イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

嬉しいな

2014年10月30日 17時37分02秒 | Art (ラメ)

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   昨日、ファンクラブから届いた

   ミュージカル「モーツァルト」の12月分のチケット、

  な
んと、最前列でした わーい
 
 毎年私にとって12月からの運勢はいいのですが

 1年の締め括りにこのような嬉しいご褒美を頂いて、

  感謝 感謝 です

 11月お友達とも観に行くのですが その時のお席は

   S席の真ん中より少し前の列だったのですが、

  席は丁度真ん中で 舞台全体がよく見渡せるので

   こちらはこちらで満足しています。

 先日、BSのある特番でモーツァルト役の井上さんが

 モーツァルトのゆかりある地、ウィーンとザルツブルグを

  廻る旅番組にご出演されていました。

 初めての海外旅行では大好きなモーツァルトの地を訪れ、

 そこで売られていた晩年の未完成の

   モーツァルトの肖像画のレプリカに惹かれ、

  彼の楽譜のレプレカとともに購入しましたが、

   あれからだいぶ時が流れましたが、
 
   マットに入れた楽譜はピアノの横に

  大きな肖像画のレブリカも額装し和室に飾っています。

    未完成の晩年の彼の肖像画は、

  かつらはつけておらず、奇抜で華やかな

  彼のイメージとは程遠い、はかなげで

   真面目な素の部分、陰の部分が

     色濃くうつしだされています。

   番組内でも、この肖像画にふれていました。

    11月、12月の両月、

  ミュージカル、モーツァルト、とても楽しみです。

    5ヵ月ぶりに再会するお友達との

 観劇前のランチや観劇後のディナーでの語らいも

    今からとても楽しみです

  CDコンポが現在、壊れてしまったので、

  今、音楽を聴けない状況ですが

   近々、新たなコンポを購入し、

  また、大好きなクラシックの世界に

   どっぷりと漬かりたいと思います。


学ぶ日々

2014年10月29日 01時53分31秒 | Art (サインペン)

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    久しぶりに 今、頭をフル回転させ あることを
 
          一生懸命に学んでいます

分からないことを理解した時の視界がパッと広がるような

 爽快感にも似た喜びは格別ですが 
そこに行くまでに

           割と時間を要しています。

苦手分野というのはその言葉の意味を理解するのにも
 
          だいぶ時間がかかります。

   ずっとあり続けると信じて疑わなかったことが

       予期せず終わりを迎えるにあたり、

    新たな始まりに向けての準備期間中ですが、

    こんな風に ある日 突然 風向きが変わり
 
本来の流れに向かって自然に流れゆくのかな・・・・と

 ある必然の始まりに自身の成長を重ねています。

  敢えて変えよう、と しなくても その時がくれば

         変りゆく流れ・・・・変化・・・

      抗わず 静かに受け止めています。 


まず、個ありき

2014年10月28日 02時38分37秒 | Art

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多数決が絶対でもなければ 素晴らしいのでもなくて

     1人1人の思いや 情熱が原点となり

        派生してゆくと思わされます。

大勢集まれば大きなことを成しえることもありましょう。

    でも、1人でも 自分の想いを見失わず

 意志を輝かせ 光を放つこともまた可能なのです。

   数の原理に まどわされませぬように・・・・


大丈夫、見てくれている人ちゃんといるから

2014年10月27日 02時16分00秒 | ハート♡の作品

 

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 もっと一緒にいたいな・・・と感じる人と過ごすひと時は

         あっという間に過ぎゆきます。

   たえず想いを音に乗せ 言葉に変換しなくても

      息遣いや間も しっくりきて心地よく

     そんな時、その場はマイナスイオンに

    ふわっと くるまれているのかもしれません。

 逆に居心地悪く時間が中々過ぎないナァと感じる時は、

 「私が・・・私が・・・・」を連呼し、「こんなことをしました、

   あんなことをしました」と 話の流れをせき止め
 
      相手の話しを遮って 場の空気を乱し、

       話の腰を折るような 自己顕示欲が

 あまりにも強い人と過ごす時間はとてもつまらないし、

         どっと疲れてしまいます

自分にゆとりがある時はそうした人を目の前にした時 

自己主張をし続け 話題の中心に留まり続けることを

  こんなにも切望するのには 何か理由(わけ)が

あるのかもしれないと思い、心の中で冷静に客観的に
 
   「もしかしたら 長きに渡り 周りの大人達から

      安心の中で 無条件に受け入れられ、

  認められ 評価される(褒められる)という経験が

     とても少ない環境で育った人なのかな? 

     または兄弟の誰かと常に比べられ続け、

  兄弟の誰かは いつも褒められているのを見て

     大人の自分は気づいていないけれど

  その時、本当はとても悲しくて、怒りを感じていて

    インナーチャイルドは深く傷ついたままで
 
 幼い頃からの そうした足りない体験を補うように
 
 周りの人や世間から自分がしている事に注目され、

  賞賛されるコトに執着し、同時にそこに喜びや

       生きがいを見出し、無意識に

 『私こんなこともしました』 に 
なるのかな?」と。

           善行をした人が 

   「私 実は いつもこんなコトしてるんです」と

        毎回、自らそれを語り続けると 

    心動くままに行ったその素晴らしい行為が
 
 大勢の人から 凄いね・・・と評価されたいが為に

  してるんじゃない?と 穿った見方をされたら
 
       なんだか勿体ない気がします。

  「こんなことをしました、あんなことをしました」と

言わなくても見ている人はちゃんと見てくれているし

        知っているように思います。

誰も見ていないような所で ただ、気になったから、

   そうしたいから そうしているだけ・・・・と
   
    そっとゴミを拾い続ける人の陰徳もまた

ちゃんと見て下さっている存在はいらっしゃいます。

あなた様の傷ついたインナーチャイルドが癒されます様に