15歳で甲状腺がんの摘出手術を受けたリュドミラさん。首には今も傷跡が残る=ミンスク市内
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111119/dst11111908320003-n1.htm
(上)甲状腺がんの不安
女性の首から胸のあたりには、ネックレスのようなU字型の傷跡が残り、のどには筋肉を切除したくぼみがあった。
「今はなるべく気にしないようにしている。そうすれば他人も気にしなくなるだろうから」。そう話すリュドミラ・ウクラインカ(35)は、旧ソ連・ベラルーシの首都にあるミンスク教育大で心理学を指導している。
リュドミラは、1986年にベラルーシの隣国・ウクライナ(旧ソ連)のチェルノブイリ原発で事故が起きた際、原発から北約300キロにあるモギリョフ市の祖母の家で過ごしていた。しかし、原発事故を知ったのは1年以上たってから。その間、森で採ったキノコや野いちごを食べた。周囲では放射能汚染の影響を心配しロシア側に避難した人もいたが、一家はつてがなく移住できなかった。
事故から5年後の15歳のとき、健康診断でがんが疑われ、精密検査で甲状腺がんと診断。ミンスクの病院で摘出手術を受けた。胸やのどの傷は手術の際のもので、傷を隠すためにえりの長い服を着るなど精神的に苦しんだ。
現在も毎日ホルモン剤を飲む生活が続くが健康状態は良好だ。ただ、6歳の長女、アンナが体調を崩すたび「放射能の影響ではないか」と不安になる。「あのときロシアに知り合いがいたら…」と声を落とした。
甲状腺の定期検査をしているブレスト州立内分泌(ないぶんぴつ)診療所所長、アルトゥール・グリゴロビチ(44)は「1グレイ(グレイ=吸収放射線量)以上の放射線を受けた人には遅かれ早かれ影響は出る。影響は100年は続くだろう」と断言した。
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91年に独立したベラルーシは人口約970万人で面積は日本の半分程度。チェルノブイリは国境に近い。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111119/dst11111908320003-n2.htm
事故は86年4月26日に起きたが、旧ソ連はすぐに公表せず、海外からの指摘で発覚した。事故後1週間で原発から半径30キロの住民は強制移住させられたが、それ以外の地域では長期間事故を知らずに過ごした住民もいた。4年後からベラルーシやウクライナでは子供の甲状腺がんが多発。事故で広範囲に放出された放射性ヨウ素が原因とされる。
ヨウ素は、新陳代謝に必要な甲状腺ホルモンの合成に欠かせない必須元素で、特に成長途上の子供の甲状腺にたまりやすい。だが、体は放射性か、そうでないか区別できない。原子力事故の際には放射性ヨウ素を取り込む前にヨウ素を満たすためにヨウ素剤の服用が予防になるとされる。ポーランドではこの薬品が配布されたが、ベラルーシでは配布されなかったという。
ヨウ素は海藻に多く含まれるため、内陸のベラルーシでは慢性的にヨウ素が欠乏し、取り込みやすい状況があったとの指摘もあるが、結果的にベラルーシでの0~18歳の小児甲状腺がんの患者は事故後14年間で882人。事故前11年間の患者が7人だったことと比べると劇的に増加した。一方、ベラルーシの西隣のポーランドではほとんど出ていない。
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東京・霞ケ関の文部科学省で10月に開かれた福島第1原子力発電所事故の勉強会。ホルモンの働きを診る内分泌外科医として医療に携わり、現在は長野県松本市長を務める菅谷昭(67)は意見を求められ、チェルノブイリ原発事故の教訓を生かすべきだと訴えた。 菅谷は事故から5年後、日本の医療団の一員に加わり、ベラルーシを訪れ、原発事故による甲状腺がん患者の治療に携わった。
その経験をもとに菅谷はいう。「チェルノブイリの低濃度放射能汚染地帯で何が起きているのか。福島のこれからのために知るべきことだ」
(敬称略)
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旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原発事故から25年。9月に隣国のベラルーシを訪問した日本医科大の清水一雄教授を団長とする健康被害調査医師団に同行し、事故の影響が続く現地を取材した。ベラルーシの経験から福島第1原発事故を考える。
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