イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

夕 顔

2011年06月30日 19時53分17秒 | 花🌷木 写真

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  ご近所さんから頂いた 夕顔の種は順調に育ち

  昨日、このような綺麗な花を咲かせてくれました。

パッとみるとその中心は大きな星のようにも見えます。

      自然界の作りだす なんともいえぬ 

  この涼やかな発色に 暫し心を向けていました。

          咲いてくれて 有難う。


わたし と アート

2011年06月28日 23時56分23秒 | わたし と アート

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昨年春よりインスピレーションで書、デザイン画をかいています。

『たけしの誰でもピカソ』に
何度かご出演された書家 横山豊蘭さんの
繊細で躍動的な美しい書に強く惹かれました。

(私は字を書くことも見ることも好きなのですが
文字を拝見すると お話しをしなくても何となく
その方の内面、性格のようなものが分かります)

2004年1月、ある公募展で横山豊蘭さんが書の審査をなさることを
たまたま知った私は ただ ただ 憧れの横山さんに、
「書いた書をみて頂けたらいいなぁ~」という思いだけで
自宅にあった大きなカレンダーの後ろに筆でササッと
その時に浮かんだ言葉をしたため
即日、投函しました。

春、公募展に応募したことなどすっかり忘れていた頃
粗品が届きました。同封された手紙を見ると
アート展で佳作を頂いたというお知らせでした。
思いがけないことに感激した私は
その雑誌を買いに書店に走りました。

応募数は167点ということでした。

入賞した方々の力作が誌面に載っていましたが、
何十年も書をたしなんでいらっしゃるような方々の
見ごたえのある作品でした。
そこには『アート書道論』の審査をされた
横山さんのコメントが寄せられていました。 
私はそのコメントを読み進めるうちに「えぇーっ」と
言ってしまうほど驚き次第に感動でうち震えました。
心臓はバクバクと飛び出んばかりの勢いで高鳴り、
暫くは震えが止まりませんでした。
「人は心底感動すると身体もこんな風に反応するんだ」
この体験を通してしれました。
横山さんは何人かの方にコメントを寄せていらっしゃり、
佳作の私の名前も誌面に出しコメントを下さっていたのです。
その内容は、
「入賞は逃しましたが最後まで一席の選考に残った○○さん(佳作)は
作品よりもコメントの方が力が入っていて 用紙3~4枚に
びっしりと毛筆で書かれていました。その割に作品の方は
ドコモのカレンダーの裏にテキトーに「さらっ」と書いたもので、
そんなスタンスが『アート書道論』として好感がもてます。」

私は暫くの間 感激の余韻にひたっていました。
それから
丁度1年後の2005年の1月、ある方に
「貴女の書く、描くものは既に趣味の粋を超えている。
貴女のえがく書や絵はそれを見た人、触れた人を
癒すだけのものを持っているので日々書き続け
もっと多くの人の目に触れさせた方がいい。そして
 そろそろ世の中に還元しては如何ですか?」
と、言って頂きました。目からウロコでしたが 
その言葉を受け半年間は今のスタイルと同じ様に
目の前にある物を見て描くのではなく
ペンを持った手が紙の上を自然に動くに任せ
何も考えずに作品を産み出し続けました。
しかしです、コンスタントに続けることが苦手な私は、
今度はそれから5年余り全く描きませんでした。
こんな私でしたが
昨年の春、急に
「書きたい、表現したい・・・・」という思いが
強く湧き上がりました。
以来今日までの1年以上、今度は書くこと
表現し続けることを止めないで、
私が私であり続ける為に、呼吸をするかのように
 創作活動をしております。

私が私である為に必要なことは
【表現する】ことでした。
改めてそれに気付いた私の中に次に芽生えた思い、
それは
「作品を通し人様のお役に立てないだろうか?」
ということでした。
可能性に満ちた かけがえのない
素晴らしいご自身のことを
「自分なんて・・・」と卑下したり、自信を失いかけている方々に、
あなたはとてもステキな方です」と、作品を通して
お伝え出来たらいいなぁ、という思いから
その時々に受け取るインスピレーションを、
私の中にある言葉や思いと時々コラボさせながら、
絵、書、時にメッセージとして表現しています。
自分のことを【アーティスト】と位置づけするのは
何だかおこがましいとこれまでは思っておりました。
なぜなら教員を目指していた短大の初等教育科を
卒業した私は美大を出ている訳でもなければ
書道や絵の教室で学んだ経験もなく
日常の中で普通に文字を書き、
年賀状のシーズンには表書きを筆で書いていていた程度です。
ただ、振り返えってみると昔から「達筆ですね」とか
字の綺麗な方から 「○○さんの書く字すごく好きです」と
折に触れお褒め頂いていました。
文字を書くことと同じくらい、イマジネーションを働かせ
物語や詩を作るのも好きでした。
予備校の小論文の先生からは
「あなたの書く力はズバ抜けているから○○大学には
小論文もあるから考えてみてはどうですか?」と、
思いがけず有難いお言葉を頂戴した時、
私の中に眠る可能性のようなものを
発見下さったようでとても嬉しく思いましたが
だからといって真に受けたり欣喜雀躍するでもなく、
どこか淡々と「あぁ、そうなのかなぁ?」と
 受け流しておりました。

高校時代の3年間は選択授業で美術を選択しましたが
美術はずっと良い評価を頂いていました。
(昔から体育、国語、家庭科、音楽、美術の成績は良かったです)

このような歩みから自身を【アーティスト】と名乗ることは
何だかとてもおこがましい気がしていたのですが
振り返ると私の傍にはいつもアートがあり
無意識に呼吸をするように表現していたことに気づきました。

なのでこれからは他の誰でもない私自身が私のことを
【 アーティスト shoko 】 として位置づけ 
認めてあげようと思うに至りました。

まだ、完全な勇気が出た訳ではありませんが
今後は自然な流れの中でご縁が紡がれた皆様と対面させて頂き、
お話を伺いながら 受け取ったインスピレーションで
あなた様に必要と思われる元気の出る言葉や
笑顔になる書、書画、デザイン画をご提供し、
エールを送らせて頂きたいと思い、
そうしたことも
視野に入れています。

皆さんも お好きなことや得意なこと、
周囲からよく褒めて頂くこと、
ずっとしていても飽きないことがお有りでしたら
どうぞ それを手放さずしっかりと抱きしめ
それに触れて頂けたなら本来のご自身がきっと輝きだす、
そんな風に思っております。

わたし と アート の お話に
お付き合いを頂き どうも有難うございました。