イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

新たな出逢いの中で

2016年02月28日 17時57分23秒 | 日々思い感じること



2月は色々な方々と「はじめまして」の出逢いが多い月でした。
その中で様々を見、聞き、学び 感じ取りまた少し成長させて頂きました。
予期せぬ言葉に自身の甘さであり、無防備さ、思い癖にハッとし、
その体験を通し、どんな場合でもまずは
一呼吸おくことが大事と思わされました。
相手の放った言葉を篩にかけ、咀嚼することなく、相手に対して失礼な発言や
態度をとった訳でもないのに動揺し、「あ、私が悪かった」とすぐに反省し
あやまってしまうという脆さにもはたと気づかされました。
(こうしたコトは克服したと思っていましたが)

 これまで時間をかけて築き上げた関係ではなくとも、
(これはある意味かけでもあるので たまにアチャ~という事も勿論有りますが)
ご自分のことを開示され、実際に言葉を交わし目の前の相手が放ったものから
ファーストインプレッションで感じ取り受けた印象に直感を絡め、
この人大丈夫そう と感じたら そこで初めて扉を開けることにしています。
(この時頭の中で時間をかけアレヤコレヤと相手を分析などはしていません。
皆さんもそうかと思われますが、そういう時って一瞬で
色んな事を決定していると感じます。
ある物事やお勉強に関心があり自分も含めてそこに集まった方々なので
仲良しこよしで 闇雲に自分のことを無防備に解放する場でも
人間ウォッチングをする場でもないので)
普段からそれこそ色々な方々と、いい意味でも
広く浅くお付き合いをしていれば
「こういう時はスルーしちやっていいのね」と分かると思うのですが、
広く浅く多くの人と交流することはのぞんでいなく、経験値が少ない為
(ドロッとした対人関係の中で揉まれていないこともあり)
本来は多分、相手が好きで自分を開示したからといって自分も同じように
(話したくないことも含めて)相手に開示しなくてもよいことを
相手が折角開示してくれているのに、自分は自分のことを開示しないのは
フェアじゃないナ、何だか失礼だナと感じるので
心の中ではあまり話したくないと思っていても、サービス精神も手伝って
慎重な割に、時~々 気付くと相手を信頼し無防備に話してしまったりします。
また、相手から質問をされると(ただのおバカさんなのかもしれませんが(苦笑))
自分が学んできた中で知ったことであれば、惜しみなくシェアし、
また、相手の言葉から、ある情報について知りたいのだと察知すると
これまた損得勘定もなく、知っていることであれば、
惜しみなく どーぞどーぞと お伝えしちゃう性質(タチ)です。
でも、実際相手はそこまで望んでおらず、ただ社交辞令的に
話題を振っただけなのかもしれませんが、その辺の見極めは活字だけでなく、
実際に対面し お互いの表情や声のトーンを感じとり
生きた言葉を交わすお付き合いの中で学ぶしかないと思っています。
もしかしたら 相手がこちらに求めているものであり 知りたいことは
あれやこれやのトータル的な話題では
なく、人としての私に興味を持ったり
魅力を感じたから親しくなりたいと声をかけたわけではないかもしれず(笑)
自分が必要とし関心のある一部の情報を知りたいだけなのかもしれない。
でも、これはこれで いいとこ取り、ある種の利用と感じるのでお断りですが。
元々サービス精神旺盛でお人よしなので開示しなくてもいいことを
ペラペラと・・・・そして後になってドライな相手の態度にやや凹む・・・(笑)
あ、でも、この人、すんごく失礼で計算づくでズルイ!と分かったら、
シヤッターは即閉めます(笑)
私、相手の巧みな言葉で利用されるほど・・・・な人ではありませんから。

人には皆、多かれ少なかれ、受け取りたくない言葉
聴きたくない言葉、話の内容というのはあると思います。
以前読んだ対人関係について書かれた書籍にあった言葉が印象的でした。
自分が聴きたくない、受け取りたくない言葉は相手に伝えていいそうです。
私は八方美人の逆をゆくタイプなので(笑)多数の人に好かれたいとか、
沢山の人によく思われたいと思っての言動はしません。
これまで思いやりや想像力の欠けた相手の強い言葉に
傷けられたことが多々ありました。その場では表情にも言葉にも出しませんが
帰り道、ほんと、失礼な人だな、と悲しくなることも多かったです。
そんな経験から、自分が相手の言葉で仮に傷ついていたとしても
相手に好かれたいから、という陳腐な理由ではなく、キツイ言葉を放った相手に対し
正直に「貴方のこの言葉で傷つきました」とは言えません、言いません。
それは自分が相手に対し、自分を守るためにその時に感じ思った全てのことを
全く躊躇なくポンポン正直に伝えることで 相手もまた私のように
傷ついてしまったら可哀そう(辛い、いたたまれない)という思いがあるからです。
自分は実際相手の言葉で傷ついたけれど、相手の悲しい顔はみたくない
だったら、自分がやりすごせばいいと思っていました。
でも、その本を読んでから数年経った今、思うのは
相手の感情の垂れ流しのような言葉に ちょっと、ちょっと待って!と
STOPをかけることは大事と思っています。
自分が構築したい関係と目の前の相手はちょっと
違っていたと知ると
無意識なのか、意図的なのか、そもあってその人なのに
自分の思うままに 駄目出しをし、勘違いしたままに、平気で
相手の自尊心を切り込む、これは違うと感じます。


私とは逆のタイプで「嫌なものはとにかく嫌なの!聞きたくないの」と
相手に「あなたの言葉聞きませんよ、受け取りませんよ」と
拒絶のサインを出す場合も 相手との関係性をよく見極め、
相手の性質を分かったうえで それでもどうしても伝えたいのなら、
工夫 というひと手間をかけ、思いやりという産着で言葉をくるんで発しないと
ただ「要りません!」バツンと切断してしまうと 本人は満足かもしれないけれど、
言われた相手は たまったものではないと感じます。
そして、自分は絶対正しい!とばかりに なんでもポンポン言ってしまうのは
殺伐とした、潤いのない、それこそ争いの世の中になってしまうと懸念します。
どんな状況でも、自分の心にゆとり(のりしろ)があれば、
相手の言葉は気にならず、
「あら~、そうなの。今貴方はそういう気持ちなのね~。でも大丈夫じゃない?
貴方の思い過ごしかもよ~だからさぁ、元気だして!気にしなさんな」
と、明るくサクッと伝えれば 鈍い相手でない限り、
「あ、そうかも」と切り替えもでき一件落着、チャンチャンな気がします。
どちらの気持ちも まぁるく収まる遣り取りって私はあると感じます。
親しくさせて頂いている方々の中にも こんな風にふわりと微風のように
相手の心を優しく包み込む方もいれば、
ピシャとシヤットアウトする方も時々お見かけして、ドラマ人間模様ですが、
アイコンタクトだけでは伝わらないので、やはりどんな言葉を放つかは
非常に大事と感じます。

前にも書いたことがありますが経験上、出逢って間もないうちに
いきなり言葉を崩してくる方というのは境界線を飛び越える方が多いので
自分の気に食わないようなことがあると、なれ合い的に
割と平気で自分の正論をぶつけてきて、なんじゃ、こりゃ!?と
ビックリすることも多いので、私は決して気取っているでもなく、
目の前のあなたを大事に思っていますよ、のあらわれからも
相手に迎合し、言葉をラフに崩したりはしません。
親しき仲にも礼儀あり、言葉もしかりとおもいます。

出逢って間もないある方とのやり取りの中で、私は深く考えることなく、
あれあれあれ?となんかおかしいなと感じていた違和感を
話しの流れで相手にポロッと話してしまいました。
(その内容は話した相手とは無関係なことです)
その時、相手は私のことを思ってのことと思いますが、
そうした話しは受け取りたくなかったのでしょう、
これまでにない経験でしたが拒否されました。
その時手段がその時の私はビックリしてしまったので胸がドキドキし、
それから負のスパイラルに陥ってしまい、
あとで冷静に考えれば
「あら~、そうでしたか、ご免なさいね~。未熟者ゆえ失礼しました~。
聴きたくないことでしたね。私の甘えでした」チャンチャン、で
サラッと済むことを ちょいと真面目な私はとっさのことに動揺してしまい、
大変短い時間に自分をドンドン追い込み反省し、謝り、

開示しなくてもいい あれやこれやを ドンドン開示してしまい・・・・
なんだかなぁ~という感じでした(笑)
そのやりとりのあと冷静にその時の状況、言葉のやり取り
その時の自分の気持ちを分析してみると、甘えなんだと思いますが
「私にはよく分からないけれど貴方がそう感じたのならそういう一面も
あるかもしれないね」と、ただ一言共感して貰いたかっただけと気づきました。
これまで、友人とご飯のときなど、お互いに日常のあれやこれやを話す時
「~だよね~」 「わかるよォ~」と共感したり 励ましたりしてきたので
また、自分は相手の言葉を遮ってしまうことはなかったので驚き、動揺し、
懺悔みたいになってしまい、大切な自分のことを沢山責め、
沢山駄目だしをしちゃい 私に対しても申し訳なかったなと思いました。

最近、会った方の中に 自分の生き方であり、発言に自信をもち、
自分を解放するのがとても上手だなぁ~と思う方がいます。
お手上げと思うことがあれば無理をせずリリースする。
それが例えビジネスでユーザーからお金を頂くということであっても、
堂々と自分の意思を貫く。私とは真逆のある意味見習いたい所が
多々ある方です。ただ、その方の強い語気に私自身とても気をつかい、
「スミマセン」を連発していることに気づきました。
スミマセン、なんか
じゃないことなのに。
だから不必要なスミマセンはもういいません(笑)

幸いなことに子供の頃から大人になるまで家族から肯定、信頼され
受け止められてきた方というのは、家族から
他人へと相手が変っても、
変に遠慮することもなく、自分のために自己主張がちゃんとできる、
NOを言っても 相手との関係が簡単に壊れないことを

身をもって体験しているので、それが強い語気だとしても
深く考えずその時々に意思表示ができる。
そういう方を見ていると、
空気を察知して言葉を飲んでしまいがちな私は
ある意味羨ましくも感じます。
でも人というのは やはりそんなに強くはないので、
何気ない言葉で深く心を痛めることもあると経験上
よく判っているので、私はですが、相手から仕掛けられたり、
ぞんざいな態度を何度もとられたり、
嫌なことをされたり、失礼な言動をされない限り
意味もなく怒る!なんてこともなく、
また相手がシュンとなってしまうような余計なことであり、
駄目だし、「あなたのこういう点、悪いからなおしなさいよ!」
などと上から目線でいう事はありません。人にはプライドとは違う
自尊心がありますから。だって面と向かって誰それさんのことを
キンキン、キャンキャンとやかく言えるほど私自身、
立派なヒトではないことを私自身が一番よく分かっていまから(笑)
身の程を知る、でしょうか。

これまで自身の内面と対峙するために、ヒプノをはじめとし
色々な講座を受講し20代初頭から心・魂に動きに関する
哲学的な書籍にも沢山触れてきました。
そして、自分のことは あまり相談しなくても、
学生時代の後輩や友人、会社員時代も同僚や後輩と
どちらかというと、相談に乗るのが主でした。
幼少期から母を励まし続けるような子でした。
このブログは私の備忘録でもあるので相手の名前を明かしている訳でも 
細かなシチュエーションを開示するでもないので書きますが、
去年の夏前、友人と会った際、話の流れで思わず、
辛かったある時期のことをポロッと話してしまいました。
越えた筈のことなのに何故か涙がとめどなく溢れてしまいました。
その時その友人は目の前で弱っている私に対して、
上から目線で、今までお腹に溜めていた?のか、
かなり失礼なグサッとつきささることを言いました。
彼女の想像も多々ありましたが。彼女が帰宅したあと、
言われたことの1つ1つを思い出す中で、
私の生きてきた人生の何分のいちも分かっていないのに
という怒りが込み上げてきました。
どんなに心理学やヒーリングを学ぼうとも、
色々な方々から憧れられて 先生~♡といわれようと
弱っている人の胸にグサリと剣をつきつけるのは違うと感じます。
そのように正論をぶつける割に、自宅を後にしたあと、
お邪魔しました、の言葉もなく、あらら~ぁ、こういう人だったのね~と思い、
私は彼女のビジネスのしもべでもなければ、パートナーでもない、
対等の関係なので なんだか馬鹿馬鹿しくなり、
言いたいことは色々ありましたが何も言わず相手から離れました。
相手によって態度を変えたり、そろばんをはじくような所も
これまで、ん?と感じていたので。いいきっかけでした。
以前、その友人から直接きいたのですが、彼女の為に
ある事をしてくれた人に対し(詳しい事は個人情報なので割愛します)
皆の前でその人の間違えを指摘し、恥をかかせてしまったそうです。
以来、親友と思っていた人ををはじめとし、みんなに無視され辛かったと
涙をこぼしながら開示してくれたことがあったのですが、
そのことをご自身のブログでは理由もわからないのに
皆から悪口を言われ無視されつらかったけれど、
私はその親友だけを失ったけれど他に失ったものはありません、と
私にかつて話してくれたこととは違う事が書かれていました。
彼女のそうした強い言葉は今も変わらず相手を傷つけてしまうという、
その原因が分かっていないので 失礼ながらいつまでたっても学ばない、
自信のある人なんだな~と率直に感じました。

高級霊は未熟な人間と違い感情のままに、強要もしなければ
駄目だしもせず、
~しなさいと 命令もしない、
聞かれないことはこたえないと言います。

それは、その人間を信頼しているからと言われます。
口出しせずともその人が 必ず越えられると知っているからこそ、
あら、転んだのね、と 転んでもただ黙って見守っている。
しかし肉体を纏い、感情を伴う私達人間は、
日々、様々な うねりも感情の波もあり、痛みも感じます。
テレパシーで全ての人達がそれぞれの本当の思いを
交換できるわけではないので、
やはり相手を思いやる気持ちであり、言葉がけがというのは
対人関係の基本と感じるのです。

自分の思い、自分の正しさを その心に思うのはその人の勝手ですが、
イライラして、その感情のままに、貴方に害を与えてはいない相手に
面と向かってそれみたか!とキツイことばを投げかけることは、
時に相手の心を壊す爆弾と同じでとてもこわいことです。

私はクリスチャンではありませんが、
今年はマリア様がとても身近に感じます。
そんな中、念願叶って3月は、富士山の日にWSを受けたサロンで
マリア様のオルゴナイトを作ります。
その前日にはやはり作りたかった60面体を作ります。
自分のあれやこれやも やらないと・・・なのですが、
オルゴナイト作りはとても楽しいので時間が経つのを忘れます。

あ、そうそう、私のことを昔から知っている人はご存じですが(笑)
私は慎重であり、繊細ですがそれだけではなくユニークで、
あまり細かなことを気にしない、のんび~り、そそっかしい部分も多々あり、
コツコツ積み重ねるタイプではなく、レジュメのない、
ぶっつけ本番の方が得意な大胆な人間でもあります。
最近、繊細という言葉を時々頂戴するので補足しました。
人間てみな 多面的なので、この人は、こういう人、と
レッテルははれない、貼ってはならぬと思います。

繊細な部分がないと物づくりは出来ないと感じますし、「美」に関すること
作り上げることに関しては譲れないというか拘ります。
また人の気持ちに鈍感だと先述したかつての友人ではありませんが、
言ってはいけないことを平気でポロポロ言ってしまう人もいるので、
私は繊細な一面を持つ私も実は大好きです。


オルゴナイトをLED回転台に乗せ                          広がる幻想的な私の中の宇宙、月、碧き地球

2016年02月27日 00時00分00秒 | 手作り




幾何学模様が彫られたホロンクリスタルをのせる為の台として
7色に光るLED回転台を持っていましたが
 ここ数年しまったままでした。
オルゴナイトを作り作品とご対面したあとと閃き
アダプターをコンセントにさし
ピラミッドを台に置きスイッチをいれ
次にまぁるい型で作ったこのオルゴナイトを
台に乗せ室内の灯を消すと・・・・
わぁ~ 綺麗~
思った以上の美しき碧き世界に
 ただ ただ 感激しています。

この型を選んで本当に良かった。

皆様にもこの世界をご堪能頂けたらと思い
しました。

オルゴナイトを作ったことで
物造りがこんなにも好きだったことを再確認しました。

 


お誕生日おめでとう

2016年02月26日 00時00分00秒 | しっぽのついた可愛い大切な家族


ルーちゃん 3才のお誕生日おめでとう
ちょっとブレたけどこれもご愛嬌ということで
ルーちゃん、ピラミッドBOXが気になるようで(笑)
よく中を覗きトップの開いている小さな△窓から無理やり
前足をピラミッドBOXの中に入れてるよね~。


今度はピクチャーレールのワイヤーが気にニャッって仕方ない様子。

少し肌寒むかったけど よく晴れていたし
 3歳になりたてホヤホヤの今日、ラックル
号に乗って
 年に1度の健康診断も無事終えて
良かったね~。
好奇心旺盛のあなた、
これからも益々元気にそして健やかであれ✨


細い銅線があったので・・・・

2016年02月25日 00時00分00秒 | Art

以前、誰かから細い銅線を頂きました。
お風呂に入れるといい?と聞いたような
 いないような(笑)

結局捨てることもなく、使いみちも分からず、
そのままとっておきました。

一昨日、オルゴナイトのwsを受講し、
ヤットコで渦巻きを作った時、
太さは違うけれど、
「そうだ!自宅にあったはず!」と
細い銅線のことを思いだし、

渦巻きに必要な丸ヤットコや平ヤットコ、
ニッパーなどは買っていないのですが、

丸ヤットコの先と似たこの尖ったハサミなら、
細い銅線の先をクルッとできるんじゃないか!と閃き
トライした所、ちゃんとできました。
左中央の渦巻きが細い銅線を使って作った渦巻きです。
柔らかいので途中からは手でクルクルしました。

右上はその細い銅線を鉛筆でクルクルっとしてみたり、
渦巻きを水晶ポイントに巻いてみたりと
楽しいひとときでした。

この金色のエナジーカードは、

次回ピラミッドのオルゴナイトを自宅で作る時、
底部にいれようと思っているものです。


物づくりって、ほんと、楽しくて大好きです