中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

カタカナ語

2006-10-07 15:33:53 | 身辺雑記
 新しい首相は、カタカナ語を多用すると言われている。就任後の初国会での所信表明演説を読むと思ったよりは多くないような気もしたが、それでもいろいろちりばめられている。

 曰く、成長に貢献するイノベーションの創造、自宅での仕事を可能にするテレワーク人口の倍増、「アジア・ゲートウェイ構想」、国と地方の基礎的な財政収支「プライマリー・バランス」、行政全体の新たなグランドデザイン、「人生のリスクに対するセーフティーネット」、健康寿命を延ばす「新健康フロンティア戦略」、「子育てフレンドリーな社会」、バイオマスの利用を加速化、未来に向けた新しい日本の「カントリー・アイデンティティー」・・・。

 外国の記者は本国に送るのにどのように訳したのだろうか。特に中国の記者は漢字でどのように表記したらよいか頭を悩ませた言葉もあったかも知れない。

 国会議員ともなれば、このようなカタカナ語の概念はまあまあ理解するのかも知れないが、外来語に関してはおそらく標準的日本人であろう私にとってはどうも分かりにくい感じだ。国会議員を前にしていると言っても、所信表明は国民に対するものなのだから、あまりカタカナ語は多用しない方がいいと思う。官庁などでのカタカナ語の多用については、確か前首相も検討を求めたのではなかったか。

 かつて私が知っていたある人は人前で話す時に、カタカナ語と言うより英語をしばしば使い、その後で日本語で言い換えることがよくあったが、何かしら聞き苦しい思いをしたものだ。カタカナ語の多用も、何か自分の教養の高さをひけらかしているような印象を受けるのは邪推だろうか。

 カタカナ語を多用することについては賛否両論があるが、外来語を片仮名で表記できるのは確かに便利だし、日本語の長所だとは思う。私自身もよく使う。しかし、外国語を片仮名で表記した途端に、その言葉は日本語化し、当の外国人には通じにくくなるか通じなくなるということはよく言われている。ファッション界で使われるフランス語の”オートクチュール“もフランス人には通じないらしい。ある青年のアメリカでの体験記を読んだことがあるが、列車の切符を買おうとして窓口で何回「デトロイト」と繰り返しても通じなかったので、やむなく紙に書いて見せたら「おお、デチュロイ」と言って切符を出してくれたそうだ。中国語で“yes”に相当するのは”対“(dui)だが、これは「トイ」でも「トゥイ」でもなく、発音どおりに片仮名表記することは不可能に近い。習い初めの頃私は「トイ」と発音して、西安の友人の邵利明に「トイじゃありませんよ」と訂正された。私が習っている中国語の先生は、中国語を片仮名で表記することに反対だ。

 カタカナ語を使ったり、片仮名表記したりするのは必要最小限にしたほうがいいと思う。