つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町では火蓋は切られている。

2013年04月12日 23時20分17秒 | 日記
公職選挙法改正案が、衆議院本会議で全会一致で可決。
参議院に送られ、月内にも成立する見通しだ。
インターネットを利用した選挙運動のスタートは、夏の参議院議員選挙から。
立候補者は、動画サイトに演説を投稿したり、
ブログやツイッター、FBなどで遊説日程を告知できるようになる。
有権者は、一票を投じる際の参考データを入手しやすくなるだろう。
時代に対応した流れだが、多少の混乱は生じるかもしれない。
…まぁ、何事も「新規導入」には、避けて通れない道だ。

さて「今日の一枚」である。
津幡町の菜園に不釣り合いなプラカードが掲げられていた。
これは、平成25年8月28日に、東京で行われる演説会の告知。
しかも、主宰は「自由民主党北海道参議院比例区第八十三支部」。
いったい何人が、出向くというのだろう?
奇特な人がいないとは限らないが、皆無に近いのではないだろうか?
…つまり、イメージ広告だ。

花冷えの4月。
既に、夏の熱い戦いの火蓋は切られているのである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡町で「強さ」について考えた。

2013年04月10日 22時26分37秒 | 日記
「今日の一枚」の撮影場所は、津幡小学校校舎前「ふれあい広場」。
樹木が生長し、幹の外側を覆っていたコンクリート塀を打ち崩してしまった。
人智を凌駕する自然は「強い」と言わねばならない。

「強い」という字を辞書で引くと…
『力や技がすぐれていて他に負けない。』
『健康である。心身が丈夫。』
『環境や条件に屈しない。物事に耐える力がある。』
…など、複数の意味を持っているが、その成り立ちは武器に由来する。
「強」は「弘」の「ム」の下に「虫」を加えたもの。
偏は文字通りの「弓」。
旁(つくり)の「ム」は、弓の握りに紐を巻きつけた事を指す。
そして「虫」は釣り糸などに用いられる丈夫な「天蚕糸(てぐす)」。
つまり、丈夫で耐久性に優れた弓をして「強」になった訳だ。

最近、その「強さ」を誇示して国際社会から疎んじられているのが「北朝鮮」だ。
正式名称「朝鮮民主主義人民共和国」。
実際には絶対君主制の「金王朝」。
いつ現代の火矢…“ミサイル”が飛んでくるかと思うと落ち着かない。
困ったものである。

また一昨日、かつて「強さ」を標榜した女傑が他界した。
「マーガレット・サッチャー」、享年87。
第二次大戦でGDPの250%にのぼる借金を抱え込み、
天井知らずのインフレに悩む大英帝国を強靱な意志で再生した“鉄の女”。
東西冷戦終息の立役者でもある。
一方で、弱者切り捨てや軍事介入策が非難を浴びているが、
昭和を彩る「強いリーダー」が鬼籍の人となったのは残念だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡町の小さな砂漠。

2013年04月08日 22時36分13秒 | これは昭和と言えるだろう。
「十年一昔」。

流行した物事も、10年経て振り返れば古く感じ、懐かしさすら覚えるようになる。
順調だったビジネスや世の仕組みも、10年経てば違うやり方が登場する。
人の顔つき、景観や建物なども、10年前と同じままではいられない。
冒頭の慣用句は、10年で「今」と「昔」を区切る事で、
『世の中の移り変わりの激しさ』を表した諺だ。

国内外の経済状況、IT普及、政治の混乱、天災などが相次ぎ、
あらゆる変化を余儀なくされた昨今の日本においては、どうだろうか?
一昔を感じるスピードは、早くなったように思う。

そんな時勢において「今日の一枚」は、珍しい例と言えるかもしれない。
津幡川に架かる「住ノ江橋」の袂の名もなき「砂場」。
ここは、確かに30数年前も砂場だった。

学校からの帰り道、ランドセルを背負った僕は、
この砂場で身をかがめ、一心不乱に「ハサミムシ」を探したものである。
ハサミムシは、細長い形状で体長2センチ前後。
名前のとおりお腹の先端に備えた「ハサミ」は、
食糧となる小さな昆虫を捕まえたり、外敵の威嚇や攻撃を担った。
しかし、クワガタムシやカミキリムシの顎とはレベルが違い、
人間にとっては、恐れるに足らず。
指を挟まれても痛くないし、傷も付かない。
容易に捕まえる事が出来た。

記憶の中の砂場はもう少し広い気がするが、
それは、今よりも体格が小さく目線も低かったからだろう。
…ともかく、僕にとってだけは、ここは愛すべき場所なのである。
「レノン=マッカートニー」の名曲のように。

『There are places I remember
 僕の人生の中で忘れられないところがある
 all my life, though some have changed.
 その中の幾つかはもう変わってしまったけれど
 Some forever, not for better.
 ずっと悪いままのところ
 And some have gone, and some remain.
 無くなったところ、昔のままのところもある

 All these places have their moments
 こうしたところは(僕にとって)全て意味がある
 with lovers and friends I still can't recall.
 記憶の彼方にいる恋人や友達とともに
 Some are dead and some are living.
 もう死んだ人もいれば、元気な人もいる
 In my life I love them all.
 僕の人生において、皆、愛すべき存在なんだ』

(原典:「In My Life」Lennon=McCartney/意訳:りくすけ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡町のサクラサク、平成25年。

2013年04月06日 23時28分21秒 | 草花
きのう、金沢では染井吉野の満開宣言が出た。
今朝、散歩中に見て回った津幡町内の桜も花の盛り。
「今日の一枚」…本津幡駅前の「一本桜」もご覧の通りである。

きのう、津幡町の小中学校で入学式が行われた。
昨朝、散歩中に真新しいランドセルを背負った子供とすれ違ったっけ。
新年度、春なのだなと改めて実感する。
そして、今朝の散歩中に見かけたこの看板もまた春の風物詩だ。

  

『ご卒業・ご入学・ご就職等のお祝いに…。』
「加賀藩たかくら」前のビルボードである。
過去にも何度か投稿してきたが、僕は「たかくら」の「千寿大福」が好きだ。
お目出度いお餅の紅白、紅が粒あん、白は漉しあん。
どちらも、美味い。
一口含めば、味の花が咲く。

…さて「一本桜」の移り変わりを。

4月1日。
  
4月4日。
  
4月6日。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡町に春芽吹いて、喉鳴らす。

2013年04月05日 00時03分19秒 | 草花
「今日の一枚」…きのうの朝の散歩中、あるお宅の玄関先で「こごみ」に出逢った。
山菜を見ると、桜と同等かそれ以上に強く春を意識してしまうのは、
やはり食生活と無縁ではないからだろう。

津幡町には、総面積1,150ヘクタール、
東京ドームの246倍もの森林を活かした全国屈指の規模を誇る
「石川県森林公園」がある。
自然豊かな環境なのだ。
当然、毎年この時期になると、野趣あふれる山の幸が出回る。
「こごみ」の他にも「蕨」、「薇」、「蕗」、「山うど」、「タラの芽」、「筍」など、
楽しみは尽きない。

どれも春の味覚だ。
どれも食べたい。
どれも旨い。
油揚げと一緒に「煮しめ」てみたり、花鰹を散らした「おひたし」にしてみたり、
細かく刻んで出汁を含ませ「炊き込みご飯」にしてみたり。
種類によって調理法は様々あろうが、個人的には「天ぷら」でとどめを刺したい。
衣と高温の油で野の風味を閉じ込めた「山菜の天ぷら」は、春の至高。
シーズン中は、毎日でもいただきたいものだ。

本日・平成25年4月5日は、二十四節季の一つ「清明(せいめい)」。
春風が吹き、暖かくなって、空気は清々しく爽やかに。
天地は明るく、清らかになる。
我が町の未来に清明あれ!
そう願う春のある日だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする