7回目の父の祥月命日に齎された1通のメールの内容は
都内の某美術館での展示依頼
驚きと喜びとが綯交(ないま)ぜになり
魂が震えたのは言うまでもなく
13年前のあのときのトキメキと重なった。
そして思った。
「12年間描き続けてきて良かった」と。
展示依頼のメールを下さったプロモター曰く、
インスタの作品をご覧になり私の活動や作品に惹かれ
実行委員に推薦頂き皆様の審査が通ったうえでの
ご連絡というものだった。
多くの作家の作品をご覧になられてきた専門家の推薦・・・
後日、電話でお話した私を担当下さるという
そのコンシェルジュはとてもステキな方だった。
描くことをはじめる1年ほど前のこと、
「たけしの誰でもピカソ」という番組に出演されていた
ある書家の作品に感銘を受けた。ほどなくして
その書家が審査をされるアート展があると知り
(気づいた日が〆切だった)
尊敬する書家に「ただ作品を見て頂きたい」という思いだけで
カレンダーの裏にササッとかいた書と
毛筆の手紙をお送りした。
忘れていた頃、実行委員会から封書が届きクオカードと共に
佳作のお知らせの手紙が入っていてそれだけでも
感激ひとしおだったが、公募の紙面を読んでいると、
なんと、その書家が
「佳作になった〇〇さんは惜しくも一席を逃しましたが、
最後まで残っていた〇〇さんの作品であり」etcと
私の作品に対し創作スタンスが素敵である他、
共鳴下さりおほめ下さっていた。
まさかのこの感動的な出来事に
胸は高鳴り、魂は打ち震え
寒くもないのに暫く身体の震えが止まらなかった。
望んだからと、いち個人が展示できる場所ではない、
私も何度か足を運んだことのある
都内の某美術館での思いがけない展示のご依頼に、
13年前のあの時と同じ感動が今、静かに押し寄せています。
メールを頂いた29日は父の祥月命日でした。
この日に、こんなにも嬉しく有難いご依頼を頂いたことは
偶然ではなく、亡き父があちらの世界から
「SHOKOちゃん、頑張ってるね、私も応援してるよ」
という、サインのように思えてなりません。
私の作品を認めてくれていた父は、生前、
病室から看護師さんたちに私の作品を広めてくれていました。
作品(原画)をご覧頂き感動くださった
「鳳凰を感じさせる水の方」から
11月11日、まさかの有難いご提案を頂きました。
テクニカルが得意でない私。
4年ほど前にインスタをはじめたものの
使い方がいまいち分からず、
この数ヶ月、作品を挙げていませんでした。
そんな時、
~庭のアンナパブロア~
この方のお知り合いの方のお力添えを受け
11月15日、
最強のチーム&プロジェクトが発足しました。
これまでのインスタは新たに構築し直して頂き
私は作品の画像と作品から伝えられたメッセージを
共通のチャットに挙げると
素晴らしいセンスの彼女が作品に合うフレーム、音楽
背景をつけて下さり その美しさに毎回感激しきりです。
作品たちも喜んでいるのが毎回伝わってきます。
インスタに毎日1作品づつあげ
2週間経った11月29日、某美術館での出展のお話を頂きました。
この奇跡をお二人が喜んで下さったのは言うまでもありません。
「SHOKOさんの素晴らしい作品を皆さんに世界に届けましょう!!」と
作品から放たれるエナジーを感じ、何度も素晴らしいと言って下さり
お二人が真剣に向き合って下さり、
そして、作品がより輝くよう 彼女の愛と美的センスで
息吹きを与えてくれたお陰で
作品はプロモーターに見つけて頂けました。
お二人には感謝の思いで一杯です。