イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

独自でやると越えられる

2016年01月30日 00時37分37秒 | 文字アート



今日の『サワコの朝』のゲストは 寄生虫の新たな治療に関する功績が認められ
2015年12月に
ノーベル医学・生理学賞を受賞された
北里大学特別栄誉教授 大村智さんでした。(1935年生まれ80歳 山梨出身)

  番組冒頭、MCの阿川さんがトレードマークのようになっている帽子について伺うと先生は、
帽子は20年も前から被っていること、その理由は階段から転倒し頭を強く打った時に、
たまたま被っていた帽子が守ってくれた。
被っていた為に今日があると思うということ、
以来お守として被っているということをいたずらっぽい笑顔で開示されました。
またノーベル賞について聞かれると「子供の頃からノーベル賞は凄い賞と知っていたが、

こんなにも大騒ぎされる賞とは思っていなかった」と
これまた屈託のない笑顔でおっしゃられていたのが印象的でした。


ノーベル賞受賞のきっかけになったのは、山梨で国体の選手となり、
大学4年までスキーの為の人生、
スキーに明け暮れた日々の中で教わったと言います。
「絶対に人のまねではその人を越えられない。独自でやると越えられる」という
技術ではない心構えだったそうです。新潟はスキーはいつも北海道に負けていたので
北海道に行っては教わり練習してもいつも負ける。ある時スキーの先生は、
「もう、北海道に行って教わるのはやめて自分たちで研究してやろう」というようになり
  それから勝てるようになったそうです。
「北海道の選手にいくら学んでも越えられない。
人まねはやるな、人まねは何もならない、
私はスキーからそれを学んだ。
そして周りにもそう話している」と仰いました。


このお話しを聴いていて私も先生と同じことを思っていました。
何においても、どの世界でも独創性、オリジナルには 
かなわないと思います。

数年前、趣味とは別の創作活動を始めて間もない頃、芸術大学に身を置き、
そこで
どっぷり芸術三昧の日々を送ってきた訳でなかった私は
自信のなさからか、多くの人が考えがちな 名の通った方の元で学ぶこと、
所謂 師事することも頭をかすめていた頃、ある方から間髪入れずに、
「いや、それは違う。貴方の持っている良さであり、貴方独自の世界を歪められ
消されてしまい、先生の言った物しか描けない人になってしまう」と言われ、
それから数年の時が流れ、「これが私そのものであり、私の世界です。
ここに表れている作品であり
私を どうぞご覧下さい。」と胸をはって言える今、
自分の世界を確立した頃に出逢った方にも同じような事を伝えられた。
「すでに貴方が先生なので、その閃きであり、素晴らしい芸術的な才能を
益々伸ばされ、決して誰かの元で学ぼうなどとは思われずこのままご活躍下さい」と。

人というものは案外 肩書に弱いので、名の知れた美術館に飾られていれば
実際、魂が打ち震えることもなく、そこから放たれるものを受け取っていなくとも、
その輝かしい肩書から、多くの人に評価されているのだから、
感動に値する素晴らしい作品に違いない、と思いこもうとする節が
なきにしもあらずな感が否めない。
芸術とはそれに触れた者のハートが いかにドクンドクンと音を立てるか、
そこから去りがたい思いにかられるか・・・・それにつきる気がしてならない。
英才教育を受けた音楽家のセンシティブな音色に揺蕩うこともあれば、
名もないバイオリン弾きの荒削りだけれど生活感の滲み出た

イキイキとした音に心を鷲掴みにされ元気を貰うこともある。

話しがそれましたが・・・・・

アフリカでは長年寄生虫によって失明したりリンパ系フィラリア症などで足が肥大化したりという
足が肥大化したりという 風土病に苦しめられ 死に至る人が多かったそうです。
この病気治療の決定打となったのが
大村先生が微生物から作り出した エバーメクチン
という特効薬であり、
この薬によって救われたのは2億人とも3憶何ともいわれているそうです。

これまでは1gの微生物の中には1億個の微生物がいるといわれていたそうですが、
最近はもっと多くいると言われることになったそうです。

先生は研究者達に小さなビニール袋を渡し年間に2000株位の菌を集め培養し、
その中にいいものがあるかを調べる地道な作業であることを
ご持参された複数の試験管やシャーレーのカビの様な物をを見ながらお話しされました。
シャーレーに入ったエバーメクチンを作る微生物は黒っぽい茶色のブツブツと連なった点々は
キャビアを彷彿とさせました。
先生曰く、元々は動物薬を目指していたと言います。
昔は犬は8~9歳になるとフィラリアで亡くなるので寿命は8年位だったけれど
今は薬もあるので倍近く生きていると話された時、阿川さんは感激した様子で
犬のフィラリアを治す薬を作ったのは大村先生だったんですか?」と聞くと
エバーメクチンの入ったシャーレーを指さし、「この菌が作った。」と仰いました。
先生の地道な研究のお陰でこの菌はフィラリアだけでなく人にも使えると分かり
本当に素晴らしいと思います。
先生は、「この菌はそう簡単には見つからない。微生物というのは難しい。
私は微生物に敬意を表しなさいという気持ちでいつもやっていますから、
微生物様々ですよね。」とニッコリしながら仰いました。

山梨の農家で生まれ育ったという先生の元々の研究の原点は
農作業を手伝った所にあるのではないかと思う。
農作業は理科、自然観察です、と仰いました。
先生は山梨大学で微生物に出会ったそうです。
「グルコースからアルコールを作るのは簡単なようだが、
人の手でやると簡単にできないのに、微税物は1晩でやってしまう。
それが微生物は凄いと思った。」ともお話しされました。


ノーベル医学・整理学賞を受賞のきっかけとなった微生物は
気晴らしに行ったゴルフ場で偶然発見したといいます。
ゴルフを始めたのは
研究をし過ぎて頭がおかしくなったと感じていた頃、奥様に
精神科で診てもらおうと言われ、行った所、も先生にズバリ
「仕事しすぎ。パチンコかゴルフかどれか1つやりなさい」といわれてからとの事でした。
(ゴルフの腕並はプロ並みだそうで、5年でハンディー5つになったそうです。)
 先生の場合練習はしないそうですが、ゴルフ後皆がいっぱいやっている時に
悪かった所をおさらいしてみることでよく分かるそうです。
勉強は全く駄目だったが、スポーツは好きだった、問題点は即日改善と、
元気に仰られました。


微生物の研究は地味な作業、チームプレイ。だそうです。
「かわな(ゴルフ)場に行って土を取ってきて、分離し、 培養してなんて
私1人の力だけでなく、みんなの力があってできたことと、チームプレイ。
1人こけるとみんな駄目になる。」と仰られたあと
阿川さんが
「色々な能力や色んな性質のチームを束ねるためには?」と質問されると、
「相手の立場に立つ恕(じょ)の心、思い遣り」と仰いました。
「顔色悪そうだなと、いつも気をつかってやると、
いつも気にかけてくれてるな、と分かってくれる。すぐに結果を出したい人もいれば、
すぐに投げちゃう人もいるが、そういう人がいても尚且つチームプレイなので、
なんとかそういう人を活かさなくてはいけない。
それぞれが持っているものをいかしてやるように
  僕が考えていかなくてはならない。長所を伸ばしてやると大きな力になる。」  
阿川さんの「環境が整っていないと一流にはなれないといいますが」の質問に
先生は間髪入れず、「間違え」と仰り、続けて
高校から大学までまんべんなく試験がよければ通るがそこで大事な事はそうでなくて、
人間 得手不得手がありイイ部分を認めて伸ばしてやるという教育体制じゃなきゃ駄目。
まんべんなくできたからといってノーベル賞を貰うわけではない。
人ができない様な事を考えついてやっている事がノーベル賞になっていくと思うんです。
そういう人間をどうして育てるかをもっとやることと思う。
点数でもって何点以上が合格、なんてやっているうちは日本は駄目だと思います。
私はそれをやられたら とっくに落ちているから良かったです。」

またまた、先生のお考えに共感しました。
私が中学生の頃はアチーブメントテストというのがあり、当時は内申点以上に

そちらの結果の方が重要視されていました。1年~3年まで普段のテストの結果や
9教科の内申点(成績表)はとても良かったのですがアチーブメントテストの失敗に担任も驚き、
2ランク高校を落としました。
私のようなタイプとは逆に
大きな試験の攻略法に熟知し、こうした試験が得意な方もいますが
(勿論その方の理解力の深さもありますが、弟はこうした試験に強いタイプです。)
私のようなタイプは 大村先生のようなお考えの
教育にシフトされれば、
その個性が伸び輝き、いい結果をもたらすように感じます。
高校でも成績は良かったので短大の推薦の話しを担任から勧められたものの
その短大は、通っていた中学や自宅から近かったので それがどうも嫌だなと思い

結果、推薦をけり、ある行きたい大学を受験しましたが失敗し浪人する事になりました。

話しを戻します。

その後、アメリカに渡ったものの予定より早く帰国しなくてはならなくなったそうです。
当時、北里研究所は非常に厳しい状態であり
研究費をアメリカから持って帰ろうと思った先生は、北里の研究費を集める為に、
薬会社を回ったといいます。「
こういう研究をするので、投資していいものがあったら、
あなた方に、いいライセンスを渡すからそれで儲けて下さい。
それで儲かったらその何%を私に返して下さい。」と。
これが大村方式といい、先生が考えついたことだったといいます。
当時はこういうことはなかったそうです。
回った会社は殆どOKしてくれた、の言葉をを受けて阿川さんは

「なんだろう、その営業能力といったら」というと、先生は真剣な面持ちで
「私?熱意ですよ。何とかいい研究をしたいという熱意ですよ。
負けたくないという思いが良かったと思う。
今回ノーベル賞を頂いたのはそこの頑張り。研究費にはお金も必要」と仰る
気骨ある先生が本当に素晴らしいと思いました。
寒い冬、企業を巡るのに当時ご存命だった奥様も一緒に交渉しに車で同行し、
運転役かナビ役をかって出てくれたといいます。
。先生はこ「れから部長と話してくるから、車で休んでてくれ」と
奥様に毛布をかけて
寝かして交渉に向かったといいます。
交渉後、先生が戻ってくると皆が大騒ぎしていたのでみると、
日本人の様な女性が
車の中で震えているという。奥さんでした。
先生を支え続けた奥様は16年前、60歳で他界されたといいます。
先生は、「まだまだこれからという時に・・・・
結婚生活の2/3は闘病生活だった。
本当の厳しい所を助けてれた。
精神的におかしくなった時も、温泉旅行をセッテイングしてくれたり、

本当に気を遣ってくれた当に内助の功。
生きていればノーベル賞をすごく喜んでくれたと思う。」と
寂しげなご様子で当時を懐かしむ思い出すようにトツトツトお話しされました。

また一番最初にノーベル賞と言い出したのは実は奥様の方で、
奥様は先生がノーベル賞を取ると信じていたそうです。
奥様は恩師にいつもご主人のことを自慢され、

「いつか主人はノーベル賞を取る」話していたそうです。
ご病気でありながらも凄く社交的で明るかったという奥様はリストがお好きで、
フジコ・ヘミングさんのラ・カンパネラをよく聞いていたとのことで、
この曲を聴くと昔を思い出すと仰られた先生が
2曲目に選んだ想い出の曲はこの曲でした。
本当に引き寄せ上手な奥様だなぁ~と微笑ましく思ったエピソードですが、
新潟ご出身の奥様は「化学者と一緒になりたい」と言っていたそうで、
その言葉の通り、その後大村先生とお見合い結婚をされました。
天真爛漫であっけらかんとしていて、一生懸命尽くしてくれたという
素晴らしい奥様、そして謙虚でユニークで男気がある先生。
大村先生とチームの皆様、本当におめでとうございます。
そして有難うございます。

大元に愛があり、人道的な意味での正しいことであれば、
そしてそれが天命や使命に繋がる、魂にのっとった行動であれば

(最近の自身の日常をなぞらえても)扉はすんなり開く、と
改めて感じさせられました。


今年は元旦からとても早いペースで様々な気付きであり、
元々用意されていた出逢うべく方々との有難いご縁を頂いています。


24日、ある勉強会の中で、
ニュースでもSNSでも、人に聞く話でも、電車の広告の中刷りでも、
自分がそれを見た、聞かされたということは、そこに意味があり、
「気づきない」というサインである、とおっしゃっていましたが、

普段、私自身もそのように感じているので共感しました。

それを見、聴きした時、心がイヤと違和感を感じたことは
そのままスルーせず、素直に受け止めることの大切さ。

一見、人の心を捉えてはなさないような おいしい話、
魅力的に思えることばかりを書く人に隠れている巧みな嘘も
表面だけの まやかしも 過度な承認欲求も 
ひょんなことから そのメッキが
ハラハラと剥がれ落ちるそんな気がします。

成すべきことは他人ではなく、
自分が知っている。
大きな力に引っ張られることなく、
洗脳されることなく、
まず、自分のハートに確かめてみること。

自分だけに あるものを活かし堂々と勝負する。
独自、改めて素晴らしい言葉と感じます。


久しぶりの歯医者さんとコーヒーブレイク

2016年01月29日 22時56分03秒 | 日常のあれこれ




数日前から予兆があった 奥歯のつめものが水曜日の夜に
ポロッと取れてしまったので、
今朝、歯医者さんに連絡を入れ午後電車に乗って
久々に歯医者さんに行きました。

いつもは自転車なのですが 今日はあいにくの雨。
最寄り駅まで歩いたあとは 電車に乗っての移動となりました。
飛び込みにも関わらず 着いたらすぐに診て下さいました。
そのあとテクテク歩いて本局(〒)へ向かい 複数の用事を済ませ、
寒いし、寄り道せずに帰宅しようと思っていたのですが、
オープンして間もない喫茶店が目に入り、
「少し温まって行きましょう」と、お店に入り、
美味しそうなトーストとコーヒーを注文しました
雰囲気もよく コーヒーもトーストも美味しく頂き身体も温まりました。
詰め物が取れるというハプニングがなければ、
今日からあることに取り掛かろうとしていたのですが、
明日から頑張ります。
この記事をUPしたあとは、いい子にして(笑)眠ります。
寝室には一足先に、宮下富士夫さんのCD、「瞑想」を
スリープモードで流しています

おやすみなさい