中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

痩せ願望

2010-12-18 10:19:31 | 身辺雑記

 神奈川県藤沢市で、インタネット個人輸入したタイ製のダイエット薬品を服用した10代の女性が意識障害などを起こして一時入院したそうだ。

 

 この女性は錠剤やカプセル計9種類を服用し、息切れや嘔吐、歩行困難を起こし、さらには甲状腺機能低下症の疑いで緊急入院したが、服用を中止すると体調は回復したと言う。この薬品は海外の病院が処方したダイエット製品としてネット上などで販売されていて、頭痛などを引き起こす「シブトラミン」など2種類の未承認の医薬品成分が成分検査で検出された。

 

 タイ製のダイエット薬品による健康被害は昨年も群馬県前橋市でも報告されていて、やはり10代の女性が食欲不振、吐き気、めまい、頻脈、発汗などの症状が現れ、医療機関で受診している。5年前には神奈川県茅ヶ崎市の20代の女性が急性心不全で、昨年は東京在住の40代の女性が呼吸不全で、いずれも個人輸入のタイ製のダイエット薬品を服用して死亡している。

 

  このように日本では未承認の成分を含む薬品が簡単に個人輸入で入手できるのも問題だが、このようなものでなくても、テレビや雑誌、巷の薬局などにはあの手この手でダイエット効果を謳うサプリメントや食品が氾濫している。ほとんどすべてが女性対象のものだ。それだけ女性、とくに若い女性には痩せることへの願望が強いのだろう。中国人の若い女性には日本人に比べるとスマートなのが多いようだが、それでもやはり痩せ願望はあるようで、私の友人達もすぐに「ダイエットしなくちゃ」と言う。もっともそれほど強いものでもないようで、「あしたからダイエット」などと言って元気に食べているからご愛嬌とも言えるが、それでも3キロ増えたとか2キロ減ったとか気にしている。私は女性の体重などはよく分からないから、私くらいの大きさの卒業生に「65キロくらい?」とか言って白眼視されることがある。

 

   若い女性はなぜダイエットにこだわるのか。和田秀樹『テレビの大罪』(新潮新書)によると、テレビなどでタレントなどのウエストサイズを「偽装」しているからだとして、[ウエスト58cmの幻想」と言っている。公表されているタレントのウエストサイズは軒並み50センチ台で、60センチ台となると少数派だそうだ。ちなみに体重は40キロ台が標準なのだそうで、これは「過少申告」ではないか。筆者の和田さんはこのようなタレントの「ウエスト偽装」を真に受けた思春期の女性達は、適切なボディサイズではなく、痩せすぎの体型を目指すことになり、そのような痩せ願望から究極的に拒食症に陥り、年間100人もの死者を出していると指摘している。

 

   私にはウエストが58センチと言われてもよく分からない。まさか女性の腰に手を回してそれを実感するわけにも行かないが、要するにいわゆる「柳腰」で格好がよいということなのだろう。あるダイエットサプリメントのテレビ広告で、愛用者と称する50代後半と思われる、いかにもその年らしい体型の女性が内緒めかして、「くびれが出てきました」と言ったのには馬鹿らしくて笑ってしまった。そのようなスタイルに憧れる心理は理解できなくもないが、何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」だ。年をとればやがては多くは樽のような体型になる。若いときは少しくらい太っていても、元気溌溂としたほうが好ましい。

 

 

 

 




メフン

2010-12-17 12:08:18 | 身辺雑記

 私父は酒好きだった。毎晩晩酌は欠かせないようだったが、料理上手だった母の手料理を肴に、穏やかに楽しそうに飲んでいた姿を今も思い出す。

 

前にも書いたことがあるが、父は母の手料理の他に、市販の肴も好んだ。イカの塩辛はもちろん、ちょっと口が奢っていたこともあったから、うに(雲丹)、からすみ(鱲子)、このわた(海鼠腸)などの、いわゆる日本3大珍味やアユのうるか(鱁鮧,潤香)なども、高価なものだからいつもではないが、時折父の食卓に上がった。子どもには優しかった父はそのようなものを、側で見ている私にちょっと舐めさせたこともあり、幼い私も生意気にその味が気に入って、名前も覚えた。長じて酒のほうはまったくだめでも、このような酒肴にはずっと興味を持ち続けてきたが、うにやイカの塩辛くらいは買うことはあっても、そのほかの珍味類は高嶺の花と見ていた。

 

 小泉武夫『発酵食品礼賛』(文藝春秋)で「メフン」という珍味があることを知り興味を引かれていたが、最近になってインタネットで通販しているのを知ったので購入した。 

 

   

 

 メフンは鮭の中骨に沿って付いている腎臓を使ってつくる塩辛で、語源はアイヌ語の「腎臓」を意味する「メフル」からともされ、漢字では「女奮」という字が当てられているそうだ。上に挙げた珍味類はどれも辞書に載っているが、メフンは例えば広辞苑にもないから、一般的なものではないのだろう。しかし北海道や東北地方の一部ではよく知られていて非常に人気があるのだそうだ。

 

 

 色は黒褐色でどろりとしていて、小泉さんは「何となく見た目はよくないが、鮭の肴にするとそのあまりの美味しさに感動すらいたすものである」と書いている。酒の肴としてはもちろん、ストレスを回復させるビタミンB12や鉄分が豊富に含まれているので、健康食品としても注目されているのだそうだ。私は酒の肴にはしないが、食べてみると下戸のせいか感動まではいかなかったが、なかなか美味で気に入った。

 

それにしても、鮭の腎臓を塩辛にするとは、いつ、どのようにして思いついたものか。ボラの卵巣からつくる「からすみ」は、卵巣だから塩漬けにでもして食べてみようとしたのは分かるが、アユヤナマコの腸を使う「うるか」や「このわた」などになると,はじめから酒の肴として思いついたのではないだろう。どうして腸などに目をつけたのか。人間というものは食については飽くなき好奇心と探究心があるものだと思う。

 

おそらく父はこのメフンは食べたことはないだろう。食べさせてやりたいと思う。目を細める父の顔が思い浮かぶ。

 

 


楽しい集い

2010-12-16 10:07:51 | 身辺雑記

 私が初めて高校で教えたのは2年生で、その学校の12回生だった。その中の何人かが集まるということで私にも誘いがかかった。集まったのは男性6人、女性2人だった。この学年の生徒達は私よりも8歳年下で、今年で69歳になっている。

 

 ある小さな店の1室を借り切っての会だったが、「飲み会」と称して集まっただけに、私以外の者は皆よく飲んだ。ワイン、ビール、酒(熱燗、冷や)、焼酎の水割りなどを思い思いに次々に注文して愉快に談笑していた。私は無粋な下戸だから、このような場では烏龍茶などを飲んだが、それでも談笑の仲間に入るのは楽しいことだった。皆とてもよく飲んでいたが、酒には強いようで、少々舌がもつれ気味の者がいたほかは、とくに声高になるわけでなく、もちろん乱れる者もなく話に興じていたので、下戸の私にも楽しい雰囲気だった。このように飲めない者も楽しめるような酒席は好ましい。

 

 話しているうちに分かったのだが、皆卒業時のクラスは違い、クラブも違っていた。その彼らがどのような契機で集まりだしたのかは知らないが、U君というのが世話役で、何かと世話をしてくれる。この私は、彼らを誰も教えていない。中には新婚早々の我が家にやってきて来て、妻も交えて楽しく過ごし、若かった妻を「おばさん」と呼んで閉口させたのもあったが、授業ということではまったく無縁だった。その私が、これもどのようなことからかは覚えていないが、数年前から誘われて参加している。考えてみると珍しい集まりだが、それが高校時代の思い出や今のことなどを分け隔てなく楽しそうに語り合っているのは、実に良い光景だった。

 

 彼等が2年生だった年は昭和331958)年で、東京タワーが竣工した年だったが、今から見ると社会に素朴さが残っている時代だった。皆と話している中でも言ったのだが、この学年の生徒は、教師に対する態度にけじめがあった。学年同窓会があっても元教師を立てて、いろいろと気遣いをしてくれる。それはとても気持ちの良いもので、改めて最近の高校生と比較してしまう。彼らには高校生になったという自覚があったと思うし、私を含めてその頃の教師の多くは彼らを大人として扱っていた。中学時代の後輩が高校に来て彼らを見ると、見違えるように成長しているのに驚いたということを聞いたことがある。その後、新入生を迎えても「中学年生」という印象の生徒が多くなっただけに、彼らのような存在が殊更に貴重なものに思えたものだった。

 

 いつも言っていることだが、あの時代に、この学校の教師になったことは私にとっては幸せなことだった。「飲み会」をお開きにして、皆と別れて帰宅する道すがら、これが教師冥利に尽きることなのだろうと、しみじみ思ったことだった。

 

 


大学生の就職

2010-12-15 11:11:17 | 身辺雑記

 厚生労働省の調査によると、今春卒業した大学生の就職内定率は91.8%で、過去10年間で最低となったそうだ。また来春に卒業する4年生の就職内定率は複数の就職情報会社の調査によると、およそ47%から70%で、前年の同時期の数値を下回って、就職活動は非常に厳しいたってのんきない状況にある。この数値は8月の頃のものだから、現在ではどのようになっているかは分からないが、厳しい情勢であることには違いはないだろう。日本の景気は最近は持ち直しているとは言っても、その先行きは依然として不透明なので、採用を抑えたり、必要な人材が見つからなければ募集定員に満たなくても採用を取り止めるという企業もあるとのことだ。また企業の中には海外に活路を見出そうとする動きも活発で、海外で即戦力になる人材も求める傾向があって、優秀な外国人留学生に目を向けることもあると言うことで、日本の大学生にとってはますます厳しい就職状況になりそうだとも言う。

 

 私の一番上の孫娘は京都のある女子大学の3年生だが、一般企業を目指す学友達はもう就職活動をしているようだ。本人はもともと幼稚園か保育所を希望して今の学部に入ったから、来年の秋頃までは採用試験はないから、アルバイトしながら外国旅行の費用を貯めているという至ってのんきな状態だが、それでも少子化傾向の現在、いざとなればどのようなことになるのか、いささか心配だ。

 

 それにしても、今の日本の大学生には同情する。このブログの参考にしたあるサイトの書き込みには、「別に就職なんてしなくていいじゃん。 バイトで食いつないでたら、そのうち世間が変わってくるよ 」などといういい加減で能天気なものもあるが、「何世代蚊にいっぺん氷河期が繰るこのシステムどうにかならないの」という声はもっともだと思う。

 

 若い人、中年者、そして老齢期にある者が、それぞれ希望が持てるような社会にすることは政治の責任だろうし、日本経済を動かしている財界も考えるべきではないだろうか・・・と言えば、またぞろ例の「自己責任」論とかで一蹴されるのかも知れない。


 


再虐待

2010-12-13 20:07:13 | 身辺雑記

 親による子どもの虐待が跡を絶たない。虐待が把握されると児童相談所が介入して親元から保護するが、改善の可能性があると判断されると子どもは親元に帰される。

 

 ところがそうして親元に返されても再び虐待される「再虐待」を受けていた子どもが多いことがNHKの調査で明らかになったそうだ。全国の児童相談所すべてを対象にアンケートを実施し、91%に当たる回答を得た。それによると、昨年度1年間に虐待を受けたとして、児童相談所が親元から保護するなどして対応した子どもは3万7205人で、「再虐待」を受けていた子どもは、8140人に上ることが分かった。

 

再虐待が起きた理由で最も多かったのは、「子どもへの愛情がもてない」で35.1%、次いで「うつ病などの病気の悪化」が30.6%、離婚や再婚など「家族状況の変化」が28.2%などとなっていた。親としては止むを得ない事情もあったにしても、それが再虐待になったのでは、何の罪もない子どもとしてはたまったものではなく、よりいっそう心に深い傷を負わせることになるだろう。子どもが最初に知る愛情は親から受けるものだ。それを一度ならず何度も受けるようでは、愛情というものを知らずに成長し、心にひずみを持ったまま過ごすことになり、もし結婚して子どもをもうけても、虐待の「再生産」を引き起こすことになりかねない。

 

街では幼い子どもに優しく接している親(父親も母親も)を見ることが多い。そのたびにそのような親の姿を好ましく思い、その子どもは幸せに育つのだろうと思う。その反面、このような親ばかりでなく幼い子どもを虐待する親がいるのだろうと、暗い気持ちになることもある。

 

 何のゆかりがなくても、幼い子どもは可愛く愛しい存在だ。このようなあどけない子どもをどうして虐待できるのだろうか。いや、幼な児でなくても我が子は愛しい存在のはずだ。とりわけ母親にとっては産みの苦しみを経験して授かった子どもなのだ。我が子のためには何をおいてもと考えるのが親というものだろう。「子どもへの愛情がもてない」とは親として哀しい限りだ。

 

 西安の謝俊麗が言ったことがある。「(息子の)撓撓(ナオナオ)が悪い時には叩きたくなることもあるけれど、可愛い時には感動するくらい可愛く思う」と。その気持ちはよく分かる。「ああ、なんて可愛いのだろう」と感動するくらいに我が子を可愛く思えてこそ、親としての幸せがあるのだと思う。

 

           

 

うそ払い

2010-12-13 11:09:37 | 身辺雑記

 鳥取県米子市の民間の観光施設が、この1年のウソを帳消しにする「うそ払い」を行い、大勢が参加したというニュースを読んだ。

 

 この行事は地元に伝わる、豆腐を食べると1年間のウソが消えるという言い伝えに民俗行事「うそつき豆腐」にちなんで9年前から開いているのだそうで、設けられた祭壇に普通の豆腐の20丁分もある大きな豆腐が備えられて、地元の神官が祝詞を上げてウソが帳消しになるように祈願した。このあと、地元の人や観光客などおよそ250人が、豆腐や白菜が入った鍋などをつつきながら、この1年についたウソを披露したと言う。

 

 ウソと言っても、「子どもの頃は戦争で勉強どころではなかったのに、中学生の孫には“一生懸命、勉強していた”と話した」とか、「夫には“なくなった化粧品を買うから”と言って実はへそくりに回した」などという罪のない他愛ないものだ。会場には「うそ払いの鐘」も置かれて、年間についたウソの数だけついたり、ついたウソを書いて投函して、神社でうそ払いをしてもらえる「うそ入れポスト」も設けられたそうだ。

 

 地元の言い伝えというのはいつの時代からのものかは分からないし、なぜ豆腐なのか定かでないが、人間誰しもちょっとした、ウソとも言えないウソはつくものだ。それでも何かしら気に掛かるので年の瀬には吐き出してすっきりしたいということなのだろう。私などは年を取って厚かましくなっているので、「嘘も方便」とばかり、何度もウソをついたように思うから、「うそ払いの鐘」をついたら、火事場の半鐘のようなやかましいことになるだろう。もっともどれも、どんな時にどんな場面でついたのかは思い出せないし、閻魔様に舌を抜かれるような、人を騙すような本格的なウソはついたことはない。

 

 巷には詐欺が横行しているが、「振り込め詐欺」など冷静に考えれば騙されることはないだろうと思うのだが、ヒトの弱みに付け込むウソは悪質で、舌抜きの刑などはないが、厳しく罰せられるべきだ。それに東京の永田町あたりには、素朴な「うそ払い」くらいでは到底払いきれないような、舌を何枚も持った御仁もいるのではないかと思ったりする。

 

 

            

 


飲酒のうえの不祥事

2010-12-11 11:40:40 | 身辺雑記

著名な若手の歌舞伎俳優が飲酒のうえ殴られて重傷を負うという事件があった。頭部打撲、骨折、視覚障害など全治2ヶ月ということだ。 

 

 東京麻布のバーで歌舞伎仲間と飲酒し、仲間と別れた後で店で知り合った別のグループと合流し、その中の一人とトラブルになり殴られた、具合の悪くなった者を介抱していたら、突然殴られたというのが本人の言い分のようだ。相手は暴走族だったとか言うことだが、相手は本人から先に殴ってきたと言い、何が真相なのかはこれからの警察の取調べで明らかにされることだろう。

 

 本人は歌舞伎界のプリンスとも言われてきたようだが、かねてからその酒癖については芳しい評判はなかったようだ。それにしても歌舞伎界を背負って立つと嘱望されていることに対する自覚が乏しいというか、欠如していたと批判されても仕方のないことだろう。一般庶民とはかけ離れた環境にあって、何か甘やかされた育ちをしたのだろうかとも思う。

 

 昨年も人気アイドルグループの歌手の1人が深夜に泥酔し、全裸になって騒いだことで、公然わいせつ罪容疑で逮捕されたことがあった。この歌手も日ごろかなり酒癖はよくなかったらしい。

 

 これまでにも飲酒の結果の乱行については何回か書いたことがあるが、アルコール類にはまったく弱い私には、泥酔という状態が分からない。見た目には立っていることもできないようになったり乱暴狼藉を働くから、泥酔だとは分かるが、その内面はいったいどのようになっているのだろうといつも不思議に思う。人が変わったようになるなどと言われるが、そうではない、正気な時には隠れていた本性が顕れるのだと言う人もいる。  

 

 泥酔から冷めた後は己の無様な行為を恥じたり、反省したりはするのだろうが、やはりその後も繰り返してしまうのだろう。この歌舞伎俳優にしても、アイドル歌手にしてもおそらくはこれまでにも飲酒の上の失敗があり、時には注意され反省したことはあるのだろうが、自制心が乏しかったのではないか。それに普段から世人が自分をどのように見ているかということについて厳しい自覚があったのか。社会人としてというよりも、大人として未熟だったとも言えるのではないか。

 

 


上海で(9)―女の子は空から―

2010-12-10 08:56:38 | 中国のこと

 帰国する前夜にHg君夫妻の部屋で、初日からずっと私達に付き添って世話をしてくれた梁莉(リャン・リ)と経費の精算をしてから、後はコーヒーを飲みながらの雑談になった。

 

 梁莉、愛称莉莉は、中国南部の広西チュワン族自治区の南部、玉林(ユイリン)市に近い農村の出身で、ここは北緯23度あたりで熱帯に属している。そのせいか莉莉の顔つきは東南アジア系のように見えるが、故郷にはこんな顔は多いですよと莉莉は言っていた。これまでに莉莉から故郷の話を聞いていたが、随所に南国の農村らしい話題があった。

 

 

 一人っ子政策にもかかわらず、莉莉はきょうだいが多い。上には姉がおり、弟が2人いる。妹も生まれたらしいがよそにやったとのことだ。いくら広西の片田舎にしても子どもが多い。罰金や戸籍の問題をどう解決したのかは知らない。

 

 下の弟が生まれた時は、莉莉は幼稚園児だった。家に帰ると近所のおばさんが「お父さんがバナナを持って行って、男の子と交換してきたよ」と話したそうだ。その日莉莉の父親は家でできたバナナを2房売りに行き、その日に弟が生まれたものだから莉莉はおばさんの話を信じ込んでしまった。そして母親に、私はバナナ何房と取り換えたのかと尋ねた。すると母親は、女の子はバナナと取り換えるのじゃない、飛行機が空から畑に落としたので拾ってきたと言った。莉莉はこれも信じ、小学校6年生までずっとそう思っていたそうだ。まったく牧歌的とも言えるし、中国の農村で生まれる子どもが男女で扱いが違うことをうかがい知ることができる。

 

 この話を聞いて私達は大いに笑ったが、莉莉は赤ん坊の臍と母親の臍とは直接つながっていると思い込んでいたり、これは莉莉だけが無知なのではなく、総じて性に関する知識は学校でもまったく扱うことはなかったと言う。最近の日本の小中学校とは違い、中国の学校では性教育と言うものは今もないようだ。反面、莉莉の姉はいわゆる「できちゃった婚」のようで、このあたりは南国的な大らかさもあるのだろう。

 

 ほかにもネズミを捕まえてその尻尾を切り取って学校に持って行き報奨金をもらい、ネズミは干して食べたとか、田を鋤く時に出てくる虫(オケラらしいが)を食べたりなど、莉莉の話に興じて、お開きにした。


上海で(8) ―2人のミンミン―

2010-12-09 09:29:42 | 中国のこと

 2日目の夜に、邵利明(シャオ・リミン)と施路敏(シ・ルミン)と食事をした。邵利明は西安人で、大阪のある商社の上海の日中合弁会社に駐在していて通訳や翻訳の仕事をしている。施路敏は上海人で、東京にある日本の旅行会社の社員。今回ちょうど上海に出張していた。3年前に邵利明が大阪に来たときに私が施路敏を紹介し、2人はよく電話で話をしていたようだが、日本では一度も顔を合わせたことはなかった。今年になって施路敏が上海に出張した時に初めて会ったというから、今回は2度目で、3人で食事をするのは初めてだった。

 

 向かって右が邵利明、左が施路敏。邵利明は私を「爺爺イェイェ」と呼び、施路敏は「爺ちゃん」と呼んでいるが、2人とも私にとっては「忘年の友」だ。

 

 

 2人は少し年が離れていて邵利明のほうが年上だが、気が合うらしく楽しそうに話していた。もちろん私にはさっぱり分からないのだが、2人の様子を見ているだけで楽しかった。

 

 

                          

                                                                                 

   邵利明は愛称明明、施路敏の愛称は敏敏。仮名で書くと2人とも「ミンミン」なのだが、中国語の発音は微妙に違い、明明はming ming、敏敏はmin minで、中国語を習うときに苦労する四声も mingminのiは違い、私には聴き取りはもちろん、正しい発音ができない。明明に何度か発音してもらったが聴き分けられなかった。

 

 食事の後は喫茶店に移ったが、ここでも2人は楽しそうに話していた。若い人の楽しそうな様子を見ているのはいいものだ。


上海で(7) ―魯迅公園―

2010-12-08 11:41:34 | 中国のこと

 4日目は、魯迅公園に出かけた。この公園には奥に文豪魯迅の墓所もあり、魯迅記念館もある。数年前に来たときには広い園内に憩う人たちや演劇の練習をする若者のグループなどが見られたが、今回は日曜日だったので人が多く賑やかだった。

 

 

 園内の道の両側にテント張りの売店が出ていて、書籍や木製品、小物などを売っていて、人が多く集まっていた。

 

 

 

 

 少し行くと人だかりがしている。歌声も聞こえてくるので近寄ってみた。

 

  200人以上くらいの人数か、皆大きな声で楽しそうに歌っている。多くは中高年者だった。

 

 輪の中央には、指揮をする女性やアコーデオンを奏でる男性がいた。

 

  

 輪の外では歌集を売っていて、それを手にして歌う人もいた。

 

 そこから離れて歩いていくと、Hg君が「こういうのは日本よりも豊かですね」と言った。ほとんどが中高年者で日曜の朝のひとときを楽しんでいるのだろうが、見知らぬ者同士がたくさん集って大らかに歌う様子は、確かに日本では見られない光景で、心豊かな感じがした。

 

 ほかにも小人数を集めて歌の指導をしていたり、カラオケのグループやハーモニカを奏でるグループ、楽器の演奏をするグループなどがあり、あちこちで音楽や歌が溢れていたが、公園が広いからやかましいことはない。

 

 

 

 剣舞のグループ。すぐそばに二胡とハーモニカの合奏をする二人連れが演奏していたが、それに惑わされる様子もなく、ゆったりとした所作を繰り返していた。無念無想ということか。

 

 

 

 幼い子ども達もいて、塗り絵や砂絵を描いていた。

 

 ダンスのグループ。ここも中高年者が多い。音楽に合わせて楽しそうに踊っていた。

 

 

 

 

 

 あまり長くはいなかったが、何かこちらも豊かな気持ちになったようなひと時だった。