つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡短信vol.98 ~ 令和四年 如月リバーサイド。

2022年02月12日 22時00分00秒 | 津幡短信。
                    
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は一本勝負。

【如月リバーサイド。】

昨日(2022/02/11)に続き、午前を中心に晴天に恵まれた津幡町。
気温が上がるのを待って散歩に出かけた。
目指すは津幡川。



川沿いに舗装道路が整備されて以降、何度も足を運ぶようになった。
吹き抜ける川風を感じ、土手で揺れる草花を愛で、川面の輝きを眺め、
上空を流れる雲に思いを馳せる。
そんなひと時が定番になって久しい。



薄く刷毛(はけ)で掃いたような「巻雲(けんうん)」は、
地表から1万メートル付近に現れる高層雲だ。
ここしばらく見慣れた空 --- 低く垂れこめる雲に覆われたそれとは打って変わり、
実に明るく朗らかな印象。
季節の移ろいを実感する。



集団で土手に陣取り並ぶ鴨たちは、僕が近づくにつれて次々離脱。
派手な羽音・水音を立てて川面に着水してゆく。
日光浴の邪魔をして悪かったね。
年中姿を見かける彼らは、留鳥(とどめどり)の「カルガモ」が主か。
北方から海を越えてきた渡り鳥もいるかもしれないが、
接近を許してくれず、じっくり観察できず判然としない。



川から用水へ若干の水流を認める。
田んぼへ水を引くには、ちと早い。
「水門制御盤」の計器の針を見ると、僅か2センチ程度の開門。
水量の調整をしているのか、試運転でも兼ねているのかもしれない。
そんな事を考えながら、サラサラと微かに聞こえる音を楽しんだ。



春の兆しを思わせる穏やかな陽気ながら、日陰に入ると冷気が居座っている。
コンクリートの隙間に溜まった水に張る薄氷を撮影しようとカメラを向けると、
そこに射す一筋の光。
絵になる偶然に出会い、何だか嬉しくなってしまった。

<津幡短信 vol.98>
              
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湧水は大地の遣い。

2022年02月11日 23時53分53秒 | 自然
                  
2022年になって初めてかもしれない。
洗濯物を屋外に干したのは。
日中、晴れ間が広がったおかげで無事に乾き、愛犬と散歩にも出かけた。



ご覧のとおり街中には残雪。
本日(2022/02/11)の津幡町は、最低気温-1℃、最高気温は8℃。
まだ春到来には少々早いが、僅か数日前を思えば随分マシになったと感じる。
--- 今日は、真冬にも凍らない水源を訪ねてみた。



津幡町津幡地区の清水(しみず)区にある湧き水「しょうず(清水)」は、
 冷たくて清らかな水質と四季を通じて変わらない水量で、知る人ぞ知る名水です。
 地名の清水は、この「しょうず」が由来となっています。

(※『  』内、津幡町観光ガイドより抜粋/引用)

「しょうず」は、清冽な湧水(ゆうすい)だ。
流れる水に手を預けてみると、ほんのり温かく感じる。



地表付近の土壌の温度は、昼と夜で大きく変るように、夏と冬でも随分違う。
しかし、地中深くなるにつれて一日の変化も、季節変化も小さくなる。
年間の温度変化がなくなるとされる地下10mでは、
その土地の年間平均気温と同じか、1~2℃高いらしい。
津幡町の年間平均気温は、13.7℃。
なるほど温かいはずだ。



近隣に「しょうず」ファンが多く、朝早くから水汲みに来る人が後を絶ちません

--- 確かに、順番をついている。
更に以下の記述も。

1789(寛政元)年以来、この湧き水で清水村の人たちはのどを潤し、
 また、酒造りの仕込み水として利用されてきました。
 特に、寒さが厳しい冬の朝、威勢のよい蔵人(くらびと)が素足で片肌を脱ぎ、
 17〜18人で隊を組んで精を出す姿は、懐かしい思い出として語り伝えられています。
 <中略>
 「長生舞(ちょうせいまい)」で有名な久世(くぜ)酒造は、
 現在もこの湧き水を酒造りに利用しています。

(※『  』内、津幡町観光ガイドより抜粋/引用)



津幡四町の中心「四ツ角交差点」に暖簾を構える「久世酒造」。
創業は今から230年以上前、天明6年(1786年)。
日本では「田沼意次(たぬま・おきつぐ)が老中から失脚し、寛政の改革が始まった頃。
海外ならフランス革命やアメリカ独立当時である。
上記「長生舞」とは、同蔵のメインブランド。



自社の地下水、ミネラル分豊富な「硬水」。
「清水(しょうず)」の「軟水」。
性格の違う2つの水を使い分け、酒を仕込んでいる。
--- ちなみに、今こうしてキーボードを叩きながら僕が飲んでいるのは、
「長生舞清水仕込み」という。
やさしく、口当たりのいい銘酒なのだ。
                 
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雪の下から、土の下から。~ れきしる企画展。

2022年02月06日 16時16分16秒 | 日記
                  
北陸・津幡町は雪景色。

立春(2022/02/04)夜半から断続的に降り続き、
平地でも、ある程度まとまった量になった。
気温も低い。
県内全ての観測地点で氷点下を記録した。





金沢地方気象台発表の24時間で予想される降雪量は---
いずれも多い所で、加賀の平地で40cm、山地で60cm。
能登では平地で30cm、山地で40cm。
ただ、この寒波の息は短いとの予報。
油断禁物ながら、やや安心もしている。



上掲画像は、雪に耐える松。
雪の下で寒さに震えながら、春を待ち望んでいる。



一方こちらは、土の下から届いた時空を超えたメッセージ。
津幡町ふるさと歴史館 れきしる」にて、今月1日から企画展が始まった。
県内4市2町の遺物を集めた巡回展、
「石川中央都市圏考古資料展 古墳時代編」である。
きのうお邪魔してきた。

津幡町からの出展の一つは「北中条(きたちゅうじょう)遺跡」から出土したもの。



土地勘のある方にしかピンとこないだろうが、
上掲画像、薄い緑色エリアが現在の「アル・プラザ津幡」。
北中条遺跡は、そのショッピングセンターと、町の文化館「シグナス」周辺。
つまり、多くの町民が頻繁に行き来する中心部である。
その遺構は、縄文~弥生~古墳時代まで、
ざっと数千年間にまたがる事を考えれば、住みやすい環境だったのは想像に難くない。





半島由来の須恵器(すえき/国産陶質土器)の一種、
「坏身(つきみ)」と「坏蓋(つきぶた)」。
皿よりもやや深く、主に普段使いの食器として用いられた。
身と蓋はセットと考えられるが、蓋の目的は保温、虫よけなどだろうか。



上掲画像中央、海鼠(なまこ)のような形状は「子持勾玉(まがたま)」。
大型の勾玉に小型の勾玉を付着させたそれは、
ヒスイ製のアクセサリーではなく、石を加工したもの。
占いや呪術儀式などに使われたらしい。

その右隣、半円形の遺物は、粒のような丸い文様をあしらった「珠文鏡(しゅもんきょう)」。
人為的に割った「破鏡(はきょう)」なのは、どんな意味があるのだろう?
古代において、光を反射し世界を映す鏡は、霊力を備えた権威の象徴とも聞く。
それがものの見事に真っ二つ ---。
何故だ?!
想像が広がるのである。



今投稿で取り上げたのは、ごく一部。
他にも「能瀬石山(のせいしやま)古墳」から出土した鉄刀もある。
また、白山市・野々市市・金沢市・かほく市・内灘町の遺物が並ぶ。
時間と都合が許せば「れきしる」へ足を運んでみてはいかがだろうか。
「石川中央都市圏考古資料展 古墳時代編」は、
2022年3月20日(日)まで開催している。

古墳時代は、稲作が定着し、暮らしの単位が小さな集落から大きな社会へと移行。
貧富の差、身分の差が生まれた。
上位者の象徴が大きな「墳墓」---「古墳」。
展示物を通して、「国」が形作られ始めた当時に思いを馳せれば、
しばし豪華なタイムトリップが楽しめる。
                     
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鬼はそこにいる。

2022年02月05日 04時44分44秒 | 手すさびにて候。
                   
きのう(2022/02/04)は、二十四節気の「立春」。
その前日は「節分」--- 文字通り「季節を分ける」タイミングだった。

季節の分かれ目に忍び込む邪気を祓う行事が「豆まき」。
「鬼は~外っ!」
掛け声と共に、縁起が良いとされる炒り大豆で架空の鬼を追い出すわけだが、
鬼退治と聞いて記憶に新しいのは『鬼滅の刃』だ。
「鬼殺隊」の面々が戦う「鬼」は、邪気や厄の象徴。
天災、疫病、飢饉。
昔、人智を越えた恐ろしい出来事は鬼の仕業と考えられた。

思い描くイメージも凶暴そのもの。
二本、または一本の角を生やした筋骨隆々の巨漢。
凶器を手にした立ち姿は、典型的なヒール(悪者)である。
だが一方、ベビーフェイス(善玉)へ転化した鬼も珍しくない。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百九十三弾「鬼子母神(きしもじん)」。



子授け・安産・子育ての神として知られる「鬼子母神」。
彼女は元々古代インドの魔族の一員だった。
当時の名前は「可梨帝母(ハーリーティ)」。
夜叉大将の元へ嫁ぎ、百人とも、千人とも、万人ともいわれる子を成した。
いわゆるビッグ・マザーである。

さぞ慈愛に溢れているかと思いきや、残虐な一面も有していた。
度々人界に現れ幼児をさらい、子に与え、自らも食したという。
人々は「ハーリーティ」を恐れ、憎み、神々に救いを求めた。

その訴えを聞き届けたのが「仏陀」である。
一計を案じ、彼女が最も可愛がっていた末子を隠した。
半狂乱になり、世界中を7日間探し回るも発見には至らず。
嘆き悲しむ母に対し、仏陀はこう諭した。

「千人のうちの一子を失うもかくの如し
 いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」

犯した過ちを悟り反省した「ハーリーティ」は仏教に帰依。
悪鬼から神に転じた。
--- 冒頭では“鬼=ヒール”と書いたが、
「鬼子母神」に代表されるように、その立場は様々。
また、案外身近であることは言葉からも明らかだ。

例えば「次元の高さ」や「熱中度」を指す場合。
 →鬼レベル、鬼美味い、鬼のように寝る・食べる。
あるいは「激しさ」や「強さ」を表す場合。
 →鬼教官、鬼嫁、仕事の鬼。
といった具合に、僕たちは会話の中で鬼を口にする。

更に、鬼瓦やナマハゲに至っては「魔除け」。
そして前述の『鬼滅の刃』や『桃太郎』『一寸法師』『酒呑童子』など、
鬼キャラが登場する神話・伝説・民話・創作は枚挙に暇がない。
恐怖の具現であり、畏敬の対象。
善悪の何たるかを知らしめる不思議な存在。
ある意味、日本人は鬼に親しみを抱く民族と言えるのではないだろうか。

--- いや、親しみどころでは済まない。
もっと“鬼近い”間柄かもしれない。
そもそも人は心に鬼を飼っているではないか。

僕も、あなたも。
                 
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