相手の悲しみを想像することなく 実にあっさり
「あらあら、ごめんなさいね~」と
毎回あっけらかんと謝れば、
「ハイ、もうそのことは終わり、一件落着!」と、
自己完結してしまう人の気持ちは正直分かりません。
それは感情を伴う生身の人間だから。
かくいう相手もロボットではない同じ人間ですが(苦笑)
10年程前でしょうか、大好きな小田原の地で
小田原在住の女性とランチの約束をしましたが、
度重なるドタキャンでそれはなしになりました。
20年ぶり位にお祝いの場で再会した彼女はこの再会を
テンション高く喜び、積極的にメールアドレスや
携帯番号を聞かれ盛り上がる中
「小田原でランチをしようね」と交わした約束。
毎回、「行けなくなった」の連絡は当日の朝に入り、
電車に乗る直前の「ごめんなさい」もありました。
何度も続くドタキャン。
「こちらの都合や気持ちはお構いなし? それって違うよね?」と
違和感を覚え心がザワザワしたのですが、
この思いは封印し、本人には伝えませんでした。
嫌だなぁ~と思ったのは毎回同じドタキャン理由でした。
体調不良や、のっぴきならない急用ができて、のそれではなく
彼女にとって利害関係のある人物から、会う約束をした当日の朝、
突然依頼されたことを毎回、即答で義理立てし、
私との約束は反故、の繰り返しでした。
その割にあっけらかんとした彼女の様子に
クエスチョンが頭の中を駆け巡りました。
依頼内容を話してくれましたが、彼女じゃないと務まらない、
というものではなく、活字から見てとれたのは
彼女自ら相手の期待に応えようとしている
忖度している様子が端々にみてとれました。
シンプルにただ一言、「すみません。先約が入っています。」と
何故、約束していることを話さなかったのか?
1度ならまだしも、同じ理由でまた・・・・というのは正直凹みます。
心に反し、彼女に言われるがまま日程変更をOKしたところで
失礼ながら、同じことの繰り返しになることは想像できたのと、
既に会いたい気持ちは萎えてしまっていたのでランチは断りました。
振り返ると彼女と交わした約束は中々実現しないというか、
口約束が多かったです。
それから数年経ち未だあの時の心の傷は癒えてはいませんでしたが
様々な流れでランチをすることになり、その数か月後、
私の住む地域で4人で忘年会をしたあと、折角なので
自宅に寄ってもらいお茶をしました。
その時も明るく元気に「今度は小田原で是非定例会を!」と
前のめりだったので(彼女の)引越後、落ち着いた春頃には、
何らかの連絡があるのかな?と思っていましたが、
結局、1年間音沙汰なしでした。
時を経てまた彼女から頂くようになりやり取りが始まった年賀状。
今度はいいお付き合いが始まるのかなと
ぼんやり思っていましたが、新住所のお知らせもなく、
またか・・・・と、あの苦い経験がよみがえりました。
住所変更のお知らせを頂いたからと言って押しかけるなんて
微塵も思っていなかったのですが、
予防線?をはられてしまったのかなと思いました(苦笑)
つまるところ10年前のランチの約束も、定例会も
本心は乗り気でなかったことの表れなのでしょう。
良くも悪くも どこか 人たらしな年下の彼女から
何度肩すかしをされても微かに信じようとしていた私は、
学習能力がなくマヌケだったのかもしれませんが、
彼女から大事に思われていないことは
とどめをさされ、あきらかになったので
彼女との関係をリリースしました。
いつの日か、私と同じこうした思いを身を持って
彼女が経験した時に初めて?
私の心情を理解してくれるのかも(?)しれません。
この苦い経験を通して思ったのは、様々な場面において
自分にとっての『利』を第一優先に選び取ることは
一見、賢く得をしているようでいて、
実は大事なものや信頼を失っているように思います。
そもそも交わした約束を、
天秤にかけるということ自体驚いてしまいますが。
昨年まで見ていたあるドラマの中のセリフに
「本当に価値のあるものはお金で買えない」とありましたが
妙に共感しました。
目の前の人を大切にすることの1つは、
実は心が伴っていない(本心ではない)のに調子よく、
その場のノリや勢いで約束を交わすものの、
状況が変われば迷わず利害を優先にし
相手の気持ちを翻弄しても気に留めないとは全く逆の、
自分が放った言葉に責任を持つことではなかろうか?
と思うのです。
そうした人に共通しているのは
言動に一貫性があり嘘がないということです。