全国的に荒れ模様の6月半ば。
ここ津幡町も、雨が落ちている。
拙ブログをご覧の皆様がお住いの地域は、いかがでしょうか。
さて、本日は、津幡ふるさと歴史館「れきしる」にて始まった企画展、
「明治から平成まで~津幡のうつりかわり~」へ足を運んだ。
イベントタイトルのとおり、
町政施行間もない頃から現代までの足跡を辿る資料が、数多く展示されている。
時代順不同にて、ご紹介したい。
<明治22年 町村制施行による区分図>
カラーリングされている地図は、現在の津幡町全域。
当時は、北から・・・羽咋郡河合谷村、種谷村、笠野村、東映村、笠井村、
津幡町、井上村、中条村、倶利伽羅村、萩坂村、河北郡森本町浅谷。
11に細分している。
それぞれの地域で、産業・文化・人柄の違いがあった事は想像に難くない。
何度か繰り返されられた合併の際は、何かと大変だったのではないだろうか。
(※手の影が映り込んでいるのはご容赦下さい)
<日の丸の寄せ書き>
英田村青年学校生徒一同による、という以外は解説がなかったが、
おそらく出征や軍役へ送り出す激励かと思う。
「祈 武運長久」「忠勇」の文字が見える。
<昭和48年に行われた「青年祭」のポスター>
バザーメニューには、うどん、サンドイッチ、おにぎり、コーラ、ファンタ。
プログラムには、合唱、のど自慢、ライトミュージック、フォークダンス。
時代を感じるのである。
当時、僕は「青年祭」会場になった津幡小学校に通っていたが、目撃した記憶はない。
お兄さん、お姉さんのフェスだったのだろう。
<明治から大正時代のポスター>
浮世絵から発した木版多色摺りの「錦絵」が元。
江戸中期に完成され、明治以降は世相を伝える壁新聞、広告ポスターなどが作られたという。
呉服、履物、和菓子など、どれも津幡町に暖簾を構えた店ばかり。
展示は、各週入れ替えになるそうだ。
<きびあんころ包装紙>
津幡駅名物だった、庭田の「きびあんころ」。
今では、ホームでの立ち売りはなくなったが、商品自体は販売中。
近隣の道の駅やスーパーマーケットで買える。
きび粉を練り込んだ茶色のあんころ餅は、創業100年を超える味だ。
<津幡町航空写真>
ドローンを飛ばし、手軽に動画撮影ができる今とは隔世の感がある。
上から、昭和23年⇒昭和62年⇒平成25年。
宅地が増え、田畑が減ったのがよく分かる。
一枚目撮影当時の人口は、2万人未満。
現在は、3万7千人以上。
随分と増えたが、やがて減少に転じる見込みと聞く。
以上、掻い摘んで取り上げてみた。
他にも展示は多い。
興味があり、都合が許せば、お出掛けになってみてはいかがだろうか。
ここ津幡町も、雨が落ちている。
拙ブログをご覧の皆様がお住いの地域は、いかがでしょうか。
さて、本日は、津幡ふるさと歴史館「れきしる」にて始まった企画展、
「明治から平成まで~津幡のうつりかわり~」へ足を運んだ。
イベントタイトルのとおり、
町政施行間もない頃から現代までの足跡を辿る資料が、数多く展示されている。
時代順不同にて、ご紹介したい。
<明治22年 町村制施行による区分図>
カラーリングされている地図は、現在の津幡町全域。
当時は、北から・・・羽咋郡河合谷村、種谷村、笠野村、東映村、笠井村、
津幡町、井上村、中条村、倶利伽羅村、萩坂村、河北郡森本町浅谷。
11に細分している。
それぞれの地域で、産業・文化・人柄の違いがあった事は想像に難くない。
何度か繰り返されられた合併の際は、何かと大変だったのではないだろうか。
(※手の影が映り込んでいるのはご容赦下さい)
<日の丸の寄せ書き>
英田村青年学校生徒一同による、という以外は解説がなかったが、
おそらく出征や軍役へ送り出す激励かと思う。
「祈 武運長久」「忠勇」の文字が見える。
<昭和48年に行われた「青年祭」のポスター>
バザーメニューには、うどん、サンドイッチ、おにぎり、コーラ、ファンタ。
プログラムには、合唱、のど自慢、ライトミュージック、フォークダンス。
時代を感じるのである。
当時、僕は「青年祭」会場になった津幡小学校に通っていたが、目撃した記憶はない。
お兄さん、お姉さんのフェスだったのだろう。
<明治から大正時代のポスター>
浮世絵から発した木版多色摺りの「錦絵」が元。
江戸中期に完成され、明治以降は世相を伝える壁新聞、広告ポスターなどが作られたという。
呉服、履物、和菓子など、どれも津幡町に暖簾を構えた店ばかり。
展示は、各週入れ替えになるそうだ。
<きびあんころ包装紙>
津幡駅名物だった、庭田の「きびあんころ」。
今では、ホームでの立ち売りはなくなったが、商品自体は販売中。
近隣の道の駅やスーパーマーケットで買える。
きび粉を練り込んだ茶色のあんころ餅は、創業100年を超える味だ。
<津幡町航空写真>
ドローンを飛ばし、手軽に動画撮影ができる今とは隔世の感がある。
上から、昭和23年⇒昭和62年⇒平成25年。
宅地が増え、田畑が減ったのがよく分かる。
一枚目撮影当時の人口は、2万人未満。
現在は、3万7千人以上。
随分と増えたが、やがて減少に転じる見込みと聞く。
以上、掻い摘んで取り上げてみた。
他にも展示は多い。
興味があり、都合が許せば、お出掛けになってみてはいかがだろうか。