イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

明日への希望をつなぐ 幸福の鳥

2010年12月28日 13時03分16秒 | Art (サインペン)

P1011779

今年は

【人は 人と相対する事によって初めて磨かれる】 

【過ぎたるは及ばざるが如し】

という事を身を持って知った有り難い一年でした。

自分の心地良い事や、そうでない事を知るのには

やはり、自分と感性の似ている人ばかりの中では

残念ながら 知ることが出来ないからです。

そう思うと、出逢う方全てが【気付きや成長】の

きっかけを作って下さる 貴重な存在です。

OL時代には、

同世代、諸先輩、上司、他場所の方々

日々 沢山の方々と接っする中で、

目の前の方の表情から、

『今 この方は何をお望みであるのか?』という事に

自然に思いを馳せ、また実際に言葉の遣り取りを交わす中で

改めて 相手の思いや考えを知る、といった

実際の業務以外の部分に於いても 

かなり貴重な数々の体験をさせて頂いたと思っています。

もしかしたら 人というものは、

限られた人間関係の中だけにどっぷり腰を据えてしまうと、

日々 自分の立ち位置を確認しない限りは

案外、傲慢になりやすくなってしまったり、

【井の中の蛙、大海を知らず】 のように、

知らぬ間に お山の大将になってしまう様なきらいも 

あるのかもしれない、と ふと 感じました。

色んな職種、色んな個性、色んな才能、色んな年齢層の

多種多様な方々と実際に言葉を交わし、関わる という

実体験の中でこそ 初めて人は磨かれてゆき

自分の想像や妄想ではない部分で、

【人にはこんなにも様々な思いや考えがあるんだなぁ】

という事を知り、相手の気持ちをおもんぱかる事へと

繋がるのではないかしら、と ふと感じさせられました。

また、【相手を知る】という部分において ですが、

人には多かれ少なかれ 触れられたくない

入り込まれたくない心の傷やトラウマ、

地雷のようなものがあるように感じます。

普段から「勘違いをしてはいけないなぁ」と、私自身

意識して自分を律している事があります。

それは、どんなに親しい間柄であっても、

相手が自ら 自分自身の内面を開示しない限り、

意見を求めて来ない限りは、付き合う中で何となく、

相手のもろい部分に気付く様な場面があったとしても

それを【愛情】という名の大義名分に勝手に置き換えて

人の心の深い機微を推し量ることなく 勘違をし、

無理やり相手の心の中にドンドン入り込んだり、

ドアをノックし続けて こじ開けようとしたり、

かさぶたを無理に剥がそうなどとは決してしない事です。

こんな余計なおせっかいをしなくても、お互いを大切に思う

いい関係は紡いでいけると私は色んな場面で感じさせられます。

その必要がないのに、無理に相手の心をこじ開けようとするのは

本当に傲慢な勘違いだと思うのです。

触れられたくない部分には触れない事 

見て見ないふりをするという事も、

実は深い優しさ、思いやりそのものなのではないかなと思います。

 

 


今宵見る夢 どんな夢

2010年12月27日 00時04分41秒 | 

P1011794

今日の『徹子の部屋』のゲストは 書家の金澤翔子さんでした。

年の瀬に

勇気ある、堂々たる、大きくはみ出す、飾らない、計算のない

無心そのものの、自由な、彼女のイキイキした書をまた拝見して

私の心は今日の爽やかな空のように、清々しくなりました。

そして

【あなたの持ち味、あなたの良さをそのまま大切に】という言霊が

はらはらと 天から舞い降りてきたような そんな気が致しました。