昔の教え子で、千葉県の印旛郡のある町に住んでいるS君から電話があった。この正月に電話があってからのことだから9ヶ月ぶりだ。挨拶めいたことや、ちょっとした近況などを交わしてから、「それで何なの?」と尋ねると「いや、ご無沙汰してるからちょっと話したくなって」ということで、何となく嬉しくなり、その後いろいろ話した。
S君は私が高校の教師になった時に最初に教えた学年の生徒で2年生だった。教師になりたてで大いに張り切っていたし、この学年の生徒達も親しく接してくれて、私にとっては想い出が多い。「70になりました」と言ったので「へえ、もうそうなるか」と、私より8歳年下の学年だから、もうそれくらいになるだろうと思っていたが、改めて言われるとずいぶん歳月がたったものだと感慨深かった。
教え始めてしばらくしてS君は私のいる生物準備室にやって来た。先任の教諭が「カメキチだ」と紹介してくれた。話を聞くとカメが大好きで、家の池に何匹も飼っているとのことだった。当時は今のように外来種のミドリガメなどはなく、クサガメや、今では少なくなったイシガメなどを飼っているようだった。S君は1年生の時には生物クラブに入っていたそうだが、クラブの雰囲気に馴染まずやめてしまったと言った。
S君が私のところへ来た理由は、カメの遺伝の研究をしたいということだった。私はカメのことは知らないから、生まれて何年くらいたてば成熟するのか、個体によってどんな特徴があるのかなどいろいろ尋ねたが、成熟までにかなりの年月がかかるようだし、個体ごとの目に付くような特徴もないようだから、遺伝の実験には向かないなと答えた。彼はさほど気落ちした様子もなく納得したが、そのあとはカメについていろいろ話をした。どういう契機でカメに興味を持ったのかは忘れてしまったが、とにかくかなりのカメ好きであることはわかった。
私は「カメキチ」は「亀吉」という愛称かと思ったのだが、どうやら「本キチ」「山キチ」「車キチ」の類の「キチ」だったようだ。以来彼は準備室や生物クラブ員達がいる生物実験室にたびたび出入りするようになり、私も折々「カメキチ」と呼んで親しくなったが、生物クラブに入ることなく、やがて卒業して行った。卒業後は折に触れて連絡もあり、消息はよく分かっていたし、結婚前には婚約者を連れて我が家を訪れてきたこともある。大学を卒業してからは、自営で男物のスーツの輸入生地を販売していて、上等のカシミヤのセーターやマフラーを贈ってくれたこともあったが、もう引退した。
それでも年月がたつにつれて会うこともなく、時折電話の遣り取りをするくらいだった。彼は年賀状は出さない主義なので、私にも寄越さないが、元旦かその2、3日後くらいには電話をくれるから、疎遠になることはなかった。5、6年前にその学年の学年同窓会があったときにわざわざ出てきた。同窓会の前日には彼と仲が良く、私も結婚式に出たことがあるK君と3人で食事した。高校生の頃には色白だったのが日焼けして逞しくなっていた。その後にあった昨年の同窓会にも出てきて、やはりK君と食事した。相変わらずカメを飼っているようだし、アルバイトで公共の仕事の草刈りもやっている、テニスもしているとのことで感心した。
電話では、今はカメの他に50センチくらいのウナギも3匹飼っているとのことで、相変わらずのカメキチだ。草刈りもテニスも続け、毎日5千歩のウォーキングもしていると言う。元気なことだ。体力が落ちてきて、毎日外出には杖を頼りにしている私とは大違いだが、卒業生がいつまでも元気でいるのは嬉しいことだし、卒業して50年以上もたつのに、ふと思い出して電話してくれることは教師冥利に尽きるものだ。
イシガメ(インタネットより)