのでしょうか。

では、また。
返信する
Zhen様へ。 (りくすけ)
2021-09-07 06:30:05
コメントありがとうございます。

拙ブログを楽しんでもらえて、
かつ、新たな発見、思考のキッカケになったなら
嬉しい限りです。

さて「お七」。
裕福な商家の娘で世間を知らず、学に欠ける。
恋に突き進む直情型の性格。
などの点は窺えますが、脚色が大きいでしょう。
美少女、火付けの大罪、火炙りの末路。
エンタメ度が満点です。
好色五人女以外にも、お七は「キャラ」として
色んなお芝居に出ているようです。

では、また。
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