つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

れきしる企画展、明治~平成の津幡町。

2019年06月15日 18時37分40秒 | 日記
全国的に荒れ模様の6月半ば。
ここ津幡町も、雨が落ちている。
拙ブログをご覧の皆様がお住いの地域は、いかがでしょうか。

さて、本日は、津幡ふるさと歴史館「れきしる」にて始まった企画展、
「明治から平成まで~津幡のうつりかわり~」へ足を運んだ。

イベントタイトルのとおり、
町政施行間もない頃から現代までの足跡を辿る資料が、数多く展示されている。
時代順不同にて、ご紹介したい。

<明治22年 町村制施行による区分図>
カラーリングされている地図は、現在の津幡町全域。
当時は、北から・・・羽咋郡河合谷村、種谷村、笠野村、東映村、笠井村、
津幡町、井上村、中条村、倶利伽羅村、萩坂村、河北郡森本町浅谷。
11に細分している。
それぞれの地域で、産業・文化・人柄の違いがあった事は想像に難くない。
何度か繰り返されられた合併の際は、何かと大変だったのではないだろうか。
(※手の影が映り込んでいるのはご容赦下さい)

<日の丸の寄せ書き>
英田村青年学校生徒一同による、という以外は解説がなかったが、
おそらく出征や軍役へ送り出す激励かと思う。
「祈 武運長久」「忠勇」の文字が見える。

<昭和48年に行われた「青年祭」のポスター>
バザーメニューには、うどん、サンドイッチ、おにぎり、コーラ、ファンタ。
プログラムには、合唱、のど自慢、ライトミュージック、フォークダンス。
時代を感じるのである。
当時、僕は「青年祭」会場になった津幡小学校に通っていたが、目撃した記憶はない。
お兄さん、お姉さんのフェスだったのだろう。

<明治から大正時代のポスター>
浮世絵から発した木版多色摺りの「錦絵」が元。
江戸中期に完成され、明治以降は世相を伝える壁新聞、広告ポスターなどが作られたという。
呉服、履物、和菓子など、どれも津幡町に暖簾を構えた店ばかり。
展示は、各週入れ替えになるそうだ。

<きびあんころ包装紙>
津幡駅名物だった、庭田の「きびあんころ」。
今では、ホームでの立ち売りはなくなったが、商品自体は販売中。
近隣の道の駅やスーパーマーケットで買える。
きび粉を練り込んだ茶色のあんころ餅は、創業100年を超える味だ。

<津幡町航空写真>
ドローンを飛ばし、手軽に動画撮影ができる今とは隔世の感がある。
上から、昭和23年⇒昭和62年⇒平成25年。
宅地が増え、田畑が減ったのがよく分かる。
一枚目撮影当時の人口は、2万人未満。
現在は、3万7千人以上。
随分と増えたが、やがて減少に転じる見込みと聞く。

以上、掻い摘んで取り上げてみた。
他にも展示は多い。
興味があり、都合が許せば、お出掛けになってみてはいかがだろうか。
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津幡町の戦時遺構。

2019年06月09日 13時37分09秒 | 日記
以前、投稿したとおり、わが津幡町は幸いにも戦災に遭っていない。
よって、当時を偲ばせる痕跡を見つけることは困難。
敢えて挙げるなら「忠魂碑」だろう。
かつて「津幡小学校・旧校舎」があった大西山にも、それは建っている。

「忠魂碑」を辞書で引いてみたところ、
“戦死者を記念するために建てた碑。”・・・との記載。
その普及は、日露戦争以降。
在郷軍人会の主導により、小学校などの一角に建立した。

また「皇紀2600年」記念事業も大きなキッカケになった。
皇紀とは、明治政府が明治5年に設けた天皇制の年号。
「イエス・キリスト」生誕よりも古く、初代「神武天皇」の即位に始まる。
昭和15年(1940年)が、節目の2600年にあたるとされ、
各地で記念碑の建立、記念植樹などが行われた。
件の忠魂碑にも、石碑がある。


さて、碑文題号の揮毫(きごう)者は「一戸兵衛(いちのへ・ひょうえ)」氏。

西南戦争、日清戦争、日露戦争に従軍。
取り分け、対ロシア戦役の旅順攻略戦では、
第二次総攻撃において、敵の拠点を奪取し勇名を轟かせた。
最終軍歴は陸軍大将。
退役後は学習院院長、帝国在郷軍人会会長などを務めたという。

冒頭に記した様に、戦災に縁のない津幡町ながら、出征し命を落とした先達は多い。
芳名の数は、100を下らないだろう。

若い身空で散った方々の記録と共に高台から町を見下ろす「忠魂碑」は、
やはり、一種の戦時遺構である。

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入梅間もない、津幡町にて。

2019年06月08日 16時42分44秒 | 自然
きのう(2019年)6月7日、
気象庁は、北陸、東海、関東甲信、東北南部が梅雨入りしたとみられると発表した。
平年に比べ、北陸と東北南部は5日早く、東海と関東甲信は1日早い。
北陸の平年の梅雨明けは、7月24日頃。
暫くは、曇りや雨の日が多くなるだろう。

散歩に難儀することと、洗濯物が乾きにくいことを除けば、
僕は、存外、雨降りが嫌いではない。
勿論、多すぎるのは歓迎しないが、程よい雨は趣があると思う。

例えば、雨に濡れた松葉などは、緑が深まる。

池の鯉は、雨だれに向かって口を開け嬉しそうだ。

日本語は雨に関する語彙が豊富。
「五月雨」、「翠雨」、「霧雨」、「糸雨」、「小糠雨」など枚挙に暇がない。
それほど、日本の風土と縁が深い。
これからは室内で過ごす機会が増え、
読書や映画・音楽鑑賞、お絵描きなどに割く時間も増える。
梅雨は、雨音を聞きながら、思索・瞑想・物思いに耽るには、
いい季節ではないだろうか。

また、全ての生き物にとって、水は欠かせない。
雨は天からの恵みなのである。
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ワイルド・ウエストの光と影。

2019年06月03日 05時37分45秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、第百十一弾は「架空のメキシコ人女ガンマン」。

まずは、少々乱暴に、かつ簡潔に「アメリカ史」を振り返ってみたい。

新大陸が世界史に登場するのは、15世紀。
「クリストファー・コロンブス」の「発見」に始まる。
太西洋に面した東岸には、欧州列強が次々と上陸。 
激しい争いの末、イギリスが植民地支配の覇を握った。
やがて「ボストン茶会事件」をキッカケに、対英独立戦争が勃発。
「アメリカ合衆国」が建国された。

東から西へ、アメリカは領土を拡大。
その版図が太平洋に達した後の1848年、
カリフォルニアで金鉱が見つかり「ゴールドラッシュ」が勃発。
大陸横断鉄道が開通し、人の往来が急増した。

北部の工業資本社会と、南部の農業経済圏による「南北戦争」を経て、
フロンティア終結宣言が出されるまでの半世紀余りが、いわゆる“ワイルド・ウエスト”。
「西部開拓時代」である。

当時を舞台にしたエンターテイメント作品・・・「西部劇」は人気のジャンル。
21世紀の今も新作が後を絶たない。
その理由は“ワイルド・ウエスト”が、アメリカの「青春」だからかもしれない。

砂漠、ピューマや毒蛇といった過酷な自然。
未開発のインフラ、未整理の無法地帯。
異文明の先住民族、アウトローに野盗集団など、
様々な脅威が跳梁跋扈していた「西部」は、未開の地。
そこに出かけ、艱難辛苦を乗り越えながら、
道を切り拓いてきた若きアメリカの大冒険。
成功と失敗を繰り返しながら成長してきた日々は、
時を経て郷愁を誘うようになり、アメリカ版時代劇として定着したと考える。

もちろん「開拓」とは、白人の目線。
アメリカンネイティブやラティーノ、
アフリカやカリブから連行された奴隷達にとっては「暗黒時代」である。
だからなのか、僕は、有色人種を主役にした西部劇をあまり知らない。

浅黒い肌の美しくカッコいい女ガンマンが、
東からやって来た白い侵略者をやっつける痛快ガンアクション。
・・・いつか、そんなエンターテイメントを観てみたいものだ。
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百万石競艇?!

2019年06月02日 17時30分26秒 | 賭けたり競ったり
俗に「加賀百万石」と言う。

米の収穫量を表す「一石」は、およそ150kg。
「百万石」なら、150万kgだ。
一石を貨幣に換算して「一両」、一両を「10万円」に定めれば、
「百万石」は、1兆5000万円。
時代によって価値・相場は変動するが、
現在の石川県~富山県に跨がる加賀藩が、地方大名としては豊かだったと分かる。

そんな加賀の藩祖「前田利家」が、金沢に入場した故事にあやかり、
毎年「金沢百万石まつり」が開催されている。
5月31日~6月2日の3日間におけるメイン行事は、中日の「百万石行列」。

加藤「利家」藤本「お松」夫唱婦随 加賀とび技の極致

僕は金沢市民ではないため、馴染みは薄い。
また、仕事が入るのが通例で、行列もお祭りも満足に見た試しがない。
今年も同様だったが、務めを終えてから、ある展示目当てに市街地中心部へ足を運んだ。

旧・石川県庁の建物を活用した「しいのき迎賓館」の前庭に設置された、
「ボートレース特設ブース」である。

僕の現地到着は、閉場間近の午後8時過ぎながら、
親子連れ、カップル、友人同士ら、大勢の人が訪れていた。

金沢の伝統工芸・金箔にちなんだ「ゴールデンボート」。
皆さん、操縦席に乗り込み記念撮影に興じていた。

競艇のゆるキャラ「クマホン」を標的にした射程遊び。

競艇イメージキャラクター「田中圭」さんと「前田利家」の顔ハメパネル。

ブースに翻る幟には、加賀藩の「梅鉢紋」とボートレースロゴ。

うむ、うむ。
艇界振興の一助を担う取り組み、善き哉。(笑)
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