親による子どもの虐待が跡を絶たない。虐待が把握されると児童相談所が介入して親元から保護するが、改善の可能性があると判断されると子どもは親元に帰される。
ところがそうして親元に返されても再び虐待される「再虐待」を受けていた子どもが多いことがNHKの調査で明らかになったそうだ。全国の児童相談所すべてを対象にアンケートを実施し、91%に当たる回答を得た。それによると、昨年度1年間に虐待を受けたとして、児童相談所が親元から保護するなどして対応した子どもは3万7205人で、「再虐待」を受けていた子どもは、8140人に上ることが分かった。
再虐待が起きた理由で最も多かったのは、「子どもへの愛情がもてない」で35.1%、次いで「うつ病などの病気の悪化」が30.6%、離婚や再婚など「家族状況の変化」が28.2%などとなっていた。親としては止むを得ない事情もあったにしても、それが再虐待になったのでは、何の罪もない子どもとしてはたまったものではなく、よりいっそう心に深い傷を負わせることになるだろう。子どもが最初に知る愛情は親から受けるものだ。それを一度ならず何度も受けるようでは、愛情というものを知らずに成長し、心にひずみを持ったまま過ごすことになり、もし結婚して子どもをもうけても、虐待の「再生産」を引き起こすことになりかねない。
街では幼い子どもに優しく接している親(父親も母親も)を見ることが多い。そのたびにそのような親の姿を好ましく思い、その子どもは幸せに育つのだろうと思う。その反面、このような親ばかりでなく幼い子どもを虐待する親がいるのだろうと、暗い気持ちになることもある。
何のゆかりがなくても、幼い子どもは可愛く愛しい存在だ。このようなあどけない子どもをどうして虐待できるのだろうか。いや、幼な児でなくても我が子は愛しい存在のはずだ。とりわけ母親にとっては産みの苦しみを経験して授かった子どもなのだ。我が子のためには何をおいてもと考えるのが親というものだろう。「子どもへの愛情がもてない」とは親として哀しい限りだ。
西安の謝俊麗が言ったことがある。「(息子の)撓撓(ナオナオ)が悪い時には叩きたくなることもあるけれど、可愛い時には感動するくらい可愛く思う」と。その気持ちはよく分かる。「ああ、なんて可愛いのだろう」と感動するくらいに我が子を可愛く思えてこそ、親としての幸せがあるのだと思う。