このところの、老人施設での事件、なんとも耐え難く、許しがたい思いです。
以前読んだ本の中に、忘れられない<手紙>があります。
長いですが、引用させていただきます。
―ーイギリスの老人ホームでのこと、ひとりのおばあさんが亡くなりました。空になったベッドサイドから見つかった一通の手紙。
年老いた人たちの尊厳。何度読んでも、心がゆさぶられます。
『穏やかに死ぬということ』若林一美著(主婦の友社刊)より―ー
看護婦さん。
あなたはいったい何を見ているの?
あなたが私を見るとき、あなたは頭を働かせているかしら――。
気むずかしい年老いたおばあさん、
それほど賢くなく、
とりえがあるわけでもない。
老眼で、
食べるものをぽたぽた落とし、
あなたが大声で
「もっときれいに食べなさい」
と言っても、
そのようにできないし、
あなたのすることにも気づかずに、
靴や靴下をなくしてしまうのは、いつものこと。
食事も入浴も
私が好きか嫌いかは関係なく
あなたの意のままに、長い一日を過ごしている。
あなたはそんなふうに私のことを考えているのではないですか。
そうだとしたら、
あなたは私を見てはいないのです。
もっとよく目を開いて、看護婦さん。
ここにだまってすわり、
あなたの言いつけどおりに、あなたの意のままに食べている私がだれか、教えてあげましょう。
十才のとき、両親や兄弟姉妹に愛情をいっぱいに注がれながら暮らしている少女です。
十六才、愛する人とめぐりあえることを夢みています。
二十才になって花嫁となり、
私の心は踊っています。結婚式での永遠の誓いも覚えています。
(中略)
五十才、小さな赤ん坊たちが、私のひざの上で遊んでいます。夫と私は、子どもたちと過ごした楽しかった日々を味わっています。
そして、夫の死、
希望のない日々がつづきます。
将来のことを考えると、恐ろしさでふるえおののきます。
私の子どもたちは自分たちのことで忙しく、私はたったひとりで、過ぎ去った日々の楽しかった思い出や、愛に包まれていたときのことを思い起こしています。
今はもう年をとりました
自然は過酷です――。
老いた者は役立たずと、あざ笑い、からかっているようです。
体はぼろぼろになり、
栄光も気力もなく、
以前のあたたかい心は、
まるで石のようになってしまいました。
でもね、看護婦さん、
この老いたしかばねの奥にも
まだ小さな少女が、すんでいるのです。
そして、この打ちひしがれた私の心もときめくことがあるのです。
楽しかったこと、悲しかったことを思い起こし・・・・
愛することのできる人生を
生きているのです。
人生は本当に短い、
ほんとうに早く過ぎ去ります。
そして今、
私は永遠につづくものはない、というありのままの真実を、受け入れています。
ですから、看護婦さん、
もっとよく目を開いて、私のことをよく見てください。
気むずかしい年老いたおばあさんではなく、
もっとよく心を寄せて――
この私の心を見てください。
◆「私の子どもたちは自分たちのことで忙しく~」・・・ズキンときます。私のことだと。
そして、心の奥にすんでいる小さな少女をも、ひとくくりに束ねてしまう現実。
「看護婦さん」は、私たちすべての人に置き換えられる――。
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