イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

魂の奥底に響く言葉と人柄に

2015年10月11日 23時52分10秒 | 感銘を受けた言葉



世界で一貧しい大統領のスピーチの絵本でもおなじみの
ウルグアイ 前大統領ホセ・ムヒカ氏は
一国の大統領でありながら現代の消費社会を否定し、
多くの人々を熱狂させる政治家としてその名が知られていました。

【貧しいとは少ししか持っていないことではなく
限りなく多くを必要とし、もっともっとと欲しがることである。】
という彼の言葉は瞬時に魂を貫きました。

「貧乏とは無限の欲がある人のこと」

3ヵ月に及ぶ取材交渉の末、アポを取りつけ彼の自宅での
インタビューが許されたMr.サンデーの番組スタッフが
ムヒカ氏に今の日本についてたずねると
「国民が本当に幸せなのか疑問だね」と静かに仰り、更に
清貧は日本人から学んだということや、
生計を立てる為、菊の花をはじめとした
数々の植物の栽培は彼が幼い頃、近所に住んでいたという
勤勉な日本人から教わったといい、
彼が今でも大切に育てているという菊やイチョウなどの植物を
優しい笑顔でスタッフにみせてくれた。

男気があり 弱き者の味方であり、
本当の意味でのインテリジェンスなその人の瞳は
深い輝きをたたえ、偽らざる重みのある言霊は真実を語り
笑顔と共にどこまでも眩しくみえました。

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傍からその言動を見る限りでは、
自分の意のままに、自由に堂々と 何かに気兼ねをしたり 
お伺いを立てることもなければ 遠慮することもなく 伸び伸びと思うままに
人生を闊歩している人が 時々 口癖のように
 まだ自由が 時間が足りない・・・・と 呟き嘆くのに触れるとき
足るを知らない、今を感謝することのできない、
もっと もっとオバケみたいだな(笑)と感じることがある。

ムヒカ氏の新刊を買いたくなった。


共感 彫金家 正阿弥勝義の言葉

2011年05月24日 04時39分53秒 | 感銘を受けた言葉

   昨晩 『美の饗宴-超絶工芸躍動の調金-』

     という番組を見ました。明治の彫金家、

    正阿弥勝義(しょうあみかつよし)という方を

   取り上げていました。はがねの名手勝義は、

  象がん という技法を駆使し自在に金属を操り

  日本のアールヌーボの出発点とも言われており、

          特に エレファントは、

    世界で注目されているというのも頷けます。

 勝義のリアルで細部に渡り緻密に表現された作品は

  金属とは思えな程、人間技と思えない程滑らかで

      ただ ただ 驚かされるばかりでした。

          勝義は40代半ばまでは

  刀の金属に装飾を施す仕事をしていたようですが、

    明治9年の廃刀令により職を失ってからは

工芸の道へ進み、高度な高肉象がんの技巧を取り入れ

イキイキとした群鶏を見事に顕した 『群鶏図香炉』や

艶やかで本物の蛙と見紛(みまご)う 『蓮葉に蛙』や

あまりにもリアルに描写されている『柘榴に蝉飾器』など

      数多くの素晴らしい作品を残しました。

 勝義は常々 森羅万象、是我師也】という言葉を

口にしていた様ですが、私もその言葉に共感しました。

         私も日々表現していますが、

  【師】と仰ぐものは やはり【人】ではありません。

 色の組み合わせを思う時、私は自然界の色を想像し

 自然界に溢れる色の中に身を置き 目を凝らします。

自然界に溢れる美しい色を人は参考に出来たとしても

 その完全なる美を人は創り出すことは出来ません。

人には かなわないこと 出来ないことがあるからこそ

自身の立ち位置を知り謙虚になれるのかもしれません。

        岡山を拠点としていた勝義は

      卓越した高度な技法を持ちながらも

 加納夏雄や海野のような帝室技芸員にはならず、

         苦労も多かったようです。

  日露戦争により銀の調達が難しくなると同時に、

        パトロンからの注文も減り、

      跡取り息子が莫大な借金を作り

       その肩代わりをせざるを得なく、

        また その頃 孫も亡くし、

 自身もその頃から持病を悪化させていたようです。

     70代半ばの挫折。そんな逆境の中、

   岡山で最後に残した作品は満身創痍の中、

4年8ヵ月の歳月をかけ ふんだんに象がんを用いた

       見事な作品を完成させました。

   それは柔らかい銀に 硬い鉄を象がんした、

       高さおよそ38cmの壺でした。

柔らかい銀に硬い鉄を埋め込むという高度な技法は、

 熟練した職人でも おいそれと出来るものではなく、

         勝義ならでは、のようです。

    遺作を完成させた1ヶ月後の 明治41年、

        勝義は77才で他界しました。

     彼は、ある時 息子へ宛てた手紙に

     【勝つ事(成功する事)ばかり求めて

失敗を恐れていては素晴らしい作品はうまれない】

          言っていたそうです。

    彼が息子に宛てたこの言葉から ふいに

     入社当時の自分のことが重なりました

社会人になりたての当時の私は、今振り返ってみると

日々 仕事でミスをしない様に、という思いで一杯で

      どこか緊張していたように思います。

そんなある日、とても仕事の出来る私の教育主任が

  ぼそっと一言、「 段々慣れてきたみたいだけど

     今度は失敗しないとな、怖がらないで

   ドンドン失敗していいから。○○さんの仕事を

 フォロー出来ないようじゃ俺も男じゃないからサ」と、

      軽やかに さりげなく仰いました

   私は想定外のその言葉にとても驚きましたが 

同時にとても有り難く 気持ちがとても楽になりました。 

        それまでの私の人生では

 失敗するのはいけない事、とずっと思っていたので

 なんとかそつなく仕事をこなす事で頭が一杯でした。

と言っても社会人になりたての経験値の浅い人間です。

ミスをしない事など 所詮無理なことなのですが(笑)

            当時の私は 

それでもミスをしない様にという思いで一杯でした。

 6才上のこの教育主任の言葉に安堵しました。

   会社を退職してからもう随分経ちますが、

時々、入社当時の自分の事を懐かしく思い出します。

       いつも有り難いと感じますが、

 私は出逢いにはとても恵まれていると思います。

 社会人として最初に配属された課も素晴らしく、

 課長をはじめ、憧れの女性の先輩、同僚、同期・・・

 みなさんから実に沢山のことを教えて頂きました。

 今でも入社して最初に配属された課の教育主任や

   全員ではありませんが、当時の課の方々と

   お年賀状の遣り取りをさせて頂いています。

   人は多くの出逢いと別れを繰り返す中で

それぞれどこかしら影響しあっている様に思いますが

 希望に満ちた、沢山の事を凄い早さで吸収出来る

     若い時に出逢わせて頂いた方から 

 受け取る言葉や教えは、その後の自分の人生の

   大きな拠り所となるように思えてなりません。

       正阿弥勝義という方を通して

  思いがけず 初心にかえる事ができました。

正阿弥勝義という1人の素晴らしい彫金家と作品を知り

その美しい生き様にほんの少し触れる事が出来た事が

      嬉しく 有り難く 清々しい気持ちです。

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【ウェークアップ・コール】 より

2011年03月26日 17時55分41秒 | 感銘を受けた言葉

   【 3.11 に つれて帰った ラナンキュラス 】

 ラナンキュラスの幾重にも重なった柔らかな花びらは

   見ているだけでほんわか 優しい気持ちになります 

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    ただ2つの感情しか存在しません。

        それは愛と怖れです。

  きょう、私は怖れのかわりに愛を選択します。

  そうすることによって、全ての人間関係の深さ、

     親密さ、明確さ、やさしさのレベルを

       押し上げるように意図します。

       あなたがゆるすたびごとに、

       新しい光の星が誕生します。

       きょう、私はゆるすことによって

       この世界を明るく照らし出します。

人を裁くことをやめるとゆるしの必要はなくなります。

         私はきょう 自分自身を、

    そしてほかの人たちをゆるすことによって、

        世界に貢献することにしよう。

   私たちが自分自身にあたえることのできる

         最高のプレゼントは、

    いま この瞬間を生きるということです。

        私はきょう、いまこの瞬間を

        100パーセント生きるという

      プレゼントを自分に贈ることにします。

            あなたの魂は、

   あなたの目覚めを首を長くして待っています。

   きょう、私は内なる魂に目覚めることを意図します。

  ジェラルド・ジャンポルスキー&ダイアン・シリンシオーネ

         ※このお2人は結婚しているパートナー。 

      ジェラルド氏は、スタンフォード大学医学部卒の

          国際的に有名な精神医学者であり、

    1975年に生き方を変えるヒーリングセンターを設立。

     彼のプロジェクトは世界各地に広がっているそうです。

   彼の著書の中に「ゆるしのレッスン」 「ゆるすということ」

    (訳:大内博)があり、いずれも文庫で出ているようなので、

           近々購入しよう、と思いました。

     【愛、そして 許し】とは言葉では語りつくせぬ程奥深い、

          人間にとって永遠のテーマであると、 

          ことあるごとに 感じさせられる私です   


あなたは人間という存在(being)なのだ  

2011年03月24日 00時42分34秒 | 感銘を受けた言葉

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~ミリペンで描きました~

     世界が平和でもなんでもないとき、

      どうすれば平和でいられるか?

     世界が愛でもなんでもないとき、

      どうすれば愛でいられるか?

  世界が赦(ゆる)しでもなんでもないとき、

     どうすれば赦しでいられるか?

      残る世界がどうであろうと、

   自分は自分でいると主張することだ。

   そうすれば、あなたがふれる世界は

       ゆっくりと変わるだろう。

 みんながそうしたらどんなことが起こるか、

        想像してみるといい。

しかし、自分が何者であるかを知らなければ、

自分は自分でいると主張することはできない。

 だからその決断(自分が何者であるか)は

     前もってしなければならない。

    このことをいつも忘れないように。

    あなたとは、あなたの存在なのだ。

          あなたとは、

    あなたの行動(doing)ではない。

           あなたは、

    人間という存在(being)なのだ。

       ニール・ドナルド・ウォルシュ


今、だからこそ

2011年03月23日 08時43分01秒 | 感銘を受けた言葉

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~ミリペンで描きました~

     【あなたの中の最良のものを】

    人は不合理、非合理、利己的です

    気にすることなく、人を愛しなさい

     あなたが善を行うと、

   利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう

    気にすることなく、やり遂げなさい

     善い行いをしても、

   おそらく次の日には忘れられるでしょう

    気にすることなく、し続けなさい

     あなたの正直さと誠実さとが、

     あなたを傷つけるでしょう

     気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい

  あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう

      気にすることなく、作り続けなさい

   助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう

      気にすることなく、助け続けなさい

     あなたの中の最良のものを、世に与えなさい

        けり返されるかもしれません

   でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい

  ドン・ボスコ社 『本当のクリスマス』収録の マザー・テレサの言葉より

        訳:石川康輔

     SHOKOのつぶやき 

    私は数あるマザーの言葉から
      【あなたの中の最良のものを】に深く感銘を受けました。

   特に『あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう。

  気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい』の言葉には
   “あなたの信念を大事に貫いていいのですよ” と、
   そっと背中を押して貰っているようでした。
得てして、
この物質世界では、
器用に上手く立ち回る方が、楽であり

    評価される事も多いのかもしれません。
けれど心が
「何か、おかしいな」と感じたなら
 自分の中から確かに
湧き出る
自分の想いに忠実であっていいのです。

       
   20代前半、ある方からご紹介頂いた信頼のおける方のもとで現在、
  科学的な考察も含めたスピリチュアルな学びを続けております。
     私は敬虔なクリスチャンでもなければ、神道や仏教に精通した人間でもなく、
       いかなる宗教団体にも属してはおりませんが、
    様々な角度から学びをすすめていく中で客観的に思うのは
 古から廃れる事なく、脈々と人から人へと受け継がれてきた
   教えというのは、「あぁ、そういうことだったんだ・・・」と
  ストンと腑に落ちる何かがあって、それは時として生きる上での
指針となり、当にバランスの取れた和洋折衷の料理の様に
     それぞれの味が豊潤で、見事に纏まっており、
  五臓六腑に染み渡るような清々しい確かな奥深さを感じます。

  ある時、「私のジャンルは何だろう?」と思った時に、
  ふっ、と自然に思ったのは【私そのもの】ということでした。
  これからも 今までそうしてきたように、何か1つの事を
   ただ【凄い!】と称賛したり、固執したり、偏ることなく、
   色んな分野に関心を持って、それぞれのいい所を
      私なりの心の眼で ふるいにかけながら
 いいものは自身の中に取り入れて行ければ、と思います。
 学問としてのスピリチュアリズムを真摯に学ぶ中で思うのは、
    目に視える部分だけが真理ではないという事、 
      そして、神秘的なこの世界のことを、
 1人の人間の稚拙な言葉などでは到底語りつくせぬほど
     奥の深いものであるということです。
     そして、説明はできないけれど
 【いいものは いい】 【確かなものは確かである】という
 シンプルな摂理にほんの少し気付く事が出来ました。
    
私は、生れた時に授けて頂いたと思われる、

   【表現する】という、私だけのこの輝きを
 私だけの光を、これからも慈しみ 大切に育みながら
 この世で活かして参りたいと心の底から思っています。

       時々 思うのです。

     富士山の登山ルートが1つだけではないように
  そこに到達するまでに、何が正しくて、何が間違っている
   なんてことは実はなくて、様々な宗教の枠を超越して  
【古(いにしえ)から脈々と受け継がれている珠玉の言葉】に深く感動し、
励まされ
 【生きていく上での知恵】を頂いたりと、
   人は自分にとっての必要なものを自分の力と直感で
     ちゃんと取捨選択しているような気がします。
 どんな時も大事なのは、自分は自分であればいいということ
 そして自分が「あれ?」と思うものは受け入れなくていいもの
   人は、自分の中に内在する確かなものに出逢った時
 初めて心ふるわれ 何かに共感し、いい意味での影響を受け
   豊かな感動を得る、といった 生き物のように感じます。
そんなことから 今後も、私自身の中から湧き上がる作品と共に
   私自身が感銘を受け救われたものなどを
     何かの決まった枠に捉われ縛られる事なく自由に伸び伸びと
時々このブログ上で
ご紹介させて頂こうと思います。