法事があってHr君は静岡の磐田に行って来た。磐田はHr君の父祖の地で、ここでHr君の父親は生まれ育ち、一族の墓所は今もある。Hr君もいずれはその一族の墓に入ることになるらしく、そこは菩提寺の裏手の小高い丘の上にあり、富士山を臨むなかなか良い場所らしい。磐田は高級マスクメロンの産地として知られていて、1本の蔓に1個しか作らないメロンは1個5万円もするそうだ。
Hr君はみやげに、磐田に近い浜松の名産の浜納豆をくれた。
浜納豆は、普通に売られて糸引き納豆と区別するために塩辛納豆とか寺納豆と呼ばれるものだが、糸引き納豆とは違って黒い粒状で、味噌の風味である。浜納豆はそのままお茶受けにもなるが、茶漬けにしても美味い。
その歴史は糸引き納豆より古く、奈良時代に中国から伝来したのではないかとされている。平安時代には「納豆」と呼ばれるようになった。室町時代になると日本独自の糸引き納豆が考案されて日常食となり、「納豆」と言えば糸引き納豆を意味するようになった。同じ頃に北宋や南宋に渡った僧侶達が塩辛納豆を持ち帰り、寺院内で盛んに造るようになり、「寺納豆」と呼ばれるようになった。現在でも京都の大徳寺、天龍寺や浜松の大福寺などで造られ名物になっている。
中国料理の重要な調味料の1つに豆豉(とうち)というものがあるが、これは塩辛納豆とルーツは同じで、塩辛納豆は中国の紀元前2世紀の遺跡からも出土しているそうで、古い漢語では「豉(し)」と呼ばれていた。この豉が日本に伝来したようだ。
浜納豆は栄養価が高く、保存性が良いために戦国時代には重要な兵糧となり、今川義元や豊臣秀吉などの武将達にも好まれとりわけ徳川家康は浜納豆がお気に入りで、江戸幕府の歴代将軍に献上されていたとも伝えられているそうだ。
Hr君のみやげからいろいろと知ることができた。食品の由来はなかなか興味のあるものだ。