中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

金木犀

2006-10-09 11:43:44 | 身辺雑記
 10月8日  朝窓を開けると肌寒い風が入ってきて、その中にかすかに芳香が混じっている。ああ、咲き始めたかと思う。金木犀の季節が訪れた。外に出てみると近所の庭の金木犀はいっせいに花をつけていたが、蕾はまだ色づいていない。我が家のは?と見てみると、かなり色づいているのも多いが、開いているのはほんの少しだ。しかも一つひとつの花はごく小さいのにそれでもこんなに匂う。これから短い期間だが、大好きなこの香りが楽しめる。

   

 金木犀は初春に咲く沈丁花とともに、その芳香で季節の到来を感じさせる花だ。沈丁花は、夜暗くなってから帰宅する途中で、そのやや濃厚な香りを感じると、春の訪れが近いことを感じさせるし、金木犀は明るい秋の日差しを受けて秋もさなかであることを告げるようだ。

 私はこの金木犀には、ことに懐かしさを感じる。教師になってまだそれほど年月がたっていない頃、当時はどこの高校も秋には文化祭が開かれて、私の勤務校では特に伝統的に文化祭は盛んだった。文化祭と言っても近頃のようなやっつけ本番的な内容のものでなく、1年に1回の文化部の発表の場として至極まじめなものだった。私が担当していたのは生物部で、部員達は日常きわめて熱心に活動していたから、文化祭にもことのほか熱心に取り組んだ。最盛時では60人余りの部員がいて、体育部も含めて全校一の規模を誇っていただけに、文化祭の準備には騒然とした雰囲気の中で若いエネルギーと活気が溢れていた。

 下校時刻の6時になると同じ方向に家がある者が一緒になって帰ったが、そんな時にあたりには金木犀の香りが漂っていた。夕焼けが残る遠くの山なみを見ながら、涼しい空気の中の金木犀の香りを嗅ぎ、賑やかに話しながら部員達と一緒に下校した思い出は懐かしい。金木犀の香りが漂い始めると、いつも必ずあの頃を思い出す。若い教師にとっては貴重な体験ができた日々だった。

 10月9日  我が家も近所の家の金木犀も一晩で満開で、あたりに漂う香りはますます濃くなっている。

   

 金木犀は中国から伝来した植物で雌雄異株、日本にあるのはほとんどが雄株と言うことで実は結ばない。銀木犀の変種らしいが、銀木犀はほとんど香りがしない。中国では木犀を桂花(guihua)と言う。桂花で有名なのは広西壮族自治区の桂林(Guilin)で、大きな木犀の木が街路樹になっている。花の時期になると町中が濃厚な香りに包まれると言うことだが、私が行ったのは9月だったので、残念ながら花の時期には早かった。安徽省の屯渓(Tunxi)に行ったのは10月で、桂花が至る所に咲いていて芳香が漂っていた。香りは日本の金木犀と同じだが花はオレンジ色ではなく、どちらかと言うと銀木犀に近かった。

 桂林では木犀の香りを染み込ませた桂花酒や桂花茶、菓子などがあり、一応は木犀らしき香りはするものの、やはり自然の芳香には及ばない。

      

カタカナ語

2006-10-07 15:33:53 | 身辺雑記
 新しい首相は、カタカナ語を多用すると言われている。就任後の初国会での所信表明演説を読むと思ったよりは多くないような気もしたが、それでもいろいろちりばめられている。

 曰く、成長に貢献するイノベーションの創造、自宅での仕事を可能にするテレワーク人口の倍増、「アジア・ゲートウェイ構想」、国と地方の基礎的な財政収支「プライマリー・バランス」、行政全体の新たなグランドデザイン、「人生のリスクに対するセーフティーネット」、健康寿命を延ばす「新健康フロンティア戦略」、「子育てフレンドリーな社会」、バイオマスの利用を加速化、未来に向けた新しい日本の「カントリー・アイデンティティー」・・・。

 外国の記者は本国に送るのにどのように訳したのだろうか。特に中国の記者は漢字でどのように表記したらよいか頭を悩ませた言葉もあったかも知れない。

 国会議員ともなれば、このようなカタカナ語の概念はまあまあ理解するのかも知れないが、外来語に関してはおそらく標準的日本人であろう私にとってはどうも分かりにくい感じだ。国会議員を前にしていると言っても、所信表明は国民に対するものなのだから、あまりカタカナ語は多用しない方がいいと思う。官庁などでのカタカナ語の多用については、確か前首相も検討を求めたのではなかったか。

 かつて私が知っていたある人は人前で話す時に、カタカナ語と言うより英語をしばしば使い、その後で日本語で言い換えることがよくあったが、何かしら聞き苦しい思いをしたものだ。カタカナ語の多用も、何か自分の教養の高さをひけらかしているような印象を受けるのは邪推だろうか。

 カタカナ語を多用することについては賛否両論があるが、外来語を片仮名で表記できるのは確かに便利だし、日本語の長所だとは思う。私自身もよく使う。しかし、外国語を片仮名で表記した途端に、その言葉は日本語化し、当の外国人には通じにくくなるか通じなくなるということはよく言われている。ファッション界で使われるフランス語の”オートクチュール“もフランス人には通じないらしい。ある青年のアメリカでの体験記を読んだことがあるが、列車の切符を買おうとして窓口で何回「デトロイト」と繰り返しても通じなかったので、やむなく紙に書いて見せたら「おお、デチュロイ」と言って切符を出してくれたそうだ。中国語で“yes”に相当するのは”対“(dui)だが、これは「トイ」でも「トゥイ」でもなく、発音どおりに片仮名表記することは不可能に近い。習い初めの頃私は「トイ」と発音して、西安の友人の邵利明に「トイじゃありませんよ」と訂正された。私が習っている中国語の先生は、中国語を片仮名で表記することに反対だ。

 カタカナ語を使ったり、片仮名表記したりするのは必要最小限にしたほうがいいと思う。


中秋節(zhongqiujie)

2006-10-06 19:22:17 | 中国のこと
 今日、10月6日は陰暦8月15日。中国では中秋節と言い、春節(旧正月)、元宵節(陰暦1月15日)、端午節(陰暦5月5日)とともに「中国の四大伝統祭り」と呼ばれている。一年のうちで最も円く光り輝くと言われる中秋名月を愛でる日で、この日の夜は一家団欒して月見をする。

月に群雲だったが。


やがて美しい姿を現した。月見団子も一家団欒もない月見だが、やはりいいものだ。
 

 元宵節には湯圓(tangyuan:だんご)、端午節には粽子(zongzi:ちまき)を、そして中秋節には月餅(yuebing:げっぺい)を食べる。この日が近づくと、人々は月餅を贈答するのが習慣で、西安の旅行社に勤めている李真は、日頃関係があるホテルなどから、たくさんの月餅が届けられ、うんざりするほどだと言っていた。

 日本でも月餅は菓子店などでいつでも販売されているが、中国ではこの季節以外にはあまり見かけないと言う。日本人は月餅が好きだということになっているのか、よくみやげ物として勧めるらしい。みやげ物の月餅は平凡なものだが、中秋節の月餅は中国各地にいろいろなものがあるらしく、最も有名なものは広東風のもので、普通に見るものや日本で売っているのはこの種類だ。前にも豆腐乾や西安の稠酒で紹介した趙珩(Zhao Heng)の「中国美味漫筆」(青土社)によると、広東風の月餅の餡にはさまざまなもの、蓮の種、卵黄、椰子の実の繊切り、豚の脂身の砂糖漬けなどが入れられているようだ。蓮茸蛋黄(lianrongdanhuang)と言う月餅は蓮の種を砕いたもの(蓮茸)と塩ゆでした小さな卵黄(蛋黄)が入っていて、切るとちょうど黄身が月のように見える。私は好きだが、中国の北方人には甘すぎてべたべたしているので評価されないと趙珩は言っている。西安の李真は豚の脂身の入ったものは好きでないと言っていた、

 上海では杏花楼(Xinghualou)の月餅が有名で人気がある。趙珩は次のように述べている。

 月餅はブリキ製の箱に詰められているが、その箱にはきわめて伝統的な「嫦娥、月に奔る」図案が描かれ、左下の隅に「杏花楼」の三字があり、(中略)
 杏花楼の月餅は皮が薄く餡が大きい。やはり広東風の月餅に属し、餡のつくりが入念で、材料が純正で、糖分の含有量が適度で甘いのにべとべとしないのが最大の特徴である。
 


 嫦娥は「じょうが」と言い「姮娥」とも書いて「こうが」と言う、仙薬を盗んで飲んで月に逃げたという、昔の中国の民話の中の女。不老不死・美女のシンボルとされている。
杏花楼の月餅は直径が8センチくらい、厚さが2センチ程もあってずっしりと重く、1人で一度にはとても食べきれない。

 通常の習慣の範囲の贈答なら問題はないが、贈答用に使われる月餅は年々豪華になり、中には高級ブランデーやワインなどと抱き合わせたものや「住宅付き月餅」などもあって、時には賄賂に使われ、汚職の原因ともなっていたらしい。まるで時代劇で商人が悪徳役人へ賄賂として差し出す小判入りの菓子折りそっくりだ。また過剰包装がごみの山を生み出すということで、2004年に上海市は月餅の過剰包装の抑制と抱き合わせ販売の禁止を決めたようだ。西安の謝俊麗は包装が月餅そのものの重量の何10%か以上になってはいけないことになったと言っていたから、全国的な規制でもあるのだろう。いずれにしても満月を象った月餅をめぐるこの騒ぎは、名月も曇らせる現代人の愚かさについて考えさせられる。




2006-10-05 10:55:29 | 身辺雑記
 朝、顔を洗おうとして水が冷たく感じられ、秋だなと改めて思った。シャワーの後に体を拭くと空気がひんやりする。そろそろシャワーは不要のようだ。我が家の猫もこれまでは階段など涼しそうな場所を選んで寝ていたが、夜は私のそばで丸くなるようになった。卒業生が新米をくれ、知人からも新米とサツマイモを贈られた。久し振りに塩焼きのサンマを食べたが脂が乗っていて、はらわたの苦味が何とも言えないくらい美味かった。天も高くなってきた。夕焼け雲もいっそう美しい。やがて金木犀も咲き始めるだろう。





  秋は短く、時に寂しさを感じさせるが、それもまたいい。昨日の朝日新聞の連載「折々の歌」(大岡信選)に次のような句が載った。

 沖待ちのタンカー秋の燈(ひ)となりぬ (堤 保徳) 

 良い句だと思う。作者は若い頃、海運会社の外国航路の船員をして各国を回った経験がある人だそうだ。



中国蔑視

2006-10-04 14:50:22 | 中国のこと
 中国に行くと言うと「大丈夫ですか」と聞かれることがよくある。SARSが発生した、「大丈夫ですか」。鳥インフルエンザが流行しているようだ、「大丈夫ですか」。反日デモがあった、「大丈夫ですか」。中国には中国民間航空で行きます、「大丈夫ですか」。こんな調子である。

 SARSで心配されるのは分からないでもないが、発生して収まってから何ヶ月たっても決まり文句のように言われるのにはいささかうんざりした。何かしらあの広い中国全土をSARSが暗黒の雲のように覆っているような感じだ。鳥インフルエンザでも人がバタバタ死んでいるわけではないし、ベトナムやインドネシアなどの方が多く死者が出ている。反日デモでも反日の嵐が全土で吹き荒れたわけではない。「最近狂犬病が出ているらしいから気をつけてください」と言われたこともあるが、聞いたこともなかった。総じて僅かな情報を拡大解釈しているのか、中国の広大さと巨大な人口と言うことがなかなか理解できないのかが「大丈夫ですか」の原因になっているのではないだろうか。

 しかし、中国民間航空の場合はちょっと違う感じで、何やら危なっかしい機体、レベルの低い操縦士を想像しているような気がする。実際には国際線はもちろん、国内線でも飛んでいるのはボーイングかエアバスだし、操縦士の技術はかなり高いと聞いている。そんなことよりも毎日非常に多くの路線を何便も飛んでいるのに事故があったのは、この数年で2件だ。おそらく、飛行機に限らず、中国の物や人間は質が悪い、いい加減、遅れている、汚い、悪いことをするという偏見が先入観としてあるのではないか。根拠のない蔑視だろう。

 このところ反中国、嫌中国の風潮が強い。書店にもそのような類の本が多い。中国への対抗心、敵意が露わなもの、優越感で見下したものなどさまざまだ。買う気はないのでパラパラめくる程度だが、こんなに中国への反感を煽って、いったい何を目論んでいるのだろうと考えてしまう。それにこの著者達のうちの何人が実際に中国に足を運んでつぶさに客観的に中国について調べたのかと疑問に思う。実際、詳細に調べてまとめた中国論は、たとえ中国の欠点、問題点を指摘していても公正で納得できる。しかし、多くはただ反中国感情を煽るだけのもので、これらにかなりの人が影響されて、実際に中国に行ったこともなければ中国人と付き合ったこともないのに、何かしら中国に対してはネガティブな「中国は嫌い」という感情を抱くようになっているのではないだろうか。

 強い反中国的言辞で有名な政治家がいる。中国が有人宇宙船を打ち上げた時に、彼は講演会で「中国人は民度が低いからこんなことを喜んでいるが、こんなものは時代遅れだ。日本がその気になれば1年くらいでできる」と話したと言う。これなどは現実の中国のことについては知ろうともしないか無知なのかで、ただ優越感と根強い蔑視から来る反中国的言辞の典型だろう。

 もちろん、中国には問題も矛盾も多いし、中国から流れて来た者たちの悪質な犯罪も増加している。それは心ある中国人も皆認めている。しかし、もし私達日本人が単なる優越感ではなく、節度があり民度も高い状態に努力して達することができたと胸を張って言えるようなレベルにあるのならば、徒に隣人を馬鹿にし、貶めるようなことを恥ずかしく思うはずだと思う。それが本当の大国、大人(たいじん)の矜持と言うものだろう。

チャカ(Chaka)塩湖

2006-10-03 00:15:45 | 中国のこと
 2005年6月に中国西北部の青海(Qinghai)省を訪れた。中国は雄鶏のような形をしている。その腰の辺りにあるのが青海省。その南がチベット、西が新疆ウイグル自治区。



 西安から双発ジェットのドルニエ機に乗り、約1時間で青海省の省都の西寧(Xining)に着く。

西寧空港で。西安のガイドの邵利明。


 青海省は標高が高い所で、チベットに連なる青蔵高原を形成し、チベット族も多く居住している。車で高原を行くと、所々にチベット族の風習である、経文を記した色とりどりの布(タルチョ)をつけた経幡が見られ異国的な印象である。

青蔵高原


経幡


 西寧の北西100キロ程の所に、青海省の名の由来である青海湖と言う中国最大の塩水湖がある。内陸の塩水湖としては世界第2番目と言う。青海湖はその名の通り美しい青い色をしている。



 青海湖の西50キロにチャカ塩湖がある。広大な湖の表面は塩で真っ白に見える。ここでは400年前から塩を採掘していたそうで、現在も大きな工場があり大量の塩を掘り出している。岸から沖まで延びた土手にレールが敷設してあって、沖で採掘した塩をトロッコ列車が運んで来る。この塩は塩化ナトリウムが96%の良質なもので、輸出もされていると言う。運び出された塩は地面に大きく野積みされていて、毎日採掘される塩の量は膨大なものだろうと思われた。

人工衛星から見たチャカ塩湖(Google earth)


右手の土手にトロッコ列車の線路がある


観光用のトロッコ列車


トロッコで運ばれた塩。ベルトコンベアで野積みの場所まで運ばれる。


野積みされた塩の山


塩の結晶


 
    

トゥワ(圖瓦Tuwa)人

2006-10-01 11:23:47 | 中国のこと
 2003年9月下旬に新疆ウイグル自治区の北部、アルタイ地方を訪れた。ここはモンゴル、ロシア、カザフスタンと接する辺境の地である。この最北端にカナス湖と言う美しい湖がある。

 ゲストハウスからシャトルバスで湖畔まで行き、遊覧ボートに乗って湖畔の景色を楽しんだ。ちょうど黄葉の季節で、湖の周辺の木々は非常に美しく色づいていた。カナスはモンゴル語で「美しく神秘的」と言う意味だそうだ。カナス湖は三日月型に湾曲していて長さ約24キロ、幅は平均約2キロ平均水深は約90メートル(最深184メートル以上)で中国では最も深い高山湖で,湖面積は約46平方キロと小さい。



 帰る途中でトゥワ人の家庭を訪問した。トゥワ人は今ではすっかりモンゴル化して、モンゴル族の一支族のように扱われているが、モンゴル族とは起源が違うと言う学説もあるようだ。55の少数民族には分類されていない。人口は非常に少なく200~300人くらいだそうで、村はもっと奥の方にあり、訪れたのは観光客対象の家だった。



 家は丸太を横にして積み上げその間に牛や馬の糞を詰めて外気が入るのを防いでいる。中に入ってお茶やいろいろな菓子の接待を受けた。中年女性2人と20歳代の娘さんがいたが、民族衣裳ではなくセーター姿で物静かでにこやかな人達だった。内部はこざっぱりしていて暖かく、壁にはジンギスカンの画像やスキー、弓矢、動物の毛皮などが掛けられていた。










 しばらくすると民族衣裳を着た老人が入ってきて笛の演奏を始めた。笛はカナス湖だけにあると言う植物から作ったものでスルと言う。「美しいカナス」と「白い馬」の2曲を演奏してくれたが、モンゴル特有の喉を響かせる発声(ホーメイ)と、笛の音の二重奏のようになっていて心に染み入るような感じで、これを聴いただけでカナスに来た甲斐があったと思ったほどだった。今ではこの笛の演奏ができるのはトゥワ族の中でもこの老人ただ1人と言うことだった。



観光客用の建物のそばにある住居