中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

晩秋

2011-10-12 09:06:46 | 身辺雑記

 10月も半ば近くになった。10月は陰暦9月で、晩秋である。四季の終わりは、それぞれ晩春、晩夏、晩秋、晩冬と言うが、私はこの中で一番好きで心に沁みる季節は晩秋だ。

 

 妻が逝く前の年の秋の終わりに、次男に誘われて次男の家族と一緒にこの近くの山あいの地をドライブした。その4ヶ月のちに妻は逝ったのだが、その時はまだ元気が残っもてい手。皆で出かけるのが嬉しそうだった。秋の陽は早く落ちる。家を出る時はまだ明るかったが、ドライブしているうちに薄暗くなってきた。

 

あたりには人家は少なく、どこに行くということもなく、ただドライブして回っただけだが、今思えば次男は余命僅かな母親を自分の家族と、少しの時間でも一緒に過ごさせたかったのではないだろうか。長男もそうだが、次男も母親が大好きだった。長男は滋賀県に住んでいるからあまりたびたび来ることはできなかったが、それでも自分の家に母親を呼び、その途中で車であちこちに連れて行った。最後の親孝行のつもりだったのだろう。次男も同じ気持ちだったと思う。

 

秋の夕暮れは寂しいものだが、その時はそばにいる妻と一緒に過ごすことができる時間はもう僅かしか残されていないと思うと、寂しさはひとしお募った。以前から秋の夕暮れは寂しいものと何となく思っていたのだが、車の窓から暮れていく外の景色を眺めていると堪らなくなって、思わず「寂しいなあ」と呟いた。何も知らない妻は「お父さんは、秋にはすぐ寂しいと言うんだから」と笑いながら言った。それを聞くとしきりに妻が哀れで涙ぐんでしまった。息子は多分私の気持ちが分かったのだろうと思う。何も言わずに黙って運転していた。あの時の妻の声は、今も耳の奥に残っている。

 

その時以来、晩秋は私にとってことのほか寂しいものに思われるようになった。今でも暗くなって帰ってくると、家の近くの田の側で立ち止まり、もう夕焼けも消えてしまった西の空を眺めながら妻を憶うようになっている。あれから間もなくして妻は再入院し、その儘戻ることなく、翌年の2月の末に逝った。思えばあのドライブの時には妻も晩秋の時期であったのだろう。