これまで歩んできた自身の人生の中の様々な経験であり記憶から
私は生まれ変わり、過去世というものを信じています。
20代前半、初めての海外旅行で訪れたヨーロッパのある街を観光中、
美しいフォルムのガスランプであり、
マイスターが作った歴史を感じさせる それぞれのお店に掲げられた
力強くも美しく繊細な曲線のアイアンの看板に 強く魅せられ魂が揺さぶられ
その場から立ち去り難い不思議な心境になりました。
指導霊が平安時代の書家ということはだいぶ前に聴かされていたのですが
それから更に10年以上経ったある時、ふいにもう一人の指導霊は
主に看板を描いていたイタリア人の画家と聴かされた時、
20代、初めて訪れたヨーロッパのある街で体験したあの時の思いが
ふわっと蘇ると同時にイタリアに惹かれてやまない理由が明確になった気がしました。
ガラスにも強く惹かれるので いつの日かヴェネツィアを訪れた時に
様々な記憶の片鱗が繋がると感じています。
楽しみはあとにとっておきたいと思います。
昔から「マイスター」という音霊の響きが心地よく、この言葉に懐かしさを覚え、
日本語でいう「職人気質」という言葉がとても好きなわたし。
今、こうしてインスピレーションで書であり画を描いているのも
指導霊たちに見守られ、導かれているお陰であり、
また、幾つもの過去世を体験する中で培ってきた
魂の記憶のお陰であると感じ有難く思います。
うしろがとても気になる、螺旋階段がちょっぴり怖い。
ビロードを彷彿とさせる真紅の薔薇を見るともの悲しさを覚える。
なぜなら はるか遠い日の記憶が鮮明に蘇るから・・・・・
威圧的に立ちはだかる城壁にビッシリ伝う真紅の薔薇は
「ここから先へは行けぬ」と
一筋の光を目指す私を説き伏せるようだった。
タンタンタンタンタン・・・・看守の目をくぐり抜け、
気ぜわしくドレスをたくし上げ何度もうしろを振り返りながら
螺旋階段をかけ降りる・・・
胸の鼓動の激しさに 緊張感は増すばかり
「あぁ、成功した・・・」安堵感に包まれ、
忘れかけていた空の青さを抱(いだ)き、
太陽の眩しさを懐かしみ
澄み渡る空気を堪能し、柔らかな風を愛でる。
何度仰ぎ見た光景だろう・・・・・
城壁にびっしり這う真紅の薔薇は
人を寄せ付けぬ硬い棘で覆われていた。
それを目の当たりにし様々を思う。
次の瞬間ふわりと地面から身体が浮いた
「?」
私の両隣にはアイアンの鎧を纏った屈強な男たち。
彼等は私の両腕を難なく持ち上げていた。
わたしは塔に戻された。
塔の丸窓から眺める
のどかに広がる葡萄畑は心の安らぎだった。
数百年前 ヨーロッパのある地域。
幽閉されたある過去世の記憶。
殺されはしなかったものの
何をするにも許可が必要だった。
それは窮屈な生活だった。
この過去世での経験は今生の人生に
少なからず影響を及ぼしていると
時折感じることがある。
「許可がいる」という不便さ。
ほんとうは自由である筈の心を支配されるという
切なさと怒り。
時を経ても尚、
魂は自由が欲しいと泣き叫んでいた。
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今秋、運命の波が動き思いがけず自由を取り戻した。
こんなことってあるんだ・・・・静かに悦びに浸った。
神様からの、おおいなる存在からの大きなプレゼント。
こんな展開、想像すらしていなかった。
わたしが わたしを取り戻し
わたしが わたしを生きるための
新たな章(チャプター)の始まり。
無駄にはしまい。
窮屈な日々から解き放たれ、
自由を慈しみ 自由を堪能し、
過去から続く大きな課題をきっと越えてみせる。
悲しみを知る者だからこそ、添えること、
苦しみを味わった者だからこそ、共感できること
笑顔に励まされた者だからこそ、
贈ることのできるエール
言霊の尊さと重みを味わいつくした者だからこそ
届けることの出来る真心。
途中で終わりにしなかったわたし
偉かったね。
わたしが わたしを活かすために
誰かに 動物にできること
これからも淡々と続けてゆこう。
全てに感謝。
牛蒡などの食材も然り土の匂いを感じられるものが好きです。
同じように瑞々しい葉の香りもまた好きです。
それは多分 子供時代に大地を駆け巡り、
土や葉と親しんでいたからなのかもしれません。
子供時代に五感をフルに使って経験したことというのは
どんなに時を経ても尚色あせる事なく想像力の源となって
何か大事なことを決める時などに それらの経験値が
一役も二役もかってくれることになるような気がします。
見、聞きした様々な情報も、大人になるにつれて
ふるいにかけられるようになってくると、
一見とてもよさそうに思える話しも
大半の人が支持するような内容であっても、
「あれ?何かがしっくりこない、そぐわない」と
自分にしか分からない微妙な違和感を
キャッチできるような気がします。
ある物を購入することを決めかけていた時
【(身体に)溜まる】という言葉を何度も感じさせられ
購入するのを見送った経験があります。
今もその判断は正しかったと思っています。
私は味覚に関しても割と敏感な方なのですが、
食材を口にした時独特のえぐみの様なものを感じると、
その食材をより咀嚼し、唾液を沢山出し、
唾液の素晴らしい力をかりることにしています。
広義の意味において 敢えて枠や型(形)や
大勢でワーッと何かをするということから
外れよう、としている訳ではないのですが、
そしていつの頃からなのか定かではないのですが、
私は【そうだと決められたこと】が
あまり好きではないように思います。
また、生意気な言い方かもしれませんが、
【美】に関しても【字】に関してもetc・・・
大半の人が美しいと賞賛しているものに対して
穿った見方をしているからなどではなくて
私はそのように感じさせられない、心動かない
ということもあれば、文字に関しても、
○○教室に通い訓練された 技術面において
非の打ちどころがない所謂達筆とされる文字以外にも
流れるようなたおやかで品のある文字や
心音の美しさが溢れている文字を拝見した時
なんて素晴らしい心ある字なのかしらと感動し
惚れ惚れさせられることも多々あります。
今から書くことは立証できる事ではありませんので、
夢物語的にサラッとお目通し頂けましたらと思います
私は様々な理由から転生を信じています。
それは私自身の魂の記憶とでも言いましょうか・・・・
中学生の修学旅行で京都を訪れ仏像を前にした時、
言い知れぬ懐かしさのようなものを感じました。
それまで そのようなことはなかったのですが、
中学生が自分に選ぶお土産としてはとても渋い(笑)
白黒写真の仏像の葉書セットを購入しました。
以来、暫くの間 筆に墨をつけ一筆書きで
無心になって仏様のような絵を描いたり、
誰に勧められた訳でもなく、般若心経を書いたり
弥勒菩薩の美しさに見とれたりしていました。
20代前半、初めての海外旅行で訪れた
オーストリア、ドイツでは、方向音痴で慎重な私が、
僅かな時間といえども海外で1人で行動するなんて
全くもって想像すら出来ないことなのですが、
何故かその時は「あ、私この路地知っている」という
不思議な自信があったので自由行動の時、
友達と別れ1人ガイドブックも持たず
「私この先のお店でお茶してるね」と言い残し
本当にあるのか無いのかも定かではないお店に、
不思議な安心感に導かれながら向かっていました。
やはりお店はありました。私は窓辺の席から
懐かしさを感じ外を眺めコーヒーを頂きました。
ドイツではそのお店を象徴するような緻密で美しい
色々なデザインが施された看板が軒先に掲げられ
私はそれらの看板にただただ感動してしまい、
暫くその場から動けなくなってしまいました。
それからだいぶ月日が流れ、その間
科学的には説明のつかない、説明しようのない
不思議な体験を時々することはありましたが、
それらを深く掘り下げる事もなく、
ごく普通に暮らしていました。
前後してしまいましたが海外旅行に行くよりも前に
ご縁あって霊能者と言われる方に出会いました。
スピリチュアルという言葉が世の中に広まる以前のこと、
女性が好きな○○占いのような軽い気持ちと感覚で
当時、好きだった人に関して色々お聞きしたい、
失礼ながらその時の私の正直な気持ちでした。
私自身時々説明のつかない不思議な体験をしていても
そういう本を読んではいても、
(振り返ると全くもって失礼な話なのですが)
霊的なことが分かったり 見えたりする人なんて
本当にいるのかしら?と半信半疑な私がいました。
なのでお手並み拝見という訳ではないのですが、
お目にかかった際、相談内容の詳細は一切明かさず
「恋愛のことで」とだけお伝えしました。
すると・・・・私だけしか知りようのないことや
誰にも話していない気持ちや、相手に関することや
亡き祖母の云々カンヌンなど、びっくりするほど
~続きます~
昨 晩、
女優の浅丘ルリ子さんに密着した番組をみていました。
(ごめんなさい) 浅丘さんのファンだからという事ではなく
何となく「見たい」と思った気持ちのまま見ていました。
1時間半の映像を見て 私なりに思ったのは、
浅丘さんは、可憐で華奢な外見とはまた別の、
凛とした佇まいの、男前で、きっぷがいい女性、
という印象を受けました。
そう言えば、私が好きな同性のタイプや
長年親しくさせて頂いている方々も
いつでも何処でも「女性 性」をバーン、と
露わにする方々というのではなく、むしろ
頼りになる姐ご肌タイプの方で、ご自身の中にある
知性や、慎ましやかさや奥ゆかしさなどを
表に出す事を恥とお考えのようで
常に目立たない様に行動され、ご自身の存在を
控えの身として隠すようにしながらも、実は
その豊かで美しい本当の意味での女性性や本質は
ご本人は隠しているおつもりでも隠しきれない程
人を惹きつける魅力として滲み、溢れ出ています。
浅丘さんに対し、
演出家の蜷川氏が寄せたコメントの中に
「姐 なんだよね」と仰った言葉が強く残りました。
面倒見がよく、さっぱりしていて、それでいて
女性としての さりげない周りの役者さんや
スタッフさん達への気配り、そして
流石、と思う程のプロ意識をほんの少し見せて頂き
浅丘さんの潔さなどに一夜にして魅了されました。
浅丘さんのご自宅も映されたのですが、
硝子が大好きとの事で 大きな硝子ケースの中には
20年かけて50個以上集められたという
硝子の美しいお魚達がケースの中で泳いでいました。
他にも こまごまとした、
かわいらしい置物が沢山ありました。
繊細なガラスたちは 浅丘さんご自身のようであり
浅丘さんの本質を表している様に私には見えました。
そして、私は ふいに思い出しました。
繊細で壊れやすく美しい透明感に満ちたガラスを
自身も好きである事を。
子供の頃、ラムネが入った あのレトロ感たっぷりの
緑色がかったガラス瓶と、その中に入っていた
キラキラ光る丸いガラス玉を
とても美しいな、と思っていました。
そして、まだ訪れた事のない憧れの地 イタリアの
ヴェネツィアをいつか必ず訪れよう、という気持ちが
湧きあがりました。
(マスカレードにも何故か無性に惹かれる私です。
イタリアには私のルーツを紐解く何か大切なものが
色々ありそうな予感がしています♪ )
皆さんの 好きな国は何処ですか?
自分の好きなものを時々思い出したり
考えているだけでも とても気持ちが落ち着いて
安らいで 豊かになりますよ。