イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

空と気

2010年10月30日 01時39分43秒 | 

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今日は大切な友人の 大切なイベントの日。

私は残念ながら伺えないが、ご縁のあったお1人お1人と

真摯に向かい合い、水を得た魚の如く、イキイキとした

彼女の姿が 鮮やかにまぶたに映り込んでくる。

元々の素養に加え、更に開花し始めた豊かな才が、

今日、大勢の方々が集まる会場で溢れだし、

決意も新たに、大海に向かって泳ぎ出した気がする。

誰の真似でもない、自身のスタンスを

ちゃんと保ちながら『癒し』という仕事に携さわる彼女。

手段方法は異なっても 自身の持つものを活かし、

結果、人様のお役に立てたらという願い。そして祈り

根幹は繋がっている事を節々に感じさせられる、

切磋琢磨し合える、心強い同志でもある彼女。

のんびり屋の私もまごまごしてはいられない(笑)

p.s: 今日の佳き日をそっとお祝いします。

後日、ゆっくり話しを聞かせて下さいね。

       sincerely  yours

 


クレマチス 白万重 ~ 緑がかった白い花弁の端麗な八重咲き~

2010年10月27日 02時59分18秒 | 

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11月中旬に届く予定のクレマチスが思いがけず早く届いた。

薔薇と相性が良いとされるクレマチス。

薔薇と一緒にトレリスに這わせようと思い注文した。

しっかりとした大きめの強い香を放つ、フワフワしたドレスの

レースが揺れるかの様なフェミニンな雰囲気を醸し出す

花が好きな私。勿論小さな可憐な花にも惹かれる。

芝桜、桜、エーデルワイス、ダリア、芍薬、ボタン、百合、薔薇、

ラナンキュラス、蓮、トルコキキョウ、ラッパ水仙 etc。

人は無意識にその時々の気分で色を選んでいるというが

真っ白いキャンバスにこれから自分の色を置こうとする、

今の私自身の心境を表しているからなのか?普段私は

纏う服や持ち物に至るまで、殆ど白は選ばないのだが

この所 富に白いお花に目がいき手に取ることが多い。

先日も エーデルワイスを大きくしたような、柔らかな

ネルの素材のような、真白い、オーストラリアの花、

フェアリー・ホワイトというお花に一目ぼれをし、早速

自宅へと連れて帰った。最近 気付いた事がある。

『このお花いいな~』と瞬時に心が動き惹かれるのは、

そう言えば八重咲きのお花が多いという事を。

届いたクレマチス(白万重)も八重咲きの白である。

以前 私のラッキーナンバーを調べて貰ったら『8』と言われた。

そう言えば今まで全く意識していなかったけれど確かに

私は自分で選んではいないのに不思議と『8』の数字が

付いて回る事に気がついた。○がコロンと縦に2つと並んだ

ような、丸みを帯びた数字の『8』を見ていると何だか

安心するのは私だけだろうか? 8を横にしてみると、

今度は∞(無限大)の様にも見えてこれもまた好きな形。

(私にはもう1つ、私にとってご縁あるラッキーナンバーがあるが、

それは私自身とても大事に思っているのでこの数字に

ついては伏せたいと思う。私は好きな食べ物は最後に

食べるというタイプであるが、自分の本当に大切に

思うものは、やはり誰にも明かさず自分の中で

そっと大切にしておきたいから。)

クレマチス同様、一目ぼれして同じ日に一緒に注文した

ローズ・リリィーもやはり八重咲きの百合だった。

カタログに掲載された沢山の百合の花の中で、

ローズ・リリィーの花を見た時「わぁ素敵」と心がときめき

次の瞬間ある事に気付いた私は心底驚いた。何故なら

ローズ・リリィーとの出逢いは必然中の必然だったから。

というのは、皆さんにお立ち寄り頂いている、この春

立ち上げた、このブログのアドレスは rose lily。

ブログのアドレスを『何にしよう』と思った時 ただ単純に

「薔薇と百合が好きだから」の理由で自身のアドレス

rose lilyにした。この時、ローズ・リリィーという花が

実際に存在する百合の花であるという事も、

数か月のちに 自分がその花に一目ぼれをして

注文する事になるだなんて、つゆ知らずに・・・・

ブログのアドレスを決めた時から既に私は、

これから出逢う 八重咲きの美しい百合の花との

出逢いを、説明のつかない無意識の深いレベルで

予知していたかのような、私にとっては本当に

ドラマティックなローズ・リリィーとの出逢いなのである。

日々、土、お花、植物に触れ、お水を遣りながら

『綺麗ね、いつも有り難う』と、声をかけ愛でていると

私自身に備わっている穏やかさの様なものがフワッと

心に浮上し育まれ自然に気持ちが安らぐのを感じる。

それはきっと植物達は「私は、私は」と主張する事も

言葉による説得もなく、ただ微細で楚々とした清らかな

植物達の穏やかな、全てを受け入れ包み込むような

優しい波動そのものが、人の心の深い部分に自然に

浸透するからなのかもしれない。ただ そこに

ひたむきに咲く、というその謙虚な清らかさに触れると

人は安心するのかもしれない。そして 改めて思った。

この大地も、太陽も、水も風も・・・・なんて素晴らしく、

美しく そして有難いのだろうと。

私達は普段、言葉なきあらゆるものからの恩恵を受け

生かされ、多くの事を学ばせて貰っている。

感謝。