天と地の間

クライミングに関する記録です。

ちんたら走ることについて語るときに僕の語ること

2011年04月26日 | トレーニング
 そんなに走らない私ではあるが5年ほど前から走り方をフラット走法に変えた。そして上半身をなるべく捩じらないように走るよう心が
けている。
理由は衰える走力を補うことと持病(腰、膝、足首)への負担緩和のためである。こんへんは、多分に「なんば」を意識してやっている。
 で、前とどう違ってきたかというと、やはり、以前と比べ、衝撃が少なくなった分、疲労度が違う。そして、関節の負担が少なくなった
ためだろう走り終えた後、ストレッチすると関節の可動域が以前ほど狭くならない。一般的な踵着地の場合、足首から股関節にかけて衝撃
が大きく、ブレーキがかかるためにロスも大きいような気がする。 そんなことを考えてみると、最新の衝撃緩和を使った値段の高い靴は
アスリートでない限り、ゆっくり走る分には必要ないのかもしれない。逆に弊害もあるかもしれない。実際に、5ヶ月前に距離を伸ばすこ
とを考慮して、踵の厚い靴を買ったら、すぐに踵をいためてしまい、いまだに治っていない。

 そんな私の我流の走りであるが、先日、オフ日にふと思い立って、フラット走法がマスターできているか確かめるために公園に行って裸
足で走ってみた。すると、どうだろう。見事にフラット走法になっていた。しかし、すぐに気づいた。走法以前に裸足で走ると自然とフラ
ットになるのである。人間はフラットに着地して走るようにできているのであろう。
 足は自然と窪みにあわせ着地し、5本の指で地面を掴む。足は軽く、実に爽快なのだ。久しく忘れていた感覚である。途中、一部ダート
を走ってみたが、いきなりだと少々痛い。しかし、足裏の筋力が付いて、なれれば走れるようになりそうだ。

 江戸時代の飛脚は粟・ヒエを食べてわらじで一日に100k以上走っていたとか。どうしてそんなことが可能なのか考えると、現代と走り
方がまったく違っていたという説を信じたくなる。そういえば、走るとき、右足を出したときに左手を後ろに振るというのは、幕末に軍隊
方式を導入してからだいう説もある。歩き方も走り方も今とはまったく違っていたのだろう。
 飛脚が走ることを生業にしていたということは、故障も少なかったのだろう。その時代の走り方が再現されれば見たいものだ。ひょっと
すると、走りだけでなく、動きそのものが現代と大きく違っていたのかもしれない。
 知らず知らずのうちに意識に刷り込まれた動きがあるとすれば、裸足で走ることはそれを解き放つ一つの手段になるような気がしてきた。



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2 コメント

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Unknown (84)
2011-04-28 12:36:22
やはり、芝生の上が一番良いようです。
あと、大濠公園だとクッションラバーを敷いているので走れそうです。人の目が気になりますが、石がないので試走にはよさそうです。

裸足は気持ちが良いですよ。ほんと。

記事のタイトルは村上春樹のパクリです。
こちらの本もお勧めです。
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Unknown (みっちぃ☆光安)
2011-04-27 23:41:53
深いですね。

素足は考えもしませんでした。

ずっと前に素足で地面を歩くと、足が痛くて歩けませんでした。

芝生の上で試してみます。


タイトルもなんか、スゴイ。
15年位前の邦楽ロックのタイトルみたい。

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