つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

続・津幡町から春爛漫の濃尾平野への旅。

2013年04月03日 22時46分09秒 | 旅行
先月末・3月30日、僕は金沢の桜開花宣言を聞くことなく、1泊2日の小旅行へ出かけた。
まずは愛知県・犬山市の国宝「犬山城」と城下町観光を満喫し、
次に向かったのは、岐阜県・岐阜市。
…目指すは、岐阜県下最大級の商店街「柳ヶ瀬」である。

2011年1月22日に投稿したとおり、
僕は「美川憲一」が歌う「柳ヶ瀬ブルース」が好きだった。
低いテナーサックスの調べと暗くドスの効いた歌声は、
一筋縄ではいかない大人の世界の悲哀を想像させてくれた。
柳ヶ瀬は、個人的に思い入れの強い場所の一つなのである。
…果たして昭和の面影が残るそこは、期待に違わぬ一面と共に、
「ゆるキャラ天国」としての顔も見せてくれた。

ちょうど、柳ケ瀬商店街の非公式キャラクター「やなな」の引退イベント真っ最中。
「やなな」は、柳ケ瀬にある人魚の像をモチーフとし、
頭にはアーケードをかぶったアーケードのマーメイド。
ゆるキャラの常識を覆す、段ボールのような頭部とフリーダムすぎる行動が話題を呼び、
毎週行われるイベントには、全国から数多くのファンが会いに来たんだとか…\(◎o◎)/!
2009年ゆるキャラランキングでは総合1位を獲得したらしい。
画面中央、赤いドレスに身を包み両手を広げているのが「やなな」である。
   
「やなな」引退を惜しんで駆け付けたゆるキャラ達のステージは黒山の人だかりだ!
\(゜ロ\)(/ロ゜)/。
   
ムムム。
人気者なのである。

…さて、ネオンに灯がともるまでは、まだ時間がある。
昭和の名作映画を500円で鑑賞できる「ロイヤル劇場」へと足を運んでみた。
そこで上映されていたのは…
       
故「二谷英明」主演「ずらり俺たちゃ用心棒」である。
@「柳ヶ瀬商店街」。
@岐阜市を流れる長良川に架かる「長良橋」周辺。
@昭和33年から、昭和59年まで営業していた「水道山プラネタリューム」など、
昭和30年代の岐阜でロケが行われたアクション活劇だ。

売店で買い求めたポップコーンを頬張りつつ、
『昭和20年の空襲で灰塵に帰してから10年余りで復興を遂げた、
 華やかなりし頃の柳ヶ瀬は、こんな感じだったのか』…と、しばしタイムトリップ。
スクリーンの昭和の面影が脳裏に刻まれたまま、
僕は柳ヶ瀬の露地でしたたかに酒に酔った。
店名すら覚えていないが、小さな居酒屋の暖簾をくぐり、杯を重ね、
初めて会う人達と話に花を咲かせる。
実に楽しいひと時だった。

そして、翌・3月31日、「岐阜市歴史博物館」へ足を運ぶ。
   
岐阜公園内に位置するそこは、原始時代から現代までの岐阜の歴史を紹介する施設。
特に「斉藤道三」や「織田信長」、岐阜ゆかりの武将が活躍した戦国時代の展示が充実。
信長時代の楽市場の一部を原寸大で復元した「楽市立体絵巻」は、
往時を体感・体験する臨場感があった。

次に訪れたのは、長良川沿いの「鵜飼ミュージアム」。
岐阜市を代表する伝統文化である“長良川の鵜飼”の価値を、
分かりやすく紹介・情報発信する場としてオフシーズンにもその魅力を発信している。
春イベントの一環として、鵜飼の技を閲覧できたのはラッキーだった。
   
鵜匠は世襲。
しかも男子に限られる。
明治以来、宮内庁 式部職の位が授与された国家公務員。
皇族の口に入る鮎を捕って献上するという栄誉を担っているのだ。
世の中には、特殊な生業があるのだと実感する。

運命。
 歴史。
  過去。
   現実。
    未来。
     空想。

思いを喚起させてくれる「旅」は、面白くてしょうがない。
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津幡町から、春爛漫の濃尾平野への旅。

2013年04月01日 22時12分55秒 | 旅行
おととい3月30日、僕は金沢の桜開花宣言を聞くことなく、1泊2日の小旅行へ出かけた。
春の陽気に包まれた津幡町を出発し、
金沢・森本インターから北陸自動車道に乗って、途中、北陸東海自動車道へ入る。
五箇山を過ぎ、岐阜県・白川郷に差し掛かる頃から、SA、PAの駐車場には残雪が。
朝早かった事もあり気温も低い。 山間はまだ冬の名残を留めていると実感した。
しかし、飛騨から美濃に至る頃には、すっかり暖かくなり春爛漫。
「冒頭の一枚」…最初の目的地、愛知県・犬山市の「犬山城」は、
満開の染井吉野を従えて、堂々とした美丈夫ぶりである。

日本国内において、建築当時の現存天守閣の数は12.
うち、姫路城、松本城、彦根城、犬山城の4つが国宝となっている。
天文6年(1537年)、織田信長の叔父・織田信康によって創建された犬山城は、
国盗り合戦の舞台となり、戦国の動乱期は持ち主が変遷した。
江戸期、尾張藩付家老の成瀬家が主となり幕末まで君臨したが、
明治維新後は愛知県所有に。
明治24年の濃尾地震で半壊した修復を条件に、再び成瀬家の手に戻り、
平成16年、財団法人に移管するまで、日本で唯一、個人所有の城だったのである。
そんな数々のドラマを孕む天守より長良川を望み感慨に耽った。
  
最上階に登り、外の廻縁(まわりえん)からは、
木曽川や岐阜市一望~小牧、名古屋まで見渡せる。

さて、城下町・犬山は「総構え」。
町の周囲を堀で囲んで外敵の侵入に備えた造りである。
お城から南に伸びる「本町通り」は、往時の面影を色濃く残したエリアである。
  
古い町屋やお屋敷。
町屋をそのまま改造したカフェやレストラン。
城下町の古いお寺や街角には巨木や古木が並ぶ。
昼食は、その一角の屋内飲食店街「昭和横丁」にて済ませた。
幅7m、奥行き80mの細長いスペースに飲食店が店舗がひしめくそこで、
味噌味の「どてカツ」と、ソース味の「串カツ」を選択。
何でも、犬山城下町では明治から「でんがく」がおもてなし料理だったそうで、
町おこしの一環として「串グルメ」を売りにしているらしい…。
尻馬に乗って、美味しくいただいた。

また、今週末・4月6日~7日には「第379回 犬山祭」が行われるという事で、
町中を曳き廻す車山の準備が進んでいた。
  
高さ8mの車山。
祭の見所の1つは、大きな車山が城下町の辻で豪快に方向転換する様だそうだ。
訪れるのが一週間遅ければ鑑賞できたのだが…残念。
ただ犬山祭を年中体感できる施設がある。
名称は「どんでん館(かん)」。
前述した車山のターンを「どんでん」と呼び、施設の愛称の元となった。

他にも幾つかの施設を巡った後、僕は岐阜県・岐阜市へハンドルを切った。
続きは次回…。
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