置かれている状況立場によって物事の見方捉え方は異なると感じます。
例えば、人の心を高揚させるような 所謂いいことばかりを
繰り返し視覚に訴え続けるということは、
それに夢中になっている本人は気付いていないのが殆どですが、
一種のサブリミナルであり、誘導であり、
自分が思い描く方向へと 上手にあの手この手で導き、
引きつけようとする こうしたことは
実は人の気持ちをコントロールしていることに他ならず
言い方を変えれば洗脳と同じだなと感じることが多々あります。
お金儲けに繋がる場合は尚更に・・・
ある意味ブレずに 同じことを繰り返し伝え続けるそうした洗脳も
上級者ほど周囲には刷り込みをしていると微塵も感じさせず
ノルマを課すでもなければ命令も支配もせず、尊敬という名のもとに
働き蜂たちを巧みにコントロールし 気持よく働かせ 結果的に
いいとこどりをしていると感じさせられます。
余計なことは決して言わず、働き蜂が自発的に働くよう
自分はシンボリックとしての立ち位置を守り
下界の見晴しを穏やかに見守るだけでシャカリキにならずとも
自然と対価はついてきて潤い続ける。そうした人の口癖は
「素晴らしいから皆にシェアします」であったり
自分の為に動いてくれるごく身近な人達のことを
女神とか天使といった言葉でやたらと持ち上げます。
高揚感たっぷりに綴られる言葉の先にあるものがビジネスであり
語られない様々なカラクリに気付いてしまった時、驚愕を越え
やり手だなと思う反面、もう純粋にその文言は響いてはきません。
お金がなくては生きていけないこの物質世界で
お金を産み出す能力がある人は素晴らしい才能と思います。
お金を引き寄せることに自信があった、ワクワクがとまらなく
楽しくて仕方がないのなら、言い訳じみた事を書いたり
お金儲けをしている事実をひた隠しにする必要はなく、
それこそ恐い者知らずの勢いで堂々とサクッと
「お金儲け上手な私です。みんな私についてきて」と
周囲の反応であり、嫌われることなんて怖れずに
シンプルに言えばいいのでは?と思います。
そうした人達の中には コツコツ働くタイプの人に対し
やや上から目線でサラッと
「お金にブロックがある」という言葉で片付けますが
物質至上主義を彷彿とさせるような
そうした切り捨てるような言葉に「はて?」と
わたしは感じる1人です。
この世に産まれ落ちた目的であり意味は
それぞれ皆、違います。
多くの人から賞賛されるような大きなことを公言し
結果、成し遂げられた人だけが
人間として素晴らしいのでは決してなくて、
私達は、喜怒哀楽の全てを 時に痛みを伴いながら
まんべんなく味わうことで魂のレッスンの意味を知り、
1人では生きていないことに気付かされ
人の温かさを知り、自分はそのままで美しい
ということ最終的に知るように思わされます。
肉親などの近しい間柄に対しての
度を超えた熱心な説得も然り、
夢中になる理由は分からないでもないものの、
やはり選び取る自由は相手にあるのですから。
「何だか矛盾していて おかしいな」と思うことに対し
考え抜いた末、かつて一石を投じたことがありました。
それはほんの小さな石でしたが・・・・
テンション上げ上げあることを信じ切り
陶酔している状態の人に対し軽くポンと肩を叩く様な感じで
「大々的に断言しちゃって大丈夫?」と助言の様なつもりでした。
丁度同じ頃、その人を知る複数の人からも
「最近なんか おかしいよね」と聞かれるようになり、
やっぱりそう感じている人も多くいるんだと率直に思いました。
でも、当たり前のことですが、皆 思いは一緒です。
おかしいな、と気付き思っていても、やはり自分が可愛いので
意気揚々と手をあげて敢えて嫌われ役のストッパー、憎まれ役を
好んでする、という奇特な人などほとんどいないと思われます。
そんな中、やはり私自身も大きな葛藤がありましたが、結局、
相手にとっては もしかしたら耳が痛く、カチンとすることを
敢えて伝える決心をしました。勿論、
相手の信じて疑わない大事にするものを慮りながら言葉を選び、
ダイレクトに ズバッと切り込んだりはしませんでした。
それからある程度 時間が経った頃、
相手とのメールのやり取りの中で
私が伝えた言葉に対し相手は自分の信じることに対し、
圧力をかけられたと感じていたと明かしてくれました。
圧力と取られていたことを知り残念に思いましたが
同時に目が覚めた、といいましょうか、
あの時 葛藤の中で一石を投じた自分のことを
つくづく馬鹿だなぁ~と思い
もう余計なことは言うまいと誓いました。
先月、今月と 読書月刊の如く、色々な分野の
色々な本を購入し 並行読みをしています。
それは、自分自身の心と向き合い、
客観的に自分をより知る為のワークのようでもあります。
自分と違う人間であり、異なる価値観を持つ作家たちの
経験値から裏打ちされた含蓄のある言葉をヒントに
文字の世界を感じていますが、迎合するばかりではなく
私なりに よくよく咀嚼し、消化をし、
浄化へと繋げている最中です。
自分の内面と対峙しするような内容の
書籍を読んでいるからなのか、
最近、例のやり取りが ふと思い出されたのですが、
今の時点での私の想いはこのように落ち着きました。
その人にとっては究極に素晴らしい物であっても
全員がそうだよね、ということは やっぱりなくて、
でもそれを広げようと 繰り返し視覚に訴え続けること、
その先に大きなお金の流れ、ビジネスが隠れている場合は
人々の気持ちを自分の信じてやまないものに引っ張る
なだらかな洗脳であり、コントロールし続けるということと
なんら変わりないのではないか、ということです。
普段は周囲の状況や人を冷静に厳しい目でジックリ観察し、
褒め言葉などは発しないタイプなのに、
お金儲けの為に何も疑問に思わず素直に動いてくれる
ごく身近な人のことは贔屓が凄く
活字を追うのが恥ずかしくなってしまうような
独特な高揚感と賞賛の言葉の嵐に
「・・・・・」と より 冷静になります。
それぞれの立場、それぞれの背景によって
捉え方は異なります。
自分にとって心地よくない、耳の痛い話しを聞いたとき、
圧力やコントロールと直結させ怒りはねつけてしまうのか、
言葉の真意に隠されている光はなんだろう?と感じるのか・・・
大きな流れの先頭に立ち
誘導する立場の人は 常に前だけを向き夢中なので、
そうしたことに気付きにくいようですが、
利に繋がり 懐が潤うことに結びつくことを結果的に
繰り返し発信し続けることは見方を変えれば
コントロールそのものであり、洗脳のように感じるのです。
私の場合 男女問わず、饒舌に語り、
スピィーディーにバンバン物事を推し進めてゆく 所謂目立つタイプの人よりも
言葉少なく、決して行動的とは言えずどちらかというと控えめだけれど
いざという時は逃げたり、尻込みしたりせず、デンと構え
口先ではない誠実な力を静かに発揮するようなタイプの人に
魅力を感じます。
昔から言われていることですが、人の本質が浮き彫りになるのは、
マイナスと思えるような出来事に直面した時であると感じます。
突発的な事、のっぴきならないことが起こった時、
どう対処するか、してくれるかでその関係性が確かめられると感じます。
14日~21日までの8日間、1枚づづ描いた作品(合計8枚)を
感謝祭と銘打って、久しぶりに販売させて頂きました。
(その前日、自分にできることは何か、と思った時
迷わず、スッと出てきたのが作品の販売でした。)
お求め頂いた皆様、この場をおかりして有難うございました。
今回 感謝祭をしよう!と思ったのは犬猫の殺処分をゼロにしようと
命を輝かせる為にしっぽのついた仔たちの為にご尽力下さっている
チームZERO様へ支援金をお送りしようと思ったからでした。
予定通りお代の一部を近々送金させて頂きます。
子供の頃から正義感が強く、
強い存在には巻かれず、従わずでしたが
立場の弱い存在であり、え?と思う現象を目の当たりにすると
放ってはおけず、守りたいと心動かされ、微力ながらその時々に
必要と思われる手であり、言葉であり心を
差し伸べ、紡ぎ、向けさせて頂いてきました。
強い存在は誰かの助けを借りずとも 寄り添わずとも
思うままにドンドン道を切り開いてゆけますが、
そうでない存在も世の中には数え切れないほどいると感じます。
この8日間はワクワクした気持ちで作品を描けました。
気持ちが明るく健やかでイキイキしていた8日間でした。
感謝祭をしよう・・・しっぽのついた仔たちのお陰で
私の魂が本当に悦ぶこと、嬉しいことを
再確認させて貰いました。
『まず自分ありき、順序が逆でしょ』ということは
勿論本人も分かっていていますがそれでも私は昔から、
自分の利よりも他の利を 自分のことよりも他を守ることに
自然と心と身体が反応してしまいます。
それがまぎれもないわたしなのです。
だからこれからも、カリスマ性のある方々の仰られる事に
無条件に「ふむふむ、すごい!!」と 引っ張られることなく、
自分の心の物差しで 自分の心が反応し
あたたかくなり、それをすることで気持ちが豊かになることを
迷わず選び取り、コツコツ続けてゆくつもりです。
オレンジ色の画用紙に 赤いミリペン(0.4ミリ)で描きました。
毎回感じるのですが、ミリペンとオレンジ色画用紙の組み合わせは
デジカメで写すと それぞれ本来の色味が出ず残念に思うのですが、
実物の画の方は 赤もオレンジ色も鮮やかに出ていて
作家としては気に入った作品となりました。
毎週土曜日の夜、NHK Eテレで放送されているSWITCHインタビューは
好きな番組の1つです。放送時間に見ることもありますが
時間のある時にゆっくり見たいので毎週HDD録画をしています。
7月11は漫画家 永井豪さんと映画監督 園子温さんでした。
録画したこの番組のサムネイルを見た瞬間、
話題の映画監督、 園 子温さんとわかったのですが、
満面の笑みをたたえ、ガッツポーズをし
巨大なマジンガーZの前に立ってらっしゃる端正なお顔立ちの
(俳優の風間杜夫さんに似ていらっしゃるように感じました)
ロマンスグレーの紳士。その画のすぐ下に
漫画家 永井豪の文字が出ていたもののピンとこず、直後
「あれは誰だ誰だ誰だ♪」の聞きなれた今も歌える、
懐かしのデビルマンの曲が流れた瞬間、
「えぇーっ 永井さんて、あのデビルマンの漫画家なの??」と
一気にワクワク 胸が高鳴りました。もっと驚いたのは、
ほぼ同時期、テレビで見ていたキューティーハニーも
マジンガーZも永井さんの作品ということでした。
仮面ライダーやウルトラマン同様、この3つも大好きで
子供の頃欠かさず見ていました
テレビにご出演されることも多く、
テレビで見る以外にも漫画でも読んでいたこともあり
ドラえもんを描いた方が藤子不二雄さんという方ということは、
子供ながらによく知っていたのですが、
これらの大好きな漫画を生み出した方のお名前が
永井豪さんという方であるということも そのお顔も
今回の放送を通して初めて知りました。
好きな作品を描いた方がご存命でいらっしゃると知り、
作品を産みだすまでの興味深いエピソート他を
とつとつと語って下さり 深く静かに感動しました。
(子供時代やはり大好きだった大草原の小さな家や
リボンの騎士はdvdが出た直後、揃えちゃいました。)
永井さんを紹介する上で 画面上に
漫画界のレジェンド登場、と出ていましたが大きく頷けます。
六角精児さんのナレーションによれば、
これまで世に送り出してきた作品は300タイトル以上であり、
69才になる今も3本の連載を抱えていらっしゃり、一時期、
少年ジャンプなどの週刊誌5誌に同時連載をされ
なんと1週間で描き下ろす原稿は100ページを越えていた
というエピソードには
ただ ただ すごいなぁ~ と思いました。
漫画家というのはある種の霊能者と言うことも
時々聞きますが、
この番組を通して 作品を産みだすまでの
永井さんの数々のエピソードを伺う中で、
霊的感受性の高い方ということがよくよく分かりました。
永井さんは園さんに、
「作品をイメージする時、フィルムが動いている様に映像でサーッと見えちゃう、
動いているシーンがそのまま見えちゃう。それを今度、紙でうつす時に
そのシーンをコマ割りするにはどうすればいいかなと考える
絵にする時に再編集するコマを移していく頭の中が映画になっている。
リアルな絵でみえる。それを自分の絵にすると、
頭の中はリアルだけれどこんなに可愛くなっちゃう(笑)
絵のインパクトはすごく大事にする。
ストーリーを思いつく時もワンシーンから思いついたりする。
突然あるワンシーンが、イメージがポンと思いついたりする。
これなんとか漫画にならないか、と思ったりする。
そのシーンが来るのは後半のクライマックスだったりするんですけど、
それになる為にはどうしたらいいか、
逆算でストーリー設定を作ったりする。」と仰っていました。
代表作デビルマンの連載から40年あまり経った今年、
デビルマンサーガの新シリーズ連載を始められた永井さんは
デビルマンの執筆はライフワークと仰られていました。
1972年、ギャグ漫画で人気をはくした26才の永井さんは
他の連載を次々と終了しデビルマンに全神経を注いだと言います。
作品をがらりと変え、人間と悪魔による地球争奪戦という
膨大なテーマに挑み、悪魔と合体することで
同等に戦えると知った主人公アキラを産みだします。
アキラは意を決して悪魔の力と人間の心を持つデビルマンとなる・・・
園児だった当時の私には知る由もなかった
デビルマンに込められた作家の深い思い・・・・
永井さんご本人の口からデビルマンはどのような目的で
どのように造り出されていったのか感慨深いお話しを伺い
悪魔対人間の単なる戦いの物語ではなかったと知り
時を経て大人になった今、この番組を見ることが出来たことが
とても嬉しくなりました。
今年、デビルマンサーガの連載を始めることになった経緯も
次のようにお話し下さいました。
「 「ゴジラだって何回もハリウッド版ゴジラとかできるから
ハリウッド版デビルマンのつもりで
全然違うデビルマンかけませんかね?」 と打診があり
今回 新連載を引き受けた。
世界観も今の世界観にして10年後の設定にした。
自分も(永井さんご本人)キャラクターと共に生きている感じなので
どんどんどんどん変化していくので書けば書くほど
どういう作品になるの分からないけれど、
なんか面白くなりそうだなと思っています。
昔のデビルマンも、描いているうちにこれはなんだろう?と
考えだしたんですけど
人間が悪魔になるとはどういうことかって考え始めたら
多分、若い人が突然戦場に連れて行かれて銃持たされて
「殺せ」って言われた時 それが悪魔の力なのかなと思って・・・」
慎重に言葉を選びながら 静かにお話しされている
永井さんの表情が印象的でした。
大魔神サタンの策略によって
疑心暗鬼になった人間達は互いに殺し合いを始めてしまう。
そんな中、恩人一家を救出しようと急ぐデビルマンだが間に合わず
見るも無残な姿にデビルマンは絶望し思う。
「何故、人間同士が殺しあうのか、
身を捨ててまで守ろうとした人間は一体なんだったのか・・・」
刻一刻と自体は悪化、魔の手はデビルマンの最愛の人の所に
及ぼうとしている。
一度は人類を護ることをやめようとしたデビルマンだったが、
最愛の人の命を救う為、決意を新たにする。
しかし、駆け付けた先で見たものは・・・・
最愛の女性一人の命を救えなかったデビルマン、
悪魔との戦いを通して人間の本性を問う
黙示録的世界観が展開する。
永井さんは続けて言う。
「軍事力=悪魔の力みたいにイメージが基本にしたら
どんどんどんどん話がエスカレートしていって
最終戦争のような話に発展したものですから、
気がついたらこれはもしかしたら反戦の漫画でもあるな、と。
戦争になったらどこまでも、一旦滑り出したら今の戦争は
恐ろしい所までいってしまうんではないか、
地球壊滅までいってしまうんじゃないか、
警鐘の漫画でもあるなと当時思ったんですよね。
それが40年たったら絵空事ではなくなってきたんですよね。
(当時デビルマンを)一番描きたくない理由は、辛かった。
デビルマンてね、自分のインナースペースに入りこまなければ描けない作品。
ドンドンドンドン・・・自分のとんでもない部分を出していかないと
形にならないんですよね。
だから気が付くと、自分が出したくない本性みたいな部分が
えぐりだされてくるような、それが怖いしね、描いていると本当に
精神的にボロボロになるんですね。
も一回 あの辛い思いをすると思うと描きたくないと思って・・・
自分の潜在意識を覗くような気がする。それが怖くて・・・
僕は前世とか 信じているほうなんですけれど、多分
そういう恐ろしい時代の前世を経験してて、
なんか そういうものを自分の魂の中で蓄積されているものがあって
そこに入るからこういう作品が出ちゃうんだろうなと思うんですよね。
自分の人生経験を考えるとこんな激しい人生は送ってないから、
はてな? どうしてこんな作品ができてくるんだろう?
ここまで すさまじい作品になっちゃうんだろうと思った時、
自分が今の人生では経験しない 幾つもの転生してきた中で
経験してきたものが、インナースペースの魂の底に入る為に
出てくるんじゃないかなと思います。
創作の仕事はその辺まで踏み込んでいかないと
自分の本物ってわかってこない、出てこないと思うんですよね。」
永井さんが絞り出すように苦悶の表情を浮かべ(と、私には見えました)
ご自身について語る1つ1つの言霊は誠実そのものでした。
永井さんの奥深い人生経験などとは比べものにならない
生れたての赤子のような私だけれど、
作品を産みだす 創造者という点においてはどれも深く頷け
また自身が作品を産みだす時の独特のテンションや思いとも
僭越ながら似ていると感じさせられました。
手の動くまま描いている私の作品は
古代から様々な意味を持つ 渦巻き模様が多く描かれています。
何故渦なのか? 何故ハートの作品が多いのか
本人も謎ですが、永井さんの言葉をお借りすれば
転生する中で、それらのモチーフは大きく私と関わっていた
魂の記憶であり符号のように思うのです。
ケルテイックに強く惹かれる私。
ケルトは渦巻き模様とも深く関わりがあります。
永井さんのお話しを聴く中で魂が心地よく揺さぶられ
様々なことを紐解きたくなりました。
今年から連載をスタートしたデビルマンサーガは
10年後の近未来を舞台にした全く新しいストーリーということです。
後半30分は園監督のインタビユーでした。
監督曰く、
「漫画のキャラクターは思い通りの動きをしてくれるので
うらやましいなと思うけれど、(役者は)みんな生きている方、
本物の人間なので「愛してるよ」というのを ここからオーラで
出して行かないと・・・だから 疲れちゃいます。
「私の裸 はずかしい・・・・」
「恥ずかしくないんだよ美しいよ」とか
毎日言っているうちにヘトヘトになっとちやう。
愛してあげないとフニャツとすぐ枯れてきちゃう。
人は自分の思った通りには動いてくれないので。
マンガじゃないんで」の言葉に
温かさと深いものと 愛を感じました。
スイッチインタビュー、
とてもステキな番組です。
7月12日午後21時過ぎfacebookのあるタイムラインが目に留まりました。
facebookを通してそのご活動を知ることになった、
犬と猫の殺処分0(ゼロ)を目指すHope to LifeチームZEROの
体調を崩された代表に代わりスタッフが書かれた
「Hope to LifeチームZEROより大切なお知らせ」
という記事でした。
いつもと違うタイトルに胸騒ぎがしました。
3月27日「命輝く時」というタイトルで
当ブログでも (カテゴリー:ご縁という名)ご案内させて頂いた、
Hope to LifeチームZERO
http://www.hopetolife.net/
今現在私にできる事はブログや
facebookを通しご縁のあった方々にZEROさんのご活動であり、
犬や猫の命の現状を知って頂くべく、
コツコツ記事をシェアさせて頂くことであり
尻尾のついた仔達の命が護られ
幸せに暮らしていることをイメージすることであり、
時々支援金を送金させて頂くことです。
先月6月30日ペット用シートを送らせて頂きました。
日々、尻尾のついた仔達の命を救う為にご尽力下さる
チームZEROのスタッフの皆様にはただただ頭が下がり
感謝の想いで一杯です。
今夜 触れた「大切なお知らせ」の記事は
先ず自身のfacebookでシェアさせて頂きました。
ZEROさんのこの記事を読んだ多くの方々が
記事をご自身のfacebookでシェアし
代表やスタッフを思いやるコメントを残し
確実に皆さんの温かな思いが広がっていることが
嬉しくなりました。
コメントの中に、
ワンコインの支援金広めて行きましょう!
というものもあり
それなら気軽にご協力を頂ける気がして、
私も自身のブログに
下記、ZEROさんの記事を
そのまま掲載させて頂くことにしました。
ZEROさんの現状やご活動を最後まで
お目通し頂けましたら有難く存じます
また、願わくば、上記
チームZEROさんのHPにも併せてお立ち寄り頂き、
可能でしたら支援金をお送り頂けたらと思います。
HPには振込手数料がかからない
ゆうちょ銀行の口座も記載されています。
お家にペットさんがいらっしゃる皆様、
犬猫に心を救われたご経験のある皆様・・・・
宜しかったらご協力お願い致します
犬猫の命が無意味に殺されているという現状を
知って頂けたら
そして、映画 ペイ・フォワードのように、
あなた様の周りの方々に
お話し頂けたら大変嬉しく存じます。
下記(原文のまま)ご一読下さいませ。
「Hope to LifeチームZEROより大切なお知らせ」
日頃より多大なるお力をお分け頂いて居ります事
チームZEROメンバー一同、心から感謝して居ります。
この度は、チームZERO代表者であります
峰の体調が思わしくない事から
代理による投稿とさせて頂ます。
当方では常日頃より
埼玉県における収容動物(負傷猫)、
殺処分のレールに乗せられてしまった子たちの
呼びかけ(投稿)をして参りました。
折に触れ投稿文に書かせて頂いて居りますが
当方が呼びかけをする事になってからは
センターでの死亡及び他団体様の譲渡、
数頭を除いては当方がすべての子を引き出し
医療ケアの後、里親様への譲渡を行って参りました。
従って殺処分はないと考えて居ります。
この譲渡事業を継続するに辺り以前より団体メンバーの中で
話しあわれて来た事が御座いました。
まずは負傷猫を助けて行くに辺り
・センターからのレスキュー
・里親様からの挙手(里親探し)
・医療費の確保
・譲渡に向けてのスケジュール調整
上記、4項目が重要な柱となり
譲渡事業に取り組んで参りましたが
継続的に応援して下さって居る皆様は
お察しがつくかと思いますが上記4項目は
とても精神的な苦悩を伴う事となっています。
当方の代表者であります峰は
シェルターなどに費用は遣わず医療費に充てる。
今まで過酷な思いをした子たちを
人気のないシェルターに置くことを好みません。
お宅へお邪魔すると1頭、1頭の子たちに気を遣い
とても大切にしている様子が良くわかります。
また何処をみてもチリ1つ落ちて居ません。
勿論、匂いも全くしません。
現在は代表者の自宅をシェルターとして
使っているのが現状です。
そこには既に保護された子たちが
常に50頭前後居ります。
その子たちのお世話は代表者一人で行って居ます。
預かり先の子たちも含めれば60頭前後になります。
代表はこの50頭のお世話をしながら
レスキュー、お届け、病院への通院を行っています。
勿論、メンバーであります。
私たちもそこに加わりますが
子供がいたり仕事をしていたりと
中々、気の回るお手伝いができないことが多々です。
本来、自宅をシェルターとして使って居なければ
ボランティアさんを募集し
お世話のお手伝いなどもして頂ければ
もう少し代表の負担も
軽減できたのかもしれません。
動物たちだけが生活をしている訳ではない事から
他所様に
お願い出来る現状では御座いませんでした。
ここ最近になり
障害をもった子たちの引き取りが増えました事から
代表者の精神的苦労もまして居ります。
それに加え日頃の投稿
(負傷猫)を助けるという事により
医療費も嵩み皆様からの
ご寄付の粗が負傷猫に充当される事から
既に保護されている子達の
医療費などが捻出出来ず仕事を始められました。
その仕事も非常に責任の重いセクションとなって居ります事から
今までにはない多忙さを極めて居ります。
私たちがメンバーが病院に同行した際、
病院から渡される
高額な医療費明細も目にしてきました。
殆どの子の医療費が
10万円を下らず時には18万、
14万そんな時も多々ありました。
その金額は
既に43%安くして下さって居た金額でした。
また保護活動をする中で適性を守れない様な保護を
延々として行く事は
現在、保護されている子たちに
我慢を虐げる事となります。
今後、来るであろう子も同じです。
ここ数年の継続的な活動により
不足した医療費などは全て代表が
負担して参りました。
日頃の投稿でお伝えできない事は
本当に多く活動を共にしていますメンバーでさえ
胸を痛めていました。
保護活動は保護した後がとても重要です。
殺処分される「より」
「なら」は不適当な言葉です。
それでも過酷な思いをしてきた子が
1頭でも幸せを掴めるならと
今日の今日まで努力を惜しまず進んで参りました。
しかしながら今後、
負傷の子をレスキューして行くには
余りにも精神的、金銭的、時間の余裕がなく今後について
一旦、区切りをつけたらどうか
という意見が出て居ります。
勿論、負傷の子を専門店センターから引き出すのみの活動では
ありませんでしたので活動は存続して行きます。
現在、代表は
気持ちのコントロールがうまく出来なくなっています。
精神的なものだと私たちメンバーは思っています。
どこまで書いて良いのかわかりませんでしたが
今後について
負傷の子の呼びかけを続けて行くか否かは
検討段階に
入って居ます事をお知らせすると共に
呼びかけに際し里親様からの挙手(お申し出)
がなければ引き出しはないと
ご記憶頂ければ幸いです。
今までの呼びかけで実際の収容情報を
ご覧頂いてない事から
ご存知ない方も多々、
居られるかもしれませんが当方が何故、
このように苦悩の連続を続けるのかは
収容された子たちの中から
選ぶ事をせず
全て平等に引き出しを続けてきたからです。
これだけ医療費のかかる子たちを
レスキューした団体もなかったかと思います。
その点につきましては、
今後の呼びかけを当分の間しなかったとしましても
悔いの残すものではないと自負して居ります。
今まで負傷の子たちの呼びかけに際し
当方とお気持ちを同じく持ち
応援して下さいました皆様へは
感謝の気持ちでいっぱいです。
今後とも変わらぬ応援を頂ければ幸いです。
Hope to LifeチームZERO メンバー一同