中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

三味線

2011-10-09 21:34:21 | 身辺雑記

 急に三味線が聴きたくなって、通販でCDを2枚買った。1枚は一中節(いっちゅうぶし)、もう1枚は新内。

 

 三味線を聴きたくなったのは、幼い頃の思い出のようだ。幼い頃はラジオでよく浪花節をやっていたが、子どものことだから特に浪花節そのものに興味を持ったわけではないし、懐かしく思うこともない。ただ夏の夜に庭で夕涼みをしていると隣家から浪花節が流れてきて、夕闇の中で三味線の音が聞こえてくる、その雰囲気が何か懐かしかった。

 

 長じてからも特に三味線に興味を持ったわけではない。時折長唄などを耳にすることはあっても、何か辛気臭いという感想しか持たなかった。長唄に限らず邦楽そのものに興味が持てなかった。それなのに急に三味線を聴きたくなったのは年のせいもあるのかも知れない。

 

 一中節を選んだのは他愛ない理由からだ。宇佐江真理『神田堀八つ下がり』(文春文庫)所収の短編『浮かれ節』の主人公である無役の武士が一中節の女師匠について稽古し、その道一筋になっているという筋立て、ただそれだけのことだった。新内の方は私の少し年下の知人の女性が好きだと言ったので付け加えた。

 

 購入した一中節のCDには、新作(昭和26年作曲)の『須磨の月』と江戸時代の古典『東山掛物揃』の2曲が収められている。一中節は浄瑠璃の一種で、国の重要無形文化財に指定されていて、元禄から宝永ごろにかけて京都で創始された。先行する浄瑠璃の長所を取入れ、当時勃興してきた義太夫節とは逆に、温雅で叙情的な表現を目指したところに特色があり、全体的に上品かつ温雅、重厚なのが特徴だそうだ。『須磨の浦』を聴いてみると、なかなか良いもので落ち着いた気分になった。特に辺りが静かな夜聴くと情緒がある。もっとも初めてのことなので、「上品、温雅、重厚」ということまではわからなかった。それに、「思いきや、ついぞ着馴れぬ旅衣、」で始まる浄瑠璃は朗々と謡われて、なかなか良いものなのだが、「おーもーーいーきーーやーー」とゆったりと引き伸ばしたりするので、最初は何を言っているか分からなかったけれども、付いている詞書を読みながら聴いているうちにしだいに慣れてきた。

 

 『東山掛物揃』は河東節(かとうぶし)との掛け合いで演じられている。河東節は一中節と同じく浄瑠璃の一種で、国の重要無形文化財だが、享保二年(1717年)に創始されたと言う。語り口は豪気でさっぱりしていて「いなせ」であると解説にあるが、私には一中節とどう違うのかまったく分からない。使う三味線も一中節とは違うらしい。それでも聴いているとやはり心地よい。昔の人は、一中も河東も聴き分けて、それぞれ好み、贔屓があったのだろう。

 

新内節も浄瑠璃の一派で、「流し」と呼ばれる独特の形式を生み、江戸情緒を代表する庶民的な音楽として知られている。きわめて歌う要素のつよい浄瑠璃ということで、聴いてみると、「余韻嫋嫋」と表現される高音の唄は分かるところも少なくない。一中や河東とは趣の違うものだがこれも良いものだ。

 

思いついて買ったCDだが、古典の曲の良さが予想以上に気に入った。これから秋が深まるにつれて、静かな涼しい夜に聴くといっそう情趣があるだろうと思う。

 

 


記事の見出し

2011-10-09 11:08:27 | 身辺雑記

 パソコンを開くと「MSN○○ニュース」というニュースサイトが出てくる。○○はある大手新聞社だ。いろいろなニュースを集めているものだが、その中にこのような見出しがつけてある記事があった。

 

 「赤星さん球団総監督を傷害で逮捕」

 

 赤星さんとは、私が好きなプロ野球の阪神タイガースの元選手で、小柄ながらなかなか活躍した。それでこの見出しにはちょっと惹かれた。赤星氏が球団の監督に暴力をふるって怪我をさせ逮捕されたと思ったからだ。

 

 その見出しをクリックして開いて見ると、何のことはない。赤星氏がオーナーを務める少年野球チームの総監督がチームの元選手を殴って、傷害で逮捕されたというものだった。私の早とちりで「赤星さん/球団総監督」と切ったから間違ったのだ。しかしこれは間違いやすい書き方だ。「なぜ赤星さんの」としなかったのか。それとも意図的にこのような書き方をして読者の気を引こうとしたのか、この「MSN○○ニュース」にはこのような紛らわしい表現が時々ある。最近も「ケーキの箱から800万円の指輪」というのがあった。これも早とちりすると、どこかに放置されていたケーキの箱から800万円相当の指輪が出てきたというものかと思うが、開いていると「ゆうこりん」というニックネームの、私の知らない女性タレントが、結婚会見で1年前にプロポーズされた時に渡されたケーキの箱をあけたら「結婚しよう」と書いてあって、台に見立てたクッキーの上に、この指輪があり、それが推定800万円という、他愛もない内容の記事だった。この「MSN○○ニュース」は、そういう意図で作っているのかも知れないが、ちょっと週刊誌的なところがある。

 

このニュース欄の前は「トゥデイ」というものだったが、そこでも意味不明な見出しが目に付いた。例えば、これは前にも書いたのだが、「田原氏『生きていない』和解応じず」という、何のことやらさっぱり分からない見出しがあった。読んでみると、評論家の田原氏が、北朝鮮に拉致された被害者はもう生きていないと発言したことに対して、被害者の1人の両親が訴訟を起こし、裁判官は和解を勧めたが原告側はそれに応じなかった、ということだった。短い見出しにあれこれ詰め込むのは無理としても、もう少し工夫する努力が必要だろう。せめて「田原氏の『生きていない』発言に和解せず」とでもすればいいと思うが、新聞社とすれば冗漫なのか、見出しには助詞を使わないということを聞いたこともある。

 

 記事の見出しというのは大切なもので、いかに簡潔に記事の内容を読者に伝えるか編集者は気を遣うらしいが、上のような見出しはおそらく若い記者が書いたものをそのまま採用したものではないか。

 

 あるB級の夕刊紙の1面に「○○逮捕」という、4~5センチ角くらいの巨大な文字が躍っていたことがあった。この○○は最近世間を騒がせたあるタレントの芸名だから、見た瞬間、オッと思ってその新聞を買ってしまう者もいるかも知れない。ところがよく見ると「逮捕」の「捕」の字の右隅にほんの小さな字で「か」とある。要するに逮捕もされていないのに、どのような内容かは分からないが、適当な他愛もない憶測記事を書いて、「逮捕か」としたわけだ。姑息と言うか、いじましいと言うか、いかにもB級紙らしく、こんな紙面を作っていて嫌にならないかと哀れにも思う。この手法は、他の夕刊紙やスポーツ紙の1面の見出しにもよく見かける。まあ、売らんかなという姿勢だろうから、まともに取り上げることはないのかも知れないが。