またしてもこの科白である。茨城県取手市で、朝の通学の中高生の乗ったバスに若い男が乗り込んできて、手当たりしだいに殴ったり包丁で切りつけるなどした事件が起きた。
28歳の無職のこの男は最初のバスでの凶行後に後続のバスにも乗り込み乗客を襲い、取り押さえられた。けが人は中学・高校生が12人、成人女性2人の計14人だが、幸い皆傷は浅く、死者も重傷者も出なかった。調べに対してこの男は、「自分の人生を終わりにしたかった。誰でもよかった」と犯行を認めているが殺意は否定していると言う。
この男は高校卒業後、いろいろな職場を転々としていてたが、数日前から路上生活をしていて、前日の夜は実家のある市の野外で寝て、朝現場まで歩いてきて凶行に及んだようだ。数年前に母親を亡くして父親と暮らしていたとのことだが、高校時代の友人の話では、読書好きだが同級生とは交わらない性格だったたらしく、犯行時にはかなり落ち込んだ、暗い心の状態にあったことがうかがわれる。
これまでの通り魔的な殺傷事件の犯人も、理由はともかくとして何か追い詰められたような精神状態にあって、凶行に及んでいるが、捕まった後の調べに、「自分の人生が嫌になった」「人を殺して死刑になりたかった」「殺すのは誰でもよかった」と言うのがよくあった。
本人の有り様が問題だったにせよ、若者が人生に希望が持てず閉塞感に捉われてしまうことはあるだろうことは分かる。死にたくなる気持ちもおそらくは本当だろう。しかし、だからと言って、そのために何の縁もゆかりもない他人を殺し傷つけようとしたりするのは、やはり非道であって許されることではない。死ぬことなど考えてもいなかった人を襲って「誰でもよかった」などと言うのには、その身勝手さに心底怒りを覚える。
今回の事件を起こした若者は「自分の人生を終わりにしたかった」と言った。冷淡だと非難されるのを承知で言えば、それなら自分だけで死ねばいいではないかと言いたい。ビルの屋上から跳び下りるとか、富士山麓の原始林に迷い込むとか、海岸の断崖絶壁から身を投げるとか、死ぬ手段はいくらでもあるではないか。独りでそのような場に臨んだ時に、死ぬということはバカらしくなることもあるかも知れない。それで生きることの大切さに気づき、立ち直れたらそれに越したことはない。それでも死にたいのなら、己の人生を終わりにしたいなら勝手にすればよい。しかし人を道連れにするのは卑劣極まりないことだくらいは知るべきだ。