イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

沢山のありがとう

2019年12月31日 23時59分00秒 | ハート♡の作品



『幸せの青い鳥』を求め私達はホームを離れ様々な世界を旅するけれど
ずっと探し続けていたものであり安らぎは
実は最も近くにあったということを
ある時 ふっと気づかされるのかもしれないと、
旧友との真心のこもったやり取りと
多感でピュアなティーンの頃を切磋琢磨し過ごした
懐かしい仲間達との再会と心地よい語らいの中で
そんな風なことを思った愛しき佳き1年でした。


2020年が皆様にとって笑顔多き年になります様心からお祈り致します


私と出逢い関わって下さった大切な皆様へ
沢山の有難うを贈ります


笑顔の配達人SHOKO


感謝 『笑顔の力』ご感想

2019年12月31日 23時58分00秒 | お客様のご感想



お求め頂いた 『笑顔の力』 

~ 2人の旧友に感謝をこめて ~
ご縁を繋げて下さったHちゃん、

お求め頂くまでの不思議議な経緯と届いた作品に寄せて頂いた
ご感想をご紹介することを快諾頂いた
Aさん
どうもありがとうございました。
年内ギリギリの投稿になってしまい長らく
お待せしてごめんなさい。

           

中学時代の陸上部のOB会に出かける直前、
件名のない1通のメールが届いていることに気づきました。
(個人を特定する情報は伏せています)

Shoko様

こんばんは。ご無沙汰しています。 お元気でお過ごしでしょうか?
~略~
 『イタリアの風に吹かれて』を拝見しShokoさんの書画と
ご縁を頂けたらと思いご連絡させて頂きました。
~略~
昨日、卒業アルバムをみていて高校の時の自分を探していたのですが、
何故か?SHOKOちゃんがよく現れてくるので久しぶりにブログを拝見
タイミングと思いました(笑) 希望は『笑』 私の人生のテーマだと思います 
ご縁があるとうれしいです。
~略~ 
○○こと ○○子   (旧姓・○○)

○○こと、の部分にはニックネームを漢字で、そのすぐ横にはお名前も
書いて下さっていたのですが、学生時代同じ名前のクラスメイトがいたので
ピンとこなかつたのですが( )に旧姓も書いて下さっていたことで、
すぐに 「あ! ○○ちゃんだ!!」と分かり、同時に数年前の
気になっていた出来事と結びつき、鳥肌と感動と感謝が
一気に押し寄せました。
すぐにでもお返事を書きたい気持ちでしたが、
あの時のお礼をちゃんと伝えたかったので
OB会のあとに返信させて頂きました。

同じ小学校のクラスメイトで家も近く親しかったAちゃんのことは
ニックネームで呼んでいました。子供の頃から穏やかで落ち着いた
品のある印象の彼女。勿論、忘れる筈などありません。
今回、作品にピピツときてご連絡を下さったことは
勿論 嬉しかったのですが旧姓を書いて下さったことで
「○○子さんて誰なのだろう?」と3年間気がかりだった事の謎が解け、
本当に嬉しく思いました。
2016年個展にお運び頂き、ポストカードをお求め頂き、
メッセージノートにメッセージも添えて下さった方がいたのですが、
控えめな方でお名前だけが書かれていたので
その方が誰なのか分からず仕舞いでした。
オーナーにも「同級生です」とだけお伝えされたと聞きました。
その方こそAちゃんでした。

そして私には一切おっしゃらず個展のことをAちゃんに
伝えてくれたのは、年賀状のやりとりをしている
やはり小学校が同じだったHちゃんでした。
Hちゃんとは同じクラスになったことはなくて
共通の友人の結婚式に招待された時にお話しをして以来のご縁です。
Hちゃんも控えな女性ですが、深い思いやりをもっている
とても素敵な女性です。私の中で彼女はスポーツ万能なイメージです。
父が亡くなった時も心にしみるお手紙を送って下さいました。
綺麗な文字にもうっとりします。
『笑顔の力』のお蔭で、3年越しに改めてお二人に
「ありがとう」を伝えられることが嬉しくて仕方ありません。
A子ちゃんからご注文メールを頂いてすぐHちゃんに
お礼のお手紙を送らせて頂きました。

人数は多くありませんが、
細く長くお付き合いをさせて頂いている方は皆さん、
心が清らかで 豊かで 美しく、様々な場面において
「あぁ、素敵だなぁ」と尊敬できる方々ばかりです。

インスピレーションで描いた作品をブログという媒体を通して
お披露目するようになってから10年経つ中で
エナジー・アートと呼ばれる作品たちは
ご縁ある方の元へサポーターとして、
使命感のようなものを携えて
毎回、意気揚々と
私のもとから巣立っていきます。
私自身、作品たちから日々元気をもらい癒されるので
玄関、リビング、アトリエ、寝室に額装したお気に入りたちを
数枚づつ飾り癒されています。

A子ちゃんからこの作品をお求め頂いた経緯をお知らせ頂く中で
どうしてもA子ちゃんの元に行きたかった「笑顔の力」は、
実にユニークな方法でA子ちゃんが私のブログを見てくれるよう
気を引き(笑)アピールしていたんだなぁ~と思わされました。

Shoko様

『笑』が我が家にやってくることになりとても楽しみにしています。
最近私は寒川神社様にご縁があり通うようになりました。
とても素晴らしい気と穏やかに浄化されるのを感じる
大好きな場所です。
~略~ 
懐かしい場所でもあります。

小田原に住まうようになり○年が経ちます。
~略~ 

昨年、松原神社様に参拝に行くことになった時のこと。
たまたまShokoさんのブログを拝見したら
松原神社に行かれたとのこと。
そしてSHOKOちゃんの産土神様というお話し『!?』を
覚えています。

ずっと会ってないのに
なんだか近いところにいるように感じて
とても不思議でした。
そんなこともあり
小田原の住所で嬉しく思って頂けるなんて光栄です。

Shoko様
Shokoちゃんのメールがすごいパワーで身体がシビレてます。

HさんがShokoちゃんの個展の案内を送ってくれた時
そのデザイン画を見た時にご縁を感じました。

Shoko様ちゃんは魂のレベルが高いのですね。
私はよくわからないんだけど
ただ『祈らなくては』といつも思ってます。

大雄山最乗寺様は最近は○月に参拝しましたよ。
こちらもご縁のある場所と感じています。

~略~
寒川神社様・松原神社様。 すごく有り難く感謝です。


メールを何度かやり取りする中で、
「お逢いするタイミングが来たらいいな。」 
「Shokoちゃんとは逢えるね」と書いてくれていますが、
同じく私も心から彼女に逢いたいと思い
お互いのタイミングが整った時、
自然に会えると思っています。
そして再会する日が来るのを楽しみにしています。


小田原で産声を上げた私の魂のルーツは小田原です。

大好きな小田原にはお墓参りと産土神のいらっしゃる
松原神社へ魂のチャージに
折に触れ訪れます。
なのでA子ちゃんが小田原に住まわれていると知った時は
嬉しい驚きと共に神様から
「とてもいいご縁ですよ。大切になさい」と
後押し頂いたような言い知れぬ安心感に包まれました。

A子ちゃんが松原神社を参拝される前に
たまたま見ていたというブログに丁度、その頃私も
松原神社を参拝していたというエピソードや、

寒川さんも、松原神社も、大雄山 最乗寺も、
お互い好きな神社やお寺が同じであることを受けて
つくづく神様繋がりの大切なご縁だなぁ~
大事にしたいなぁ~と感謝の思いが湧き上がりました。
そして複数メールをやりとりさせて頂くA子ちゃんとは
感性がとても似ていると感じました。

「私はよくわからないんだけれど」と仰られますが
作品タイトルは『笑顔の力』とお伝えすると、
「感じた直感にピッタリ」と仰られ
「祈らなくては」と思う彼女は、日々、様々に感謝をし
足るを知り、祈りをさざけながら
関わるものと丁寧に接し、ご自身も周りも環境も
大切にされていらっしゃると思わされ
感性も研ぎ澄まされていらっしゃると感じさせられました。

Shoko様
『笑顔の力』受け取りました。 どうもありがとう
 ~略~
天候が悪化する前に届けて頂きどうもありがとう。
Shokoちゃんと ご縁を結んでくれた『笑』
 大切にしますね。まだ、開封してません。
日が良い日にと思っています。 すごく楽しみ。

Shoko様
この度はShokoちゃんのエナジーアートに
ご縁を頂きましたこと 心より感謝と御礼申し上げます。

~略~
そして、今日の良き日に
『笑顔の力』我が家でお披露目させて頂きました
 本日は   天恩日-天の恩恵を受ける日  
母倉日-天が人を慈しむ日 ふさわしい日と思いました。

『笑顔の力』触れた時の身体のシビレで、
素敵なエネルギーを感じました
 今後、私のサポーターとなってくれること有り難く思います。

『亥』も素敵ですね。 どうもありがとう。
このご縁に感謝致します。
台風の影響が酷くならないよう祈ります。
 ~略~


開封する日を佳き日にお披露目下さるなんて
感激しきりでした。
『笑顔の力』はこんな風な細やかな気配りをして下さる
素敵なA子ちゃんの元にお嫁に行けて
つくつぐ幸せだなぁと思いました。

作品から感じたご感想をお寄せ頂きまた、
ブログで掲載させて頂きどうも有難うございました。


姫神な気分

2019年12月25日 00時23分25秒 | 好きな音霊






~ 姫神 コンプリートベスト 神の祭り 風のうた ~

この数カ月、表面化してきた喜びが伴う新たな流れに

安心して身を任せ 正面から淡々と1つ1つに取り組み

進んでいけばいいという シンプルなことを

魂は(本能・潜在意識)ちゃんと知っているのに 

ココロは変化に追い付けず、気ばかりが急いて 

やることは沢山あるのに なかなかどうして・・・

といった日々をやり過ごす中、

まるで、あることに集中するための大義名分のように

ここ数カ月、「音の世界」を封印していました。

音楽は魂をそっとノックし素晴らしいインスピレーションを与え

ココロには潤いを、カラダには癒しを届けてくれる

本当に素晴らしいギフトである、ということをよく分かっているのに

「集中する為に好きなことをシャットアウトしなくちゃ!」

だなんて、愚の骨頂もいいトコでした(苦笑)

苦行だとか、我慢だとか、無理をして、とか

完璧なレジュメを作ってだとかが大嫌いな、否(いな)、

向いていない 本能、感性のままに直感で動くことが

何より楽しくて、迷いなく自分の力を最大限に発揮でき、

性に合っていて心地よい私には

何かを成すために大切な何かを封印(我慢)する、

というのはもう限界だったので先週から毎日、

大好きなクラシックを聴いています。

偉大な作曲家たちの音魂は数百年の時を経て

ココロのモヤモヤ、疼き、澱を瞬時に溶かしてくれます。

20代前半、初めての2週間のヨーロッパ海外旅行は

50年に一度の大寒波の時でしたが、ため息がでるような

美しい街並みや宮殿、教会、ノイシュヴァン・シュタイン城を訪れ、

大好きなワインやパンを堪能し

帰国し難い素晴らしいものでした。

丁度、シュトゥットガルトのクリスマス市が始まったばかりで

夜、白い息をはきながら おとぎの国に入り迷い込んだかのような

錯覚をしながら数々の屋台でホットワインを堪能し、

本場のソーセージやパンを楽しみました。

この旅の目的の1つは大好きなモーツァルトを辿る旅でもありました。

本場のウィーン国立オペラ座では、オペラを鑑賞する機会にも

恵まれたものの当時はオペラには無関心でした。

時を経て、ある舞台俳優さんのミュージカルを観るようになってから

オペラ歌手に惹かれてゆきました。

三大テノールの中ではイタリア出身のオペラ歌手、

ルチアーノ・パヴァロッティの芳醇なワインを彷彿とさせる

深みのある声に魅了されCDやDVDを鑑賞し癒されます。

なんちゃって、ですがカラオケで

「誰も寝てはならぬ」を歌います(笑)

モーツァルトの楽曲は好きな曲が沢山ありますが、

 『モーツァルト』を観劇中、何度となく心を揺さぶられた

『魔笛』が好きということに気づかされました。

歌劇『魔笛』では「夜の女王のアリア」が大好きです。

この楽曲を歌える人は僅かといわれる中、

完璧な響きの田中彩子さんのコロラトゥーラを時折

You Tubeで拝聴し、美しく素晴らしいコロラトゥーラに

感動しきりです。

ドキュメンタリー番組でこれまで何度か

田中さんを拝見していますが、

人を寄せ付けないような完璧な麗しき外見とは少し異なり、

普通の会話をされている時の彼女は、

ふわっと柔らかで、違う次元からやってきたかのような?

不思議な方で、いい意味で人間離れした方であるなぁ~と

勝手に感じています。

「パパゲーノとパパゲーナのアリア」も大好きです。

クリスマスの今日は、姫神と共鳴しています。

素晴らしい音魂に魂がキュンキュン喜んでいます。


クリスマスの時期に

2019年12月24日 12時40分40秒 | しっぽのついた可愛い大切な家族



    ~車のルーフ上で景色を楽しむ在りし日のミーシャ~

2012年12月25日は
初代愛猫ミーシャ(♂)が動物病院に通った最後の日となりました。

7年経った今もこの日の天気や空気感、
この時のミーシャの様子が鮮明に思い出されます。

ミーシャはこんな風にルーフの上で寛ぐのがとても好きな仔でした。

良く晴れた冬の日の午前中、病院から帰宅すると寒いのに
家の中に入らず、少しよろけながら真っ直ぐ向かったのは
車でした。
もう、そんな力は残ってはいないはずなのに、
ジャンプしてルーフに飛び乗って
少しのあいだ
何年も見続けてきた大好きな庭や周りの景色を
静かに見守っていました。
そして また、自力で車から降りました。
ミーシャの神々しいそのさまに泣けました。

この2日後、ミーシャは私の腕の中で息を引き取りました。

朝、トイレでようをすませたあと、彼は好きな場所の1つ
お風呂場へと向かい蓋の上でじっとしていましたが、
これまでとは全く違うゼーゼーという雑音混じりの荒い呼吸に
「もしかしたら、今日が彼とお別れの日なのかもしれない」と
本能で感じ、どこか覚悟をしていました。
冬の寒いお風呂場から彼を抱き上げ温かな和室に移動しました。

5時間後、彼は命を全うしました。

次第に大きく、苦しそうな呼吸になる彼を見るのが辛く
泣きながら神様に「この仔を神様のもとにおかえしします。
神様 連れて行って下さい」と声に出してお願いし、ミーシャにも
「もう頑張らなくていいよ。ミーシャ、今まで本当に有難う」と
泣きながら何度も何度も伝えました。

最後の呼吸を終えたあと、彼の身体はスッと力が抜けました。

PCを買い替えるため、バックアップをとっていた今日、
久しぶりに在りし日のミーシャの動画をみて涙しました。
本当に本当に素晴らしい仔でした。

毎年クリスマスになると、あの日を思います。

ありがとう。ミーシャ。
ずっと変わらず愛してる。


約束の重み

2019年12月23日 08時46分10秒 | 他人のふりみて

相手の悲しみを想像することなく 実にあっさり

「あらあら、ごめんなさいね~」と

毎回あっけらかんと謝れば、

「ハイ、もうそのことは終わり、一件落着!」と、
自己完結してしまう人の気持ちは正直分かりません。

それは感情を伴う生身の人間だから。
かくいう相手もロボットではない同じ人間ですが(苦笑)

10年程前でしょうか、大好きな小田原の地で
小田原在住の女性とランチの約束をしましたが、
度重なるドタキャンでそれはなしになりました。
20年ぶり位にお祝いの場で再会した彼女はこの再会を
テンション高く喜び、積極的にメールアドレスや
携帯番号を聞かれ盛り上がる中
「小田原でランチをしようね」と交わした約束。

毎回、「行けなくなった」の連絡は当日の朝に入り、
電車に乗る直前の「ごめんなさい」もありました。
何度も続くドタキャン。
「こちらの都合や気持ちはお構いなし? それって違うよね?」と
違和感を覚え心がザワザワしたのですが、
この思いは封印し、本人には伝えませんでした。
嫌だなぁ~と思ったのは毎回同じドタキャン理由でした。
体調不良や、のっぴきならない急用ができて、のそれではなく
彼女にとって利害関係のある人物から、会う約束をした当日の朝、
突然依頼されたことを毎回、即答で義理立てし、
私との約束は反故、の繰り返しでした。
その割にあっけらかんとした彼女の様子に
クエスチョンが頭の中を駆け巡りました。
依頼内容を話してくれましたが、彼女じゃないと務まらない、
というものではなく、活字から見てとれたのは
彼女自ら相手の期待に応えようとしている

忖度している様子が端々にみてとれました。
シンプルにただ一言、「すみません。先約が入っています。」と
何故、約束していることを話さなかったのか?
1度ならまだしも、同じ理由でまた・・・・というのは正直凹みます。
心に反し、彼女に言われるがまま日程変更をOKしたところで
失礼ながら、同じことの繰り返しになることは想像できたのと、
既に会いたい気持ちは萎えてしまっていたのでランチは断りました。

振り返ると彼女と交わした約束は中々実現しないというか、
口約束が多かったです。

それから数年経ち未だあの時の心の傷は癒えてはいませんでしたが
様々な流れでランチをすることになり、その数か月後、
私の住む地域で4人で忘年会をしたあと、折角なので
自宅に寄ってもらいお茶をしました。
その時も明るく元気に「今度は小田原で是非定例会を!」と
前のめりだったので(彼女の)引越後、落ち着いた春頃には、
何らかの連絡があるのかな?と思っていましたが、
結局、1年間音沙汰なしでした。

時を経てまた彼女から頂くようになりやり取りが始まった年賀状。
今度はいいお付き合いが始まるのかなと
ぼんやり思っていましたが、新住所のお知らせもなく、
またか・・・・と、あの苦い経験がよみがえりました。
住所変更のお知らせを頂いたからと言って押しかけるなんて
微塵も思っていなかったのですが、
予防線?をはられてしまったのかなと思いました(苦笑)

つまるところ10年前のランチの約束も、定例会も
本心は乗り気でなかったことの表れなのでしょう。
良くも悪くも どこか 人たらしな年下の彼女から
何度肩すかしをされても微かに信じようとしていた私は、
学習能力がなくマヌケだったのかもしれませんが、
彼女から大事に思われていないことは

とどめをさされ、あきらかになったので
彼女との関係をリリースしました。

いつの日か、私と同じこうした思いを身を持って
彼女が経験した時に初めて?
私の心情を理解してくれるのかも(?)しれません。
この苦い経験を通して思ったのは、様々な場面において
自分にとっての『利』を第一優先に選び取ることは
一見、賢く得をしているようでいて、
実は大事なものや信頼を失っているように思います。
そもそも交わした約束を、
天秤にかけるということ自体驚いてしまいますが。

昨年まで見ていたあるドラマの中のセリフに
「本当に価値のあるものはお金で買えない」とありましたが
妙に共感しました。

目の前の人を大切にすることの1つは、
実は心が伴っていない(本心ではない)のに調子よく、
その場のノリや勢いで約束を交わすものの、  
状況が変われば迷わず利害を優先にし
相手の気持ちを翻弄しても気に留めないとは全く逆の、
自分が放った言葉に責任を持つことではなかろうか?
と思うのです。
そうした人に共通しているのは
言動に一貫性があり嘘がないということです。